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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥
第九話 親の因果が子に報い㈢
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「兎田谷先生は、本当に博識でいらっしゃいますね……」
「探偵作家というのはだね。来る日も来る日もトリックに使える物種はないかと、木乃伊のようになりながら、日常で役に立たない知識を探し求めては蓄えているものなのだよ。すなわち飯の種に直結するわけだからね」
「勉強になります……」
実際、種や仕掛けに対する先生の好奇心はかなりのものだ。
その知見は探偵小説の執筆にも活きている。
「大きな板といえば、呼び込みにも面白い細工がしてあったよ。ほら、座長の背後にあるベニヤ板と頭上にせり出た庇。薄い金属が張ってあったのをおぼえている?」
「ええ。西日を反射して、大変目立っていましたね。皿と同じ色でしたが、あれもアルミニュームでしょうか」
「そう。反射するのは光だけじゃない、音もそうだ。音っていうのは遮るものがない野外で発せられると、各方向に分散して消えてしまう。つまり響かないんだね。だからああやって後ろと頭上を囲ってやると、声が前方に集約して飛ぶ。硬くて表面が滑らかな素材ほど反射しやすくなる」
「だからあんなに、声が遠くまで届いていたのですか!」
その効果を狙って、薄く延ばしたアルミニュームを張りつけていたというわけだ。
「軽銀は軽く、加工しやすく、頑丈だ。どうにか軍事利用できないかと国が躍起になって研究している素材なんだ。日本で安く量産できるようになったのも比較的最近だし、庶民は弁当箱や食器に使われている程度の印象しかいない。それを芸に利用するなんて、一座には相当な物識りがいるみたいだね。勿体ないなぁ。彼女にはもっと違った将来もありそうなのに」
一座の識者が彼女だと、先生はすでに確信している言い方だった。
「そうか。菖蒲さんの父親である佐世綴造は、アルミニューム製造所の経営者でしたね」
昔から勤勉で、父の蔵書を読んでいたと母親も語っていた。勿体ないとは、こんな場所で才能をふるうのが、という意味だろうか。
遊びや娯楽はなにより先生の愛するところであるし、別の意味が込められている気もするが小弟にはわからなかった。
一つ言えるのは、ますます竜子の娘である可能性は高まったということだ。
尖端の工業製品など、そのような育ちでなければ普通の娘に扱えるものではない。
「依頼は菖蒲さんを見つけるまで。ご婦人が到着したら娘の確認をしてもらい、残りの報酬をいただいて、我々の調査も終わりでございますね」
提灯でかざられた境内をあらためて眺めた。
狐や火男の面をつけて走る子ら。家族の笑い声。黒くたたずんだ富士塚。
銀座や浅草にも平生から屋台はでているが、それらの空気とはっきりとした境界があるのは縁日が本来は祭事だからか。
厳かでうつくしい。そして、一晩が過ぎれば夢の如く消えてしまう儚さがある。
条理より不条理のほうに引っ張られてしまいそうな、幻想的な風景。
妖しくも魅惑的な見世物小屋もまた、この景色の一部なのだ。
「これで早々にやってくるであろう借金取りからまぬがれられる……。寝正月に戻れそうだ。嗚呼、身を粉にして働いてよかった!!」
しかし──どれだけ待てども、竜子が湊稲荷に姿を現すことはなかった。
🐾🐾🐾
小弟と兎田谷先生は翌日の朝、起床してすぐに新橋花街の待合茶屋『金蛇』へと向かった。
前日の晩、夜半を大きく過ぎるまで神社の付近で待っていたが、竜子はついに現れなかった。
屋台の煮込みおでんを食べながら寒さを凌いでいるあいだに先生が泥酔したため、しかたなく一旦家まで連れ帰ってきた。
あれだけ呑めばいつもなら二日酔いで寝坊していただろうが、なにしろ報酬がかかっている。
「この名刺にある住所ね。ほらほら、急いでくれ給え!!」
素早く大通りで俥を拾い、てきぱきと行き先を指示した。
普段のよろよろとした歩みが嘘のようだ。
「昨晩は元日でございましたからね。さぞ忙しかったことでしょう。店を抜けられなかったのかもしれません。あるいは交通の事情か……」
彼女から我々に連絡する手段はなかったのだから、あり得ないことではない。
だが小弟の楽観的な推測も、先生には聴こえていないようだった。
似通った店がひしめいている花街だが、昨日訪れたばかりなので道筋も記憶に残っている。
路地の奥まった場所にある待合に到着し、門をくぐる。白い石敷きの庭はこじんまりとしているがよく整えられている。
ここまでは昨日と同じ風景だ。だが、目の前に現れた変貌を目撃して、我々は少しのあいだ言葉を失った。
玄関には『一月三日は休業』の旨が張ってあったはずだが──
それを覆い隠すように差し押さえ物件を意味する張り紙が、戸口の目立つところに何枚も重ねられていたのである。
先生は顔色を青くしたり赤くしたりしながら嘆いていた。
