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三章 裏庭に棲みついたもの
つまみ食い
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寺の住職や、その場にいた知り合いとの談笑もひと通り終えて、帰る時間を知らせる為に屋敷に電話をかけたが誰も出ず、匠や利玖の携帯電話にかけても応答がなかった為、これは何か起きたのでは、と急いで引き返してきたのだと真波は語った。
「こちらは、加邉辰治さん」
娘と友人達の無事を確かめて、真波はほっとした顔で後ろの男に手を差し向けた。
「たまたまお寺でお会いしたのですけれど、書庫の事をご存じで、妖絡みの事情だったら力になれるかもしれないと一緒に来てくださったの」
加邉と呼ばれた男は、柔和な笑みを浮かべて会釈をした。
着流しに黒の外套という古めかしい出で立ちだが、顔には奇妙な若々しさがある。性別によらず、思わず目を惹き付けられるような瑞々しさのある面立ちの中で、瞳だけが、幾百年も風雨を凌いだ古木のような老成した雰囲気を湛えていた。
加邉と利玖達を引き合わせた真波は、匠と別海を呼ぶ為に屋敷の中に戻っていき、仔細のわからない妖を除いて四人だけになった所で、加邉は、ずっと片目を押さえている柊牙に目を向けた。
「君か?」
問われて、柊牙は怪訝そうに顔を上げる。
「君か……、って、何がですか?」
「硝子を割る前に、カリネが警告しただろう。カリネっていうのは、そこで、食事をしている妖だけど」
カリネと呼ばれた半人半鳥の妖を見て、柊牙は、ああ、と呟いて愁眉を開いた。
「あれは、そういう……。そうか、なるほど、合点がいった」
史岐が肘で小突いて、ちゃんと説明しろ、と顔で促すと、柊牙は苦笑しながら話を続けた。
「いや、さっき、硝子が割れる前にお前を引っぱって逃がしただろ? ──見えたんだよ。その窓が割れて、お前に破片が降りかかる所が。ついに未来まで見えるようになったかと思って焦ったが……」
「君が見たのは、厳密には未来の出来事じゃない」加邉がゆったりと言った。「最短経路で助けに入るには窓を破るしかなかったが、割れた硝子をもろに浴びたら大怪我をしてしまう。
かといって、こちらが叫んで届く距離まで近づくのも悠長過ぎると思ったから、妖であるカリネに特殊な警報を発させたんだ。あの中では、君が、最も危機を察知する能力に長けていたみたいだね」
加邉はそこで一旦言葉を切り、興味深そうに柊牙の顔を見つめた。
「もっとも、かなり希有な受け取り方をされたみたいだけど」
「俺の目は普通じゃないんです」
慣れた様子で柊牙が言った時、背後でつごもりさんを啄んでいたカリネが、ふいに顔を歪め、グ、グッと苦しそうにえずき始めた。
「あらら、駄目か」加邉が歩み寄って、カリネの頭に、ぽんと手を置いた。「ありがとう、もう休んでおいで。不味い物を食べさせてすまなかったね」
カリネは頷くと、しなやかな強さで背中を反らせ、翼を二、三度はばたかせて舞い上がった。
そして、そのまま気流に乗り、風の中に溶け込むようにしてその姿を消した。
「普段は何でも食べてくれる子なんだけどね」カリネが去った方向に手をかざし、愛おしそうに目を細めながら加邉が言う。「さすがに活性化している瘴気は無茶だったか」
「あの……」史岐は、加邉の前に進み出て頭を下げた。「助けて頂いて、ありがとうございました。別海先生に頂いた矢も使い切ってしまって、あれ以上抵抗されたら、本当に打つ手がない状況で」
加邉は、ふいっと史岐に目を向け、何か愉快な事を思い出したように口元を緩めた。
「よい顔立ちをした子だとは思っていたけど、本当に男前になったね」
言われた事の意味がわからずに史岐がぽかんとしていると、柊牙が真面目くさった口調で、
「よく言われています」
