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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥
第十九話 魔術師㈠
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昨晩は叱られる覚悟で銀座の文豪探偵事務所に戻った。
調査の最中、小弟の独断で菖蒲に接触してしまった。
竜子が提示した条件に『捜していると娘に知られないようにしてほしい』との内容が含まれていたのにもかかわらず、だ。
竜子との繋がりが明確に露見したわけではないが、監視をしていたのが見つかったせいで不信感を抱かれ、勘づかれる可能性は十分にある。
依頼主がどんな人物であろうと、約束を破っていいはずがない。
ましてや兎田谷先生は、依頼の完璧な達成にこだわっている御方だ。
もし、小弟がその妨害をしてしまったら……腹を切るくらいで許されるだろうか。
「やあ烏丸、おかえり~」
「おお、邪魔してるよ。寒かっただろ」
居間の戸を引くと、完全にできあがっている先生と鶯出巡査の姿があった。
棚の奥に隠していた酒が開封されている。
「その酒は……!! いや、それより、謝罪せねばなりません。申し訳ございませんでした!!」
赤く染まった顔できょとんとする二人に、事の顛末を話した。
監視中にやむなく声をかけてしまい、菖蒲だけではなくわらじ屋の子どもたちと関わってしまったこと。
また、そのうちの一人である少女に激しく拒絶され、今後近づけなくなって調査に支障をきたすかもしれないこと。
畳に額をつける勢いで報告し終えると、
「烏丸……切ってくれないかね」
「はい、腹を切るならすぐ白装束に着替えて参り──」
「お年賀で送られてきた高級な蒲鉾があったろう。あれを切ってくれないかね。山葵と醤油もつけてね」
「はっ!?」
鶯出巡査はそれほど酒に強くないと聞いていたが、先生と同じ速さで銚子を空けているらしく、さめざめと涙を流しはじめた。
「うう、烏丸くんは、よくできた若者だ……。今時分、身を挺して他人を助けるなんてそうそうできることじゃないぞ。人でなしの兎田谷先生の書生にはもったいないくらい立派だ……」
「巡査殿、いくら俺でも人でなしと呼ばれたことはないよ。いや先月も呼ばれた気がしてきたな、ははは」
状況が把握できない。
とりあえずきちんと座り直し、我ながら間の抜けた声でお伺いを立てた。
「あの、小弟は許されるのでしょうか……」
「許すもなにも。俺が烏丸に頼んだのはわらべ屋の様子を観察することだよ。とくになにも制限はしていない。菖蒲太夫はどうしていた?」
「ええと、赤子の子守をしていました。赤子は座長の隠し子だそうで、裏取りもしております」
「その情報は助かるな。しっかり働いているじゃないか。他になにか変わったことは?」
「先生もご存知のとおり、明日は門前仲町の黒船稲荷に移動して興行を打つ予定でしたが、ボヤ騒ぎのせいで中止となりました。煙を吸った子どもたちの具合が少し悪いとかで、静養もかねて三日は急遽休み。四日は本来の予定どおり移動日で、五日以降は地方巡業に戻るそうです」
「そうかそうか。十分だよ。ご苦労。烏丸も休んでいいよ。蒲鉾をだしたあとで」
拍子抜けだった。本当にいいのだろうか。
甘やかされて過ぎている気がする。
「見張っていないと、いつ母親が菖蒲さんを連れ戻しに来るかわかりません。小弟は報告が終わり次第すぐ靖国に戻るつもりで──」
「来ないよ、竜子さんは」
「おわかりになるのですか」
「あ、来ることは来るかな」
「どちらですか!?」
「正確に言えば、娘を連れていくために来るわけじゃないよ。明日は俺らも一緒に出向くからさ。しっかり寝ておいてくれ給え。荒事に備えて烏丸の力が必要なんだ」
「はあ……」
荒事とは。
危険があればいつでも先生を護衛する覚悟はできているが、神聖なる神社仏閣でなにが起こるというのか。