「やられた。くそう、電話で先に情報を渡すんじゃなかった。金銭に困っていそうな兆候はあったのに……!!」
「つまり──?」
「残りの金を受け取る前に、依頼人に逃げられた!」
「探偵作家というのはだね。来る日も来る日もトリックに使える物種はないかと、木乃伊のようになりながら、日常で役に立たない知識を探し求めては蓄えているものなのだよ。すなわち飯の種に直結するわけだからね」
「勉強になります……」
実際、種や仕掛けに対する先生の好奇心はかなりのものだ。
その知見は探偵小説の執筆にも活きている。
「大きな板といえば、呼び込みにも面白い細工がしてあったよ。ほら、座長の背後にあるベニヤ板と頭上にせり出た庇。薄い金属が張ってあったのをおぼえている?」
「ええ。西日を反射して、大変目立っていましたね。皿と同じ色でしたが、あれもアルミニュームでしょうか」
「そう。反射するのは光だけじゃない、音もそうだ。音っていうのは遮るものがない野外で発せられると、各方向に分散して消えてしまう。つまり響かないんだね。だからああやって後ろと頭上を囲ってやると、声が前方に集約して飛ぶ。硬くて表面が滑らかな素材ほど反射しやすくなる」
「だからあんなに、声が遠くまで届いていたのですか!」
その効果を狙って、薄く延ばしたアルミニュームを張りつけていたというわけだ。
「軽銀は軽く、加工しやすく、頑丈だ。どうにか軍事利用できないかと国が躍起になって研究している素材なんだ。日本で安く量産できるようになったのも比較的最近だし、庶民は弁当箱や食器に使われている程度の印象しかいない。それを芸に利用するなんて、一座には相当な物識りがいるみたいだね。勿体ないなぁ。彼女にはもっと違った将来もありそうなのに」
一座の識者が彼女だと、先生はすでに確信している言い方だった。
「そうか。菖蒲さんの父親である佐世綴造は、アルミニューム製造所の経営者でしたね」
昔から勤勉で、父の蔵書を読んでいたと母親も語っていた。勿体ないとは、こんな場所で才能をふるうのが、という意味だろうか。
遊びや娯楽はなにより先生の愛するところであるし、別の意味が込められている気もするが小弟にはわからなかった。
一つ言えるのは、ますます竜子の娘である可能性は高まったということだ。
尖端の工業製品など、そのような育ちでなければ普通の娘に扱えるものではない。
「依頼は菖蒲さんを見つけるまで。ご婦人が到着したら娘の確認をしてもらい、残りの報酬をいただいて、我々の調査も終わりでございますね」
提灯でかざられた境内をあらためて眺めた。
狐や火男の面をつけて走る子ら。家族の笑い声。黒くたたずんだ富士塚。
銀座や浅草にも平生から屋台はでているが、それらの空気とはっきりとした境界があるのは縁日が本来は祭事だからか。
厳かでうつくしい。そして、一晩が過ぎれば夢の如く消えてしまう儚さがある。
条理より不条理のほうに引っ張られてしまいそうな、幻想的な風景。
妖しくも魅惑的な見世物小屋もまた、この景色の一部なのだ。
「これで早々にやってくるであろう借金取りからまぬがれられる……。寝正月に戻れそうだ。嗚呼、身を粉にして働いてよかった!!」
しかし──どれだけ待てども、竜子が湊稲荷に姿を現すことはなかった。
🐾🐾🐾
小弟と兎田谷先生は翌日の朝、起床してすぐに新橋花街の待合茶屋『金蛇』へと向かった。
前日の晩、夜半を大きく過ぎるまで神社の付近で待っていたが、竜子はついに現れなかった。
屋台の煮込みおでんを食べながら寒さを凌いでいるあいだに先生が泥酔したため、しかたなく一旦家まで連れ帰ってきた。
あれだけ呑めばいつもなら二日酔いで寝坊していただろうが、なにしろ報酬がかかっている。
「この名刺にある住所ね。ほらほら、急いでくれ給え!!」
素早く大通りで俥を拾い、てきぱきと行き先を指示した。
普段のよろよろとした歩みが嘘のようだ。
「昨晩は元日でございましたからね。さぞ忙しかったことでしょう。店を抜けられなかったのかもしれません。あるいは交通の事情か……」
彼女から我々に連絡する手段はなかったのだから、あり得ないことではない。
だが小弟の楽観的な推測も、先生には聴こえていないようだった。
似通った店がひしめいている花街だが、昨日訪れたばかりなので道筋も記憶に残っている。
路地の奥まった場所にある待合に到着し、門をくぐる。白い石敷きの庭はこじんまりとしているがよく整えられている。
ここまでは昨日と同じ風景だ。だが、目の前に現れた変貌を目撃して、我々は少しのあいだ言葉を失った。
玄関には『一月三日は休業』の旨が張ってあったはずだが──
それを覆い隠すように差し押さえ物件を意味する張り紙が、戸口の目立つところに何枚も重ねられていたのである。
先生は顔色を青くしたり赤くしたりしながら嘆いていた。
「やられた。くそう、電話で先に情報を渡すんじゃなかった。金銭に困っていそうな兆候はあったのに……!!」
「つまり──?」
「残りの金を受け取る前に、依頼人に逃げられた!」
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