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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第十八話 佐世邸㈠

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 千歳ちとせを銀座通りのカフェーまで送り、また兎田谷うさいだや先生と二人になった。
 いつのまにか天気がぐずついている。一雨きそうな空模様だった。

「なあ、先生。十通目は年賀用の葉書を使っていたから、菖蒲あやめがもっと早く投函した可能性もあるってことだよな?」
「うん。一座がちょうど湊稲荷みなといなりにいたのもあって元日にだしたと思い込んでしまったが、東京にいれば木挽町こびきちょうの郵便局に寄るのはいつでもできる。でも、竜子りょうこさんは他の年賀状をすでに移動させていた。結局のところ午前には間に合わなかったんじゃないかな」

 探偵は手帖をめくり、聞き込みで得たわらべ屋の巡業経路を読みあげた。

「一座は十二月の二十八日まで関西にいて、二十九日に移動、三十日からは帝都で興行をおこなっている。場所は門前仲町と神田だからどちらも近くだ。つまり投函日は早くて二十九日。市内だけど年末ぎりぎりだったから遅れて午後以降に届いたんだろうね」

 投函日の推測が多少早まったところで、竜子のもとへ手紙が届いたのは火事より後ということになる。

 結果が覆ることはなかったが、考えていてもしかたがない。
 一歩進んで二歩下がったような状況だとしても、もっと情報を集めるしかない。

「次はどこに向かう? あと一件、調査が残っているんだろ」
「最後の目的地は銀座通りの佐世金物屋……から、徒歩十数分のところにある佐世させ綴造ていぞう邸だ」

 佐世綴造──竜子の元・内縁の夫。そして菖蒲の父親である。
 代々続いている老舗の金物屋を銀座に構え、自身の代でアルミニュームの工場をいくつも建てて事業を拡大したやり手だ。

「私はいないほうがいいか? ほら……」

 両腕を広げて、制服とサーベルを見せる。
 警察官が付き添って訪問すれば警戒されるかもしれない。
 商売人ならばなおさら、変な風評が立つのを嫌がりそうだ。

鶯出うぐいで巡査殿こそいてくれたまえよ。佐世という男、少し調べてみたけれど、金満家にしてはめずらしく誠実な仕事をするらしい。金持ちなのに信じがたいが、民衆の評判も悪くない」

 金持ちへの偏見に満ちた発言だが、先生の言い分にも一理ある。
 銀座は帝都で一、二を争う繁華街。表向きは上品に見えても、金の集まる場所にはそれなりにあくどい奴らも寄ってくる。
 叉崎さざきのように阿漕あこぎな商売で儲けている連中は山ほどいる。即刻逮捕というわけにはいかなくても、警察がいつも目を光らせている奴らである。

 その点、たしかに佐世はまっとうな商売人だった。
 親の代から引き継いだ小店を自らの力で大きくし、実業家と呼ばれるまでになった。

 芸者だった竜子に入れ込んでめかけを囲ってはいたが、生活に窮しないよう店を持たせてやったり、庶出しょしゅつである菖蒲も可愛がっていたようだ。

「俺だけで行ったら門前払いになってしまう。警察を警戒するのは後ろ暗いところのある者だけだよ。佐世が噂どおりまともな商売人なら、巡査殿がいたほうが正直に話をしてくれると思うね。それが善良な市民というものさ」
「先生は胡散臭いからな……。社会的身分のある者ほど信頼しないだろうよ。しかし──」

 彼に話を聞いて、はたして収穫があるだろうか。

「佐世とはもう会っていないと竜子さんが話していただろ。娘も奉公にでてから一度も顔を合わせていないと。いくら正直に話してくれたとしても、なにも知らないんじゃ意味がない」
「結局捨てられた、と話していたね。噂に聞く佐世の印象と結びつかない。いったいなにがあったんだろう?」
「知る由もないな。よくある男女のもつれじゃないのか。いかに成功者だろうと色絡みで利口にしていられるやつはそういない」
「ははは、まさか色恋に関して巡査殿の持論が聞けるとは」
「何度もそんな事例を取り締まってるんだよ……」

 自分だって普段の軽薄な態度に似合わず、艶聞えんぶんをまったく聞かないじゃないかと抗議したかったがやめておいた。
 私もたいして言い返せない。

「金庫に隠されていた佐世の小切手は三年前の日付になっていた。あの小切手、なんだと思う?」
「生活費をわざわざ小切手で渡さないよな。待合の開業はもっと前だから、その資金でもない」
「少なくともそれまで佐世との関係は続いていた。娘が奉公にでて以来会っていないなら、縁が切れたのちょうど三年前ってことだ」

 つまり、佐世と竜子の関係が破綻した決定的な理由は──

「竜子さんが菖蒲を売ったから、か。あの小切手は、手切れ金なのかもな」
「そう。時期を考えればちょうど合致する。佐世が一本気な性格ならばよけいに納得できる理由だ。もちろん世評が当たっていれば、だが」
「まあ、人の噂があてにならないのは、今回の火災でもじゅうぶん思い知ったよ。そもそも誠実な男が妾を囲うか?」
「さあねえ、男の甲斐性とか呼ばれるあれじゃないかね。俺に一切ないあれ」
「安月給の私にも縁のない話だよ」
「とにかく、佐世は母娘にもっとも近しい人物であるのは間違いない。最後の一押しで直接調べてみようってわけさ」

 なるほどと思いつつも、兎田谷先生にこれ以上関わる理由があるのか疑問だった。
 依頼料を回収したいだけなら、竜子が遠くに逃げる前にさっさと捕まえたほうが得策じゃないだろうか。

「先生、あんたはあの母娘をどうする気なんだ?」

 先生は私の問いかけを鼻で笑い、なんとも憎らしい顔で一蹴した。

「探偵が探偵たり得るのは、依頼があるからだ。俺は名探偵であり続けるために、そして小説のネタに使うために、依頼はすべて完璧に達成すると決めているんだよ」
「ほう。立派な心がけだ。だが、菖蒲を見つけて報告した時点で先生の仕事は終わったろ」
「なにをいう。依頼には報酬が発生し、受け取ってはじめて達成たるのだ! 未収なんて恥だね、恥!!」
「……兎にも角にも金を回収したいのはわかったよ」

 正月の浮足立った空気を漂わせる銀座を背に、我々は佐世邸へと足を向けた。
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