「兎田谷先生、さっきから進んでないじゃないか。私の酒が呑めないってのか!?」
「嗚呼、吐きそうだ。じゃあもう一杯!」
別行動しているあいだにどんな進展があったのか気に掛かるが、この酩酊具合ではどちらからも訊きだせそうにない。
年中こんな感じの先生はともかく、鶯出巡査が心配だ。
ご所望の蒲鉾とともに、二日酔い予防になる蛸の酢の物と蜆の味噌汁、しらすの大根おろし和えを用意して、先に失礼することにした。
🐾🐾🐾
明けて一月三日。
鶯出巡査は蜆の効果もなく、結局二日酔いで夕方まで寝ていた。
作戦開始は夜からの予定だと言い残し、兎田谷先生はどこかに出かけていた。
巡査の酔いが覚めたあと、昨日につづき靖国神社にやってきた。
時刻はすでに逢魔が時。大正通りから中に入ると、所々に置かれた燈籠の明かりがぼんやりとあたりを照らしていた。
あらかじめ先生から受けていた指示により、小弟は九段側の大鳥居、鶯出巡査は南門に待機していた。
なにぶん広大な神社である。
すべての出入口を押さえるのは不可能なため、これからやってくるという彼女に逃げられる可能性がある。先生はその対策をしているらしい。
小弟は合図を待つしかない。
新年の祭事は終わり、初詣の客足も落ち着いている。出店も一部を除いて退去していた。
厳かさこそあれ、縁日特有の幻想めいた空気は去っていた。あまりに儚く、まさに魔術に魅せられていたかのようだ。
正月の浮足立つような雰囲気も消えかけている。
参拝を終えて出ていく者ばかりで、境内に入っていく者はいない。
天では小粒の星がかすかに瞬いているが、人の住む地はまだ薄明るい。空から徐々に藍色が落ちてくるようだ。
天高くそびえる大鳥居と燈籠によって浮きでた影は妙に色濃くて、そこかしこに魔が潜んでいそうである。
逢魔が時とはよくいったものだと、しばし見惚れていた。
そのとき、大鳥居の柱から伸びていた影が動いた。
「あなたは……」
闇夜にまぎれる漆黒のフロックコート。星芒の輝きを受ける白銀の髪。
「ヤマナシ教授、またお会いできましたね」
黒と銀の不思議な紳士だ。
彼がそう言っていたように、小弟もまたすぐに会える予感がしていた。
調査の最中、小弟の独断で菖蒲に接触してしまった。
竜子が提示した条件に『捜していると娘に知られないようにしてほしい』との内容が含まれていたのにもかかわらず、だ。
竜子との繋がりが明確に露見したわけではないが、監視をしていたのが見つかったせいで不信感を抱かれ、勘づかれる可能性は十分にある。
依頼主がどんな人物であろうと、約束を破っていいはずがない。
ましてや兎田谷先生は、依頼の完璧な達成にこだわっている御方だ。
もし、小弟がその妨害をしてしまったら……腹を切るくらいで許されるだろうか。
「やあ烏丸、おかえり~」
「おお、邪魔してるよ。寒かっただろ」
居間の戸を引くと、完全にできあがっている先生と鶯出巡査の姿があった。
棚の奥に隠していた酒が開封されている。
「その酒は……!! いや、それより、謝罪せねばなりません。申し訳ございませんでした!!」
赤く染まった顔できょとんとする二人に、事の顛末を話した。
監視中にやむなく声をかけてしまい、菖蒲だけではなくわらじ屋の子どもたちと関わってしまったこと。
また、そのうちの一人である少女に激しく拒絶され、今後近づけなくなって調査に支障をきたすかもしれないこと。
畳に額をつける勢いで報告し終えると、
「烏丸……切ってくれないかね」
「はい、腹を切るならすぐ白装束に着替えて参り──」
「お年賀で送られてきた高級な蒲鉾があったろう。あれを切ってくれないかね。山葵と醤油もつけてね」
「はっ!?」
鶯出巡査はそれほど酒に強くないと聞いていたが、先生と同じ速さで銚子を空けているらしく、さめざめと涙を流しはじめた。
「うう、烏丸くんは、よくできた若者だ……。今時分、身を挺して他人を助けるなんてそうそうできることじゃないぞ。人でなしの兎田谷先生の書生にはもったいないくらい立派だ……」
