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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第二十一話 裏・あの声で蜥蜴喰らうか時鳥㈣

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『熱い……熱いよ、おかあさん』

『勝手に台所からでたら、次は手だけじゃなくておまえ自身に火をつけてやるからね。大きな炎がどんなに美しいか知ってる? まるで女の激しい心みたい。嗚呼、おまえはまだガキなのに、そんな表情がほんとうに女よねえ。もっと子どもらしく無邪気に笑ってみせたらどう?』


 🐾🐾🐾


菖蒲あやめ太夫だゆう、聞かせてもらっていいかな。きみにとって母親の竜子さんは、いったいどんな存在だった?」
「先生、やめてくれ。菖蒲はそんなことをする娘じゃ……」
「まだそんなことを言っているのかね、鶯出うぐいで巡査殿」

 兎田谷うさいだや先生は盛大にため息をついく。
 低くなった声が真剣みを帯びたが、どこか穏やかに諭すような口調でもあった。

「誰も彼もが菖蒲、菖蒲って、目の前にある真実を見ようともしない。あらゆる状況が犯人は彼女なんだと示している。数え唄がどうのこうのって以前に、連続放火事件と彼女の移動経路はそのまま同じなのに、巡査殿は彼女が犯人だと一度として疑わなかった。不思議でならないね」
「しかしな、あんなに健気な子が……」
「本音じゃないから、徹底して他人が求める健気な良い子になれるんだよ。詐欺師と同じ。彼女はその仮面を被り、悪意もなく笑顔で火を放てる人間なんだ。巡査殿はこじつけの自覚もないまま虚像に振り回され、烏丸からすまるは同情心だけで動いていた。まあ、相手が悪かったかな。朴訥ぼくとつ、純情、善良の三拍子が揃った二人なら騙されるのも無理ないね」

 巡査は少々むっとしていたが、痛い部分を突かれたようで言い返しはしなかった。

「菖蒲太夫、きみの人心掌握術は見事だ。俺も架空フィクションは大好きなんでね。完璧に作りあげた人物像は尊敬に値するくらいだよ。そのくらい人の先入観は強く、周囲の人々に『きみは可哀想で健気な被害者であり、加害者であるはずがない』と思わせた。こじつけてでも、理屈に合わなくても、『悪い母親』が犯人であるはずだと信じたがったのさ」

 霞む月と靖国の中庭を背景に、兎田谷先生が両腕を組んで仁王立ちする。

「でも残念だけれど、俺は騙せないよ。他人の心地いい言葉や態度は基本的に疑うくせがついていてね。なぜなら、きみよりもっと底意地の悪い人間と暮らしていたから。性悪には鼻が利くんだ」
「先生、誠に申し訳ございません。小弟には思慮が足らず、お手を煩わせてばかりで……」
「烏丸や、おまえが彼女の手中に落ちるのは織り込み済みだ。だから監視を任せた。俺がいたら警戒して、言葉を交わすことすらしなかっただろう。ああいう人間は懐柔できそうな相手を見抜く目があるから。巡査殿もそう。おとり役、ご苦労!」

 鶯出巡査が歯を食いしばる。
 悔しさからではなく、いまだ先生の話を信じきれず葛藤しているのが感じられた。

「……私だって警察官の端くれだぞ。たしかに菖蒲のことは十年前の事故から気にかけていたが、もずのように妄信していたわけでは……」
「そうかなぁ。人は信じたいものしか信じない。巡査殿だって、目で見てわかる情報すらじ曲げていただろう。彼女の火傷痕を舞台で見て、違和感を覚えなかった?」

 見世物小屋で人間発火娘の姿を見たとき、菖蒲の火傷は母親から聞いていたより酷く、範囲も広いのではないかと引っかかった。
 しかし、巡査は『成長で広がっただけ』と即座に理由付けして疑問を挟まなかった。

 人は信じたいものしか信じない。

『見誤ってはいけないよ。人は一面からではわからないのだから』

 ヤマナシ教授の言葉が胸に響いた。

 小弟は娘たちの表面的なあわれさだけを見て翻弄されていた。
 そのあいだ兎田谷先生はまったく違う角度から景色を眺めて、事件解決のために動いていたのだ。

「その傷、自分で広げた?」
「ええ。人間発火娘の役作り」

 彼女は平然と答えた。

「仕事熱心だね」
「だって、この傷はわたしの糧、わたしの宝物だもの」

 自身の右顔面をいとおしそうに片手で包み込み、菖蒲は言った。

「みんなに可哀想だとか、不幸だって言われるこの火傷が好き。わたしは憐れまれたいの。誰かの同情を引いて、今までずっとそうやって生き延びてきたの。差し出された手を掴んで、引っ張り込んで、巻き添えにして。いつも冷たかったお母さんだって火傷を見るたび罪悪感に満ちた顔をしていて、あの表情が大好きだった」

 恍惚として、心の底から嬉しそうな……まるでごく普通の娘が母について語るような、邪気のない笑顔だった。

「お母さん。十の願掛けが終われば、わたしの火傷が治るとほんとうに信じていた? お父さんにそう教えてもらったもんね。この世には神も仏もいないのだから、そんな心願叶うわけない。でも、ぜんぶを終えればせめてわたしに許されると思ったんだ?」

