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三章 裏庭に棲みついたもの
昔馴染み
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真波に連れて来られた別海医師と匠、そして柑乃が、縁側から姿を覗かせると、加邊は伸び上がるようにして、やあ、やあ! と別海に手を振った。
「久しぶり、なお──」
気やすく言いさして、別海に氷柱のような眼差しで睨まれ口をつぐむ。
「あら、お知り合いだったんですか?」
真波が気にした風もなく、ごく自然にそう訊くと、別海は鼻に皺を寄せたまま頷いた。
「この目で見るまでは、とても信じる気になれなかったがね。……そうかい、まだ生きていたかい」
「まるで幽霊みたいに言ってくれるね」加邊は苦笑し、真波に顔を向ける。「僕は昔、別海さんと同門で学んでいた事があるんです。ここに来た理由も、半分くらいは、彼女に会える事を期待したからでして」
「思い出話は後にしとくれ」ひどく疲れた様子で別海はため息をつき、柱に手をかけて体を支えながら外に出てきた。
「正直、こんな所で会いたくはなかったが、来てくれて助かったよ。──こちとら手詰まりでね」
別海が、つごもりさんの出現をきっかけに大晦日の佐倉川邸で起きた一連の怪奇現象について説明すると、加邊は裏庭のある方角を透かし見て眉をひそめた。
「ハリルロウの幼体か。それは厄介だ」
「そちらさんの妖に食べてもらう訳にはいかないかね。本を持ち出されるのは痛いが、極論、ハリルロウの毒さえ片付けば、あとはどうとでもなるんだ」
指で眉間を擦りながら、うつむき加減にそう語る別海の声には、色濃い疲労が滲んでいた。
匠も、少し離れた所にある庭石に腰を下ろしたきり、一言も喋らずにうなだれている。別海は「何度斃しても蘇るものだから手間取った」としか話さなかったが、変幻自在の、しかも強酸性の体を持つつごもりさんをたった一人で食い止める戦いは熾烈を極めたのだろう。
加邊が懐手をして考え込むような表情になると、それまで黙っていた柑乃が、
「恐れながら、それは難しいかと存じます」
と言った。
「つごもりさんを喰えなかった理由が瘴気であるのなら、それは、裏庭の虫の方がよほど濃い。それに……」
柑乃はそこで、もどかしげに唇を噛み、次に口を開いた時には少し心許なさげな声音になっていた。
「この言い方が正しいかどうか、わからないのですが、すべてのつごもりさんは繋がっている。床下か……、あるいはもっと深い地面の中で、一つになっているような気配を感じるのです」
「匠さんの仮説が当たっていたという事かい?」
別海が問うと、柑乃は首を振った。
「匠様がおっしゃったのは、離れた場所にいる個体でも、特殊な仕組みで痛みや危機を素早く伝達し合っている、という事ですよね。それも間違いではないと思うのですが、わたしが言いたいのは、何というか……、御屋敷の中を歩き回っているつごもりさんは『端っこ』なのではないか、という事です。
彼らの、生命体としての核は、あのヒト型の器の中にはない。最低限の中身しか入っていないから、潰されても、すぐに次のつごもりさんを生み出す事が出来る」
訥々と語る柑乃の言葉を、よく似た角度で顔を傾けて聞いていた匠と利玖が、ああ、と呟いて同時に眉を開いた。
「そうか、菌糸のような……」
「ええ。溜め込んだ養分が、そちらにまだたっぷりあるのだとすれば、無尽蔵に子実体を増やす事も不可能ではありません。……ああ、なるほど、だから最初は書庫の方に……」
兄妹はしばらく、ぶつぶつと低い声で会話をしていたが、やがて、柑乃を含めた他の面々が戸惑った様子で自分達を遠巻きに眺めている事に気がついた。
「つまりですね」疲労困憊の匠に代わって、利玖が立ち上がる。「つごもりさんの本体は、もっと巨大で、しかも地中にある可能性が高いという事です」
「本体?」柊牙が訝しげに復唱する。「本体は、ハリルロウだろう?」
