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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥
第二話 生き別れの母娘㈠
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「連続……」
「放火事件……?」
鶯出巡査の口から飛び出た不穏な言葉に、小弟は兎田谷先生と顔を見合わせた。
「そう。ここ数年、全国各地でいくつもの不審火が確認されている。今日の早朝に木挽町でも起こった。これで十件目だな」
新橋花街に含まれる木挽町は、歌舞伎見物の客で賑わい、そこらじゅうで芸者の姿を見ることのできる繁華街だ。うちからもさほど離れていない。
今朝がた近隣で火災があったとの噂は小弟も耳にしていた。朝餉の支度で堀井戸に水を汲みにいった際、近所の奥方たちが話題にしていたのである。
原因は過失だの火付けだのと様々な憶測が飛び交っていたが、共通していたのは火元が炊事場であること、そして子どもの犠牲者がいるという点だった。
思わぬ凶悪事件が出てきて興奮したのか、先生は息を巻いて質問をぶつけた。
「ほほう、燃やされたのはどんな建物かな? 被害はどの程度?」
「ごく普通の民家ばかりで、すべて全焼している」
小弟も気にかかっていたことを尋ねる。
「あの、子どもが亡くなったのは事実なのでしょうか」
「いいや、幸いにもまだ人死には出ていない……はずだ」
「他にも博奕で多大な借金をこさえて追われていたとか、その筋の者に放火されただとか、色々な話を聞いたのですが……」
「あの近辺はむしろ博徒の縄張りだぞ。事実ならとうに見つかって絞られているだろ。まだ現場検証さえ終わっちゃいないのに、噂話ってのはすぐ尾鰭がつくんだな」
巡査は苦々しい顔でため息をついた。
犠牲者がいないと聞いて、ひとまず胸を撫でおろす。
しかし、判然としない言い方が気になった。もしかすると重傷を負って生死の境をさまよっている可能性もある。
もっとも警察には職務上の守秘義務があり、民間人の我々に話せない内容もあるだろう。先生も被害についてそれ以上は追求しなかったため、小弟も黙っていた。
「ハァ、しかしなぁ。わずか数年前に人智の及ばぬ大火災まで経験しているってのに……。どうしてこんな事件が起きちまうのかね。人というのは、どこまでも愚かになれるもんだ」
「ええ、おっしゃるとおりです」
口が悪くぶっきらぼうに見えるが、鶯出巡査は住民の平穏な暮らしをいつも願っている人なのである。
「兎田谷先生、アンタも火の元には十分気をつけろよ。なんせ酒癖が悪いんだから」
「一発当てるのに失敗したら、老後は土地を売り払って隠居する予定だから大丈夫。家の取り壊しは金がかかるし、すっかり灰になってくれたほうがむしろ手間が省けてありがたいね」
憎まれ口でのらりくらりと躱す先生に、警官の説教はつづく。
「不吉なことを言いなさんな。季節柄、空気が乾燥していて火の廻りが早いんだ。本当にすっかり燃えちまうぞ。ま、しっかり者の書生がいるうちは心配しちゃいないがね」
──そのとき、小弟は巡査と先生の他愛ない会話に引っかかりを感じた。
「季節柄……?」
「ん、どうかしたかね、烏丸」
「あの、いまは冬、ですよね……」
二人は一瞬声を失い、同じ恰好で首をかしげる。
「なんだなんだ。寝ぼけているのか? 烏丸くんらしくもない」
「今朝は張りきって料理を用意していたからねえ。早起きしすぎたかな」
なにかを忘れているような……。
考えてみたが、思い出せなかった。
鶯出巡査からしっかり者だと褒められたばかりなのだ。いらぬ心配をかけては師の顔が立たない。
頭を振って気を引き締め直した。
「すみません。ぼうっとしていたようです」
「しゃきっとしてくれ給えよ。俺一人じゃまともな生活なんか送れないんだから」
「開き直るなよ」
「さてと。連続放火事件についてだったね。一つ確認しておきたいのだが」
と、先生が話を戻した。
「空気の乾いた冬は、ただでさえボヤが増える。火災そのものは他でも多数起こっているはずだ。範囲が全国となれば尚更、連日発生していてもおかしくない。それでも巡査が十件の不審火を『連続事件』称するからには、同一犯または何らかの共通点で繋がっている根拠があるんだろう?」
わずかな情報からそのような鋭い指摘に行き着くとは、さすがである。
