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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥
第十話 百舌鳥㈠
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チチチチ──まずはちどり。
ホーホケキョ──人気のうぐいす。
ピーチクパーチク──ひばりは油断すると人の話し声になってしまう。気をつけよう。
チヨチヨ──せきれいは囁くように。
キョッ、キョキョキョ──むずかしいのは、やっぱりほととぎす。ちゃんと毎日練習しなくちゃ。
不吉だと嫌がられてしまうけれど、あたしはほととぎすがいちばん好き。
ほととぎすには名前がたくさんあって、そのうちのひとつは菖蒲鳥というんだって。
だから、ほととぎすが好き。
冥土からやってくる魂迎鳥、なんて呼ばれていてもかまわない。
いろんな言葉も、知識も、鳥の啼き声を真似する芸も。
あたしみたいな子がこの世間で生きていく方法も。
ぜんぶ、ぜんぶ菖蒲に教えてもらった。
🐾🐾🐾
元日の興行が無事に終わって、次の日。
あたしたちは別の神社に移動していた。
同じ帝都だから、普段よりずっと楽だ。
地方巡業では夜通し歩いて県を越え、そのまま眠らずに舞台に立たなきゃいけない日もよくあった。
寝小屋は年下の子どもたちが騒ぐ声に満ちていて、いつも騒がしい。
なかなか静かになってくれなくて叱っていると、入口から髪の長い女の子が傘を畳みながらはいってきた。
彼女が菖蒲だ。
年はたったひとつしか違わないのだけれど、小学校の尋常科すら通えなかったあたしなんかよりずっと頭がよくて、落ち着いていて、おとなっぽい。
他の子たちはみんな十二歳より下だから、年長の菖蒲とあたしがお世話をまかされていた。
「菖蒲、でたばかりなのにどうしたの?」
「これ。傘を替えに戻っただけ」
指でさされた箇所を見ると、破れて穴が開いている。
「どうしたの」
「また通りすがりに石を投げられちゃった」
「ひどい」
「大丈夫だよ。違うのを持っていくね。こっちは夜に直しておくから」
「顔に包帯を巻いといたら? あ、ねえ! あたしがやったげる!」
煮えているみたいな赤さの傷痕を、入念に白い布で巻いた。
触った側も火傷するんじゃないかってくらい熱そうに見えるけれど、皮膚にあたる指先はむしろひんやりとしている。
「見て、だいぶ髪が伸びたよ。もう少しで菖蒲と同じくらい」
「ほんとだ。じゃあ、わたしがちょっとだけ切ろうかな」
「おそろいだね。……できた。次は気をつけて」
「うん。人が少ない場所を探すから」
「なにかあったら合図してね。すぐいくから」
予備の傘を持って、彼女はすぐにふたたび外にでていった。
新入りの女の子が一人、まとわりつきながら後ろについていく。
「ねえ、菖蒲ねえちゃんの火芸すごいね。魔術ショウみたい。もずちゃんの声真似も上手。練習すればぜんぶできるようになる?」
「なるよ。時間はかかるかもしれないけど、ちゃんとあなたにも教えてあげる……」
声が遠ざかっていった。
一座にはぜんぶで十二人の子どもがいる。
全員女の子で、親に捨てられた子たちばかりだ。
あたしだって食い扶持減らしのために売られて、年齢の関係ない違法の女郎屋に連れていかれる予定だった。戸籍がまともにあるのかもわからない。
菖蒲もはっきりと話してくれたことはないけれど、両親はどちらも生きていると聞いたから似たような境遇なんだと思う。
彼女がおぶっていた赤ん坊だけはべつで、座長が外で若い女の人に産ませた子だと客の噂で聞いた。
奥さんである副座長の機嫌が悪くなるから、あたしたちは詳しい事情を知らないということになっている。
当然、副座長は赤子に近寄ろうともしない。だからしかたなく菖蒲とあたしが交替で子守をしている。
寝小屋じゃ他の子どもたちがうるさくて、とても眠ってくれない。日中はわざわざ外でおんぶして寝かしつける必要があった。
母親はどこかの私娼で、父親のはずの座長でさえ見向きもしないのだから、捨てられたのとたいして変わらない。
