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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第六話 数え歌㈠

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 鐵砲洲稲荷てっぽうずいなり神社は千年の歴史を持つ、京橋の鎮守ちんじゅだ。
 御一新(明治維新)以前は江戸湊えどみなとの玄関口にあったことから、古い名で『湊稲荷』や『湊神社』と呼ぶ人もいる。
 見事な富士塚がまつられており、歌川広重の浮世絵でも知られる名所であった。

 元日は毎年恒例の歳旦祭さいたんさいで、夜には縁日もひらかれる。
 折悪おりあしく本殿は先の震災で壊れてしまい、現在は復興を待っている最中だ。
 そのためもっと閑散としているかと思いきや、地元の参拝客が自然と集まってきている。

 こんな時代だからこそ、今年は無事に過ごしたいと祈ろうとする気持ちは誰しも同じのようだ。

 百往復すれは願いが叶うといわれる、百度石と拝殿のあいだを走っている人々の姿も見受けられた。
 
兎田谷うさいだや先生。本年のご健筆を願うのであれば、小弟もお供いたしますゆえ、是非とも一緒に百往復を……」
「時間は早いが、多少の露店はでているようだね。お、甘酒を配っているじゃないか!」

 身の危険を察したのか、湯気のあがる大鍋に引き寄せられたのか、子どものように駆けていってしまった。

 神社の周縁では屋台や遊戯の露天商、木材を組んだ簡易な小屋や天幕の準備もおこなわれていた。
 小弟が富士塚に手をあわせているあいだ、先生は口八丁で交渉したらしく、甘酒を多く注いでもらっていた。
 鶯出うぐいで巡査はその成り行きを眺めながら、眉根を寄せて腕を組んでいる。

「ほんっとうに大丈夫なのか? おたくの大先生は。いやなに、住民の評判はしょっちゅう聞いているんだが、この目で仕事っぷりを確認したことはないからな。中学生時代から成長していないように見えるぞ」
「大丈夫……なはずでございます。ところで、先生の評判というのは……?」
「胡散臭い男だったが解決した、とか。鼻持ちならない人物だったが案外役に立った、とか」

 一言多い感想である。
 『まさに稀代の大探偵!』等々、どうせならそのような声を耳にしたかったが致し方あるまい。
 簡単には世間に理解されないのもまた天才の常であろう。

 稀代の大探偵のはずの先生は、両手に甘酒を持ち、交互に口をつけながら戻ってきた。分けてくださるわけではないらしい。

「ここにはまだいないか。ちょっとばかり時刻が早かったな。待っていても時間の無駄だし、次へ向かおう」
「次?」
「別の縁日だよ。そうだ、書店で『全国縁日案内』を買わないと。できるだけたくさんまわるからね」
「なぜ!?」

 それほど祭りがお好きだっただろうかと疑問に思うが、とりあえず従うことにした。

 市電の停留所へ向かう道すがら、先生に乞われるまま書店に立ち寄り、『全国縁日案内』を購入する。
 小弟ははじめて目を通す読み物だ。帝都を中心とした近郊の縁日や市の予定がずらりと日付順に並んでいた。
 多くは夜だが、昼から開かれている場所もある。

「縁日がこんなにも連日に渡って開催されているとは……。小弟はまだまだ若輩者ゆえ、知見が及んでおりませんでした」

 なにしろ九段下の世継稲荷、日本橋蛎殻町の水天宮、本銀町の妙見堂と、本日は東京市内だけでも、十以上の場所で縁日が立っているのだ。

烏丸からすまるくんは大げさだな……。全国で見りゃ、三百六十五日必ずどこかでやっているらしいぜ。本来は祭祀さいしのはずだが不信心な兎田谷先生もあんなにはしゃいでいるし、日本人は祭りが好きだよなぁ」

 まだ疑わしげに先生の捜査を見守っている巡査も、にぎやかなのは嫌いではないらしい。どことなく楽しげな横顔であった。

 まずは昼から縁日が開かれている日本橋の水天宮、深川不動尊から巡っていくことにした。

 依頼人から前金を受け取っているとはいえ、正月明けには借金の取り立て人が探偵事務所に金を回収しにきてしまう。
 経費を抑えるために市電や円太郎バスを乗り継いで、なるべく多く回れるように計画を立てた。


