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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第九話 親の因果が子に報い㈡

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 気温が一段と下がっている。いまに細雪ささめゆきでも降り出しそうだ。
 甘酒を配っている屋台で土瓶に二人分を注いでもらい、境内の灯籠とうろうの前で待っていた。

 やがて、兎田谷うさいだや先生が寒そうにマントの袖に手を引っ込めて戻ってきた。

竜子りょうこさんはなんと?」

 甘酒を手渡しながら首尾をたずねる。

「人間発火娘のことを話したら、『絶対にあの子だ』と言っていたよ。これからすぐ湊稲荷みなといなりにくるそうだ。一座の名前と今後の巡業先、三日で奉公を終えるかもしれない件も伝えておいた。調査の第一報告としちゃ上出来だろう」

 見世物小屋の営業時間は夜十時までだと看板に記載されていた。
 新橋花街かがいからであれば、くるまで駆けつければじゅうぶん間に合う距離だ。

 竜子を待っているあいだ、我々は閉じられた社殿の段差に座り、甘酒を啜って寒さをしのぐことにした。
 空いた時間にどうしても訊いておきたいことがあった。

「兎田谷先生、あきらかな作り物のミイラや河童を除き、小弟には不可解な見世物ばかりでございました。そろそろ仕掛けを教えていただけませんか」
「ああ、小屋をでたら種明かしをしてあげる約束だったね」

 けらけらと、楽しそうに笑っている。
 少年時代からあらゆる悪戯いたずらをこなしてきたと自慢するだけあって、芸や手品といった分野は先生の十八番なのだ。

「まずは水に浮かぶ『呪』の血文字から。一座の者が生簀いけすになにかいれていなかったかね」
「餌の海老を与えていました。小さな銀色の皿をまるごと沈めて……」
「ふんふん、おそらく皿には文字が書かれていただろう?」
「ええ、ですが特殊なことはなにも。ただサンショウウオの餌、と」
「山椒魚にも、ほととぎすみたいに同じ読み方の当て字があるよね。香辛料の山椒ではなく、部首が魚のほうじゃなかった?」
「おっしゃるとおりです。なにか理由が?」

 先生は懐から人形焼を取りだした。
 神社をまわっているときに屋台で買い食いしていたものの余りだ。
 一個つまんで顔の高さまであげてみせ、

「話をいったん変えよう。このお菓子をごらん」

 口に放り込んでから、解説をつづけた。

「人形焼のかたちは様々だ。いま食べたのは、定番の七福神をかたどったもの。雷門や五重塔の形をした名所焼も各地にあるね。さて、焼き菓子を金型から綺麗に外すにはどうしたらいいと思う?」
「あらかじめ油を引いておく必要があります」

 料理や製菓の話なら、今度は小弟の得意分野だ。自信をもって答えた。
 油がなければ生地がひっついて焦げてしまう。これほど美味しそうな狐色には焼きあがらない。

「正解。それと同じ要領さ。生簀いけすから特徴的な臭いがしていたのは気づいた?」
「一瞬、鼻をつく臭いが漂いました。どこかでたまに嗅いでいるような……?」
「あの独特な香りはひまし油。木蝋もくろうと合わせて練香油ポマードの材料としても使われている。粘度が高くて髪を固めやすいから、俺も洋装のときには愛用している品だ」
「ああ、道理で」

 そこに香水が混ざれば、先生が時折使っている整髪料とほぼ同じ香りだ。

「必要な材料はもう一つ。文字を書く洋墨インキには、水に溶けるものと溶けないものがあるんだ」

 水に溶けないインキ。改ざん防止のために銀行などで使われている証券用インキは、いったん乾かせばあとから消せないことで有名だ。

「洋墨に紅殻べんがらなんかの赤い塗料を混ぜ、赤黒い血の色を作る。そして『鯢魚サンショウウオ』の漢字に隠れている『呪』の部分だけを、耐水のインキとポマードを混ぜ合わせたもので皿に直接書いて、乾かす」
「隠れている!?」

 頭のなかに『鯢魚』の漢字を思い浮かべた。
 魚の側にある『口』、そして右側から『兄』に見える部分。両方を取りだせば、たしかに『呪』の字が完成する。

「残りの部分は水性インキで書いて、これも乾かす。皿は弁当箱や水筒などに使用されている軽銀……アルミニューム製だと思う」
「白っぽい銀色でしたので、おそらくそのとおりです」
「水性インキで書かれた部分は水に入れるとあっさりと消えてしまう。ポマードが焼き菓子でいう油、つまり離型剤りけいざいの役割を果たし、水に溶けない耐水インキで書いた文字だけが綺麗に皿から剥がれ、水面に浮いてくるというわけさ。軽銀は表面がつるつるしているから、とくに離れやすいんだね。細部は異なっているかもしれないが、仕掛けはだいたいこんな感じじゃないかな」
「なんと……!!」

 山椒魚が本物かこの目で確かめようと、小海老を捕食している姿にばかり気をとられていた。
 まさか餌の入った皿に仕掛けがあったなど、考えつきもしなかった。

「日本語にはじつに多くの異名や同音異字があるものだねえ。不如帰ほととぎす蜥蜴とかげに山椒魚。今日だけでたくさん出会ったな。うまいこと浮かせるにはなかなか調合が難しそうだけれど、他の芸と同様に工夫しているんだろう」

 と、先生はまた愉快そうに笑っている。

「六本あしの山椒魚は本物のようでしたが、稀に生まれることもあるのでしょうか?」
「うーん、そうだなぁ。蛙とか、両生類には時折現れるらしいね。よく知らないけれど、先天性の変異とかいうやつじゃないかね」

 変異ならばれっきとした自然の理であり、小弟もまだ納得できる。
 しかし、小屋の中で見た生き物は到底現実のものとは思えなかった。

「あのう、では、肌色をした巨大みみずはいったい……」
「あー、あれね! ああいうネタは見世物でよくあるよ。いかにもインチキで、昔から好きなんだよねえ」

 はしゃいだ声をあげ、先生は解説してくれた。

「正体は牛の腸を裏返して繋げたものだよ。表面の細かな毛が少量の水なら吸うから、飲んでいるように見えるだけ。かめの底には穴が空いていて、舞台下に隠れた人間が竹筒かなんかを使って息を吹き込んでいる。だから奇妙に動いていたのさ」
「……では、ろくろ首は」
「あれなんか一目瞭然じゃないか。二人一役で、衝立ついたてに被せた幕の隙間から頭役が顔をのぞかせ、体役は逆に引っ込めていただけだよ。首の部分は作り物。最後になたで首を斬る演出もあったが、刃が引っ込む仕組みだ」
「ただの子どもだましではないですか!!」

 種を聞いてみれば、なんのことはない。
 いちいち驚いていた自分を思いだし、恥ずかしくなる。

「だから見世物小屋ってのはさ、基本的にそういうもんなんだって。『獰猛! 幻のオオイタチ!』なんて看板に釣られて中にはいったら、大きな板に血糊で『大板血おおいたち』と書かれていただけってオチもあるくらい」

 一気に力が抜け、膝から崩れ落ちた。

「その点、わらべ屋はちゃんと修練した芸を見せているんだからたいしたものだね。小屋の構造にしろ、芸にしろ、そこかしこに工夫を凝らしているのがわかる。なかなか面白い一座だ。彼女らは芸で食っている玄人で、甘く見るのは失礼にあたるくらいだよ」

 勝手な憐れみをかけるのは、間違っているのだろうか。
 世間はまだまだ、小弟には判断のつかぬ物事で溢れている。やはり若輩者だと自身を猛省するのであった。
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