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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥
第九話 親の因果が子に報い㈠
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ぼろぼろの赤い着物を纏った年若い娘が舞台に現れた。
観客の興奮は最高潮である。
人間発火娘・菖蒲太夫。
ほとんど襦袢と区別がつかないような薄生地だ。襟元ははだけ、帯もまともに締めていない。裾から生白い脚が覗いている。
長い黒髪を結いもせず、乱れるがままにおろしていた。
髪の隙間から痛々しい火傷の痣がのぞく。顔から首を通って鎖骨、胸元、大腿部へと、右半身のずっと下まで続いていた。
娘は無表情で虚空を見つめていた。
視線は客席を向いていたが、なにも見えていないかのようだった。
降り出した雨つぶを確かめるような恰好で、上に向けた手のひらを顔の高さにあげる。ゆったりとした動作だ。
次の瞬間、人間の頭より二回りほど大きい炎が出現して燃え盛り、すぐに消えた。
客のあいだで驚きとどよめきが起こる。
反対側の手をゆらりとあげる。また炎が燃えて消えた。
彼女のまわりで、次々と小さな爆発に似た現象が起こる。まるで鬼火の如し、である。
肌に浮かぶ痣はあまりに赤い。薄暗い小屋のなかで、蝋燭のかすかな照明にあたって発光している。
まるで躰の内側から溜まりかねた熱が溢れ、しかたなしにくすぶって燃えているかのようだった。
恐ろしさより、むしろ美しく幻想的な光景であった。
妖魔──竜子が口にした言葉が、ふと思い出される。
女の激情を映した、炎の妖魔。
そんなものが存在するとしたら、きっと菖蒲太夫のような姿をしているのだろう。
「これは面白い。よくあるアルコホル度数の高い酒で火を噴く芸かと思ったら、違ったね。どんな種を使っているんだろう?」
興味津々で身を乗りだす兎田谷先生を、周囲の人間が迷惑そうに振り返った。
「おっと、いけない。出し物の最中に仕掛けの話は無粋だったな」
口元をマントの袖で隠すが、おそらく舌をだしているに違いない。
小屋に白い煙が充満していた。目に滲みて、むせかえるほどだ。
菖蒲太夫は人ならざる雄たけびをあげ、それからしばらく空虚な瞳を客席に向けたあと、舞台の上でさめざめと泣きだした。
──親の業を一身に背負った、憐れな娘。
うつくしい彼女には数々の縁談もありましたが、呪われた発火現象によって誰も傍に寄ることさえできません。
これも親の因果が子に報いた結果であります。まこと、血の縁はなによりも強く、避けられぬ運命なのです……。
と、口上が締めくくった。
人間発火娘がさがったあと、幼い子らによるいくつかの余興が続いた。そして、ふたたび甕から飛びだす巨大みみずの演目に戻った。
その頃には、人波に押されてちょうどよく出口の付近まで移動していた。
舞台の左右に出入口が備えられていることにより、入口から入ってくる客と、出口から出ていく客の流れが半円を描き、鑑賞しているあいだに自動的に追いやられるのだ。
入口にある木乃伊などの展示品が置かれた布張りの短い通路も、流れを作るのに一役買っている。ウォールマシン(パチンコ台)と似た原理だ。
座長が「いつ入っても最初から最後までご覧になれます」と宣伝していた意味もわかった。
舞台は一巡しても休憩などで途切らせることなく繰り返されているらしい。
いつ入ってもすべての見世物を鑑賞でき、自分が見たところまで戻ったら終わりだ。
次々と入場してくる客に押され、入り口から少しずつ移動して、出口にたどり着くころにちょうど見世物が一巡している頃合いなのである。
人出の多い祭りで、客を効率的に回転させるための知恵だ。
演目ごとに客がはける芝居などと違って、常時満員で賑わっているようにも見せられる。
