蜩の軀

田神 ナ子

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20話

想いは届いた・・・かなぁ。

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 湿り気を帯びた風が強くなる―――
風は雲を呼び、雲は高い月を呑み込んで、雷鳴が遠く聴こえ始めていた。



 雨足が強くなる前に、帰宅を急いだ。

咲弥の言葉通り、やがて雨は激しく降り出した。
マンションに着いた頃には、目先が霞むほどの白雨が地面を叩き付けていた。
雨の激しさと共に、空を奔る雷電が夜の闇に轟く。



 先にシャワーを借りて汗を流してきた保は、五階の窓から見える雨の町を見ていた。

激しい雨で、眼に映る町は薄れて見える。
窓に叩きつけられる雨が、絶え間なく流れ落ちていく。

濡れた髪のまま、肩にかけたタオルの下には褐色を帯びた肌が露になっていた。

ただ、窓の外をぼんやりと見入っている。
雨に霞む町を見ているのか、窓に流れる雨を見ているのか――


 『先に、休んで下さい。』

そう言って、今、咲弥はシャワーを浴びてる。
そう言われたものの・・・・
休めるはずなくて、窓の外を眺めてた。

 (人のことばっか、気にしやがって・・・・)

自分を犠牲にして、
大事なものを守る?
コツン、て窓に額を当てて、眼を閉じた。

 (調子いいこと言って・・・そんなんで守るなんて言えんのかよ・・・・)


ドォォォン!

閃光と同時に、雷霆らいていが躰の奥まで響いた。
一瞬、身体がビクッてなる。

瞬間には、
部屋の灯りが消えてしまった。

 (え?マジか・・・停電――?)

さっきの激しい音は、落雷?

ただ、足許に設置されてる非常用のライトが点ってる。

 (整ったマンションだよなぁ。)

なんて、こんな時にそんなこと思うよゆう?



 「・・・大丈夫ですか?」

薄闇の中に見える保の姿に、シャワー上がりの咲弥の声が届いた。


止まない雷鳴が、闇の空を駆ける―――

蒼白い電影に、保のしなやかな四肢が浮かんで、
その影を伝って、咲弥がゆっくりと傍らへ寄る。

まだ乾ききらない長い髪が、厚みのあるしっかりとした躰を纏っていた。

 「先に、休んで・・・って、言ったのに・・・・。」

吐息混じりの声で、咲弥はそっと笑む。


バリバリッ―――ッ!

蒼い雷光が照らし出したその姿。

 「・・・お前、その肩の疵――の・・・・」

濡れた黒髪のはざ間から僅かに見えた、鋭く太い爪痕のような疵。
それを這って、左腕から手の甲にまで引かれた深い跡。

の爪跡だ。

 (なにが、大丈夫・・・だよ・・・)

どれだけ傷ついても、どれだけ苦しんでも・・・
それほどまでに、を守ろうとする・・・

咲弥こいつを責めようとする言葉が喉のそこまで上がってきた。けど、
それをぐっと呑んで、

 「お前こそ、早く休めよ・・・」
 「・・・一緒に、休んでくれるなら――」

また、そんなこと言って。
咲弥は優しく微笑んで囁いた。


咲弥の指先が俺の頬をそっと撫でた。
それから・・・
咲弥は優しくキスしてきた。

蒼白く浮かぶ重なる二つの影――


 「・・・どうして・・・抵抗しないんですか――?」

微かに触れてる唇から少し戸惑ってるような声が聞こえる。


今までなら、強く拒んで却けるのに・・・・
触れることにも、拒絶するのに・・・・

 「・・・・どうして―――?」

咲弥の抑えた低い声が耳に届いて、

 「咲弥・・・お前のここなかにいるのは・・・誰・・・なんだよ・・・・」

人差し指で咲弥の胸の辺りを、トントンって。

 「・・・保・・・さん――?」

咲弥の声が、戸惑ってる。

俺は顔を伏せたまま咲弥の胸にトンって額をくっつけて、

 「・・・もう・・・傷つかなくていいから・・・もう・・・苦しまなくていいから・・・・」

途切れそうなほど、切ない声が闇に消える。

激しい雨音と雷鳴が遠くに聴こえてる気がした―――


 「・・・・ずっと・・・傍に・・・いてほしい・・・・。」

咲弥の胸に顔を埋めて、その想いを告げた。




――貴方を愛しているという、は・・・?

消えてしまいそうで・・・
壊してしまいそうで・・・
そっと、咲弥は保を抱き締めた。

 「・・・・保さん・・・・」

優しく響くその声で、愛しい人の名を呼ぶ。

ゆっくりと、咲弥の唇が保の頬に触れる。

 (保さん・・・これが、私の応え――)

ただ真っすぐに、素直に、自分の想いをぶつけてくるその眸に嘘はつけない。
迷っていたのは、己の
それを脱ぎ棄てて虚無の自分になった時、真実が今、眼の前に鼓動している。


この指で触れて、その眸を見つめて、この腕に抱きしめて・・・
その鼓動を感じて、愛しい貴方の名を呼ぼう・・・・

 「・・・・ずっと、の傍に――」

胸許で顔を伏せている保の頬に優しく頬を寄せ、ゆっくりと押し上げてキスをする。

永い、永いキスを―――




 止まない雨の音だけがこの部屋に聴こえていた――

ブランケットにくるまれている保の片方の腕が、そこから覗いている。

ベッドの脇に腰かけていた咲弥が、そっとブランケットの中へ入ってくる。

まるで、仔犬のように丸くなって眠っている保の背中を、咲弥は包み込むように優しく抱いた。

 「・・・手ぇ、出すなよ。」

腕の中の保が、小さな声で呟く。

 「眠ってたんじゃなかったんですか・・・?無防備な貴方を襲うほど、私も卑怯じゃありませんよ。」

柔らかな保の髪に頬を寄せ、穏やかな笑みで咲弥の唇が囁く。
その唇が、保の首筋を滑り肩先にキスをする。

懐かしい、温かい匂い・・・・

互いの吐息を感じて、
互いの肌の温もりを感じて、
安穏あんのんうちに眠ろう。


今、現世ここに生きている、このことが、真のすがた――。

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