蜩の軀

田神 ナ子

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12話

テリトリーに入ったら、豹変するって・・・どうやらマジらしい

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 補習授業の前に藤本から一番に連絡を受けた。
やっぱり・・・
手配済みだそうだ。
 「ここで待っとけよ」って、職員駐車場の一角で、俺は昨日渡された封筒と、バックバッグを肩に掛けて待ってた。

 数分後――靴音と車の鍵の音を響かせて、

 「悪いな・・・待たせたな。行こうか」

軽く笑いながら藤本は自分の車の方へ歩いてく。その後ろから足、重っ・・・仕方なく着いてく俺。

 「学校ここから四十分くらい?かなぁ・・・そんな一時間も二時間も掛かるような場所とこじゃなくてよかったな!」

いつもの爽やかな笑顔を見せる藤本は車を走らせた。



 「今日の分の患者さんのカルテを、後で部屋に届けてもらえますか?」

診察を終え、最後の患者のカルテに眼を通しながらは背後の看護師にそう伝えてゆっくりと立ち上がる。

 「はい、分かりました。・・・ところで先生、たまには飲みにでも行きません?病棟ここのみんなで、先生も誘ってぇたまにはワイワイやろう・・・って話してたとこなんですよぉ!」

見た目も年配の看護士だが――婦長だろうか・・・そう義明に話しかけた。

 「そうですね。以前、歓迎会でしたか――?行ったきりですね。」

優しく微笑んで義明はそう応える。

 「でしょ?今度、行きましょうね!」
 「はい。その時はぜひ・・・」

と、笑んで義明は診察室を後にした。

大学病院ここは、六階建ての造りで中庭が吹き抜けになっていて、ガラス張りの窓からは中庭が眺められる。
吹き抜けから射し込む陽の光で院内は明るい感じがした。


 「帰り、本当に大丈夫か?」

運転席から身を乗り出すようにして藤本が少し目線を上げて言う。

 「おう!心配すんなって。ありがとな、藤本。」

挨拶代わりに片手を上げて、俺はに向かう。

藤本は軽くクラクションを鳴らして帰ってった。


 眼の前には威厳あるが、圧倒してくる感じだ。
広い玄関口だけど、たくさんの人や車が行き来してるから忙しなぃ。

 「・・・・はぁ――・・・」

言われたとおり、大学病院へ検査を受けるために。来てやった。何も、大学病院ここじゃなくてもよくね?
面倒くさそうな俺の表情がガラス張りの窓に映ってる。

 行き違う人を避けながら正面奥の受付カウンターへ足を運んだ。
左右には広々とした受付席が並んでて、診察や会計を待つにはゆっくりしてられるスペースになってる。その左側奥の方に、吹き抜けになった中庭が見えた。
明るい中庭の方に視線がいく。

 「・・・・・・・・!」

俺の視線はそこから動かなかったんだ。その姿に。

長身に白衣を纏い、漆黒の長い髪を束ねたその姿、どこに居ても眼を惹く存在だよな。

 (・・・・咲弥・・・・・)



 診察室から出てきた義明は、中庭を車椅子で散歩している少女に眼が止まった。
義明は少女の姿を、眼を細めながら見つめていた。

 その視線に気付いたのか、少女が義明の方へ懸命に車椅子を動かしながら近寄ってくる。
それに応えるように、義明も出入り口のガラス戸を開けて少女の方へ向かった。

 「先生――っ!」

年は十四、五くらいだろうか?綺麗な黒い眸が真っ直ぐに義明を見つめた。
その肌の透き通るほどに白いこと・・・。

 「だめだよ、心夏こなつちゃん・・・あまり暑い所には出ないように、って言ったよね?もう少し体力がついたら、今度、一緒に散歩しよう」
 「ごめんなさい、先生。でもね、私、夏が好きなの!この青い空に大きな雲・・・蝉の声だって、何だか元気が出そうでしょ?それに、私の名前だって〝夏〟だもん!」