「巡査殿、いくら俺でも人でなしと呼ばれたことはないよ。いや先月も呼ばれた気がしてきたな、ははは」
状況が把握できない。
とりあえずきちんと座り直し、我ながら間の抜けた声でお伺いを立てた。
「あの、小弟は許されるのでしょうか……」
「許すもなにも。俺が烏丸に頼んだのはわらべ屋の様子を観察することだよ。とくになにも制限はしていない。菖蒲太夫はどうしていた?」
「ええと、赤子の子守をしていました。赤子は座長の隠し子だそうで、裏取りもしております」
「その情報は助かるな。しっかり働いているじゃないか。他になにか変わったことは?」
「先生もご存知のとおり、明日は門前仲町の黒船稲荷に移動して興行を打つ予定でしたが、ボヤ騒ぎのせいで中止となりました。煙を吸った子どもたちの具合が少し悪いとかで、静養もかねて三日は急遽休み。四日は本来の予定どおり移動日で、五日以降は地方巡業に戻るそうです」
「そうかそうか。十分だよ。ご苦労。烏丸も休んでいいよ。蒲鉾をだしたあとで」
拍子抜けだった。本当にいいのだろうか。
甘やかされて過ぎている気がする。
「見張っていないと、いつ母親が菖蒲さんを連れ戻しに来るかわかりません。小弟は報告が終わり次第すぐ靖国に戻るつもりで──」
「来ないよ、竜子さんは」
「おわかりになるのですか」
「あ、来ることは来るかな」
「どちらですか!?」
「正確に言えば、娘を連れていくために来るわけじゃないよ。明日は俺らも一緒に出向くからさ。しっかり寝ておいてくれ給え。荒事に備えて烏丸の力が必要なんだ」
「はあ……」
荒事とは。
危険があればいつでも先生を護衛する覚悟はできているが、神聖なる神社仏閣でなにが起こるというのか。
「兎田谷先生、さっきから進んでないじゃないか。私の酒が呑めないってのか!?」
「嗚呼、吐きそうだ。じゃあもう一杯!」
別行動しているあいだにどんな進展があったのか気に掛かるが、この酩酊具合ではどちらからも訊きだせそうにない。
年中こんな感じの先生はともかく、鶯出巡査が心配だ。
ご所望の蒲鉾とともに、二日酔い予防になる蛸の酢の物と蜆の味噌汁、しらすの大根おろし和えを用意して、先に失礼することにした。
🐾🐾🐾
明けて一月三日。
鶯出巡査は蜆の効果もなく、結局二日酔いで夕方まで寝ていた。
作戦開始は夜からの予定だと言い残し、兎田谷先生はどこかに出かけていた。
巡査の酔いが覚めたあと、昨日につづき靖国神社にやってきた。
時刻はすでに逢魔が時。大正通りから中に入ると、所々に置かれた燈籠の明かりがぼんやりとあたりを照らしていた。
あらかじめ先生から受けていた指示により、小弟は九段側の大鳥居、鶯出巡査は南門に待機していた。
なにぶん広大な神社である。
すべての出入口を押さえるのは不可能なため、これからやってくるという彼女に逃げられる可能性がある。先生はその対策をしているらしい。
小弟は合図を待つしかない。
新年の祭事は終わり、初詣の客足も落ち着いている。出店も一部を除いて退去していた。
厳かさこそあれ、縁日特有の幻想めいた空気は去っていた。あまりに儚く、まさに魔術に魅せられていたかのようだ。
正月の浮足立つような雰囲気も消えかけている。
参拝を終えて出ていく者ばかりで、境内に入っていく者はいない。
天では小粒の星がかすかに瞬いているが、人の住む地はまだ薄明るい。空から徐々に藍色が落ちてくるようだ。
天高くそびえる大鳥居と燈籠によって浮きでた影は妙に色濃くて、そこかしこに魔が潜んでいそうである。
逢魔が時とはよくいったものだと、しばし見惚れていた。
そのとき、大鳥居の柱から伸びていた影が動いた。
「あなたは……」
闇夜にまぎれる漆黒のフロックコート。星芒の輝きを受ける白銀の髪。
「ヤマナシ教授、またお会いできましたね」
黒と銀の不思議な紳士だ。
彼がそう言っていたように、小弟もまたすぐに会える予感がしていた。
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