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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥
第七話 憐憫㈢
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流れるような口上に誘われ、みるみるうちに人だかりができあがった。
──じつはこの魚、前世は人の男。人々の手足をもぎ取り、恐れられた大罪人でありました。数多の人を殺めた呪いで、肢が六本生えた山椒魚に生まれ変わってしまったのでございます……。
近くで御覧いただきますれば、つくり物じゃないとわかりますね。本物を確かめてから、小屋のなかにお入りください。
そうしましたら、今度は巷で話題の人間発火娘と野鳥娘がお待ちしております。もちろんこれらもすべて本物でございます。
さあ、さあ、見ていらっしゃい。夜まで途切れることなく、続けてやっております。
いつ入っても最初から最後まで御覧いただけます……。
大きく張られた声の調子をずっと保ったまま、息つく間もない呼び込みが続いている。
体の小さな老人だというのに見事なものである。この啖呵も含めて長年鍛えた芸の一種なのだ。
座長は小柄だったが木箱に乗っているため、群衆より頭ひとつ分飛び出ていた。
背後には上部がせり出したベニヤ板を置いていた。縦長い木看板を背にして前に立ち、庇の長い屋根をつけたような形、とでもいおうか。
さらには板の表面に薄い金属をが張ってあって、夕暮れの西日が反射して輝き、非常に目立っていた。
宣伝効果は抜群のようで、口上に釣られた客が続々と小屋の前に集まってくる。
傘を差した娘が動きだす気配はない。
呼び込みにも客の賑わいにも関心がないかのように、おぶった赤子をあやし続けている。
彼女は一座とも、人間発火娘とも無関係なのだろうか。
念のためにそちらも気に留めながら、小弟は見世物小屋の前に向かった。
さきほどから見物客がみんなしてなにかを囲んで覗いでいるので、興味を引かれたのである。
人垣の先には、二尺(約六十一センチ)ほどの箱が逆さまに被せるように置かれていた。
座長の合図により、一座の子どもがもったいぶった仕草でゆっくりと箱を取りあげた。
地面に大きなたらいが置かれ、中に生きた両生類がじっと沈んでいた。
なるほど、これが呼び込みの啖呵で登場した『ばけもの山椒魚』であるらしい。
よく見てみると、たしかに肢が六本ある。
通常の四肢の後ろのほうに、あるはずない肢が余分に二本生えているのだ。
観衆が驚いて周囲の者と会話を交わしているが、まだひそひそといった静かな反応だ。
それも計算のうちと言わんばかりに、しばし待って座長はまたしても合図を送る。
箱を開けた子どもが、今度は『鯢魚ノ餌』と書かれた銀色の小さな皿を、水中にゆっくりと落とした。小皿に載っているのは小海老である。
水に沈められた生き餌はあっというまに皿から逃れて泳ぎはじめた。
すると、それまで少しも動かなかった大きな山椒魚が素早く口を開け、小海老を捕食した。
間違いなく、生きている。
余分に生えた肢は小さかったが、質感や揺れ動きはとても偽物のようには見えなかった。
めずらしくはあるが、人を殺めた呪いだなんだという逸話はそれらしく盛りあげるための作り話に過ぎない。稀にこのように生まれつくこともあるだろう。
ただ見た目が風変りなだけで、狭い生簀に閉じ込められて見世物にされるなど憐れなものだ。
山椒魚に対し、小弟がなんとも言えない同情的な気持ちになったそのとき。
──おにいさん。憐憫はいけないよ。あなたも呪われてしまいますよ。
まるで拡声器でも通したような、重く響く声。
自分に言われたのだと気づき、はっとして顔をあげた。
心のうちを読まれかのようで、言葉の残響がよけいに鋭く突き刺さる。
ただの演出だ。観衆もそれを理解していて、小弟に注目する者はいない。
いくらか動揺してしまったが、落ち着いてふたたび水面を見下ろした。
すると、どういうことだろうか。
水の表面に、赤黒い血の色をした歪な『呪』の文字が浮きあがってきたのである。
思わず背筋に冷たいものが走り、周りの客もわっとざわめいた。
同時に、どこかで嗅いだことのある臭いが鼻をついたが、思い当たらなかった。
