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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥
第十二話 黒と銀の紳士㈠
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厳しい寒さが続いた昨日までと打って変わり、本日は冬日和と呼べる穏やかな気候であった。
小弟の心情は決して晴れやかではなかったが、なんとか気を持ち直し、兎田谷先生にまかされた務めをまっとうすべく奮起した。
母親の目的が娘をふたたび売ることであれば、必ず近辺に現れるはずである。
菖蒲の周辺を見張るのだ。
同時にできるだけ情報を集めておこうと、先生にならって興行師、露天商、そして見物客らにも聞き込みをした。
見世物好きのあいだでは人気の一座だけあって、様々な話を聞くことができた。
とくに菖蒲太夫の熱心な客は多かった。
座長夫婦はなかなか厳しい者たちのようで、叩いたり食事を抜いたりするのは日常茶飯事らしい。
だが、それを咎める者はいない。孤児同然なのだからよそに比べればまだ扱いはいいほうだという。
少女たちがどこから来たのかは不透明で、ほとんどわからなかった。
買われたか、拾われたか。せいぜいそのどちらかだろうと、生い立ちを気にかける者もいなかった。
また、赤子が座長の隠し子であるのは周知の事実のようだ。子の母親は浅草六区の私娼。念のためそちらにも出向いた。
客が取れなくなるから育てる気はないと冷たく追い払われたが、自分の子であるのは間違いないと裏は取れた。
調査は順調に進み、少し肩の荷が下りる。
あとはわらべ屋を追うだけだ。
湊稲荷での興行は元日のみだったため、本日は違う場所に移動している。
一月二日午後、小弟は靖国神社にやってきた。
新年の祭祀がおこなわれており、縁日も立っている。
実家が軍人家系なこともあって、小弟にはなじみ深い神社だ。
幼い頃は祖父と父母に連れられて毎年詣でていたが、思い出してみると春と秋の例祭にも、見世物小屋は必ずひらかれていたような気がする。
厳しい両親に禁じられて近寄れなかった、いや、小弟自身も関心を寄せなかったのだ。
華族と軍人の限られた世間より、もっと外を見たほうがいい。
そう兎田谷先生は堅物な父を説得したときにおっしゃっていたが──わが師の口車は、いつでも案外正鵠を射ているのである。
毎年近くにいたのに、見世物小屋のこと、芸を生きていく手段としている子どもたちのことを、小弟は知りもしなかった。
広いだけあって湊稲荷より人出は多かった。大鳥居の手前までくると、さっそく通りの両端に屋台が並んでいるのが見える。
探すまでもなく、化物屋敷とともにわらべ屋の見世物小屋はすぐ見つかった。
目立つ場所にあり、開演待ちの行列もできている。
人々はいったいなにを求めて見世物小屋に足を向けるのだろうか。たった一日や二日で解体される、幻想の小屋。
周辺の屋台が続々と食べ物のにおいを漂わせはじめた。見世物がはじまるのも間もなくだろう。
夕刻が差し迫っていたが空はまだ明るい。
輪郭のはっきりした雲が浮かぶ、近ごろにしてはめずらしいほどの晴天だ。
寝小屋に近づくと、傘を差した少女が現れた。
通りを横切り、人の少ない屋台の裏側に移動して赤子をあやしはじめる。
場所は違えど、昨日とまったく同じ光景だ。そのせいで小弟の目にはよけいに幻のように映った。
傘で顔を隠すようにしてたたずんでいる娘にさりげなく近づくと、顔の右側を隠すように白い包帯を巻いていた。
目元はふさがれておらず、隙間から隠しようもない火傷痕がのぞいているのがわかる。
舞台上で確認したのと同じ傷。
彼女が菖蒲太夫だ。
赤い着物を着ているが、もちろん人間発火娘ほどぼろぼろではない。長い黒髪をきちんと結あげ、繻子のリボンで飾っている。
昨日子守をしていた少女と瓜二つだが、あの小屋の構造では途中で出入りが不可能だった。
そして人間発火娘より前に登場した野鳥娘も、背格好は菖蒲とよく似ていた。
一座には十五、六の娘が少なくとも三人いるのか?