 🐾🐾🐾


「あの、兎田谷先生。ずっと遊んでいらっしゃるように見えますが……」

 御節おせち料理をあれほどたらふく食べたあとだというのに、先生は人形焼の紙袋を抱えて口に放り込んでいる。

 縁日の本番はほとんど夜だ。朝の時点ではまだ準備中の神社が多かった。
 午後に入ると、露店などの設営が着々とすすんでいく様子が見られるようになった。

 すでに三ヶ所の縁日を巡っている。
 先生は露店商の者たちと雑談をしたり、食べ物を値切ったりして大層楽しんでいる様子である。

「失敬な。ちゃんと聞き込みしているとも。ああ、甘酒はうまいが物足りないな。電気ブランが呑みたい」
「だめです。合間にしっかり御神酒もいただいていたでしょう。さあ、途中の駅でこちらを買っておきましたから。甘味には茶が一番です」

 先生が評判を落としている原因は、だいたいにおいて酒癖の悪さなのだ。強い酒は是が非でも阻止しなければならない。

 不服そうに人形焼を頬張り、小弟が手渡した汽車土瓶きしゃどびんの茶をすすりながら──兎田谷先生は、まるでなんでもないことのようにさらっと重要な話をはじめた。

「いましがた、それらしき娘を知っている者を見つけたよ。まだ本人かどうかわからないから、母親に伝える前にこの目で確認しようと思っているがね」
「調査していたのですか!? いつのまに!?」

 依頼を受けてから、わずか数時間しか経っていない。東京市内の縁日をいくつか回っただけである。
 途方もないように思えた人探しの糸口をこれほど早く掴めたとは、いったいどんな魔術を使ったのだろう。

「おいおい、大先生。酒を呑んで遊んでいたようにしか見えなかったが、法螺ほらを吹いているんじゃなかろうな」

 鶯出巡査は露骨に疑惑のまなざしを向けている。

「娘には顔に火傷っていうわかりやすい特徴がうある。縁日をまわって興行師こうぎょうしを当たれば、そのうち当たると思ったのさ」
「興行師……? まったくわからん。からくりを説明してくれ」

 このあと催しがあるらしく、境内には簡素な舞台と客席が設営されていた。
 我々はまだ客のいない茣蓙ござに座って顔を突き合わせた。

「その前に訊きたい。さっき鶯出巡査は『菖蒲あやめが助けを求めている気がする』と言っていたよね。そうした考えに至ったのはなぜ?」

 急にお鉢が回ってきて、巡査は話しにくそうに言葉を濁した。

「確かな理由なんてもんはない。勘みたいなもんだよ。文面からもわかるとおり、菖蒲さんは健気で控えめな娘だ。判然としないんだが、九枚の手紙に妙な引っ掛かりを覚えてな……。だから、暗になにかを伝えているように感じた。それだけだ。警察は事実を重視するなんて言っておいて申し訳ないが」
「ふーん、本当にそれだけかな」
「解説してくれるかと思いきや、私への尋問かい」
「まっいいや。巡査のぼんやりした勘に根拠を示してあげよう。ほら、これを見給みたまえ」

 と、先生は一枚の葉書を我々の前に差し出した。

「九枚目の手紙だよ。もし巡査の言うとおり、娘が手紙に裏の意味を込めているのだとしよう。その視点で見れば、文面ではなくむしろ数え唄にヒントが見えてくる。烏丸、さっき日附ひづけ印に記載された郵便局名を写していただろう」
「はい!」

 小弟はすぐさま手帖を取りだし、郵便局名と所在地を読みあげた。

「一通目が大宮高鼻で埼玉県、二通目が草久で栃木県……」

 大宮高鼻(埼玉)→草久(栃木)→大栄(千葉)→長野旭(長野)→平田国府(島根)→京橋(東京)→成田東町(千葉)→山城八幡(京都)→椎出(和歌山)

 聞いているうちになにか思いあたったようで、巡査が手紙に綴られていた数え唄を口ずさんだ。

「一番はじめは一の宮……。一の宮ってどこだ?」
「一の宮とは、その土地でもっとも社格が高い神社です。なので地域によって認識が異なります。諸説あるのですが、東京近郊在住の者なら大宮町の氷川神社か、多摩郡の小野神社が一般的ではないでしょうか」
「一の宮が埼玉の大宮町だとして……。二また日光中禅寺、三また佐倉の惣五郎……。日光は栃木で、佐倉は千葉だな」
「これは、まさか……」

 ようやく、小弟も気づいた。

「唄と日附印の場所が、連動していますね」
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