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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第十七話 鬼瓦の家㈠

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 探偵とともに、火災で無残にも焼け落ちてしまった木挽町こびきちょうの民家にやってきた。

 消火されてから一日半が経過したが、いまだ焼け跡は生々しい。
 かろうじて残った大黒柱や壁に黒い傷跡が刻みつけられている。

 管轄の派出所からやってきている巡査が二人、昨日に引きつづき現場検証をおこなっている。
 昨日見かけた夫婦の姿はなかった。

 住民のあいだでは『子どもが亡くなった』と騒がれていたが、そのような事実はない。
 かまどが火元となった冬場によくある火事、という扱いだ。
 数日のうちには警察の調査も終わり、瓦礫がれきが撤去されて更地になるだろう。

 人の噂も七十五日。まるで存在しなかったかのように、無責任に広まった世間話は雲散霧消していく。
 例によって一家が遠くに引っ越してしまえばよけいにそうだ。

 亡くなってはいないが、どこにいるかわからない。
 そんな真相も誤った噂話とともに風化していく。

「あの巡査たちは顔見知り? ちょっと話を聞きたいな」
「ああ。声をかけるのはいいが、警察の認識はあくまでもただの火事だ。たいした情報は得られないぞ」
「べつに構わないよ。知りたいのは火災そのものよりも、どっちかというと住んでいた家族についてだから」

 検証中の二人に「お疲れさん」と声をかけ、調査の様子を尋ねた。
 運よくどちらも顔見知りの後輩だったため、隣の探偵を気にしつつも教えてくれた。

「住んでいた夫婦はどちらも花街かがいで働いていて、夫は料亭の料理人、妻も同じ店で給仕をしていたそうです。引っ越してきて五年ほどでした」
「子どもは?」
「記録上、娘が二人です」

 火災のあと、子どもは消えた。だが焼け跡からは現状なにも発見されていないため、巻き込まれた可能性は低い。両親も『子は親戚のところで働いている』と話している。

「記録上、とは?」
「戸籍は確認できますが、最初の子はずっと前に家を出ていてもういません。親は奉公にやっただけだと話していますが、まあ、言いにくかったんでしょうね。行き先は吉原遊廓です。こちらは管理簿を確認しましたが、現在もちゃんと花魁として見世みせに在籍していました」

 先生が白く染まったため息を吐いた。

「また娘の身売り話かね。不景気とはいえ、世知辛いなぁ」
「さっきの吉江よしえさんの言い分ではないが……吉原ならまだ消息を追えるだけ、ましなほうなんだろうな」

 吉原は国が認可している遊廓であり、働いている女性たちも警察が身元を確認し、管理している公娼だ。親の承諾書と戸籍抄本の届け出などが必須となっている。
 客を取れるのは十八からと決められており、それより若ければ下新したしんと呼ばれる見習いとして雑用をする。
 幼すぎる女児の人身売買がまかり通っていた江戸の頃のような禿かむろはもういない。

 売られる娘の立場からすると身売りは身売り。どこへ行こうが辛さは変わらないだろうが、「せめて吉原で」と望む親も多い。

「下の子のほうも地方の遠縁に預けたと話しているんだったね。火災のときから消えたはこっちの子だよね。年齢は?」
「次の娘はまだ八歳になったばかりです。電話で遠縁とやらに所在の確認だけはしました」
「姉妹ではなく最初の娘、次の娘。呼びかたに違和感があるな」
「戸籍では姉妹ですが、どちらも養女なんです。最初の娘が吉原にいったあとの貰い子なので、互いに会ったこともなさそうです。結局は親戚に預ける結果になって、なぜ育てられないのに再度引き取ったのか理解に苦しみますね。賭博で借金も抱えていたようで」

 借金の噂だけは本当だったか、と頭に入れた。
 後輩たちに礼を告げ、ポケットにいれっぱなしにしていた紙煙草を二箱渡す。
 なんとなく火事のあとは吸う気分になれずに入れっぱなしになっていた。