そう言って少女は屈託ない笑顔を返す。
その笑顔に押され気味になる義明は少し困った笑顔を浮かべている。
そんな義明の表情を察した少女は無邪気な笑顔で、

 「約束よ、先生!心夏が元気になったら、腕を組んで!一緒にデートしてね!心夏は先生のお嫁さんになるのが夢なんだからねっ!」
 「・・・お嫁さんかぁ・・・・」

意表を衝くような彼女の発言に、義明は少し戸惑った表情になったが、
「そうだね。」と、微笑み返した。

現実的には、無理な話なのかもしれない・・・
それでも、少しでも彼女の支えになれば・・・
義明は胸の内にある遣る瀬無い思いを隠すように、優しい笑顔で彼女を見つめる。
その笑顔に応えるように、零れんばかりの笑みを残して少女は病棟へ戻って行った。

彼女を見送ったは、軽く瞼を伏せると短く息をついて、また病棟へ戻る。


 その光景をずっと見てた。

 (・・・咲弥あいつのあんな笑顔かお・・・初めて見た・・・)

何だろう――?
この感じ。心ん中がきゅぅ・・・ってなる。


 病棟へ戻ってきた義明がエレベーターへ向かうところ、ふと視線を上げた先に、

 「・・・・保さん――?!」

「どうして病院ここに?」と、言いたげな表情で歩み寄ってきた。
その驚いた顔。さっきの穏やかな顔と全然違うじゃん。

 「どうしたんですか――?!」

え?ちょっと動揺してる――?いつものあの冷静な声じゃなかった。

 「・・・あ、いや・・・え・・・っと・・・検査、受けに来た・・・」

俺もどう接していいか。俺まで動揺してんの。愛想ない言い方・・・。

 「・・・・検査?」

に来た訳を聞いた咲弥こいつの顔つきが変わった。
俺は手にしてた封筒を見せた。
その封筒を受け取ると入ってた書類にさらっと眼を通しただけで、また書類を封筒に戻して、

 「ちょっと待ってて下さい」

そう言って咲弥は受付へ行って、事務員に何やら話しをしてる。
直ぐに帰ってきた咲弥が、

 「後で・・・・部屋で待ってます」

って、俺の耳許に囁くように言い残して、微笑みながらエレベーターへ向かってった。
その言い方。意味深な・・・それでいて冗談ぽくて、

 「――なっ・・・・!」
 
 (・・・咲弥こいつ・・・ムカつくっ!完全に俺のことバカにしてんだろっ!)

あからさまに俺って動揺してる。

 受付を済ませて暫くは時間掛かるかな・・・って、待合室で待ってたけど、ほんの数分後に呼ばれて
受付カウンターへ行くと事務員から説明があって、

 「橘先生が直接、先生のお部屋へ来てもらうように、ということでしたので・・・四階の各科医師室へ行かれて下さい」

解せない、解せないっ!
何で?!直接、部屋まで行かなきゃなんねぇの!咲弥あいつの微笑んだ顔がムカつく!
 
 (ほんっと!面倒くせぇ!)

に!四階の医師室へ向かった。


 エレベーターを降りると真正面はガラス張りで、下の階から吹き抜けになっていた。
行き交うのは白衣姿の医者ばかりで――なんか・・・場違いだよな。

左右に通路が分かれていて、

 「橘先生のお部屋は、四階、左側の通路を行かれて下さい」

と、補足を受けた。

 通路は吹き抜けのガラス窓から入ってくる光で明るかったけど、この独特の匂い・・・病院特有の匂いって感じで、あまりいい気分はしない。

 の医師室を探し出す。

“内科・外科専属医 橘 義明”―――表札を確認する。

 (専属医・・・って・・・どんだけの奴なんだよ・・・)

 軽くドアをノックする――

 「どうぞ――・・・」

声が聞こえて、恐る恐るドアを開けた。

 そんなに広くはないけど、窓から入ってくる陽射しで部屋は明るかった。専用のデスク?その上にはPCが置いてあって、本棚にはすっげーたくさんの医学関係の本やら、俺には理解できない内容の難しそうな本がきれいに整理して並べられてる。

 (几帳面な性格が出てるよなぁ・・・)

部屋の真ん中にソファが置いてあって、設備に関しては不足も無し!