「いえ。ハリルロウは、いわば司令塔。柑乃さんがおっしゃっているのは、つごもりさん達自身にも、もう一つ別の姿があるという事です」
「久しぶり、なお──」
気やすく言いさして、別海に氷柱のような眼差しで睨まれ口をつぐむ。
「あら、お知り合いだったんですか?」
真波が気にした風もなく、ごく自然にそう訊くと、別海は鼻に皺を寄せたまま頷いた。
「この目で見るまでは、とても信じる気になれなかったがね。……そうかい、まだ生きていたかい」
「まるで幽霊みたいに言ってくれるね」加邊は苦笑し、真波に顔を向ける。「僕は昔、別海さんと同門で学んでいた事があるんです。ここに来た理由も、半分くらいは、彼女に会える事を期待したからでして」
「思い出話は後にしとくれ」ひどく疲れた様子で別海はため息をつき、柱に手をかけて体を支えながら外に出てきた。
「正直、こんな所で会いたくはなかったが、来てくれて助かったよ。──こちとら手詰まりでね」
別海が、つごもりさんの出現をきっかけに大晦日の佐倉川邸で起きた一連の怪奇現象について説明すると、加邊は裏庭のある方角を透かし見て眉をひそめた。
「ハリルロウの幼体か。それは厄介だ」
「そちらさんの妖に食べてもらう訳にはいかないかね。本を持ち出されるのは痛いが、極論、ハリルロウの毒さえ片付けば、あとはどうとでもなるんだ」
指で眉間を擦りながら、うつむき加減にそう語る別海の声には、色濃い疲労が滲んでいた。
匠も、少し離れた所にある庭石に腰を下ろしたきり、一言も喋らずにうなだれている。別海は「何度斃しても蘇るものだから手間取った」としか話さなかったが、変幻自在の、しかも強酸性の体を持つつごもりさんをたった一人で食い止める戦いは熾烈を極めたのだろう。
加邊が懐手をして考え込むような表情になると、それまで黙っていた柑乃が、
「恐れながら、それは難しいかと存じます」
と言った。
「つごもりさんを喰えなかった理由が瘴気であるのなら、それは、裏庭の虫の方がよほど濃い。それに……」
柑乃はそこで、もどかしげに唇を噛み、次に口を開いた時には少し心許なさげな声音になっていた。
「この言い方が正しいかどうか、わからないのですが、すべてのつごもりさんは繋がっている。床下か……、あるいはもっと深い地面の中で、一つになっているような気配を感じるのです」
「匠さんの仮説が当たっていたという事かい?」
別海が問うと、柑乃は首を振った。
「匠様がおっしゃったのは、離れた場所にいる個体でも、特殊な仕組みで痛みや危機を素早く伝達し合っている、という事ですよね。それも間違いではないと思うのですが、わたしが言いたいのは、何というか……、御屋敷の中を歩き回っているつごもりさんは『端っこ』なのではないか、という事です。
彼らの、生命体としての核は、あのヒト型の器の中にはない。最低限の中身しか入っていないから、潰されても、すぐに次のつごもりさんを生み出す事が出来る」
訥々と語る柑乃の言葉を、よく似た角度で顔を傾けて聞いていた匠と利玖が、ああ、と呟いて同時に眉を開いた。
「そうか、菌糸のような……」
「ええ。溜め込んだ養分が、そちらにまだたっぷりあるのだとすれば、無尽蔵に子実体を増やす事も不可能ではありません。……ああ、なるほど、だから最初は書庫の方に……」
兄妹はしばらく、ぶつぶつと低い声で会話をしていたが、やがて、柑乃を含めた他の面々が戸惑った様子で自分達を遠巻きに眺めている事に気がついた。
「つまりですね」疲労困憊の匠に代わって、利玖が立ち上がる。「つごもりさんの本体は、もっと巨大で、しかも地中にある可能性が高いという事です」
「本体?」柊牙が訝しげに復唱する。「本体は、ハリルロウだろう?」
「いえ。ハリルロウは、いわば司令塔。柑乃さんがおっしゃっているのは、つごもりさん達自身にも、もう一つ別の姿があるという事です」
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