煙みたいに残る Smoldering

梅室しば

文字の大きさ
上 下
1 / 23
一章 また初夏がやって来る

匠の記憶

しおりを挟む
 十七歳の夏だった。
 匠は高校の制服を着て、町民ホールに併設された剣道場にいた。広くはないが、気持ちの安らぐ居心地の良い所で、開け放たれた窓からは、青葉越しの涼しい風が入ってくる。匠は、入り口脇に作られた座敷に座って、稽古の様子を眺めていた。
 まだ顔も知らない婚約者の父親から道場に呼び出された時には、手合わせでも申し込まれるのかと覚悟して、防具一式を持参したのだが、着いてみると道場に淺井あざい家当主の姿はなく、肝心の稽古もほとんど終わった後だった。入り口の周りに、顔の火照ほてりが引かない幼い門下生が、スズメのひなのように押し合いへし合い、口を半開きにして匠を見上げている。
「淺井さんはどこかな」
と訊ねると、子ども達はちょっとの間、無言で顔を見合わせた後、やがて一人が「瑠璃先生の事じゃない?」と口にしたのを皮切りに、ぱらぱらと手を上げて道場の中央を指さした。
 まだ面を着けている門下生が試合形式の稽古を行っている。匠と同じくらい背が高いから、高校生か成人だろう。
 発声の違いで、打ち合っている二人の門下生の片方が女性だとわかる。彼女のたれには「淺井」の名札があった。
 道場を見渡したが、手空きの大人は見当たらない。挨拶もしていないのに、腰を下ろして待っているのも気が引けた。
 どうしたものか……、と突っ立って思案していると、奥にある用具入れの引き戸が開いて中学生くらいの少女が出てきた。さっぱりとしたショートヘアで、眼鏡をかけており、通気性の良さそうなスポーツウェアを着ている。
 彼女は、匠が事情を説明すると、父兄用に作られた入り口脇の座敷に通してくれた。座敷といっても、道場の床より一段高い所に畳を敷いただけの空間だったので、匠が自分の防具と竹刀袋を持ち込むとぎゅうぎゅうになってしまった。
「……ヤァーッ」
 しゃんと気勢を発して「淺井」の垂の門下生が大きく踏みこんだ。
 手首のわずかな動きで竹刀が跳ね上がる。その先端が、相手の籠手をとらえたが、当たった角度が良くなかったのか、審判の旗は上がらなかった。
 古今東西、美しい体躯と強靱な脚を兼ね備えた馬は、力の象徴としてときの権力者の垂涎の的となる。時には戦の火種にさえなり得る彼らの執着心を、匠はその時、少しだけ理解出来た気がした。
 乗馬の経験はなく、競馬場に足を運んだ事もなかったが、何度打たれても、体勢を崩されても、果敢に相手に向かっていく彼女の姿は、青々とした野をまっすぐに駆けていく駿馬のようなみずみずしさとまぶしさに満ちていた。自分の中に、馬という生き物が、こういう美しさの象徴としても存在している事を、匠は初めて自覚した。
 二分ほど経った所で、勝負が着いた。
 ぱこん、と小気味良い音がして、三人の審判が同時に白の旗を上げる。
 双方が竹刀を収め、礼をして試合を終えると、審判役の門下生も一緒に道場の隅に下がって面を外した。剣道の試合は先に二本取った方が勝ちだから、おそらく、匠がやってくる前に、白のたすきをつけた方の門下生が先に一本取っていたのだろう。
 匠の待ち合わせ相手は、師範代の所を回って講評を受けてから、駆け足で座敷にやって来た。
 そして、三歩ほど離れた所で立ち止まり、深々と頭を下げて待たせた事を詫びた。匠も慌てて腰を浮かせたが、それを見るや、彼女は一歩後ずさった。
「どうか、それ以上はご容赦を。……まだ汗が引いていないものですから」
 そのはにかんだ笑顔が、今でも鮮明に記憶に残っている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

光波標識 I find you.

梅室しば
キャラ文芸
【船でブラキストン線を跨いで北海道へ。「まがい魚」の呪いから友を救え。】 喉に『五十六番』と名付けられた妖を寄生させている大学生・熊野史岐には、霊視の力を持つ友人がいる。彼の名は冨田柊牙。ごく普通の大学生として生活していた柊牙は、姉の結婚祝いの為に北海道へ帰省した時、奇妙な魚の切り身を口にしてから失明を示唆するような悪夢に悩まされるようになる。潟杜から遠く離れた地で受けた呪いをいかにして解くか。頭を悩ませる史岐達に発破をかけたのは、未成年にして旧家の当主、そして『九番』と呼ばれる強力な妖を使役する少女・槻本美蕗だった。 ※本作はホームページ及び「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」「エブリスタ」にも掲載しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

お昼寝カフェ【BAKU】へようこそ!~夢喰いバクと社畜は美少女アイドルの悪夢を見る~

保月ミヒル
キャラ文芸
人生諦め気味のアラサー営業マン・遠原昭博は、ある日不思議なお昼寝カフェに迷い混む。 迎えてくれたのは、眼鏡をかけた独特の雰囲気の青年――カフェの店長・夢見獏だった。 ゆるふわおっとりなその青年の正体は、なんと悪夢を食べる妖怪のバクだった。 昭博はひょんなことから夢見とダッグを組むことになり、客として来店した人気アイドルの悪夢の中に入ることに……!? 夢という誰にも見せない空間の中で、人々は悩み、試練に立ち向かい、成長する。 ハートフルサイコダイブコメディです。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

処理中です...