 覗き見してるみたいに部屋に入ったら、PCに向かい合ってるの姿があった。

 「厄介なことになりましたね・・・」

呟くような言い方でPCに向かったままで言われた。

 「どうぞ、掛けて下さい」

PCの作業をしていた手を止めて、咲弥は向かい側のソファへ座った。
持っていた封筒を渡すように手を差し出すと、中の書類を取り出しながら、

 「検査を受けなければ、今後、貴方は好きなサッカーもできない・・・」

眼鏡越しの眼が俺を捕らえた。
少し長めの前髪の影から覗いてる切れ長の眸が俺を見てる。

眼を合わせられなかった。
見透かされそうな気がして・・・

があったから余計に自分を見られたくない。
あの時――
眠ってる自分に、そっとキスした。
それを俺は知ってる。

 (ひょっとして・・・こいつ、気付いてんの・・・?)


 「私としては、まだ激しい運動は控えて頂きたいところですが・・・」
やや強気な言い方をする。

その言葉に俺は伏せていた顔を上げて咲弥を見返す。
眼が――合った。

やんわりとした物腰で近寄って来て、俺が座ってるソファの背凭れに片手を置きながら耳許で囁くんだ。

 「私の一存で、今後のことが決まりますよ・・・」

 (・・・こいつ・・・っ・・・)

半分腹が立つのと、自分にはどうすることもできない苛立ちで、俺は思いっきり睨んでやった。

 でも、咲弥こいつも眼を逸らさない。

ゆっくりと、咲弥の唇が近づいてくる。
――この匂い・・・・
どこか懐かしい感じがして包み込むような優しい匂い・・・

俺の躰がピクって反応して顔を逸らした。顔、赤くなってんの気づかれたかな・・・?

 (も―・・・最悪っ・・・)

そんな俺を見つめたままで、

「・・・冗談ですよ・・・」

苦笑いしてまた耳許で囁く。

 「・・・ちっ、お前・・・汚ねぇ・・・・」

完全にからかわれてるみたいで、恥ずかしいのと悔しいのとでイラっとする――!

 「その代わり・・・」って、口調が変わった。
また自分のデスクの方へ行くと椅子に座って、持って来た書類に眼を通しながら続けた。

 「私の仕事の都合もありますが、貴方の学校への送迎は私がします。それと、しばらくは私の所へ泊まって下さい」

 「――はぁ・・・・ぁっ?」
「また?」って、言いたい気持ちを抑えた。

そう、それは前にも言われた――

 『貴方だけじゃない、貴方の周りの大切な人たちをも巻き込んでしまうことになる』

今の自分には成す術がないことは解ってる。
折れたくないけど、に従うしかねぇよなぁ。
を護る為・・・・

 「・・・分かったよ・・・・」

不貞腐れるよ、そりゃぁ・・・呟くように応えた。

白衣の胸のポケットに差し込んであったペンを取り出して、咲弥が何やら書類に記入している。
今は、そのペンの音だけがこの部屋に響いてた。

 「・・・あ!そうか――・・・あのさ、パソコン借りれっかな?」
思いついた。

一瞬、疑問に思った風な表情してたけど、デスクのPCに目線を移しながら、

 「院内ここのは専用に起動しているプログラムもありますので、私の自宅のだったら大丈夫ですけど――?」

「何か?」と聞きた気に俺を見る。

 「・・・いや、別に・・・そん時は借りるわぁ・・・」
はっきりとは応えなかった。

 「・・・分かりました。いつでも使って下さい。鍵も渡してありますので。それと・・・・」

書類に記入していた手先を止めて咲弥は俺の方を向き直って言う。

 「何なら、ベッドで眠っていても構いませんよ・・・・」

また――っ、からかっては苦笑いしてる!!

 「なっ・・・!ばぁかっ!お前なんか、そこら辺で野たれ死んでろっ!」

顔が真っ赤になるのが分かった。

 (・・・ほんっと!ほんっと!イラつくぅ!!)

