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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

エピローグ㈠

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 やった、やった!

 これでやっと

 ぜんぶ、菖蒲あやめになれた!


 🐾🐾🐾


 気にかけてくれる者がちゃんといるのだと、いつか気づいてくれればいい。
 兎田谷うさいだや先生の言葉は、小弟の願いでもあった。

「今回も事件は完璧に解決。竜子りょうこさんも報酬分のお金は銀行にあるっていうし、あとは受け取るだけだ。さあ、これにて──」
「はは、そうやってすぐ良い感じの綺麗事で締めようとするんだから、はじめは」

 いつもの決め台詞は、闖入者ちんにゅうしゃによって遮られた。

「あなたは……」

 片手で山高帽子を押さえ、含み笑いを漏らしながらそこに立つ男。

 見事な銀髪に西洋式のフロックコート。
 二度に渡って小弟の前に現れた黒と銀の紳士。
 彼の教え子であるおかっぱの学生も背に隠れて、こちらを睨みつけている。

「げっ!!」

 兎田谷先生の反応は、まるでゲテモノ料理を目の前に出されたようであった。

「むしろ、あわれじゃあないか? 偶々たまたま得てしまった他者からの良心が、少しの愛情が、まるで遅効性の毒のように娘を蝕んでいった。一匙ひとさじの情けを知ったせいで、あれほど愛と同情を渇望し、執着するに至ったのだ。そして他人を操作するのにどれだけの効力を発揮するのか、味を覚えてしまった。ただの博愛に過ぎないその『唯一の愛情』とやらが一端をにない、飢えた人工のばけものを作りだしたのだよ。いっそ捨て置かれたほうがどれだけましだったか。他者が美談にしたところで、事実は変わらない。そして──」

 小弟たちの後ろにいる少女に目線をやり、すぐに逸らした。

「模倣されたもうひとりのばけもの、『もず』はついに身も心も『菖蒲』になった。望みが叶ったのだね」

 つらつらと喋ったあとで、兎田谷先生をまっすぐ見据え、思い出したかのように挨拶を口にする。

「やあ、朔。ひさしぶりだね」
「どうして貴方がここにいるんだ。み……月見里やまなし先生……」
「可愛い弟子が元気にやっているか、会いに来ただけだよ。べつにおかしくはないだろう?」

 ものすごく嫌そうに顔をしかめている先生にも怯まず、紳士は平然と言った。

「弟子……? ということは……」

 やまなし。月見里。
 どこかで聞いた気がしていた名の響きが、頭の中で繋がった。

「まさか……幻想文学の月見里ミチル先生でございますか!?」
「おや、きみのような若者が僕を知っていてくれるなんて嬉しいね。勤勉な子は好きだよ。ぜひ大学にも遊びにおいで」

 小説家・月見里ミチル。
 異才の魔術師と謳われた、幻想小説の名手。

 現在の主流である変格的な探偵小説にも繋がる、怪奇・幻想ブームの流れを確立した立役者の一人とも言われている。

 明治の終わり頃に一世を風靡ふうびし、心理学や哲学の文献の翻訳者としても知られていた。
 六、七年ほど前だったろうか、突然文壇を去り、表舞台から消えてしまったのだ。

 残した作品数が少ないのもあって作家としての名は風化し、世間からも忘れられつつある。
 だが、小弟にとっては今でも伝説に近しい文士だ。

 なにしろ、月見里ミチルは──探偵小説家・兎田谷朔の師なのである。

 文芸誌の評論などで、二人の師弟関係は何度か言及されていた。
 しかし、先生ご自身の口からその名を聞いた記憶は一度としてない。

 大学教授に転身していたとは、士官学校以外に縁故がないためまるで知らなかった。

「ちょっと待った。うちの弟子にちょっかいをかけるのは止めてほしいんだが」
「なぜ? 弟子の弟子なのだから、僕の弟子も同然じゃないか?」

 一応、孫弟子にあたるのかと暢気のんきに考えていると、月見里教授の意見を無視して兎田谷先生が小弟に言った。

烏丸からすまる、二度とあの人に近づいてはだめだ。今後は姿を見かけたらすぐ逃げるように。目も合わせるんじゃない。出会ったら塩を撒いて即退散だ。いいね?」
「ええと、どうしてでしょうか?」
「なぜなら、ものすごく性格が悪いからさ! 比較して俺が善良に見えるくらいには捻じれている。他人の心中にある地雷原を喜々として踏み荒らしにいくような人間性なんだ。悪影響しかない!」

 兎田谷先生に人間性を否定されるとは、余程である。

「先生のお師匠なのに、苦手なのですか」
「あの人は昔から俺のやることなすことにすーぐ茶々をいれて、引っ掻き回して遊ぼうとするんだよ! まあいい。菖蒲太夫も捕まって事件は解決済みなんだから、もう出る幕はないし……」

 その言葉を聞いた月見里教授は、なんとも嬉しそうな、満足げな顔をして──後方を指差した。

「残念でした。朔の後ろに立っている少女、彼女が本物の菖蒲太夫だよ」
「……は!?」
「そうだよね、恋路れんじくん」

 小弟も思わず、のほうを振り返る。
 名を呼ばれた学生服の青年が、早口で語った。

「はい、ほくろを化粧で隠していますが、こちらが菖蒲さんです。不肖私ふしょうわたくし、頻繁に彼女を尾行したり盗み見したりしてますので、見間違えたりしません。連行されていったのが本物のもず氏です」

 そういえば、彼は菖蒲の熱烈な追っかけだった。
 長すぎる前髪の内側にちらちらと覗く瞳はなぜか誇らしげだが、堂々と宣言していい内容でもない。

「菖蒲太夫に心酔していたもずは見事に演じきった。反対に、菖蒲太夫のほうはもずに徹しきれていなかった感じがするな。僕も恋路くんに付き合って数日のあいだ彼女らをずっと観察していたが、もずは気位が高く、憐れまれるのをなにより嫌う。諦める前に一度くらい激高してみせたほうが本人らしかった」
「教授の言うとおりです。さきほどのもず氏はちょっと菖蒲さんっぽさが残っていました。なにげない仕草とか、髪質とか、き真似の声も少し違いますし、そもそも顔が似ていません。この連中、節穴どころか眼が退化したド腐れ土竜もぐらかなにかでしょうかね」
「そんなこと、わかるものかね!!」
「まだまだ観察力が足りないなぁ」

 教授がくくっと笑う。

「指紋を確認される前に白旗を揚げたのは、こっちが本物の菖蒲太夫だとばれてしまうからだね。無理にでも調べれば判明したのに。朔は推理の根拠を人間の反応、心理に頼りすぎて詰めが甘い。本格派探偵小説の書き手を自称するなら、もっと物的証拠を重視したほうがいいんじゃないかい?」
「ご指導ご鞭撻をどうも……」

 兎田谷先生は頬を引き攣らせている。

「もずには戸籍もないし、本人だと言い張れば誰も証明できない。逃がす約束を違えたりはしないよね? 朔の大好きな辻褄だけは合っているのだし」
「うぐぐぐ。今ならまだ、鶯出巡査殿に伝えれば本物のもずを助けることは可能だ」
「わかってないな。彼女は解放など望んでいないんだよ。じつに甘いね、朔は。今まで話せばわかる人間だけを相手にしてきたのかな?」

 低く心地よい、穏やかな声。
 その柔らかさが帰って背筋をざわめかせる。
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