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08.フェリクス=ローアルデ-4
しおりを挟むその純粋な気持ちが歪み始めたのはいつごろだったろうか。最初こそテオドアの話が出る度に、フェリクスは温かい気持ちでいっぱいになった。
しかしほどなくしてそれがどうもうまく機能しなくなったのだ。
「今日は騎士様が……」
「騎士様ったら……」
「ああ、そういえば騎士様も……」
ビアの口から“騎士様”の言葉が出る度、なぜかちくりと胸が痛む。一瞬だけ息が詰まる。ちくりちくりちくり。小さな棘がどんどん積もって、気づけばそれは苛立ちへとかたちを変えていた。
(嬉しいはず……なのに、一体どうして……?)
フェリクスはその時初めて、己の中に芽生えた感情を自覚した。
それは、生まれて初めて知った恋慕の情。
(なるほど、僕はビア様に恋をしているのか。)
そしてテオドアに嫉妬している。
顔が一気に火照るのが分かった。無意識に口元を隠すしたのは、動揺を悟られたくなかったからだろう。周りに誰がいるわけでもないのに。
(なんということだ……)
はじめ、フェリクスはその気持ちを持て余し、ただ困惑するばかりであった。少なくともテオドアを妬む自分の浅ましさには、耐え難い不快感を覚えた。この得体の知れぬ感情の為に、友を疎む自分を認めたくなかったのだ。
しかし、頭の中で意中の女を思い描いた瞬間、ビアの笑顔――揺れるはしばみの髪、細められた新芽のような若草の瞳、薄桃の唇が弧を描き、ふわりと笑う彼女の姿が脳裏によぎった時、フェリクスは早々に己の恋心に抗うのを諦めた。
「……ふっ、ふふ………」
自嘲にも似た笑みがこぼれる。自室に一人であるのをいいことに、その声を誰にはばかることなく思うまま漏らした。
まったく、己ときたらどこまでも自分本位である。
(自分で言うのもあれだが、僕はもっと出来た人間だと思っていたんだけどなあ。)
王子であるからには、礼儀を重んじ、謙虚で、慎ましくあれ。すべては民の為に。
(でも、王子だからこそ……)
困難に動じず、堂々と、正義を貫け。すべては国の為に。
(悪いな、テオ……)
残念だが、これは国の為でもあるんだよ。
フェリクスは今この瞬間ほど己の立場を、召喚の儀の成功を感謝した時はない。それまで後ろ向きだった婚姻話が急に咲き乱れる花々のように鮮やかに色づいて見えた。
(さて、どうしようか――)
今のところ、ビアの心はテオドアに傾きつつあると思われる。事実は知らぬが、おそらくテオドアの方も彼女に少なからず好意を抱いているはずだ。
(一歩リードはさせてしまったが、まだ十分追いつける。)
だって、あの二人は…少なくともビアの方は、己の気持ちにまだ全然気づいていない。意識しているそぶりも見せないのだから。
「……譲る気はないよ、テオ。」
心の声が思いがけずそのまま声に出た。それに気づきまた笑みが滲む。しかしそれはもう、先ほどのような自嘲混じりの苦笑ではない。
風凪いだ海のような穏やかで涼しげな微笑み――高い鼻梁に三日月のような弧を描く唇、きらきらと瞬くエメラルドグリーンの瞳。完璧なほどいつも通りの王子様だ。
しかしその双眸にはめ込まれた二つの宝石、輝く翡翠の裏側には、誰にも見つかることのない静かな闘志が、炎のようにゆらめいていた。
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