 赤ん坊を抱きかかえるように菖蒲が持っている紙の包みが、がさがさと音をたてた。
 あれはなんだろう。実りきった稲のような……枯れてしまった花束にも見える。

 菖蒲は初めて兎田谷先生のほうをまともに見て、言った。

探偵さん。いちおう聞くけれど、証拠は? 探偵さんの推理はわたしに当てはまるというだけで、わたしじゃなきゃできないわけじゃない。あんな粉のはいった瓶なんて知らないってわたしが言ったらどうするの。持ってたのはもずだよ。特定はできていないよね?」
「物的証拠があるんだな、これが。最新の科学捜査というやつだ。ははは、名探偵っぽいだろう。烏丸からすまる、ハンケチと手帖を」
「は、はい!」

 兎田谷うさいだや先生はさきほど拾っていた袋から、ハンケチを使って慎重に瓶を取りだした。

「人の指紋は一人一人違う。警察ではこれを採取して犯人を特定する捜査がおこなわれていて、アルミの粉末を使ったりするんだ。この白い粉があれば、今すぐでも瓶に触れた人間を調べられる。俺の予想だと、おそらくでてくるのは菖蒲あやめ太夫のものだけ」

 小弟が愛用している手帖の最後のページには、菖蒲に書いてもらったサインと拇印が墨で押されていた。

「知ってた? きみの指紋ってわりとめずらしいんだよ。この弓なりの形は十人に一人くらいの割合でしかいない。たとえもずもそうだったとしても、見比べれば細部は異なる。その子はさっき袋をひらいて見せただけで、瓶に触れようとしなかった。危険物だからそう命じていたのかな。二人とも、指紋を確認させてもらえる?」

 菖蒲は無言で自分の指を見つめた。
 もずは動こうとしなかった。

「見せないなら認めたようなものだけど、警察署にいってからじっくり照合すればいいよ」
「いいえ、もうお手上げ。そう、計画も実行もぜんぶわたしがやった。もずみたいに危うい子に、こんなものは任せられなかったの。アルミニュームはわたしの武器だったのになぁ。反対に利用されてしまうなんて考えてもみなかった」

 驚いているようにも、喜んでいるようにも見える顔を先生に向けた。

「でも、一つ誤解があるようだけれど……わたしはお母さんを殺そうとなんてしてないよ」

 目線で合図を送ると、それを受けたもずが握っていたなたを竜子の首におろした。

「ひっ!!」

 咄嗟に反応できず、しまったと思ったときにはもう遅かった。

 しかし、竜子は生きていた。
 鉈の大きな刃は斬りつけると一部が丸く引っ込む仕掛けになっているようだ。

「ろくろ首少女の演出で使う偽物。ね、こんなのじゃ殺せないでしょ。たった一人の家族なのだし、大好きなお母さんがいなくなったらわたしが困るもの」
「じゃあどうして、脅迫みたいな手紙を送りつづけたり、もずを使ってまで追いつめたんだ? 噂を聞く限り、竜子さんは決していい母親ではなかったようだけれど」
「小さい頃から、お母さんは全然家にいてくれなかった。たまに帰ってきても台所に閉じ込められて一人にされた。わたしがお父さんやお兄ちゃんに可愛がられたら折檻された。わたしがずっと邪魔だったんだって、わかってたの。でも──それだけじゃないって、あるとき気がついた」

 綺麗な花を見つけたかのように、可憐に笑う。

「疎ましいだけじゃなくて、わたしの存在に怯えていた。お父さんや周りの大人たちの愛情がわたしに向けられ、自分への関心が薄れるのを恐れていた。それが嬉しくて、みんながわたしを可愛がってくれるように、頑張って良い子になった。お母さんがわたしを見てくれるならなんでもいい。恐怖でも嫌悪でも忌避でも、なんでも構わない。結局やりすぎて売られちゃったけど、どこに逃げてもわたしは必ずお母さんを捜しだすから」
「要は構ってほしかった、ってことだね。他の誰でもない、母親に」
「構って、だと。たかだかそんなことで?」

 鶯出巡査が驚きとも絶望ともつかない声をだした。
 
「ある種の人間にとっては、命を懸けてでも手に入れたいものなんだよ。誰かからの関心ってのは」

 もずといい、菖蒲といい。
 関心を引くために何度だって自ら傷を負う。

 そのためならば、己の身を焼くことすら厭わない。他人をどれだけ利用し、犠牲にしても心が傷まない。
 そんな人間もいるのだと、小弟は知らなかった。

「誰かからの関心に飢えた人間が、どれだけの行動を起こせるか。きみは経験上わかっていて、同じことを子どもたちにした」
「ええ。親から必要とされず、誰も信じられなくなったあの子たちに、わたしだけが手を差し伸べるの。そうすればあの子たちはわたしだけを信頼して求めるようになる。わたしのために、なんでもするようになるでしょう?」

 ──妖魔。

 恐ろしいのに人を惹き寄せる。彼女はまさに炎の妖魔だ。
 あのとき母親に対して感じていた印象を、まさかこんな少女に抱くとは思わなかった。
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