そんな俺を見てまた苦笑いして、

 「照れてます?・・・保さん・・・可愛い・・・」

眼鏡の奥のキレイな眸が、ほんわり優しく笑った。

 「かっ・・・可愛いィ??お前、ほんっと!ふざけんなよっ!・・・・・・!」

って、――――

咲弥の柔らかい唇が・・・・

 「・・・・・・!」

また俺の唇をぉぉ―――っ!!

しかも!今度はご丁寧にも唇を優しくその舌先で開いて、滑らかに入れてくる。
突然のことに息ができなくなって苦しくなって、必死で咲弥の胸許を両手で押し返した。
僅かに離れた唇からぴちゃ・・・って濡れた音がした。

 「・・・さ・・咲・・・弥っ・・・・・」

少しだけ開いた隙間から息ができた。

のも束の間、強弱をつけて咲弥は唇を重ねてきて、その度にぴちゅ、ぴちゅ・・・って微かな音が聞こえてくる。
なんだろ・・・躰の力が抜けていくような、とろんとした感覚――
自分がどっか行っちゃいそう――な感覚。

 (やば・・・い・・・俺・・・・・!)

 「は・・・っ・・・咲・・・弥っ・・・て・・・!」

やっとの力で咲弥の肩を引っぺがした。
咲弥の息が耳許で聞こえてる。

 「・・・なら・・・誰も来ないのに・・・・」

――こいつ、何考えてんの?!・・・全然、分かんねっ!
崩れていきそうな自分と羞恥心との狭間で、俺は顔を伏せた。

 「・・・・お前・・・分かんない・・・・・・・」
 「・・・保さん・・・・」

少し緩んだ咲弥の躰を押し退けて立ち上がった。

 「帰る!」

顔も合わせられる状況じゃねぇ。とにかく、この場に居たくなかった。
急いで出て行こうってする俺の腕を掴んで、少しすまなそうな声音になって、

 「送ります・・・・」
 「いい!電車でも、何でも、自分で帰るっ!」

振り返った俺の表情は強張ってた。自分でも分かるくらい。


 本気で怒らせた――?
軽く瞼を閉じて一呼吸おいてから、しっかりと保を見つめる。

 「・・・・約束です――」

貴方の傍に居たい。
貴方を護る為に、私はここに居る――。

 

 咲弥の学校まで送ってもらった。

 の診断書が入った封筒を、職員室に居た藤本に届けに行ってから午後の部活に参加した。

とりあえずは・・・診断は〝OK〟が出たんだけどぉ・・・俺は複雑な心境だった。
何にせよ、好きなサッカーができればいいかぁ。


 風が出てきた――
夏の空が変わる。湧き上がる積乱雲の中を雷鳴が駆ける。
夕立が来る――
あの青い空と真っ白な積乱雲は見る影もなく、空には低く垂れ込めた黒雲が広がり、激しい雨が降り出してきた。

 サッカー部員たちは急いで片付けを済ませながらも雨に戯れている。
逆にこの激しい雨が、強い陽射しで火照った躰を冷やしてくれる。

 次々と部員たちが部室へ戻って来ると部室なかは一気に賑やかになる。
それぞれに身支度を整え帰宅を始めていた。

 雨と汗で濡れた髪を荒く拭きながら身支度している俺の横に来て、亮介が耳打ちする。

 「お前、検査どうだったよ?」
 「・・・あ?・・・あぁ、問題ねぇって。」

やけに俺の返答は無感情だった。
そんな俺の肩をポンと軽く叩いて、
「じゃぁな!」って亮介は先に帰ってった。

鍵当番になっていた俺は、最終チェックを済ませると傍にあったベンチに座って軽く一呼吸して、

 「宮下、お前、先帰ってて・・・後、俺しとくから・・・・」
 「え?・・・いいんすか?じゃぁ、先輩、お先っす!」

少し休んでこ。ロッカーに背凭れてくうを仰いだ。

 「・・・・止まねぇかな・・・・」

激しい雨の音を聴きながら、独り言をぼやく。

――雨が小降りになるまで・・・・
疲れた躰から力が抜けていく―――


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