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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥
第二話 生き別れの母娘㈡
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「娘の名は菖蒲といいます。年齢は年明けて十六になったはずですわ」
新橋花街で待合茶屋を営んでいるという女性──竜子の言葉遣いは丁寧で、澄んだ声もよく通る。さすがは元芸者だ。
ただ、どことなく上辺だけの愛想に感じるのは、客商売をやっている者の常だろうか。
さきほどはハンケチを噛みしめんばかりにこちらを睨みつけていたが、今はすっかり落ち着いていた。まるで見間違いだったかのような変貌である。
しかし、先客をそっちのけにしてしまった小弟らに非があったのだ。
あらためて佇まいを正し、相談をしっかりと聞く姿勢を整えた。
「母と娘、二人きりでどうにか暮らしておりましたが、娘が尋常小学校を卒業してすぐに離れ離れになってしまい……。それから三年、一度も会っておりません」
まだ女学生のような年頃の娘が、母と生き別れとは気の毒な話だ。
小弟にも同じ年頃の妹がいる。最近は大人びた口を利くようになったとはいえ、家族から見ればまだまだ子どもだ。
妹と重ねて、反射的に同情の念が湧きおこった。
「警察で捜してあげればいいのに。職務怠慢じゃないのかね」
机に肘をつき、兎田谷先生がからかい口調で言う。
鶯出巡査はそう返されるのをわかっていたかのように、すぐさま首を横に振った。
「うちじゃ時間も人手も充分に割けない。せっかく相談にいらしたのに申し訳が立たなくてね。だから先生に頼みたいんだよ」
「ってことは、緊急性も事件性もないわけだ。なにも連れ去られたわけじゃないんだろう? 生き別れになった理由は?」
竜子は神妙に頷き、身の上を告白しはじめた。
「わたくし自身、小学校も碌に卒業しないうちから新橋花柳界で生きてまいりました。芸者としてそれなりの評判は得ましたが、花の命は短いものです。引退したあとも面倒を見てくださる相手はいたものの、なにしろ妾でしたから戸籍上に夫は存在しません。上の学校にやる余裕はありませんので、尋常科まで出したあとはすぐ奉公にやりました。娘もたった三年季だと笑っており、嫌がってはいなかったのですが……」
すでに相談内容を知っているであろう巡査も、真剣な表情で彼女に相槌を打っていた。
「離れて暮らしてからも、娘は時折手紙を送ってくれました。時節の挨拶だったり、わたくしの暮らしぶりや体調を気遣ってくれたり、取るに足りない内容ばかりです。ただ、三ヶ月前に届いた手紙に気にかかる内容があって……昨年の十二月で年季は終わる予定でしたのに、結局戻らずじまいなのです」
震えた声が途切れがちに小さくなっていった。
「年季の約束もなんだかんだ延ばされることが多いみたいだからね。奉公先には?」
「こちらから連絡はできません。手紙の郵便日附印を確認したところ、娘は短い期間で居場所を転々としているようなのです」
「ふーむ。そのまま所在知れずになったってことか」
たしかにこの事情では、警察が積極的に動くのは難しいかもしれない。
事件ではなく、母親が承知して家から出している。最後に会ってから三年の月日が経過していて手がかりも少ない。
「届出は受け付けるし、事件に巻き込まれた記録がないか調べてやるくらいはできるがね……。竜子さんも、わかるだろ。この先生に頼んだほうが手っ取り早いぜ」
巡査は兎田谷先生に向かって「頼むよ」と手を合わせ、懇願した。
「なるほどねえ。巡査が俺に押しつけ……頼もうとした理由はわかったよ。まあ、うちじゃよくある相談ってやつだからね」
兎田谷文豪探偵事務所でも、人捜しはめずらしい依頼ではない。
失踪、家出、駆け落ちなど、警察が本腰を入れたがらない事情を持つ家族からの相談は多い。そんなときこそ探偵の出番なのだ。
足を使っての聞き込みが主な調査方法となるため、先生が好むような派手な事件ではないが、日頃の運動不足解消にはちょうどいいかもしれない。
竜子は兎田谷先生をしばらく胡乱な目つきで見つめていたが、鶯出巡査の言葉に納得したらしい。最終的に依頼を承諾した。
「手付金は報酬の三割ね。残りは成功してからで構わない。交通費などの調査にかかる必要経費は別途で、これも後払い。分割にも応じるよ」
懐からだした算盤を素早く叩いて突きだす。
相手が裕福そうな装いだからか、あきらかに通常価格より掛け値をしている気がするが──
「一括でお支払いできますから、お気遣いなく」
帯から天鵞絨の布財布を取り出し、言い値の金額を机に置いた。
「まいどあり! では、さっそく取りかかろうじゃないか。手紙だとか、娘さんの手がかりとなるものを用意してくれ給え──」
「探偵さん」
満面の笑みで手付金を受け取った先生の手首が、突然がっちりと掴まれた。
「絶対に捜しだして。一刻も早く。わたくしはどうしても……あの子を見つけなけりゃならないの」
「……!!」
場の空気が凍りつく。
上目遣いに睨みつける女人の形相は、ほとんど鬼気迫るようであった。
先生が気圧されて茫然としているのに気づいたのか、竜子ははっとして手を離した。お面が反転するかのように、すぐにたおやかな婦人の顔に戻った。
「まあ、失礼……。娘のことを思うあまり、力がこもってしまいました。手がかりでしたら、さっき巡査さんにもお見せしていましたから写真と手紙を持っておりますわ」