しかし、巡査の答えはまたしても煮え切らなかった。
「私も確証があるわけじゃないんだ。だから警察の捜査もあまり進んでいない。ただ……先生の推測どおり、十件の火災には共通したある特徴があってね。それが、なんとも奇怪な話なんだが」
「奇怪ときたか! いったいどんな!?」
文士の業か、探偵の業か。またしても瞳を輝かせて身を乗りだした。
ふと視線を感じて、巡査の向かいに座っている女性のほうを見る。
彼女は口元にハンケチをあて、もどかしそうに小弟たちを見据えていた。
必死の形相に先生も気づいたようである。こほんと咳ばらいをし、青年紳士然とした仕草で帽子を脱いだ。
「これは失礼。どうやらお待たせしてしまっていたようだ。それで、こちらのご婦人の依頼と連続放火事件には、いったいどんな奇怪な関係が!?」
「いいえ、まったくございませんわ。わたくしがおまわりさんにお願いしていたのは、ただの人捜しですのよ」
婦人はあっさりと告げる。
大事件の予感で盛りあがっていた兎田谷先生は、机に額をぶつけそうな勢いでうなだれた。
「ああ、消息不明の家族を捜してほしいと相談を受けていたところなんだ」
「関係ないならどうして今の話をしたのだね」
巡査は無精ひげを撫でながら苦笑いした。
「火事のせいで現場から初日の出を拝むはめになっちまった。正月早々まいったよ。髭を剃る暇もありゃしねえ」
「ただの愚痴じゃないか」
「私の同僚にも正月から現場に駆り出されて、そのあとで辞めた奴がいるしな」
「俺だってこんな日に働きたくないよ」
「先生は一年中働きたくないだろ。警察がこんなにも頑張っているんだ。探偵も頑張れって鼓舞だよ。じゃ、本題に入るぞ」
婦人のほうに向きなおり、巡査は朗らかに言った。
「竜子さん、兎田谷先生はこんなだが、一応銀座では有名な私立探偵なんだ。一丁、事情を話してみないか?」
「こんなは余計だよ。はぁ、ぜんぜん、まったく働きたくはないが、年末に呑み歩いたぶんの取り立てがどっと押し寄せてくるに違いないからしかたないナ。尋ね人の詳細は?」
ツケがたまっている兎田谷先生は、しぶしぶといった調子で空いた椅子に座った。小弟も懐から手帳を出し、書きつけの用意をする。
竜子は睫毛を伏せ、力なく訴えた。
「はい。わたくし、娘を……三年前に生き別れになった娘を探していますの」
「放火事件……?」
鶯出巡査の口から飛び出た不穏な言葉に、小弟は兎田谷先生と顔を見合わせた。
「そう。ここ数年、全国各地でいくつもの不審火が確認されている。今日の早朝に木挽町でも起こった。これで十件目だな」
新橋花街に含まれる木挽町は、歌舞伎見物の客で賑わい、そこらじゅうで芸者の姿を見ることのできる繁華街だ。うちからもさほど離れていない。
今朝がた近隣で火災があったとの噂は小弟も耳にしていた。朝餉の支度で堀井戸に水を汲みにいった際、近所の奥方たちが話題にしていたのである。
原因は過失だの火付けだのと様々な憶測が飛び交っていたが、共通していたのは火元が炊事場であること、そして子どもの犠牲者がいるという点だった。
思わぬ凶悪事件が出てきて興奮したのか、先生は息を巻いて質問をぶつけた。
「ほほう、燃やされたのはどんな建物かな? 被害はどの程度?」
「ごく普通の民家ばかりで、すべて全焼している」
小弟も気にかかっていたことを尋ねる。
「あの、子どもが亡くなったのは事実なのでしょうか」
「いいや、幸いにもまだ人死には出ていない……はずだ」
「他にも博奕で多大な借金をこさえて追われていたとか、その筋の者に放火されただとか、色々な話を聞いたのですが……」
「あの近辺はむしろ博徒の縄張りだぞ。事実ならとうに見つかって絞られているだろ。まだ現場検証さえ終わっちゃいないのに、噂話ってのはすぐ尾鰭がつくんだな」
巡査は苦々しい顔でため息をついた。
犠牲者がいないと聞いて、ひとまず胸を撫でおろす。
しかし、判然としない言い方が気になった。もしかすると重傷を負って生死の境をさまよっている可能性もある。
もっとも警察には職務上の守秘義務があり、民間人の我々に話せない内容もあるだろう。先生も被害についてそれ以上は追求しなかったため、小弟も黙っていた。
「ハァ、しかしなぁ。わずか数年前に人智の及ばぬ大火災まで経験しているってのに……。どうしてこんな事件が起きちまうのかね。人というのは、どこまでも愚かになれるもんだ」