と言った。
「なんでお前が答える……」
「顔が良いのは本当なんだから、素直に礼言っときゃいいんだよ」
ため息をついて、再び加邉に目を戻すと、彼は打って変わって険しい表情で史岐に顔を近づけてまじまじと凝視していたので、史岐はぎょっとした。
「……血の気がないね」加邉の瞳は、近くで見るとカリネとよく似た薄い鳶色だった。「もしかして、貧血みたいな症状がある?」
「え?」史岐は目を瞬かせ、それから頷く。「あの、でも、そんな深刻なものではありません。妖と一対一でやり合うなんて慣れない事をしたから、疲れただけだと思います」
「それもあるかもしれないけど……」
加邉は話しながら懐を探って、栓のついたボトルを取り出した。
手のひらにすっぽりと収まるほど小さい。飲み物を入れて持ち歩く為の道具のようだが、硝子の色が濃く、中身の様子は判然としなかった。
「お酒は飲める?」
訊かれて、史岐が頷くと、加邉はボトルを渡して飲むように促した。
栓を開けると、複雑に入り混じった何種類もの薬草の匂いがしたが、口に含むと思いのほか爽やかな風味があり、飲むうちに、かすかに胸を圧していた息苦しさが消えた。
「滋養の薬酒だよ」史岐から返されたボトルを懐に仕舞いながら加邉が言う。「さっきはああいう見た目だったけど、カリネはちゃんと人の姿にもなれるんだ。むしろ、普段は完璧にヒトの少女に化けている。僕と一緒に行動しているからね。それで、さっき君を見つけて、たぶん……」
そこで加邉が口ごもり、気まずそうに利玖をちらっと見たので、利玖は加邉が何を言おうとしているのか朧気に察して片手を上げた。
「ご心配なく。わたしは大学で生物学を専攻しています。多少の生々しい話題については耐性があるつもりです」
「ああ、そうなの? ありがとう」加邉は微笑む。「それじゃ、身も蓋もな言い方をさせてもらうと、カリネは男の精気を餌にしているんだ。いつもは僕で事足りるんだけど、今日は、初めて来る場所で、荒っぽい真似をさせたから、その……、滅多にいない美丈夫を見かけて、つまみ食いをしたくなったんじゃないかな。いや、どうも、すまなかったね」
「こちらは、加邉辰治さん」
娘と友人達の無事を確かめて、真波はほっとした顔で後ろの男に手を差し向けた。
「たまたまお寺でお会いしたのですけれど、書庫の事をご存じで、妖絡みの事情だったら力になれるかもしれないと一緒に来てくださったの」
加邉と呼ばれた男は、柔和な笑みを浮かべて会釈をした。
着流しに黒の外套という古めかしい出で立ちだが、顔には奇妙な若々しさがある。性別によらず、思わず目を惹き付けられるような瑞々しさのある面立ちの中で、瞳だけが、幾百年も風雨を凌いだ古木のような老成した雰囲気を湛えていた。
加邉と利玖達を引き合わせた真波は、匠と別海を呼ぶ為に屋敷の中に戻っていき、仔細のわからない妖を除いて四人だけになった所で、加邉は、ずっと片目を押さえている柊牙に目を向けた。
「君か?」
問われて、柊牙は怪訝そうに顔を上げる。
「君か……、って、何がですか?」
「硝子を割る前に、カリネが警告しただろう。カリネっていうのは、そこで、食事をしている妖だけど」
カリネと呼ばれた半人半鳥の妖を見て、柊牙は、ああ、と呟いて愁眉を開いた。
「あれは、そういう……。そうか、なるほど、合点がいった」
史岐が肘で小突いて、ちゃんと説明しろ、と顔で促すと、柊牙は苦笑しながら話を続けた。
「いや、さっき、硝子が割れる前にお前を引っぱって逃がしただろ? ──見えたんだよ。その窓が割れて、お前に破片が降りかかる所が。ついに未来まで見えるようになったかと思って焦ったが……」
「君が見たのは、厳密には未来の出来事じゃない」加邉がゆったりと言った。「最短経路で助けに入るには窓を破るしかなかったが、割れた硝子をもろに浴びたら大怪我をしてしまう。