実の親が近くにいるぶん、あたしよりも可哀想な子なのかもしれない。
そう、親なんてどうせ子どもをなんとも思っていないのだ。
最初からいなくたってかまわない。いっそのこと顔も知らないほうが幸せだ。
この『わらべ屋』で芸をしているのはあたしたち子どもなんだし、興行をさせてもらう場所の交渉だって、いまじゃ座長に代わってほとんど菖蒲がやっているくらい。
的屋を相手に堂々と話ができるほど冷静沈着で、賢い。
彼女はあたしたちになにも言わないけれど、親に搾取された身代金分の奉公はもう去年で終わっているらしい。いまはお礼奉公なんていう馬鹿げた慣習で、余分に働いているだけの期間なのだ。
でも──それが終わっても、菖蒲があたしたちを見捨てるはずなんてない。
菖蒲さえいれば、大人なんかいなくてもうまくやれるに違いないのだから。
もず。百舌鳥。
百の声を持つ物まね鳥。それがあたしの名前。
親にはあれとかそれとか、そんなふうにしか呼ばれなかった。ほんとの名前なんて知らないから、この一座でつけてもらった。
あたしたちはほとんど毎日のように全国を移動している。
決まった家を持たず、寝小屋と呼ばれる場所に寝泊まりをする。
だいたいが布テント。一ヶ所に何日も滞在するときや、大きい神社では今回みたいに仮設小屋を組んでもらえるときもある。
常に芸で使う道具がごった返していて、十人以上が生活できる広さにはとても見えない。でも、まだ小さい子が多いからなんとかなっている。
冬場は冷たい地面がじかに伝わってくる。
床にぼろきれを敷き詰め、ちいさな火鉢をまんなかに据えて、寒さをしのぐために体を寄せ合う。
見世物が閉まっている時間も、あたしたちの仕事はたくさんある。
交替での食事作り。といっても飯を炊いたり、野菜やお芋を煮たりするだけ。寝る前に小道具の製作と修理。六本肢の山椒魚をはじめ、水槽の世話。生き物は増えたり、減ったりする。
子どもたちは誰も自分の物を持っていない。
着物や履物は共有。体が成長したら別の子にまわす。丈の合うものがなければ、あたしか菖蒲が仕立て直す。
やることはたくさんあるけれど、なにより大切なのが芸の練習だった。
ホーホケキョ──人気のうぐいす。
ピーチクパーチク──ひばりは油断すると人の話し声になってしまう。気をつけよう。
チヨチヨ──せきれいは囁くように。
キョッ、キョキョキョ──むずかしいのは、やっぱりほととぎす。ちゃんと毎日練習しなくちゃ。
不吉だと嫌がられてしまうけれど、あたしはほととぎすがいちばん好き。
ほととぎすには名前がたくさんあって、そのうちのひとつは菖蒲鳥というんだって。
だから、ほととぎすが好き。
冥土からやってくる魂迎鳥、なんて呼ばれていてもかまわない。
いろんな言葉も、知識も、鳥の啼き声を真似する芸も。
あたしみたいな子がこの世間で生きていく方法も。
ぜんぶ、ぜんぶ菖蒲に教えてもらった。
🐾🐾🐾
元日の興行が無事に終わって、次の日。
あたしたちは別の神社に移動していた。
同じ帝都だから、普段よりずっと楽だ。
地方巡業では夜通し歩いて県を越え、そのまま眠らずに舞台に立たなきゃいけない日もよくあった。
寝小屋は年下の子どもたちが騒ぐ声に満ちていて、いつも騒がしい。
なかなか静かになってくれなくて叱っていると、入口から髪の長い女の子が傘を畳みながらはいってきた。
彼女が菖蒲だ。
年はたったひとつしか違わないのだけれど、小学校の尋常科すら通えなかったあたしなんかよりずっと頭がよくて、落ち着いていて、おとなっぽい。
他の子たちはみんな十二歳より下だから、年長の菖蒲とあたしがお世話をまかされていた。
「菖蒲、でたばかりなのにどうしたの?」
「これ。傘を替えに戻っただけ」
指でさされた箇所を見ると、破れて穴が開いている。
「どうしたの」
「また通りすがりに石を投げられちゃった」
「ひどい」
「大丈夫だよ。違うのを持っていくね。こっちは夜に直しておくから」
「顔に包帯を巻いといたら? あ、ねえ! あたしがやったげる!」
煮えているみたいな赤さの傷痕を、入念に白い布で巻いた。