「ええ、おっしゃるとおりです」
口が悪くぶっきらぼうに見えるが、鶯出巡査は住民の平穏な暮らしをいつも願っている人なのである。
「兎田谷先生、アンタも火の元には十分気をつけろよ。なんせ酒癖が悪いんだから」
「一発当てるのに失敗したら、老後は土地を売り払って隠居する予定だから大丈夫。家の取り壊しは金がかかるし、すっかり灰になってくれたほうがむしろ手間が省けてありがたいね」
憎まれ口でのらりくらりと躱す先生に、警官の説教はつづく。
「不吉なことを言いなさんな。季節柄、空気が乾燥していて火の廻りが早いんだ。本当にすっかり燃えちまうぞ。ま、しっかり者の書生がいるうちは心配しちゃいないがね」
──そのとき、小弟は巡査と先生の他愛ない会話に引っかかりを感じた。
「季節柄……?」
「ん、どうかしたかね、烏丸」
「あの、いまは冬、ですよね……」
二人は一瞬声を失い、同じ恰好で首をかしげる。
「なんだなんだ。寝ぼけているのか? 烏丸くんらしくもない」
「今朝は張りきって料理を用意していたからねえ。早起きしすぎたかな」
なにかを忘れているような……。
考えてみたが、思い出せなかった。
鶯出巡査からしっかり者だと褒められたばかりなのだ。いらぬ心配をかけては師の顔が立たない。
頭を振って気を引き締め直した。
「すみません。ぼうっとしていたようです」
「しゃきっとしてくれ給えよ。俺一人じゃまともな生活なんか送れないんだから」
「開き直るなよ」
「さてと。連続放火事件についてだったね。一つ確認しておきたいのだが」
と、先生が話を戻した。
「空気の乾いた冬は、ただでさえボヤが増える。火災そのものは他でも多数起こっているはずだ。範囲が全国となれば尚更、連日発生していてもおかしくない。それでも巡査が十件の不審火を『連続事件』称するからには、同一犯または何らかの共通点で繋がっている根拠があるんだろう?」
わずかな情報からそのような鋭い指摘に行き着くとは、さすがである。
しかし、巡査の答えはまたしても煮え切らなかった。
「私も確証があるわけじゃないんだ。だから警察の捜査もあまり進んでいない。ただ……先生の推測どおり、十件の火災には共通したある特徴があってね。それが、なんとも奇怪な話なんだが」
「奇怪ときたか! いったいどんな!?」
文士の業か、探偵の業か。またしても瞳を輝かせて身を乗りだした。
ふと視線を感じて、巡査の向かいに座っている女性のほうを見る。
彼女は口元にハンケチをあて、もどかしそうに小弟たちを見据えていた。
必死の形相に先生も気づいたようである。こほんと咳ばらいをし、青年紳士然とした仕草で帽子を脱いだ。
「これは失礼。どうやらお待たせしてしまっていたようだ。それで、こちらのご婦人の依頼と連続放火事件には、いったいどんな奇怪な関係が!?」
「いいえ、まったくございませんわ。わたくしがおまわりさんにお願いしていたのは、ただの人捜しですのよ」
婦人はあっさりと告げる。
大事件の予感で盛りあがっていた兎田谷先生は、机に額をぶつけそうな勢いでうなだれた。
「ああ、消息不明の家族を捜してほしいと相談を受けていたところなんだ」
「関係ないならどうして今の話をしたのだね」
巡査は無精ひげを撫でながら苦笑いした。
「火事のせいで現場から初日の出を拝むはめになっちまった。正月早々まいったよ。髭を剃る暇もありゃしねえ」
「ただの愚痴じゃないか」
「私の同僚にも正月から現場に駆り出されて、そのあとで辞めた奴がいるしな」
「俺だってこんな日に働きたくないよ」
「先生は一年中働きたくないだろ。警察がこんなにも頑張っているんだ。探偵も頑張れって鼓舞だよ。じゃ、本題に入るぞ」
婦人のほうに向きなおり、巡査は朗らかに言った。
「竜子さん、兎田谷先生はこんなだが、一応銀座では有名な私立探偵なんだ。一丁、事情を話してみないか?」
「こんなは余計だよ。はぁ、ぜんぜん、まったく働きたくはないが、年末に呑み歩いたぶんの取り立てがどっと押し寄せてくるに違いないからしかたないナ。尋ね人の詳細は?」
ツケがたまっている兎田谷先生は、しぶしぶといった調子で空いた椅子に座った。小弟も懐から手帳を出し、書きつけの用意をする。
竜子は睫毛を伏せ、力なく訴えた。
「はい。わたくし、娘を……三年前に生き別れになった娘を探していますの」
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