──ほうら、御覧のとおりの有様でございます。じっと見ていては呪われてしまいますからね。
前世の業を背負った憐れな魚をささっとご覧いただきますれば、さあ、次は小屋のなかにお入んなさい。巷で話題の人間発火娘と野鳥娘がみなさまをお待ちしております……。
夜まで途切れることなく、続けてやっております。いつ入っても最初から最後までご覧いただけます……。
呪いと呼ぶには、いかにも仕掛けめいている。頭ではそうわかっているのだがやはり不気味だ。
文字は見事に客の興味を引き、観衆が小屋の入り口に吸い込まれていった。
生簀の真上らへんに木格子の窓が開いており、先に入場した客の歓声が漏れている。内部が見えそうで見えない暗さに包まれているのも、好奇心をそそるのに一役買っていた。
小弟はまだ動く気になれず、山椒魚を覗き込みながらううむと唸っていた。
しばらくして、兎田谷先生と鶯出巡査がそれぞれ戻ってきた。
「どうかした? こんなところで固まって」
「先生、いえ、たいしたことではないのですが……」
小弟が水に浮かんだ文字を指し示すと、先生は愉快そうに笑った。
「この匂いは……。ははあ、なるほどね」
「仕掛けがおわかりですか」
「ここで種を明かしちゃ営業妨害だ。あとで教えてあげるよ。さあ、余興も楽しんだようだし、中に入ろうじゃないか」
「すみません、その前に気になることが」
小弟は通りの向こう側にいる、傘を差した娘のことを二人に伝えた。見世物小屋の周囲に客が増えてごった返してはいるが、彼女はまだ同じ場所にいる。
日が暮れてきたせいで、顔はもうほとんど確認できない。しかし、大きなコウモリ傘が目立っているおかげで見失うことはなかった。
「……年頃は合っている。だが見世物はもう始まっているぞ。噂の人間発火娘とやらは小屋内にいるはずだろう」
遠目に傘の娘を見て、鶯出巡査が言った。
「あそこにいるだけじゃ、一座の関係者かどうかまではわからないな」
「せっかく三人いるんだ。私が見張っていよう。先生たちは先に入って、太夫のほうを確認してくれ」
「制服警官は目立つから、見張りに向かないんじゃない?」
「なに、縁日の見廻りを装っていりゃいい。実際に勤務中なんだ」
「半日も持ち場の銀座を離れてふらふらしているくせに。派出所に戻ったら始末書じゃないのかね」
先生の冷やかしを聴こえないふりして、巡査は縁日の人出に紛れていった。
──じつはこの魚、前世は人の男。人々の手足をもぎ取り、恐れられた大罪人でありました。数多の人を殺めた呪いで、肢が六本生えた山椒魚に生まれ変わってしまったのでございます……。
近くで御覧いただきますれば、つくり物じゃないとわかりますね。本物を確かめてから、小屋のなかにお入りください。
そうしましたら、今度は巷で話題の人間発火娘と野鳥娘がお待ちしております。もちろんこれらもすべて本物でございます。
さあ、さあ、見ていらっしゃい。夜まで途切れることなく、続けてやっております。
いつ入っても最初から最後まで御覧いただけます……。
大きく張られた声の調子をずっと保ったまま、息つく間もない呼び込みが続いている。
体の小さな老人だというのに見事なものである。この啖呵も含めて長年鍛えた芸の一種なのだ。
座長は小柄だったが木箱に乗っているため、群衆より頭ひとつ分飛び出ていた。
背後には上部がせり出したベニヤ板を置いていた。縦長い木看板を背にして前に立ち、庇の長い屋根をつけたような形、とでもいおうか。
さらには板の表面に薄い金属をが張ってあって、夕暮れの西日が反射して輝き、非常に目立っていた。
宣伝効果は抜群のようで、口上に釣られた客が続々と小屋の前に集まってくる。
傘を差した娘が動きだす気配はない。
呼び込みにも客の賑わいにも関心がないかのように、おぶった赤子をあやし続けている。
彼女は一座とも、人間発火娘とも無関係なのだろうか。
念のためにそちらも気に留めながら、小弟は見世物小屋の前に向かった。
さきほどから見物客がみんなしてなにかを囲んで覗いでいるので、興味を引かれたのである。
人垣の先には、二尺(約六十一センチ)ほどの箱が逆さまに被せるように置かれていた。
座長の合図により、一座の子どもがもったいぶった仕草でゆっくりと箱を取りあげた。
地面に大きなたらいが置かれ、中に生きた両生類がじっと沈んでいた。
なるほど、これが呼び込みの啖呵で登場した『ばけもの山椒魚』であるらしい。