竜子は何事もなかったように微笑みを浮かべながら、一枚の写真と九枚の絵葉書を差しだした。
新橋花街で待合茶屋を営んでいるという女性──竜子の言葉遣いは丁寧で、澄んだ声もよく通る。さすがは元芸者だ。
ただ、どことなく上辺だけの愛想に感じるのは、客商売をやっている者の常だろうか。
さきほどはハンケチを噛みしめんばかりにこちらを睨みつけていたが、今はすっかり落ち着いていた。まるで見間違いだったかのような変貌である。
しかし、先客をそっちのけにしてしまった小弟らに非があったのだ。
あらためて佇まいを正し、相談をしっかりと聞く姿勢を整えた。
「母と娘、二人きりでどうにか暮らしておりましたが、娘が尋常小学校を卒業してすぐに離れ離れになってしまい……。それから三年、一度も会っておりません」
まだ女学生のような年頃の娘が、母と生き別れとは気の毒な話だ。
小弟にも同じ年頃の妹がいる。最近は大人びた口を利くようになったとはいえ、家族から見ればまだまだ子どもだ。
妹と重ねて、反射的に同情の念が湧きおこった。
「警察で捜してあげればいいのに。職務怠慢じゃないのかね」
机に肘をつき、兎田谷先生がからかい口調で言う。
鶯出巡査はそう返されるのをわかっていたかのように、すぐさま首を横に振った。
「うちじゃ時間も人手も充分に割けない。せっかく相談にいらしたのに申し訳が立たなくてね。だから先生に頼みたいんだよ」
「ってことは、緊急性も事件性もないわけだ。なにも連れ去られたわけじゃないんだろう? 生き別れになった理由は?」
竜子は神妙に頷き、身の上を告白しはじめた。
「わたくし自身、小学校も碌に卒業しないうちから新橋花柳界で生きてまいりました。芸者としてそれなりの評判は得ましたが、花の命は短いものです。引退したあとも面倒を見てくださる相手はいたものの、なにしろ妾でしたから戸籍上に夫は存在しません。上の学校にやる余裕はありませんので、尋常科まで出したあとはすぐ奉公にやりました。娘もたった三年季だと笑っており、嫌がってはいなかったのですが……」
すでに相談内容を知っているであろう巡査も、真剣な表情で彼女に相槌を打っていた。
「離れて暮らしてからも、娘は時折手紙を送ってくれました。時節の挨拶だったり、わたくしの暮らしぶりや体調を気遣ってくれたり、取るに足りない内容ばかりです。ただ、三ヶ月前に届いた手紙に気にかかる内容があって……昨年の十二月で年季は終わる予定でしたのに、結局戻らずじまいなのです」
震えた声が途切れがちに小さくなっていった。
「年季の約束もなんだかんだ延ばされることが多いみたいだからね。奉公先には?」
「こちらから連絡はできません。手紙の郵便日附印を確認したところ、娘は短い期間で居場所を転々としているようなのです」
「ふーむ。そのまま所在知れずになったってことか」
たしかにこの事情では、警察が積極的に動くのは難しいかもしれない。
事件ではなく、母親が承知して家から出している。最後に会ってから三年の月日が経過していて手がかりも少ない。
「届出は受け付けるし、事件に巻き込まれた記録がないか調べてやるくらいはできるがね……。竜子さんも、わかるだろ。この先生に頼んだほうが手っ取り早いぜ」
巡査は兎田谷先生に向かって「頼むよ」と手を合わせ、懇願した。
「なるほどねえ。巡査が俺に押しつけ……頼もうとした理由はわかったよ。まあ、うちじゃよくある相談ってやつだからね」
兎田谷文豪探偵事務所でも、人捜しはめずらしい依頼ではない。
失踪、家出、駆け落ちなど、警察が本腰を入れたがらない事情を持つ家族からの相談は多い。そんなときこそ探偵の出番なのだ。
足を使っての聞き込みが主な調査方法となるため、先生が好むような派手な事件ではないが、日頃の運動不足解消にはちょうどいいかもしれない。
竜子は兎田谷先生をしばらく胡乱な目つきで見つめていたが、鶯出巡査の言葉に納得したらしい。最終的に依頼を承諾した。
「手付金は報酬の三割ね。残りは成功してからで構わない。交通費などの調査にかかる必要経費は別途で、これも後払い。分割にも応じるよ」
懐からだした算盤を素早く叩いて突きだす。
相手が裕福そうな装いだからか、あきらかに通常価格より掛け値をしている気がするが──
「一括でお支払いできますから、お気遣いなく」
帯から天鵞絨の布財布を取り出し、言い値の金額を机に置いた。
「まいどあり! では、さっそく取りかかろうじゃないか。手紙だとか、娘さんの手がかりとなるものを用意してくれ給え──」
「探偵さん」
満面の笑みで手付金を受け取った先生の手首が、突然がっちりと掴まれた。
「絶対に捜しだして。一刻も早く。わたくしはどうしても……あの子を見つけなけりゃならないの」
「……!!」
場の空気が凍りつく。
上目遣いに睨みつける女人の形相は、ほとんど鬼気迫るようであった。
先生が気圧されて茫然としているのに気づいたのか、竜子ははっとして手を離した。お面が反転するかのように、すぐにたおやかな婦人の顔に戻った。
「まあ、失礼……。娘のことを思うあまり、力がこもってしまいました。手がかりでしたら、さっき巡査さんにもお見せしていましたから写真と手紙を持っておりますわ」
竜子は何事もなかったように微笑みを浮かべながら、一枚の写真と九枚の絵葉書を差しだした。
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