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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第十六話 十通目の手紙㈡

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 床下の隠し金庫から、高額の小切手が発見された。

 振出人の名は菖蒲あやめの父親である佐世させ綴造ていぞうとなっており、署名捺印もされている。

「ちゃんと現金化できるんだろうな。質屋に戻って鑑定屋を呼べ。いやその前に、親分に報告だ! 下手に触るなよ!」

 叉崎さざき一派がばたついている隙を狙って、我々は行李を調べた。
 すでに物色されたあとだ。奴らにとって値打ちのあるものはなかったらしく、漁っていても見咎めたりはしなかった。

 中身は店舗の経営関連の書類が多かった。
 業者との契約書、貯蔵している酒の一覧、仕出し屋への注文書の綴り束、電話帳など、雑多な紙類が重なって入っている。
 今年の元日に届いたばかりらしい同業者や取引先の新年の挨拶はまとめて括ってあった。

 とある物が目を引いて手に取る。
 兎田谷うさいだや先生に目配せし、こっそりと懐に忍ばせた。

 万が一ごろつきどもに見つかったとしてもたいして問題視されないだろう。だが、私がずっと探し求めていた物だ。
 一連の不審火が、連続放火事件であると裏付ける物証。

「行李にはもうなにもないな。待合をでるか?」
「連中の動きを見届けよう。実際に大金があったのだとしたら、俺への未払金がもらえるかもしれないし」

 それから、一派の親分である叉崎が鑑定屋を伴ってやってきた。
 しばらく本物だの偽物だのと強面同士で神妙に話し合っていたが、やがて決着がついたようだ。

 用が済んで賭場に戻ろうとしていた叉崎が、兎田谷先生に向かって言った。

「こっちにゃもう竜子りょうこを捜す理由がなくなった。金庫にあったもんと店の資産価値を合わせれば、ちょうど借金をすべて返せる額だ」

 小切手はまぎれもない本物だったようだ。
 ではどうして竜子さんは叉崎からも兎田谷先生からも金を踏み倒して逃げたのか。

 たちの悪い金貸しから追われるはめになるのはわかっていただろうに。
 しかも持っていくでもなく置いていった。

 床板は釘で塞がれていた。短時間で開けられるとは思えない。よほど慌てていたのか?

「いや、ちょっと待った。ぴったりだって? じゃあ、うちの報酬のぶんは……」
「ない。勝手に竜子を捕まえて払わせろ。あとおたくのツケもさっさと返せ」

 期待が打ち破られた兎田谷先生は、また木乃伊みいらみたいな顔をしていた。

「もしくはさっき頼んだ件をどうにかしたら、残り半分も帳消しにしてやってもいいぜ」
「さっきの件ってなんだ?」

 私が口を挟むと、叉崎はドスの利いた声で言った。

「さっさとってんだよ」
「なぜだ? 竜子さんが借りていた金はさっきの小切手で終わったんだろ。もう娘を売る必要はない。アンタたちが菖蒲を探す理由もないはずだ」
「おまわりにゃ関係ねえだろ」

 私の肩をぽんと叩き、にやにや笑いながら、大勢の手下を連れて博徒の親玉は引き揚げていった。

 取り巻きの連中はみんな揃いの衣装を着ていた。夜叉を背に刺繍した、漆黒の法被はっぴだ。
 叉崎一派のシンボルである黒い夜叉が視界にはいれば、花街かがいの連中は誰でも道をあける。

 派出所の巡査でしかない私など、奴らは眼中にない。
 だが、手の届く市民だけでも自分の手で守りたいと願うのは思いあがりだろうか。
 菖蒲に近づけたくはないし、兎田谷先生もこれ以上連中に関わるべきじゃない。
 いくら口が回っても、奴らにとっては非力な一介の文士に過ぎないのだ。

「先生、金は貸せんが、困ったら相談しろよ……」
「元はといえば鶯出うぐいで巡査殿が困って、俺に今回の話を持ってきたのじゃなかったかね」
「まさか竜子さんの依頼があんな危ない連中に繋がるとは思っていなかったんだよ。叉崎は菖蒲が金になると言っていたんだろ。やはり売り飛ばすのが目的かもしれんな」