舞台が出入口と同じ手前側にあるのは、通りから窓の中を覗かせるためと、立ち見客が一度も出し物の近くに寄れない事態を防ぐ効果もあるようだ。
この単純なつくりの小屋に、幾重にも張り巡らされた工夫。
どこをとっても、よく考えられた構造である。
出口で金を払って小屋からでると、外はすっかり暗くなっていた。
夜が更けて縁日が終わるまで、彼女らは何度も繰り返し舞台に立つのだろう。
自分の出番以外は舞台下に潜んでいるとはいえ、連日の巡業予定を考えてもかなり過酷そうだ。
「兎田谷先生。子どもたちは自ら望んで、見世物になっているのでしょうか」
「それぞれじゃないかね。望んだ子もいるだろうし、生きていく手段でもあるだろうさ」
「菖蒲太夫を演じている娘は……」
「本人に訊いてみなけりゃわからないね」
演出なのだと理解はしている。
しかし、最後にすすり泣いている姿はあまりに憐れに思えた。
親に売られ、見世物になることを大人に強制されているのだとしたら……ただの娯楽だと、暢気に楽しんでいいものか。
「小弟は常識の枠の嵌めこんでみるしかできません。なにが正しくて、なにが間違っているのか……。徴兵検査も過ぎた年齢だというのに、いまだ世間をよくわかっていない若輩者です」
「まだ考え込んでいるのか。お前はほんとうに真面目な子だね。文士たるもの、もうちょっと殻を破って破天荒にふるまってみても──」
すかさず、鶯出巡査が割ってはいってくる。
「いやいや、烏丸くんは是非とも常識的な視点を忘れないでいてくれ。文士だからといって破天荒が許されちゃ、大先生が酔っぱらうたびに呼びつけられる警官の気が休まらんよ」
先生は巡査の皮肉を聞き流し、仕切り直した。
「さて、菖蒲さんらしき娘がわらべ屋の一座にいるのは確認できた。あとは母親を呼んで直に確かめてもらうだけだ」
「ええ。名だけではなく年頃と特徴も一致しています。薄暗い小屋でしたが、目を凝らすと左目の下にほくろもありました。後ろの客が話していた境遇も同じです。もしかすると、もとより三箇日を終えたら家に帰る予定だった可能性もあり得ます」
手紙を送るのは次で最後、と彼女は母親に書いていた。
「まあな。あの文言じゃどうとでも取れる。だが、問題は親元へ帰らなかった場合だ。菖蒲さんがいまの場所を去れば、もう足取りは掴めなくなる」
「ええ、間に合ってよかったです。ただ、気になるのは、話に聞いていたより火傷が酷くないでしょうか? 竜子さんは顔から腰あたりまでと仰っていましたが、脚にも達しているように見えましたので。本人だといいのですが……」
「成長して面積が広がることもあり得るだろ? 彼女が菖蒲だ。間違いない」
断言する鶯出巡査を、兎田谷先生がまあまあと諌めた。
「どちらにしろ俺たちでは、決定的な判断はつかない。すぐ竜子さんの待合に電話をかけてくるよ」
公衆電話に走っていった先生の背を見送りながら、鶯出巡査がつぶやいた。
「まさか全国を巡業している娘がこんなに近くにいたなんてな……。悔しいが、私じゃ辿りつきようもなかった。本当にやるときゃやるんだな、兎田谷先生は」
そのとおり。やるときはやる御方なのである。
先生が褒められて嬉しかったが、巡査は浮かぬ顔だった。
「先生が有能だったのが、はたして本当によかったのかどうか。しかし、血の縁は分かちようもないな……」
そうつぶやいた目元は制帽の影も手伝って、暗く翳っている。
名探偵であらせられる兎田谷先生の才により、早くも尋ね人が見つかった。
依頼は達成され、生き別れた母と子が再会できる。
すべて順調で、喜ばしいはずだった。
──親の因果が子に報い……。
それなのに『人間発火娘』のおどろおどろしい口上が、いつまでも小耳に残って離れなかった。
「やれやれ、交替の時間を過ぎちまう。もう派出所に戻らないとまずいな」
「はい。お疲れ様でございました」
満員の小屋で乱れた制服を整え、立ち去ろうとしていた巡査が振り返った。
「そういや、傘の娘を見張っているときにめずらしい人物を見かけたぞ。」
「めずらしい人物、ですか?」
