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二章 古本を蒐集する妖

打って出る

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 消えた本は二冊だけではなかった。
 史岐達が居間に戻るのとほぼ同時に、顔面蒼白の利玖が駆け込んできて、正月の間に読もうと思っていた本が見当たらない、と訴えた。
『年末年始は図書館も開いていないでしょ』
と真波が先手を打って借りてきた、シリーズ物の長編歴史小説で、帰省した最初の日に自分の部屋の入り口近くに積まれている場面は目にしたが、その後は何やかやと忙しく動き回っていて一度も読む時間が取れなかった為、外に持ち出されている事はありえない、という。
 その話を聞き終えた所で、匠が、自分の書棚からも過去に使っていたシステム手帳がなくなっている、と明かした。
「僕の場合、利玖や史岐君達と違って、何年も棚の隅に押し込んでそのままにしていたから、母さんが見かねて処分したのかもしれないけど」
「真波さんは、勝手に子どもの持ち物を捨てるような人じゃないよ」別海が険しい顔で首を振る。「これは、つごもりさんとまったく関係のない事だとは、ちょっと考えられないね」
「どうして蔵の本には手をつけないんでしょうか」利玖はずっと眉間に皺を寄せている。「新しい物の方が良い、という事ですか?」
「俺の詩集は相当古いよ。汚れもあるし、ページが破れている所もある」と柊牙。
「それを言うなら、図書館で借りてきた本だって新品だとは言えない」匠が口もとを手で押さえたまま、くぐもった声で言った。自分達を取り巻く状況について、頭の中でいくつもの推論を立て、高速で比較検討しているのだろう。「これは、家の中にある本が狙われているな……」
「柑乃さんからは報告がないのですか? なくなった本が、どこかに集められている様子は?」
 匠が黙って首を振ると、利玖は、ぐっと唇を結んで柊牙に向き直った。
「柊牙さん。ご自身で買われた本なら、行方を追えますか」
「自分の所有物かどうかに限らず、詳しい特徴がわかっていれば、ある程度は絞り込める」柊牙はゆっくりと答え、革紐が巻かれた手首を見せた。「もちろん、これがなければ、の話だけど」
「わかりました」頷くと、利玖は傍らで身を乗り出して何か言おうとしている兄に向かって、まっすぐに手のひらを突きつけて制した。「敵の正体がわからない今、唯一、まともに戦える柑乃さんに、本の捜索をお願いする事は出来ません。柑乃さんには引き続き、索敵と哨戒を続けてもらい、それと並行して、わたし達で本の行方を探るのが得策と考えます」
「駄目だ」匠は首を振る。「大人数でまとまっている事で安全を確保するという方針と矛盾する。たかが──」
「たかが本の為にそこまでの危険は冒せない、と?」
 兄の言葉を引き取った利玖は、ぎらぎらと底光りする目で兄を睨んだ。
「それこそが矛盾です。我々が何代にもわたって、固い地盤で覆い隠してまで守り続けてきたものに、兄さんは、価値がないとおっしゃるのですか?」
 脇で聞いていた別海が、利玖の言い分に興をそそられたように唇の端に笑みを浮かべるのを見て、匠が「先生……」と困り果てた声色で懇願する。
 この男にも頭の上がらない相手はいるのだな、と史岐は妙な所で感動を覚えた。
「失礼」別海は咳払いをして、笑みを収めた。「しかし、利玖お嬢さんのおっしゃる事ももっともだと思うがね。どのみち、イレギュラな事態である事には変わりがない。なくなった本がどうなっているかわかれば、柑乃の仕事も、幾らかはやり易くなるかもしれないよ」
「しかし、まじないを解くという事は、彼にここで過去視を行われる危険を見過ごすという事ですよ」
「それは単に、やろうと思えば出来るようになる、というだけさ。客としてもてなしを受けている以上、断りなく異能の力を使う事は許されない。その取り決めは変わらないよ。……それに、史岐君」
 急に呼ばれて、史岐は、はたと顔を上げた。
「そういう真似をさせない為にお前さんがいるんだろう?」
「え……」
 持ち去られた学術書を傷つけずに、しかも、利玖や匠に表紙を見られる前に取り戻すにはどうすれば良いか、その事ばかりを考えていた史岐は、緊迫した状況から著しく乖離した反応速度で頷いた。
「あ、はい……。そうですね」
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