大正銀座ウソつき推理録 文豪探偵・兎田谷朔と架空の事件簿

アザミユメコ

文字の大きさ
上 下
18 / 73
第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第一話 元日㈠

しおりを挟む
 ──キョ、キョキョキョ、チヨチヨ。
 可愛らしいき声が聴こえている。

 鳥のさえずりに起こされて薄目を開けると、柔らかい朝の光が障子に透けていた。
 飼い猫に破られた箇所を桜の花弁型で修繕した跡が残っていて、まるで白い空に花が咲いているようだ。

 庭の池で鹿威ししおどしがカコンと鳴った。

 微睡まどろみのなか、枕元の懐中時計をたぐりよせる。時刻を確認し、小弟しょうていは大慌てで布団から飛び出した。

 まだ夜が明けたばかりの早朝だが、今日はなにかと忙しい日なのだ。
 洗濯したての立衿シャツを着こみ、袴を穿く。
 成人の記念にと昨年近所の奥様方からもらった割烹着を身につけ、台所へと急ぐ。

 鰹と昆布で出汁をとっているあいだ、前日に用意しておいた重箱を並べた。中身は数の子、かまぼこ、根菜の煮しめ、栗きんとん、田作り、伊達巻。
 奮発して魚屋に届けてもらった鯛は尾頭つきの造りにし、刺身の重を追加。
 さらに新しいもの好きの先生のため、主婦向け雑誌の特集に掲載されていた『サンドウヰッチを詰めた色とりどりの西洋風お重』なるものも作ってみた。
 出汁が煮立ったら青菜やしいたけにも火を通し、網で焼いた餅を添え、醤油で味付けしたすまし汁をかける。雑煮の完成だ。

 酒を棚からおろそうとして、少々ためらった。
 新年早々、酔って問題を起こされては困る。
 できればあまり呑んでほしくはないのだが……目出度めでたい日くらいは羽を伸ばしても構わないだろう。鍋に湯を沸かしてかんをつけた。
 火鉢に炭をいれ、茶の間をあたためておくことも忘れない。

 そう、正月の朝なのである。
 新たな年が明け、大正も早や十五年だ。

 いまを生きる我々にとっては、苦難の時代が続いている。
 今年こそは戦や天災、流行り病などに脅かされぬ、長閑のどやかな年であってほしいものだ。
 わずかばかりの祈りとともに、神棚に昆布をのせた鏡餅を供えて手を合わせた。

 小弟の名は赤日あかひ烏丸からすまる
 銀座の片隅にある『兎田谷うさいだや文豪探偵事務所』に書生として住み込み、家事や雑用をしながら文学を学んでいる。

「やあやあ、すごい御馳走ごちそうだ。明けましておめでとう。烏丸」

 すべての支度がちょうど終わったところで、眠たげな声が廊下から響いてきた。

 飼い猫の小夏こなつ綿入わたいれの懐にいれて暖をとりながら、ゆったりと歩いてくる足音。
 この御方は小弟が師と仰ぐ兎田谷うさいだやはじめ先生。
 気鋭の探偵小説家でありながら、自身も私設の探偵事務所を営んでおられるのである。

 平生は昼まで眠っている先生だが、料理の匂いにつられたのかめずらしく早起きだ。
 寝癖をつけたまま台所をのぞき、目ざとく燗酒かんざけを見つけて瞳を輝かせた。

 小夏もいつもより豪勢な食事の匂いに気づいたようだ。床に飛び降り、小弟の足に額をこすりつけて朝飯をねだってきた。
 刺身とかまぼこの端切れを冷や飯にのせてやり、塩分を足す前によけておいた出汁をかける。
 正月仕様の猫まんまだ。顔を近づけて嗅いだあと、すぐに夢中で食べだした。

 茶の間に料理を運び、食卓に並べる。
 我ながらなかなかの出来栄えである。

「兎田谷先生、本年もよろしくお願いいたします。今朝は特別に寒うございますね」

 向かい合せて座り、銚子ちょうしをかたむけ酒を注いだ。先生はじつに旨そうに目を細め、一息で飲み干した。

「ぷはー。朝から呑んだくれても許されるだなんて、正月は最高だなぁ。三箇日さんがにちは探偵事務所を休業しているし、原稿の〆切もない。嗚呼、毎日が盆か正月だったらいいのに」

 年末は絶対に働きたくないと先生が仰ったため、探偵業と作家業の依頼はどちらも断っていた。さらに年明けは絶対に働きたくないとも仰ったため、やはり依頼は断っていた。
 すっかり寝正月になさるつもりらしい。この調子でいくと、次は松の内までは働きたくないと言いだしそうだ。
 重い腰をあげて労働に従事するのはいったい何日後になるだろうか。

