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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第四話 啼いて血を吐く魂迎鳥㈠

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 兎田谷うさいだや先生が手にしていたのは九通目の葉書だった。
 昨年の秋口に送られてきたという、最後の手紙である。

 八通目までは数行の簡単な挨拶のみだったが、件の手紙だけは空白を埋めるほど長い文章が書かれている。

『わたしがまだ小さかつたころ、お母さんはよく子守唄を唄つてれましたね。
 今居る所は年少の子供たちが沢山おりますから、ちやんと眠れるやうにわたしがみなのお母さんの代はりに唄つてあげるのです。

 一番はじめは一の宮 二また日光中禅寺
 三また佐倉の惣五郎 四はまた信濃の善光寺
 五つは出雲の大社 六つ村々鎮守様
 七つは成田の不動様 八つ八幡の八幡宮
 九つ高野の高野山 十で東京招魂社
 此れほど心願かけたのに 浪子の病は治らない
 ごうごうごうと鳴る汽車は 武男と浪子の別れ汽車
 二度と逢へない汽車の窓 啼いて血を吐く魂迎鳥

 さう、心願は叶はぬものなのです。
 お母さんも唄の真実にようやく気づいたでせうか。

 手紙を送るのはぎで最後にゐたします。
 の冬は厳しい寒さとなるさうで。お母さんもどうか息災で。』

 この一枚だけ今までと違ってかなり饒舌じょうぜつだが、どことなく心悲うらがなしさも感じる。
 なにかを伝えていそうで、決定的な事柄が語られていないからだろうか。『最後』の理由がわからないのだ。
 
 ふと気づいて、兎田谷先生に尋ねた。

「あの、先生」
「ん、どうかしたかね? 烏丸」
「引用されている歌詞の、最後の部分ですが……どうして『魂迎鳥たまむかえどり』なのでしょう?」

 菖蒲がつづっているのは、軍歌のメロディにのせた有名な数え唄だ。
 小弟の姉たちも幼いころにまりをつきながら唄っていたのを憶えている。

 これほど心願かけたのに──

 あとには明治のベストセラー、徳富とくとみ蘆花ろかの『不如帰ほととぎす』にちなんだ歌詞が続く。
 民間で唄い継がれてきたもので、作詞者がいるわけではない。後半がいつ追加されたのかは不明だが、それほどの人気小説だったのである。

 戦地におもむいて妻と離れ離れになってしまった軍人の夫・武男と、胸を病んだせいで周囲に無理やり離縁をさせられながらも、最後まで夫を慕いながら血を吐いて死んでいく妻・浪子の悲恋物語だ。

 ──二度と逢えない汽車の窓。いて血を吐くほととぎす。

 地域によって細部は異なるものの、これが小弟も知っている本来の歌詞だ。
 毬が弾む音とともに、幼少時に聴いた唄の記憶がよみがえった。

「たしかに魂迎鳥もほととぎすと同じ意味です。しかし、あえて漢字にするならば『不如帰』のほうがふさわしいのではないかと思いまして……」

 ややこしいことに、ほととぎすは多くの異称を持つ鳥だ。
 表記違いの同音異字だけでも、不如帰、時鳥、杜鵑、霍公鳥、沓手鳥、子規などいくつもある。読み方はすべて『ほととぎす』だ。
 別名では菖蒲鳥、妹背鳥。さらには黄昏鳥、無常鳥、冥土鳥、そして魂迎鳥と、美しい声に反して不吉な呼び名も多い。
 冥土の使いとして、死出の山より迎えにくるから魂迎鳥──と、いわれている。

 人に姿を見せず夜に啼く、くちばしの内側が真っ赤なため啼いているとき血を吐いているように見える、などが理由らしい。
 あえて不吉な呼び名で書かなくとも、本の題名と同じ表記を使うほうが自然なのではないかと思ったのだ。

「妙なことを気にするんだな。烏丸からすまるくんもやはり文士の卵か。鳥の呼び方なんかより、私はもっと注目すべき一文があるように思うがね」

 と、口をはさんだのは鶯出うぐいで巡査である。
 兎田谷先生に机と椅子を譲り、ずっと後ろに立ってやり取りを見守っていた。

「巡査殿、怖い顔してずっと押し黙っていたのに突然どうしたのだね」
「菖蒲さんの行方を真剣に考えていただけだ。さっき見せてもらっていたときも気になっていたんだが、先生、この部分をどう思う?」

 揶揄をかわし、葉書に綴られた文章を指さした。

『今居る所は年少の子供たちが沢山おりますから』

 娘から母へ送られた九枚の手紙のなかで、唯一自分の置かれている状況がほのめかされている箇所である。

「子供がたくさんいる場所……。しかも寝かしつけてやっているってことは、世話をして、生活を共にしているんだ。母親が傍にいない子供たちのな。医院か、孤児院か、基督きりすと教の教会なんて可能性もあるな。ほら、なんとか絞れそうじゃないか?」

 巡査の指摘はもっともであった。
 『魂迎鳥』が持つ不穏な響きもあって引っかかってしまったが、真っ先に気にかけるほどでもない。
 普段から文章表現の細部に頭を悩ませているせいで、少々ものの見方が偏っていたのかもしれない。

 もっと広い視界を持たねば、と自身を戒める。
 が、巡査の意見は兎田谷先生によってすぐに否定された。

「さすがは官憲! 治安維持の申し子! 巡査殿はじつに現実的な思考の持ち主だなぁ。でもさ、俺の予想はぜんぜん違うんだよね」

 昔からの顔見知りだけあって物言いには慣れているのか、怒ったりムッとしたりもせず、巡査は深いため息をついて問い返しただけであった。

「はぁ。じゃあ文豪大先生の推理はどうだってんだよ」
「最後のやつはちょっとだけ近いかな。ほんのちょっとだけね」
「もったいぶらずに話してくれ」
「まず前提条件を思いだしたまえ。娘は売られたんだよ。どうして医院や孤児院、教会が金をだして子どもを買うんだ? そんなの俺より警察のほうが百も承知のはずだろう。怪しい周旋屋に売られた娘が行き着く先……。母親の前で残酷に聞こえるかもしれないが、それだけですでに絞られている」

 反論を受けて、巡査はたじろいだ。

「む、わからないぞ。狂医師の実験台とか、はたまた悪徳牧師に捕まって洗脳されているとか……」
「待った、待った。怪奇小説の読みすぎじゃないのかね。現実的な思考能力はどこへいったんだ」
「アンタが自分の作品の載った雑誌を買え、買えとうるさいからだ。最近は怪奇趣味の探偵小説ばかりが掲載されているじゃないか」 
「本格より変格派が大衆に人気だからねえ。小説より奇なる例も時にはあるのかもしれないが、医院や孤児院じゃ三年で九回以上も土地を移動している理由の説明だってつかないよ」
「むむ、それはそうだが……」

 二度も答えにきゅうした巡査をよそに、兎田谷先生は椅子から立ちあがった。
 中折帽なかおれぼうを被り直し、ステッキを持ちあげる。

「だから、とりあえず初詣にいこう!」
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