よく見てみると、たしかに肢が六本ある。
通常の四肢の後ろのほうに、あるはずない肢が余分に二本生えているのだ。
観衆が驚いて周囲の者と会話を交わしているが、まだひそひそといった静かな反応だ。
それも計算のうちと言わんばかりに、しばし待って座長はまたしても合図を送る。
箱を開けた子どもが、今度は『鯢魚ノ餌』と書かれた銀色の小さな皿を、水中にゆっくりと落とした。小皿に載っているのは小海老である。
水に沈められた生き餌はあっというまに皿から逃れて泳ぎはじめた。
すると、それまで少しも動かなかった大きな山椒魚が素早く口を開け、小海老を捕食した。
間違いなく、生きている。
余分に生えた肢は小さかったが、質感や揺れ動きはとても偽物のようには見えなかった。
めずらしくはあるが、人を殺めた呪いだなんだという逸話はそれらしく盛りあげるための作り話に過ぎない。稀にこのように生まれつくこともあるだろう。
ただ見た目が風変りなだけで、狭い生簀に閉じ込められて見世物にされるなど憐れなものだ。
山椒魚に対し、小弟がなんとも言えない同情的な気持ちになったそのとき。
──おにいさん。憐憫はいけないよ。あなたも呪われてしまいますよ。
まるで拡声器でも通したような、重く響く声。
自分に言われたのだと気づき、はっとして顔をあげた。
心のうちを読まれかのようで、言葉の残響がよけいに鋭く突き刺さる。
ただの演出だ。観衆もそれを理解していて、小弟に注目する者はいない。
いくらか動揺してしまったが、落ち着いてふたたび水面を見下ろした。
すると、どういうことだろうか。
水の表面に、赤黒い血の色をした歪な『呪』の文字が浮きあがってきたのである。
思わず背筋に冷たいものが走り、周りの客もわっとざわめいた。
同時に、どこかで嗅いだことのある臭いが鼻をついたが、思い当たらなかった。
──ほうら、御覧のとおりの有様でございます。じっと見ていては呪われてしまいますからね。
前世の業を背負った憐れな魚をささっとご覧いただきますれば、さあ、次は小屋のなかにお入んなさい。巷で話題の人間発火娘と野鳥娘がみなさまをお待ちしております……。
夜まで途切れることなく、続けてやっております。いつ入っても最初から最後までご覧いただけます……。
呪いと呼ぶには、いかにも仕掛けめいている。頭ではそうわかっているのだがやはり不気味だ。
文字は見事に客の興味を引き、観衆が小屋の入り口に吸い込まれていった。
生簀の真上らへんに木格子の窓が開いており、先に入場した客の歓声が漏れている。内部が見えそうで見えない暗さに包まれているのも、好奇心をそそるのに一役買っていた。
小弟はまだ動く気になれず、山椒魚を覗き込みながらううむと唸っていた。
しばらくして、兎田谷先生と鶯出巡査がそれぞれ戻ってきた。
「どうかした? こんなところで固まって」
「先生、いえ、たいしたことではないのですが……」
小弟が水に浮かんだ文字を指し示すと、先生は愉快そうに笑った。
「この匂いは……。ははあ、なるほどね」
「仕掛けがおわかりですか」
「ここで種を明かしちゃ営業妨害だ。あとで教えてあげるよ。さあ、余興も楽しんだようだし、中に入ろうじゃないか」
「すみません、その前に気になることが」
小弟は通りの向こう側にいる、傘を差した娘のことを二人に伝えた。見世物小屋の周囲に客が増えてごった返してはいるが、彼女はまだ同じ場所にいる。
日が暮れてきたせいで、顔はもうほとんど確認できない。しかし、大きなコウモリ傘が目立っているおかげで見失うことはなかった。
「……年頃は合っている。だが見世物はもう始まっているぞ。噂の人間発火娘とやらは小屋内にいるはずだろう」
遠目に傘の娘を見て、鶯出巡査が言った。
「あそこにいるだけじゃ、一座の関係者かどうかまではわからないな」
「せっかく三人いるんだ。私が見張っていよう。先生たちは先に入って、太夫のほうを確認してくれ」
「制服警官は目立つから、見張りに向かないんじゃない?」
「なに、縁日の見廻りを装っていりゃいい。実際に勤務中なんだ」
「半日も持ち場の銀座を離れてふらふらしているくせに。派出所に戻ったら始末書じゃないのかね」
先生の冷やかしを聴こえないふりして、巡査は縁日の人出に紛れていった。
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