「ああ。先生に伝えておいてくれ──いや、やっぱりいいや。近くにいるなら、どうせ搗ち合うだろうからな。あれも奇縁ってやつだ」
小弟にはよくわからぬ目撃談を最後に漏らして、足早に銀座へ帰っていった。
観客の興奮は最高潮である。
人間発火娘・菖蒲太夫。
ほとんど襦袢と区別がつかないような薄生地だ。襟元ははだけ、帯もまともに締めていない。裾から生白い脚が覗いている。
長い黒髪を結いもせず、乱れるがままにおろしていた。
髪の隙間から痛々しい火傷の痣がのぞく。顔から首を通って鎖骨、胸元、大腿部へと、右半身のずっと下まで続いていた。
娘は無表情で虚空を見つめていた。
視線は客席を向いていたが、なにも見えていないかのようだった。
降り出した雨つぶを確かめるような恰好で、上に向けた手のひらを顔の高さにあげる。ゆったりとした動作だ。
次の瞬間、人間の頭より二回りほど大きい炎が出現して燃え盛り、すぐに消えた。
客のあいだで驚きとどよめきが起こる。
反対側の手をゆらりとあげる。また炎が燃えて消えた。
彼女のまわりで、次々と小さな爆発に似た現象が起こる。まるで鬼火の如し、である。
肌に浮かぶ痣はあまりに赤い。薄暗い小屋のなかで、蝋燭のかすかな照明にあたって発光している。
まるで躰の内側から溜まりかねた熱が溢れ、しかたなしにくすぶって燃えているかのようだった。
恐ろしさより、むしろ美しく幻想的な光景であった。
妖魔──竜子が口にした言葉が、ふと思い出される。
女の激情を映した、炎の妖魔。
そんなものが存在するとしたら、きっと菖蒲太夫のような姿をしているのだろう。
「これは面白い。よくあるアルコホル度数の高い酒で火を噴く芸かと思ったら、違ったね。どんな種を使っているんだろう?」
興味津々で身を乗りだす兎田谷先生を、周囲の人間が迷惑そうに振り返った。
「おっと、いけない。出し物の最中に仕掛けの話は無粋だったな」
口元をマントの袖で隠すが、おそらく舌をだしているに違いない。
小屋に白い煙が充満していた。目に滲みて、むせかえるほどだ。
菖蒲太夫は人ならざる雄たけびをあげ、それからしばらく空虚な瞳を客席に向けたあと、舞台の上でさめざめと泣きだした。
──親の業を一身に背負った、憐れな娘。
うつくしい彼女には数々の縁談もありましたが、呪われた発火現象によって誰も傍に寄ることさえできません。
これも親の因果が子に報いた結果であります。まこと、血の縁はなによりも強く、避けられぬ運命なのです……。
と、口上が締めくくった。
人間発火娘がさがったあと、幼い子らによるいくつかの余興が続いた。そして、ふたたび甕から飛びだす巨大みみずの演目に戻った。
その頃には、人波に押されてちょうどよく出口の付近まで移動していた。
舞台の左右に出入口が備えられていることにより、入口から入ってくる客と、出口から出ていく客の流れが半円を描き、鑑賞しているあいだに自動的に追いやられるのだ。
入口にある木乃伊などの展示品が置かれた布張りの短い通路も、流れを作るのに一役買っている。ウォールマシン(パチンコ台)と似た原理だ。
座長が「いつ入っても最初から最後までご覧になれます」と宣伝していた意味もわかった。
舞台は一巡しても休憩などで途切らせることなく繰り返されているらしい。
いつ入ってもすべての見世物を鑑賞でき、自分が見たところまで戻ったら終わりだ。
次々と入場してくる客に押され、入り口から少しずつ移動して、出口にたどり着くころにちょうど見世物が一巡している頃合いなのである。
人出の多い祭りで、客を効率的に回転させるための知恵だ。
演目ごとに客がはける芝居などと違って、常時満員で賑わっているようにも見せられる。
舞台が出入口と同じ手前側にあるのは、通りから窓の中を覗かせるためと、立ち見客が一度も出し物の近くに寄れない事態を防ぐ効果もあるようだ。
この単純なつくりの小屋に、幾重にも張り巡らされた工夫。
どこをとっても、よく考えられた構造である。
出口で金を払って小屋からでると、外はすっかり暗くなっていた。