かといって、こちらが叫んで届く距離まで近づくのも悠長過ぎると思ったから、妖であるカリネに特殊な警報を発させたんだ。あの中では、君が、最も危機を察知する能力に長けていたみたいだね」
加邉はそこで一旦言葉を切り、興味深そうに柊牙の顔を見つめた。
「もっとも、かなり希有な受け取り方をされたみたいだけど」
「俺の目は普通じゃないんです」
慣れた様子で柊牙が言った時、背後でつごもりさんを啄んでいたカリネが、ふいに顔を歪め、グ、グッと苦しそうにえずき始めた。
「あらら、駄目か」加邉が歩み寄って、カリネの頭に、ぽんと手を置いた。「ありがとう、もう休んでおいで。不味い物を食べさせてすまなかったね」
カリネは頷くと、しなやかな強さで背中を反らせ、翼を二、三度はばたかせて舞い上がった。
そして、そのまま気流に乗り、風の中に溶け込むようにしてその姿を消した。
「普段は何でも食べてくれる子なんだけどね」カリネが去った方向に手をかざし、愛おしそうに目を細めながら加邉が言う。「さすがに活性化している瘴気は無茶だったか」
「あの……」史岐は、加邉の前に進み出て頭を下げた。「助けて頂いて、ありがとうございました。別海先生に頂いた矢も使い切ってしまって、あれ以上抵抗されたら、本当に打つ手がない状況で」
加邉は、ふいっと史岐に目を向け、何か愉快な事を思い出したように口元を緩めた。
「よい顔立ちをした子だとは思っていたけど、本当に男前になったね」
言われた事の意味がわからずに史岐がぽかんとしていると、柊牙が真面目くさった口調で、
「よく言われています」
と言った。
「なんでお前が答える……」
「顔が良いのは本当なんだから、素直に礼言っときゃいいんだよ」
ため息をついて、再び加邉に目を戻すと、彼は打って変わって険しい表情で史岐に顔を近づけてまじまじと凝視していたので、史岐はぎょっとした。
「……血の気がないね」加邉の瞳は、近くで見るとカリネとよく似た薄い鳶色だった。「もしかして、貧血みたいな症状がある?」
「え?」史岐は目を瞬かせ、それから頷く。「あの、でも、そんな深刻なものではありません。妖と一対一でやり合うなんて慣れない事をしたから、疲れただけだと思います」
「それもあるかもしれないけど……」
加邉は話しながら懐を探って、栓のついたボトルを取り出した。
手のひらにすっぽりと収まるほど小さい。飲み物を入れて持ち歩く為の道具のようだが、硝子の色が濃く、中身の様子は判然としなかった。
「お酒は飲める?」
訊かれて、史岐が頷くと、加邉はボトルを渡して飲むように促した。
栓を開けると、複雑に入り混じった何種類もの薬草の匂いがしたが、口に含むと思いのほか爽やかな風味があり、飲むうちに、かすかに胸を圧していた息苦しさが消えた。
「滋養の薬酒だよ」史岐から返されたボトルを懐に仕舞いながら加邉が言う。「さっきはああいう見た目だったけど、カリネはちゃんと人の姿にもなれるんだ。むしろ、普段は完璧にヒトの少女に化けている。僕と一緒に行動しているからね。それで、さっき君を見つけて、たぶん……」
そこで加邉が口ごもり、気まずそうに利玖をちらっと見たので、利玖は加邉が何を言おうとしているのか朧気に察して片手を上げた。
「ご心配なく。わたしは大学で生物学を専攻しています。多少の生々しい話題については耐性があるつもりです」
「ああ、そうなの? ありがとう」加邉は微笑む。「それじゃ、身も蓋もな言い方をさせてもらうと、カリネは男の精気を餌にしているんだ。いつもは僕で事足りるんだけど、今日は、初めて来る場所で、荒っぽい真似をさせたから、その……、滅多にいない美丈夫を見かけて、つまみ食いをしたくなったんじゃないかな。いや、どうも、すまなかったね」
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