合わせて十二人と前情報はあっても、一ヶ所に固まっているわけではないので一人一人の判別はむずかしい。
正直なところ、同じような髪型と化粧をしている年頃の娘を見分けられる自信が小弟にはなかった。
赤ん坊はおとなしく眠っており、起こさないように注意を払って静かに揺さぶっている。
そばにいる桃割髪の女児も音を立てないよう一人で聞き分け良く遊んでいた。
晴天の下で、少女の半面を覆う真っ白な包帯は、あまりに痛々しい。その内側は十年前の傷とは思えないほど、煮えたぎるように赤くうずいている。
少女たちの区別はつかないが、あの火傷がある以上、目の前にいる彼女こそが人間発火娘であり、竜子の娘である菖蒲には違いない。
あたりまえだが、こうして小屋の外にいればごく普通の娘であった。
舞台上で観客を圧巻していた凄みはすっかり失われている。
こうして平穏な時が流れているということは、母親もまだ彼女を見つけられていないのだ。
菖蒲のそばにいれば、いずれは竜子が現れるはずである。
そのとき、小弟はどうするべきか。
説き伏せられるとは思っていない。
金に困って子どもを売る親、食っていくために見世物になる子どもはきっとたくさんいて、小弟が上辺の説得したところでなんの解決にもならない。
兎田谷先生がこのまま娘を母親に引き渡すつもりなのかどうかも不明だ。
小弟は兎田谷先生を信じている。そのはずなのに、このような疑惑に満ちた思案をめぐらせていること自体が矛盾であり、師の意思に背くことになりはしないか。
自分の感情を、うまく説明できない。
随分と長いあいだ、答えのない自問自答を繰り返していた。
いつのまにか空は曇り、通り雨がしとしとと降りだしていた。先ほどまで澄みきった晴天だったというのに、せわしない空模様だ。
まるで自分自身の心を映されたようで、落ち着かない気持ちになった。
場所を移動して軒下にはいり、雨宿りをする。
菖蒲だけはそのあいだも見失わないように意識していたが、とある男がすぐ近くにきたことには気づかなかった。
小弟の心情は決して晴れやかではなかったが、なんとか気を持ち直し、兎田谷先生にまかされた務めをまっとうすべく奮起した。
母親の目的が娘をふたたび売ることであれば、必ず近辺に現れるはずである。
菖蒲の周辺を見張るのだ。
同時にできるだけ情報を集めておこうと、先生にならって興行師、露天商、そして見物客らにも聞き込みをした。
見世物好きのあいだでは人気の一座だけあって、様々な話を聞くことができた。
とくに菖蒲太夫の熱心な客は多かった。
座長夫婦はなかなか厳しい者たちのようで、叩いたり食事を抜いたりするのは日常茶飯事らしい。
だが、それを咎める者はいない。孤児同然なのだからよそに比べればまだ扱いはいいほうだという。
少女たちがどこから来たのかは不透明で、ほとんどわからなかった。
買われたか、拾われたか。せいぜいそのどちらかだろうと、生い立ちを気にかける者もいなかった。
また、赤子が座長の隠し子であるのは周知の事実のようだ。子の母親は浅草六区の私娼。念のためそちらにも出向いた。
客が取れなくなるから育てる気はないと冷たく追い払われたが、自分の子であるのは間違いないと裏は取れた。
調査は順調に進み、少し肩の荷が下りる。
あとはわらべ屋を追うだけだ。
湊稲荷での興行は元日のみだったため、本日は違う場所に移動している。
一月二日午後、小弟は靖国神社にやってきた。
新年の祭祀がおこなわれており、縁日も立っている。
実家が軍人家系なこともあって、小弟にはなじみ深い神社だ。
幼い頃は祖父と父母に連れられて毎年詣でていたが、思い出してみると春と秋の例祭にも、見世物小屋は必ずひらかれていたような気がする。
厳しい両親に禁じられて近寄れなかった、いや、小弟自身も関心を寄せなかったのだ。
華族と軍人の限られた世間より、もっと外を見たほうがいい。