触った側も火傷するんじゃないかってくらい熱そうに見えるけれど、皮膚にあたる指先はむしろひんやりとしている。
「見て、だいぶ髪が伸びたよ。もう少しで菖蒲と同じくらい」
「ほんとだ。じゃあ、わたしがちょっとだけ切ろうかな」
「おそろいだね。……できた。次は気をつけて」
「うん。人が少ない場所を探すから」
「なにかあったら合図してね。すぐいくから」
予備の傘を持って、彼女はすぐにふたたび外にでていった。
新入りの女の子が一人、まとわりつきながら後ろについていく。
「ねえ、菖蒲ねえちゃんの火芸すごいね。魔術ショウみたい。もずちゃんの声真似も上手。練習すればぜんぶできるようになる?」
「なるよ。時間はかかるかもしれないけど、ちゃんとあなたにも教えてあげる……」
声が遠ざかっていった。
一座にはぜんぶで十二人の子どもがいる。
全員女の子で、親に捨てられた子たちばかりだ。
あたしだって食い扶持減らしのために売られて、年齢の関係ない違法の女郎屋に連れていかれる予定だった。戸籍がまともにあるのかもわからない。
菖蒲もはっきりと話してくれたことはないけれど、両親はどちらも生きていると聞いたから似たような境遇なんだと思う。
彼女がおぶっていた赤ん坊だけはべつで、座長が外で若い女の人に産ませた子だと客の噂で聞いた。
奥さんである副座長の機嫌が悪くなるから、あたしたちは詳しい事情を知らないということになっている。
当然、副座長は赤子に近寄ろうともしない。だからしかたなく菖蒲とあたしが交替で子守をしている。
寝小屋じゃ他の子どもたちがうるさくて、とても眠ってくれない。日中はわざわざ外でおんぶして寝かしつける必要があった。
母親はどこかの私娼で、父親のはずの座長でさえ見向きもしないのだから、捨てられたのとたいして変わらない。
実の親が近くにいるぶん、あたしよりも可哀想な子なのかもしれない。
そう、親なんてどうせ子どもをなんとも思っていないのだ。
最初からいなくたってかまわない。いっそのこと顔も知らないほうが幸せだ。
この『わらべ屋』で芸をしているのはあたしたち子どもなんだし、興行をさせてもらう場所の交渉だって、いまじゃ座長に代わってほとんど菖蒲がやっているくらい。
的屋を相手に堂々と話ができるほど冷静沈着で、賢い。
彼女はあたしたちになにも言わないけれど、親に搾取された身代金分の奉公はもう去年で終わっているらしい。いまはお礼奉公なんていう馬鹿げた慣習で、余分に働いているだけの期間なのだ。
でも──それが終わっても、菖蒲があたしたちを見捨てるはずなんてない。
菖蒲さえいれば、大人なんかいなくてもうまくやれるに違いないのだから。
もず。百舌鳥。
百の声を持つ物まね鳥。それがあたしの名前。
親にはあれとかそれとか、そんなふうにしか呼ばれなかった。ほんとの名前なんて知らないから、この一座でつけてもらった。
あたしたちはほとんど毎日のように全国を移動している。
決まった家を持たず、寝小屋と呼ばれる場所に寝泊まりをする。
だいたいが布テント。一ヶ所に何日も滞在するときや、大きい神社では今回みたいに仮設小屋を組んでもらえるときもある。
常に芸で使う道具がごった返していて、十人以上が生活できる広さにはとても見えない。でも、まだ小さい子が多いからなんとかなっている。
冬場は冷たい地面がじかに伝わってくる。
床にぼろきれを敷き詰め、ちいさな火鉢をまんなかに据えて、寒さをしのぐために体を寄せ合う。
見世物が閉まっている時間も、あたしたちの仕事はたくさんある。
交替での食事作り。といっても飯を炊いたり、野菜やお芋を煮たりするだけ。寝る前に小道具の製作と修理。六本肢の山椒魚をはじめ、水槽の世話。生き物は増えたり、減ったりする。
子どもたちは誰も自分の物を持っていない。
着物や履物は共有。体が成長したら別の子にまわす。丈の合うものがなければ、あたしか菖蒲が仕立て直す。
やることはたくさんあるけれど、なにより大切なのが芸の練習だった。
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