 雑煮を食べ、御節おせちをつまみ、盃を持ちあげ、師は機嫌よく言った。

「烏丸や、もう一本……」
「先生、食事が終わったら初詣にでかけませんか。運動にもなりますゆえ」

 酒から気を逸らすため、すかさず提案する。

「うーん、たしかにこのままでは少々食べすぎてしまいそうだな。烏丸の料理が美味いから悪いんだ」

 雑煮の餅を恨めしそうに伸ばしながらも、先生が箸を置く気配はない。
 だした料理をすべて食べ尽くしたあと、腹を押さえながら、しかたないといったふうに口をひらいた。

「そうだな……。烏丸、せっかくの休みだ。少々足を延ばして湊稲荷みなといなりにでも行くかね。めっきり運動不足だからちょうどいい」
「はい、お供いたします!」

 ゆっくり歩いて三十分ほどで到着する 鐵砲洲稲荷てっぽうずいなり神社──通称・湊稲荷は、先生のような京橋区生まれの者にとっての産土神うぶすながみだ。
 毎年一月一日に新年を祝う歳旦祭さいたんさいがおこなわれており、夜は縁日も立って賑やかである。
 食後の散歩には最適だろう。

 着物ならば帯を緩めれば済む。だが、先生は和洋どちらの装いも好む着道楽だ。仕立て直しするにも金がかかるため、師の体型の変化を食い止めるのも弟子の努めなのだ。

 酒を一本に留めることができて、運動までする気になったのはほとんど奇跡に近い。

 家計も、先生の健康も守られる。小弟にとってはこのうえなく順調な新年の滑り出しであった。


 🐾🐾🐾


「疲れた。もうだめだ。くるまを呼んでおくれ」
「先生、まだ五分も歩いておりません!!」

 家の門をでて、わずか数十歩の出来事である。
 数寄屋橋すきやばし前の通りにすらたどり着いていない。

「ちょっと、いや、かなり食べすぎた……。歩くと脇腹にくる……」

 腹が苦しいらしく、中腰になって着物の帯を必死に緩めている。

 それにしても、随分と高価そうな結城紬ゆうきつむぎを着ておられる。いつのまにあつらえたのだろうか。思わず問いただしそうになったが、晴れの日なので目をつぶることにする。
 あとは中折帽なかおれぼう、ロイド眼鏡、洋物のショール、ステッキ、編上靴あみあげぐつ、そして二重廻しのとんびマントと、お決まりの恰好である。

 洋装の日もあるが、この和洋折衷スタイルこそが先生の日常着、いわばトレードマークなのだ。

 兎田谷先生はモダンなはずのステッキで老人のように体を支え、ぶつぶつと不平を漏らしはじめた。 

「だいたいさ、なぜ正月休みにわざわざ出かける必要があるのだね。疲労困憊してしまっては、なんのために休業しているのかわからないじゃないか!」
「しかし、先生が運動不足だと……」
「やはり俥を呼ぼう、そうしよう。というわけで、派出所で電話を借りてくる」

 そうと決めた途端、元気になったようだ。
 さっきまでよろめいていたのが嘘だったように、意気揚々と数寄屋橋の巡査派出所へと人力車を呼ぶために駆けていった。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

後宮の裏絵師〜しんねりの美術師〜

あきゅう
キャラ文芸
【女絵師×理系官吏が、後宮に隠された謎を解く!】  姫棋(キキ)は、小さな頃から絵師になることを夢みてきた。彼女は絵さえ描けるなら、たとえ後宮だろうと地獄だろうとどこへだって行くし、友人も恋人もいらないと、ずっとそう思って生きてきた。  だが人生とは、まったくもって何が起こるか分からないものである。  夏后国の後宮へ来たことで、姫棋の運命は百八十度変わってしまったのだった。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

公主の嫁入り

マチバリ
キャラ文芸
 宗国の公主である雪花は、後宮の最奥にある月花宮で息をひそめて生きていた。母の身分が低かったことを理由に他の妃たちから冷遇されていたからだ。  17歳になったある日、皇帝となった兄の命により龍の血を継ぐという道士の元へ降嫁する事が決まる。政略結婚の道具として役に立ちたいと願いつつも怯えていた雪花だったが、顔を合わせた道士の焔蓮は優しい人で……ぎこちなくも心を通わせ、夫婦となっていく二人の物語。  中華習作かつ色々ふんわりなファンタジー設定です。

転生したけど平民でした!もふもふ達と楽しく暮らす予定です。

まゆら
ファンタジー
回収が出来ていないフラグがある中、一応完結しているというツッコミどころ満載な初めて書いたファンタジー小説です。 温かい気持ちでお読み頂けたら幸い至極であります。 異世界に転生したのはいいけど悪役令嬢とかヒロインとかになれなかった私。平民でチートもないらしい‥どうやったら楽しく異世界で暮らせますか? 魔力があるかはわかりませんが何故か神様から守護獣が遣わされたようです。 平民なんですがもしかして私って聖女候補? 脳筋美女と愛猫が繰り広げる行きあたりばったりファンタジー!なのか? 常に何処かで大食いバトルが開催中! 登場人物ほぼ甘党! ファンタジー要素薄め!?かもしれない? 母ミレディアが実は隣国出身の聖女だとわかったので、私も聖女にならないか?とお誘いがくるとか、こないとか‥ ◇◇◇◇ 現在、ジュビア王国とアーライ神国のお話を見やすくなるよう改稿しております。 しばらくは、桜庵のお話が中心となりますが影の薄いヒロインを忘れないで下さい! 転生もふもふのスピンオフ! アーライ神国のお話は、国外に追放された聖女は隣国で… 母ミレディアの娘時代のお話は、婚約破棄され国外追放になった姫は最強冒険者になり転生者の嫁になり溺愛される こちらもよろしくお願いします。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。