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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第十話 百舌鳥㈡

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 あたしたちにとってなにより大切なのが、芸の練習だ。

「もずちゃん、もう終わり?」
「ううん。もう少しだけやろうか」 

 一座には何ヶ月かに一度、新しい子がやってくる。
 早く舞台に立てるよう、その子たちにも毎日根気よく、すべての芸を教えていく。

「右脚はそっちじゃなくて、こう。もっと上半身をのけぞらないとだめ。となりの子と脚を揃えてね……そうそう」

 いまやっているのは、八本足のたこ娘。
 親の因果で多肢に生まれたってやつ。

 舞台に見立てた空箱を使って練習している。
 舞台下にはあたしたちが待機するための空間があって、板部分を下から引き戸みたいに開閉できる箇所をいくつも作っているのだ。

 本体となる娘が上に座り、下に三人の子どもたちがいる。
 四人分の脚だけを上に突きだして、一つの上半身にたくさん脚が生えているように見せる芸だ。
 脚の長さが違いすぎると一目で別人だとわかってしまうから、なるべく背丈の近い子たちで組んでおこなう。肌色は塗って均一にする。

「どう、蛸の足に見える? ちゃんと波ができてる?」

 下に潜った子の不安そうな声が聞こえてきた。
 波というのは脚を順番に揺らして、海でたゆたっている雰囲気をだすこと。
 ハープを弾くみたいに順繰りに動かせば、まるで海中のような水の流れを錯覚させることができる。
 並び順も重要で、一番脚の長い子を手前に持ってきて、遠近感をきちんと作る。

 あたしたちの芸は子どもだましだって貶されることもよくある。だからといって、手を抜くわけにはいかない。
 些細だけど、こういう細部の出来が一座の芸全体の印象を変えるんだって。

 これも菖蒲あやめの受け売りだ。

 気づくと、本体役の子が心配そうな顔であたしを見あげていた。
 またしかめっ面をしていたらしい。

「いい調子だよ。いいね、あなたたちは」

 指で頬を押しあげ、わざとらしく笑顔をつくった。

「なにが?」

 不思議そうに見返してくる。

 小さいうちから練習できて、あたしたちに習えていいね。そんな意味だ。
 うらやましい。口にだしはしないけれど。

 客から見れば子どもだましだろうと、実際は誰にもできる芸当じゃない。
 とくに手足を駆使した芸は、幼いころから体を作っておかないと身につかない。
 毎日、関節が柔らかくなるよう全身を伸ばして、体幹を鍛えるための体操をする。ほんとに効果があるのかは知らないけど、お酢だってたくさん飲む。

 わらべ屋にきたときすでに十四だったあたしは、教えることはできてもぜんぶの実演はできない。

 見世物でも、軽業でも、曲馬でもなんでもいい。
 どんな芸でもできるようになっておけば、親がいなくたって食べていける。

 早いうちに親に捨てられて、ここに逃れられたこの子たちがなによりうらやましかった。
 不幸な年月が、あたしよりも少なかったんだから。

 ──キョッ、キョキョキョ。

 練習を兼ねて、喉の奥からほととぎすの声をだす。

 蛸娘はやれないけれど、あたしのほうがすごい芸ができるんだよって。
 得意な気持ちで見せつけただけなのに、本体役の子は純真な瞳で「わあ」と感嘆を漏らした。

「わたし、声まねなんかできないよ。もずちゃんより先にわらべ屋にきたのに」
「十歳のあなたには、まだむずかしいかもね。もっと大きくなって練習すればいつかできるよ」

 ほんとはあたしだってもっと練習しなくちゃいけない。まだまだ下手くそで座長たちにもよく叩かれている。

 小鳥のきまねは好き。
 でも、涙を流す泣きまねは苦手だ。

 座長夫婦はよく『可哀想なのが大事』なのだと言う。
 憐れな異形の見世物たち。でも、決して手を差し伸べられることはない。
 可哀想だけれど、醜くて不気味だから。

 神様をまつるお祭りのほんのひととき、幻想の小屋にだけ現れて、善良な人々の心を少しだけちくりと刺して、出口をまたげば忘れられる。

 あたしたちはそういう存在にならないといけないのだ。
 客寄せの逸話で語られる『ばけもの』そのものに。

 涙は基本だ。いつでもすぐに流せるよう訓練をしているけれど、なかなかうまくいかない。頑張ってつらいことを思いだそうとしてみる。
 親に捨てられたこと。誰もあたしを気に留めてくれなかったこと。助けにきてくれなかったこと。座長たちに折檻されること。人に冷たい目で見られること。ときどき石を投げられること。

「もずちゃん」
「なーに、こと

 目に力を込めていると、菖蒲についていったはずの女の子が入口から顔をのぞかせた。

「えっと。あのね……」

 琴は昨日一座にやってきたばかりだ。
 もともと震災孤児で、上野の停車場近辺で物乞いをして暮らしていたそうだ。

 まだ八歳かそこらなのに、見惚みとれるほど目鼻立ちが整っている子だった。だからこそ拾う大人がいたのだと思う。
 他の小さい子はおかっぱが多いが、琴はもう髪を伸ばして結いあげている。
 艷やかな桃割ももわれが、まるでこの子のためにあるんじゃないかって思うくらい似合っていた。
 美形なせいでふとした表情が大人の女の人みたいに見えるときがある。
 今がまさにそうで、眉を八の字にして切れ長の瞳を伏せがちにしばたたかせていた。

 まだ練習には参加していないけれど、きっと琴が最初にやらされるのはろくろ首の頭役だろう。
 刃が引っ込むになっているありきたりな仕掛けの刃物で首を斬りつける演出は、血糊を吐いて絶命するろくろ首の少女は妙に色気があるとかで人気があるのだ。

 お客さん受けが良さそうだから、こころなしか座長たちも特別に優しく接している気がする。

 うらやましいなぁと思う。
 でも、どんなに悩んでも面の形は変わらないのだからしかたない。

 菖蒲だけには早くも懐いていて、片時も離れまいとべったりしていた。

 あたしも来たばかりの頃はそうだったからよくわかる。
 知らないところに連れてこられ、心細くて不安で、菖蒲だけが物語の中にだけいる優しいお母さんみたいに安心できる場所だったのだ。

 長いあいだ口をつぐんでいた琴が、おずおずと切りだした。

「どうしよう。菖蒲ねえちゃんが……」
「どうかしたの。また石でも投げられた?」

 あたしにはまだ遠慮がちな態度を崩さない。
 歯切れの悪い琴にいらいらして、つい尋問めいた口調で問いつめた。

「変なやつが、菖蒲ねえちゃんをずっと見てるの。でっかくて、鬼みたいな目つきをした、怖い顔の男のひと……」
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