夜が更けて縁日が終わるまで、彼女らは何度も繰り返し舞台に立つのだろう。
自分の出番以外は舞台下に潜んでいるとはいえ、連日の巡業予定を考えてもかなり過酷そうだ。
「兎田谷先生。子どもたちは自ら望んで、見世物になっているのでしょうか」
「それぞれじゃないかね。望んだ子もいるだろうし、生きていく手段でもあるだろうさ」
「菖蒲太夫を演じている娘は……」
「本人に訊いてみなけりゃわからないね」
演出なのだと理解はしている。
しかし、最後にすすり泣いている姿はあまりに憐れに思えた。
親に売られ、見世物になることを大人に強制されているのだとしたら……ただの娯楽だと、暢気に楽しんでいいものか。
「小弟は常識の枠の嵌めこんでみるしかできません。なにが正しくて、なにが間違っているのか……。徴兵検査も過ぎた年齢だというのに、いまだ世間をよくわかっていない若輩者です」
「まだ考え込んでいるのか。お前はほんとうに真面目な子だね。文士たるもの、もうちょっと殻を破って破天荒にふるまってみても──」
すかさず、鶯出巡査が割ってはいってくる。
「いやいや、烏丸くんは是非とも常識的な視点を忘れないでいてくれ。文士だからといって破天荒が許されちゃ、大先生が酔っぱらうたびに呼びつけられる警官の気が休まらんよ」
先生は巡査の皮肉を聞き流し、仕切り直した。
「さて、菖蒲さんらしき娘がわらべ屋の一座にいるのは確認できた。あとは母親を呼んで直に確かめてもらうだけだ」
「ええ。名だけではなく年頃と特徴も一致しています。薄暗い小屋でしたが、目を凝らすと左目の下にほくろもありました。後ろの客が話していた境遇も同じです。もしかすると、もとより三箇日を終えたら家に帰る予定だった可能性もあり得ます」
手紙を送るのは次で最後、と彼女は母親に書いていた。
「まあな。あの文言じゃどうとでも取れる。だが、問題は親元へ帰らなかった場合だ。菖蒲さんがいまの場所を去れば、もう足取りは掴めなくなる」
「ええ、間に合ってよかったです。ただ、気になるのは、話に聞いていたより火傷が酷くないでしょうか? 竜子さんは顔から腰あたりまでと仰っていましたが、脚にも達しているように見えましたので。本人だといいのですが……」
「成長して面積が広がることもあり得るだろ? 彼女が菖蒲だ。間違いない」
断言する鶯出巡査を、兎田谷先生がまあまあと諌めた。
「どちらにしろ俺たちでは、決定的な判断はつかない。すぐ竜子さんの待合に電話をかけてくるよ」
公衆電話に走っていった先生の背を見送りながら、鶯出巡査がつぶやいた。
「まさか全国を巡業している娘がこんなに近くにいたなんてな……。悔しいが、私じゃ辿りつきようもなかった。本当にやるときゃやるんだな、兎田谷先生は」
そのとおり。やるときはやる御方なのである。
先生が褒められて嬉しかったが、巡査は浮かぬ顔だった。
「先生が有能だったのが、はたして本当によかったのかどうか。しかし、血の縁は分かちようもないな……」
そうつぶやいた目元は制帽の影も手伝って、暗く翳っている。
名探偵であらせられる兎田谷先生の才により、早くも尋ね人が見つかった。
依頼は達成され、生き別れた母と子が再会できる。
すべて順調で、喜ばしいはずだった。
──親の因果が子に報い……。
それなのに『人間発火娘』のおどろおどろしい口上が、いつまでも小耳に残って離れなかった。
「やれやれ、交替の時間を過ぎちまう。もう派出所に戻らないとまずいな」
「はい。お疲れ様でございました」
満員の小屋で乱れた制服を整え、立ち去ろうとしていた巡査が振り返った。
「そういや、傘の娘を見張っているときにめずらしい人物を見かけたぞ。」
「めずらしい人物、ですか?」
「ああ。先生に伝えておいてくれ──いや、やっぱりいいや。近くにいるなら、どうせ搗ち合うだろうからな。あれも奇縁ってやつだ」
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