上 下
61 / 73
第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第十九話 魔術師㈠

しおりを挟む
 昨晩は叱られる覚悟で銀座の文豪探偵事務所に戻った。

 調査の最中、小弟の独断で菖蒲あやめに接触してしまった。
 竜子りょうこが提示した条件に『捜していると娘に知られないようにしてほしい』との内容が含まれていたのにもかかわらず、だ。

 竜子との繋がりが明確に露見したわけではないが、監視をしていたのが見つかったせいで不信感を抱かれ、勘づかれる可能性は十分にある。
 依頼主がどんな人物であろうと、約束を破っていいはずがない。

 ましてや兎田谷うさいだや先生は、依頼の完璧な達成にこだわっている御方だ。
 もし、小弟がその妨害をしてしまったら……腹を切るくらいで許されるだろうか。

「やあ烏丸からすまる、おかえり~」
「おお、邪魔してるよ。寒かっただろ」

 居間の戸を引くと、完全にできあがっている先生と鶯出うぐいで巡査の姿があった。
 棚の奥に隠していた酒が開封されている。

「その酒は……!! いや、それより、謝罪せねばなりません。申し訳ございませんでした!!」

 赤く染まった顔できょとんとする二人に、事の顛末てんまつを話した。
 監視中にやむなく声をかけてしまい、菖蒲だけではなくわらじ屋の子どもたちと関わってしまったこと。
 また、そのうちの一人である少女に激しく拒絶され、今後近づけなくなって調査に支障をきたすかもしれないこと。

 畳に額をつける勢いで報告し終えると、

「烏丸……切ってくれないかね」
「はい、腹を切るならすぐ白装束に着替えて参り──」
「お年賀で送られてきた高級な蒲鉾かまぼこがあったろう。あれを切ってくれないかね。山葵と醤油もつけてね」
「はっ!?」

 鶯出巡査はそれほど酒に強くないと聞いていたが、先生と同じ速さで銚子を空けているらしく、さめざめと涙を流しはじめた。

「うう、烏丸くんは、よくできた若者だ……。今時分、身をていして他人を助けるなんてそうそうできることじゃないぞ。人でなしの兎田谷先生の書生にはもったいないくらい立派だ……」
「巡査殿、いくら俺でも人でなしと呼ばれたことはないよ。いや先月も呼ばれた気がしてきたな、ははは」

 状況が把握できない。
 とりあえずきちんと座り直し、我ながら間の抜けた声でお伺いを立てた。

「あの、小弟は許されるのでしょうか……」
「許すもなにも。俺が烏丸に頼んだのはわらべ屋の様子を観察することだよ。とくになにも制限はしていない。菖蒲太夫はどうしていた?」
「ええと、赤子の子守をしていました。赤子は座長の隠し子だそうで、裏取りもしております」
「その情報は助かるな。しっかり働いているじゃないか。他になにか変わったことは?」
「先生もご存知のとおり、明日は門前仲町の黒船稲荷に移動して興行を打つ予定でしたが、ボヤ騒ぎのせいで中止となりました。煙を吸った子どもたちの具合が少し悪いとかで、静養もかねて三日は急遽休み。四日は本来の予定どおり移動日で、五日以降は地方巡業に戻るそうです」
「そうかそうか。十分だよ。ご苦労。烏丸も休んでいいよ。蒲鉾をだしたあとで」

 拍子抜けだった。本当にいいのだろうか。
 甘やかされて過ぎている気がする。

「見張っていないと、いつ母親が菖蒲さんを連れ戻しに来るかわかりません。小弟は報告が終わり次第すぐ靖国に戻るつもりで──」
「来ないよ、竜子さんは」
「おわかりになるのですか」
「あ、来ることは来るかな」
「どちらですか!?」
「正確に言えば、娘を連れていくために来るわけじゃないよ。明日は俺らも一緒に出向くからさ。しっかり寝ておいてくれたまえ。荒事に備えて烏丸の力が必要なんだ」
「はあ……」

 荒事とは。
 危険があればいつでも先生を護衛する覚悟はできているが、神聖なる神社仏閣でなにが起こるというのか。

「兎田谷先生、さっきから進んでないじゃないか。私の酒が呑めないってのか!?」
「嗚呼、吐きそうだ。じゃあもう一杯!」

 別行動しているあいだにどんな進展があったのか気に掛かるが、この酩酊具合ではどちらからも訊きだせそうにない。

 年中こんな感じの先生はともかく、鶯出巡査が心配だ。
 ご所望の蒲鉾とともに、二日酔い予防になるたこの酢の物としじみの味噌汁、しらすの大根おろし和えを用意して、先に失礼することにした。


 🐾🐾🐾


 明けて一月三日。
 鶯出巡査は蜆の効果もなく、結局二日酔いで夕方まで寝ていた。
 作戦開始は夜からの予定だと言い残し、兎田谷先生はどこかに出かけていた。

 巡査の酔いが覚めたあと、昨日につづき靖国神社にやってきた。
 時刻はすでに逢魔が時。大正通りから中に入ると、所々に置かれた燈籠の明かりがぼんやりとあたりを照らしていた。

 あらかじめ先生から受けていた指示により、小弟は九段側の大鳥居、鶯出巡査は南門に待機していた。

 なにぶん広大な神社である。
 すべての出入口を押さえるのは不可能なため、これからやってくるというに逃げられる可能性がある。先生はその対策をしているらしい。

 小弟は合図を待つしかない。

 新年の祭事は終わり、初詣の客足も落ち着いている。出店も一部を除いて退去していた。
 厳かさこそあれ、縁日特有の幻想めいた空気は去っていた。あまりに儚く、まさに魔術に魅せられていたかのようだ。
 正月の浮足立つような雰囲気も消えかけている。

 参拝を終えて出ていく者ばかりで、境内に入っていく者はいない。

 天では小粒の星がかすかに瞬いているが、人の住む地はまだ薄明るい。空から徐々に藍色が落ちてくるようだ。
 天高くそびえる大鳥居と燈籠によって浮きでた影は妙に色濃くて、そこかしこに魔が潜んでいそうである。
 逢魔が時とはよくいったものだと、しばし見惚れていた。

 そのとき、大鳥居の柱から伸びていた影が動いた。

「あなたは……」

 闇夜にまぎれる漆黒のフロックコート。星芒せいぼうの輝きを受ける白銀の髪。

「ヤマナシ教授、またお会いできましたね」

 黒と銀の不思議な紳士だ。
 彼がそう言っていたように、小弟もまたすぐに会える予感がしていた。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。