 火傷のせいで遊女や芸者はやれなかったが、見世物小屋で人気の太夫たゆうになっていたから目をつけられたのだ。
 そして──

「私の目的だった物かもしれない。一緒に検証してくれないか?」

 叉崎一派の姿が完全に見えなくなったのを確認し、懐に隠していたものを取りだした。


 🐾🐾🐾


 私が行李から発見したのは、手のひらほどの大きさをした和綴わとじの冊子だ。
 表紙は花模様を染められた布地が張られ、金刺繍で縁取りまでしてあった。

「なんだね、このごてごてした帖面ちょうめんは」
「知らないのか? まあ、先生は祭りでもなけりゃ神社なんぞに立ち寄らないだろうからな……」

 中を開いてみせると、神社仏閣の名が入った墨書と朱印しゅいんが一頁毎に押してある。
 庶民のあいだで『蒐印帖しゅういんちょう』などと呼ばれているものだ。

 本来は経文を奉納した証として配布されていたらしいが、敬虔な巡礼者だけではなく、観光目的やただの記念で集めている蒐集家もいるという。
 この朱印を押してもらうための帖面だ。趣向を凝らした華やかなものもたくさんあって人気なのである。

「ごく簡単に言や、参拝した記念に社寺の印を押してもらえるんだよ」
「集めたら賞金でもでるのかね」
「そんなわけないだろ」

 俗物の文士は蒐印帖をぱらぱらとめくり、首をかしげていた。なぜありがたがるのかわからないと顔に書いてある。
 そして、何頁目かで手をとめた。

「なるほど。一番はじめは一の宮、二また日光中禅寺……」
「ああ。やはり菖蒲を追って、葉書の日附ひづけ印と同じ土地に行っていたんだ」

 竜子の手帖は数え歌どおりの順序で、九つの朱印が押されていた。
 それらは連続放火事件と同じ順路でもある。

「先生、朱印の日附も見てくれ」

 神社仏閣の名とともに、参拝した日も墨で書かれている。
 
「竜子さんの参拝日は、九件の火災が起こった日とほぼ一致している」

 葉書の日附、参拝日、そして火災の発生日。これらが数日内の非常に短い間隔で起こっている。
 まず葉書が届いて、数日後に火事が起こる。そのあとで毎度律儀に参拝しているのが不気味だ。
 少なくとも、彼女が店を閉めて一人旅にでている期間に火事が起こっているのは間違いない。

 
 十頁目は白紙だが、歌詞どおりであれば最後は靖国神社の予定だったはずだ。

「おっと、なにか挟まっている」

 背表紙の隙間から、薄っぺらい紙が何枚か舞いながら床に落ちた。
 先生が拾いあげたものを見てみると、新聞の切り抜きである。私にはどれも見覚えのあった。

「……これまでの火災を扱った新聞や雑誌の記事だな」

 連続放火事件とのたまっているのはあくまでも私だけだ。
 ただの事故で片付けられているため扱いはごく小さい。せいぜい一行や二行で『〇〇町にて民家焼失せし』などと書かれている程度である。
 東京で発生したものに関しては一度も掲載さえされなかった。冬場の帝都は火事が掃いて捨てるほど起こるからだ。

 新聞とは反対に、悪趣味なオカルト雑誌はいかにも大仰な見出しを押しだしている。
 あることないことを書き立て『怪奇! 炎の魔物か神隠しか?』と煽っていた。

 全国で発生している不審火の共通点、消えた子どもの声、赤い着物は炎の魔物など。
 鋭い内容も時折あったが、結局は霊障や呪いのオカルトに関連づけているだけだ。
 記者自身もたいして信じていないらしく、それ以上の入念な取材はされなかったようだ。
 念のためしばらく購入していたが、無駄に終わった。

 見覚えがあるはずである。私も必死で各地の新聞や雑誌を読み漁って探したのだ。
 ほとんど同じものをそっくり持っている。

「派出所で私が連続放火事件の話をはじめたとき、竜子さんは素知らぬ顔だったが……。少なくとも一連の事件を知っていたんだな」

 犯人なのだから当然か、と思わず苦笑いが漏れそうになるが口にはしなかった。
 でっちあげはともかく、兎田谷先生は聞き込みを中心とした、案外地に足のついた調査をする。
 この探偵に私の推理を納得させるには──まだ、証明が足りない。

「火付けは現場に戻る犯人がやたらと多い。新聞記事の切り抜きを集めるのも同様だ。炎の破壊力を自分の力と勘違いして、犯行を回想しているんだ」

 炎が綺麗だと笑っていた彼女であれば、その美しさに自身を投影でもしていたのだろうか。

 ──燃えあがるくれなゐは、女の情念。

「これだけでもじゅうぶん収穫だが……。私の探していた、十通目の手紙はなかったな」

 逃げるときに持ちだしていたら調べようがない。
 当てがはずれて少々がっかりしていると、兎田谷先生が言った。

「ああ、手紙なら玄関の郵便受けにもたまっていたはずだよ。烏丸に怒られて必要以上は触らなかったんだよね」
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