そう兎田谷先生は堅物な父を説得したときにおっしゃっていたが──わが師の口車は、いつでも案外正鵠を射ているのである。
毎年近くにいたのに、見世物小屋のこと、芸を生きていく手段としている子どもたちのことを、小弟は知りもしなかった。
広いだけあって湊稲荷より人出は多かった。大鳥居の手前までくると、さっそく通りの両端に屋台が並んでいるのが見える。
探すまでもなく、化物屋敷とともにわらべ屋の見世物小屋はすぐ見つかった。
目立つ場所にあり、開演待ちの行列もできている。
人々はいったいなにを求めて見世物小屋に足を向けるのだろうか。たった一日や二日で解体される、幻想の小屋。
周辺の屋台が続々と食べ物のにおいを漂わせはじめた。見世物がはじまるのも間もなくだろう。
夕刻が差し迫っていたが空はまだ明るい。
輪郭のはっきりした雲が浮かぶ、近ごろにしてはめずらしいほどの晴天だ。
寝小屋に近づくと、傘を差した少女が現れた。
通りを横切り、人の少ない屋台の裏側に移動して赤子をあやしはじめる。
場所は違えど、昨日とまったく同じ光景だ。そのせいで小弟の目にはよけいに幻のように映った。
傘で顔を隠すようにしてたたずんでいる娘にさりげなく近づくと、顔の右側を隠すように白い包帯を巻いていた。
目元はふさがれておらず、隙間から隠しようもない火傷痕がのぞいているのがわかる。
舞台上で確認したのと同じ傷。
彼女が菖蒲太夫だ。
赤い着物を着ているが、もちろん人間発火娘ほどぼろぼろではない。長い黒髪をきちんと結あげ、繻子のリボンで飾っている。
昨日子守をしていた少女と瓜二つだが、あの小屋の構造では途中で出入りが不可能だった。
そして人間発火娘より前に登場した野鳥娘も、背格好は菖蒲とよく似ていた。
一座には十五、六の娘が少なくとも三人いるのか?
合わせて十二人と前情報はあっても、一ヶ所に固まっているわけではないので一人一人の判別はむずかしい。
正直なところ、同じような髪型と化粧をしている年頃の娘を見分けられる自信が小弟にはなかった。
赤ん坊はおとなしく眠っており、起こさないように注意を払って静かに揺さぶっている。
そばにいる桃割髪の女児も音を立てないよう一人で聞き分け良く遊んでいた。
晴天の下で、少女の半面を覆う真っ白な包帯は、あまりに痛々しい。その内側は十年前の傷とは思えないほど、煮えたぎるように赤くうずいている。
少女たちの区別はつかないが、あの火傷がある以上、目の前にいる彼女こそが人間発火娘であり、竜子の娘である菖蒲には違いない。
あたりまえだが、こうして小屋の外にいればごく普通の娘であった。
舞台上で観客を圧巻していた凄みはすっかり失われている。
こうして平穏な時が流れているということは、母親もまだ彼女を見つけられていないのだ。
菖蒲のそばにいれば、いずれは竜子が現れるはずである。
そのとき、小弟はどうするべきか。
説き伏せられるとは思っていない。
金に困って子どもを売る親、食っていくために見世物になる子どもはきっとたくさんいて、小弟が上辺の説得したところでなんの解決にもならない。
兎田谷先生がこのまま娘を母親に引き渡すつもりなのかどうかも不明だ。
小弟は兎田谷先生を信じている。そのはずなのに、このような疑惑に満ちた思案をめぐらせていること自体が矛盾であり、師の意思に背くことになりはしないか。
自分の感情を、うまく説明できない。
随分と長いあいだ、答えのない自問自答を繰り返していた。
いつのまにか空は曇り、通り雨がしとしとと降りだしていた。先ほどまで澄みきった晴天だったというのに、せわしない空模様だ。
まるで自分自身の心を映されたようで、落ち着かない気持ちになった。
場所を移動して軒下にはいり、雨宿りをする。
菖蒲だけはそのあいだも見失わないように意識していたが、とある男がすぐ近くにきたことには気づかなかった。
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