 彼らにも似た感覚があったようで、喜びつつも申し訳なさそうにマッチを擦った。
 連日の検証で疲れていたのか、煙を吐きながらほっとした顔をした。

「火事は嫌ですね。先輩の同期にも、火災の現場が原因で辞めた方がいましたよね」
「ああ……」
「気持ちはわかります。震災を思いだしますし、とくに冬は廻りがはやくて、大きい炎は間近で見るとやはり怖ろしいですから。被害者がいなくてほんとうによかったです」

 私たちが近況や仕事についての雑談をはじめると、探偵は地面にしゃがみこんで一人でなにかを調べていた。

「おお、寒い。早く帰ってかんをきめたい。ねえ、火元ってこのあたり?」
「ええ、そうです」

 私の代わりに後輩が答える。
 検証の結果でも、やはり出火場所は台所だった。

「爆発したって目撃情報がなかったっけ」
「一部住民からありました。ですが、なにかが爆発したような残骸もありませんし、火薬なども発見できませんでした」

 当日、爆発のような閃光を見た近隣住民が複数いる。だが天井まで燃え落ちたため、検証は難航しているようだ。
 この家は瓦斯がすも引いていなかった。いまだ原因は不明である。

「先生、油断していると瓦礫が崩れるぞ。危ないからほどほどにしろよ」
「わかっているよ。爆発ほどじゃないにしろ、竈の破損が大きいのが気になってね」

 セメントの土台とタイルは割れて散らばり、鉄製の大きな羽釜もぐにゃりと変形して元の形を成していない。
 先生の言う通り、火災の直接的な原因である事実を物語る、酷い有様だ。
 先生は地面に少量散った調味料を指で触りながら訊いた。

「巡査殿、メリケン粉(小麦粉)も爆発するよね? これはただの塩だけど」
「ああ、粉塵ふんじん爆発か。しなくもないが、普通の家で条件が揃うのはかなりむずかしいと思うぞ」

 粉末が空気に舞ったところに着火すると、粉から粉へと燃え広がって爆発が起こる。
 私も門外漢のため詳しい原理は知らないが、工場などで時折耳にする事故だ。

 静電気程度でも着火されるが、粉塵の名称どおり、視界をふさぐほど舞っていなければならない。
 一般の家庭にあるメリケン粉の量なら、袋に入れて絶えず空気を送りこみ舞わせ続けるなど、そこまでしなければ発火させられない。

「まして家は無人だったんだ。故意に起こすとなると、外から筒を差し入れて空気を送る仕掛けを作る、とかか? 普通に火をつけたほうが早くないか」
「そんなわかりやすい仕掛けの痕跡はないよねぇ。釜に竹筒は二本入っているけれど」

 と、鉄の中に落ちている棒状の塊を指さした。
 灰と化しているが、非常に燃えにくい青竹だけあって特有の繊維が残っている。

「この長さじゃ、二本繋げたとしてもとても外に届かないな。だいたい竈に火吹竹ひふきだけは必要なんだから、あってもおかしくないだろ」
「だとしても釜の中にあるのは変じゃない? 床とか、薪と一緒に置くものじゃないかな」
「さあ……。真上に収納する棚があったか、炎の勢いで飛んだんじゃないか」
「うーん。粉塵爆発はむずかしいな。粉も落ちていないし痕跡がなさすぎる。例えば時間差で爆発させて火事を起こせれば、逃げる時間も作れるし、声だけで家のなかに人が取り残されている演出ができるかなと思ったんだけれど」

 台所だった場所に探偵は座りこみ、腕を組んでなにやら考え込んでいる。

「……取り残されている演出?」

 なんの意味があってそんなことをするんだと思う気持ちと、声だけ残して消えていく子どもたちの謎に繋がりそうな感覚が合わさって、私の頭こそ爆発しそうだった。

 先生なら警察とは違う視点でもっと気づきがあるかもしれないと思い、しばらく好きにさせておいたところ──

 立ち入り禁止の縄の向こうから、通行人が声をかけてきた。
 悲惨な現場に似つかわしくない、鈴の鳴るような若い女性の声だ。

「あら? 兎田谷先生じゃありませんか」
「おや、千歳ちとせクンじゃないか。先月ぶりだね」
「先生ったら、用がないと寄ってくださらないんだから」
「カフェーの酒は割高なんだよ。酌はいらないから安く呑みたい」

 会話に耳を傾けていて思いだした。吉江が勤めていたカフェーにいた女給だ。
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