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三章 裏庭に棲みついたもの

蛹化

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「しかし、わからないね」別海が唸った。「眼すら持たないつごもりさんが本を集めていたのは、ハリルロウの餌にする為。彼らの間には主従のような関係があり、つごもりさんはハリルロウの意思の下、本の回収をさせられていた。──ここまでは筋が通る。
 しかし、ハリルロウが生息する地下水脈の底では、人間の作った本などまず手に入らない。なぜ、そんなものを餌にしている?
 それに、今まではこちらが用意した古本を使っていたのに、どうして今年はそれを無視して、わざわざ御屋敷の中から本を持ち出しているんだろうね」
「一つ目の問いには、おそらく答えられます」匠は別海達から顔をそむけて煙を吐いた。「一度、蛹になってしまうと、羽化して脚や翅を手に入れるまで、自らの意思では場所を移る事が出来ません。その間、風雨や多少の衝撃に耐えうる頑丈な支柱──専門用語では『帯糸たいし』と呼ぶのですが──そういうもので、体を繋ぎ止めておく必要があります。
 終齢幼虫が帯糸を紡ぐ時の必死さといったら、一種、異様とも呼べるほどで、何度も上体を反らせて強度を確かめながら糸を吐き続け、より合わせて、丈夫なワイヤのように仕立てていくんです。莫大なエネルギィを消費する事は想像にかたくない。変換機構についてはわかりかねますが、その時にだけ、本という特殊な栄養源が必要になるのではないでしょうか」
「なるほどね……」別海は頷いたが、表情は険しいままだった。「いわゆる『古本』では変換効率が悪いのか、もっと別の理由があるのか……、いや、それは、ここで議論していても答えの出る事じゃないか」
「しかし、基準がわかりませんね」匠は眉間に皺を寄せ、顎で木立の方を示した。「あの本の山の中には、使いさしのノートも、何年も前のカレンダーもありました。僕達が用意した古本と比べて、著しく傷みが少ないというわけでもない。文字が書いている紙であれば何でもいいのかもしれませんが、それならば、なぜ……」
 言葉を切って考え込んでいる匠の横顔を見ているうちに、史岐は、ふと違和感を覚えた。
 匠も、それに別海医師も、羽化したハリルロウの毒によって土地が汚染される事よりも、屋敷から次々と本が持ち出されている事の方が、より差し迫った危機だと捉えているような気がしたからだ。
 ハリルロウの羽化と同時に毒がまき散らされる事はわかっているのだから、もとの居場所に戻す事が出来ないとわかった時点で、次に考えるべきは、いかに手際よく駆除を行うか、という事ではないのか。自力では動く事すら出来ない妖の幼体一匹、柑乃がいれば容易く屠れるだろうに……。
 そう思った時、ちょうど、匠が顔を上げて柑乃を呼んだ。
「今、屋敷の中にはどれだけ残っている?」
「三体います」
「三体?」利玖がびっくりしたように声を上ずらせる。「増えていませんか」
「最初の報告では外に一体、中に三体で、今、あそこにいるのが二体だから……、ああ、本当だ」指に挟んだ煙草を振りながら数えていた匠が、ぐっと鼻に皺を寄せた。「そうか。まずいな」
「どうする。こちらから打って出るかね」別海が低い声で訊ねる。
「そうしたい所ですが、戦力不足です」匠は再び煙草を口もとに運んだ。「つごもりさんに指示を与えているのがハリルロウだとすれば、不測の事態に備えて、一人はここに残しておきたい。場数を踏んでいる柑乃が適任です。
 僕らは、彼女の助力なしで屋敷の中にいるつごもりさんに対処する事になりますが、三体となると、僕と別海先生で一体ずつ引き受けるとしても手が足りない。取り逃した一体が利玖達を襲う可能性があります。
 事前に、つごもりさんが立ち寄らなさそうな場所を柑乃に探らせておいて、戦えない要員はそちらに避難させておくという手もありますが──」
 匠は、言葉を切ると、指先で煙草をもてあそびながら考え込み、しばらく経ってからゆっくりと首を振った。
「……いや、やはり、それも安全ではない。
 あれらは、ハリルロウという本体から命令を与えられて動いている、いわば端末です。どれか一体でも危機を感知した時には、リアルタイムでそれを共有するネットワークのような物があるかもしれない。
 もし、そうだとすれば、僕か別海先生が一体でも攻撃した瞬間に、残りのつごもりさんが一斉に変異を遂げて、積極的にヒトに危害を加えようとする可能性がある」
「一気呵成に畳み掛けるのが理想だが、それが無理だとしても、ある程度持ちこたえられるだけの防衛手段は全員が持っていた方が良い、という事だね」別海が言葉を引き取ると、匠は無言で頷いた。
「あの」史岐は思い切って発言した。「先に、本体のハリルロウを叩くというのは駄目なんでしょうか。うまく行けば、屋敷の内外合わせて五体の動きを同時に止められます。本を集めて裏庭に運ぶという命令が書き換え不可能なものであっても、ハリルロウさえ消してしまえば、これ以上、本を失わずに済む」
「本体との交信が途絶えた時に作動する、エラーハンドリングのような仕組みがあるかもしれない」匠がすぐに答える。「端末だ。史岐君。彼らは、実体のない電気信号ではないんだよ。そういうルーティンさえあれば、道具でも何でも使って、僕らに危害を加える事が出来る」
「あ、そうか……」史岐は顎をつまんで片目を細めた。
 言い分としては、筋が通っているように思えたが、しこりが残ったような感覚は消えていない。彼の専門の生物学ではなく、わざわざ情報工学の分野に寄せて説明したのも、何か、煙に巻くような意思が感じられて引っかかった。
 しかし、史岐が次の質問を思いつく前に、別海が口を開いた。
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