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一章 佐倉川家の年越し

まじないの革紐

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 大急ぎで屋敷へ取って返すと、台所に母の姿はなく、代わりに玄関の方から歓談する声が聞こえた。
 ベンチコートを着たままなのも忘れて最短距離で走って行くと、今着いたばかりなのだろう、まだ靴も脱がずに三和土たたきに立っている三人の客人を母と兄が出迎えている所だった。兄・佐倉川匠は今朝から各所の重労働を任されて別行動を取っていたので、顔を見るのは半日ぶりである。
「あら、お帰り」
 母は振り返ると、目の前に並んだ客人──すなわちべっかいおみくま、そして、なぜか史岐の後ろに立っているとみしゅうを手で示した。「別海先生達、ちょうど今、お着きになった所よ」
「あ、はい」利玖は上の空で頷く。「あけましておめでとうございます」
「おや、まあ」別海が可笑しそうに口を隠して笑った。褪せた白の着物に、こきいろのこっくりとした長羽織を合わせている。「年明けには一日早いよ。どうしたい、ずいぶんな慌てなさっているね」
「いえ……」
 利玖はマフラーをずらして、喉の奥でひりひりと熱くなっている息を整えた。
 もし、書庫に現れたモノが人間に害なす存在だとしたら、事は一刻を争う。母が接待を終えて一人になるのを待っている余裕はない。
 しかし、寒空の下、何時間もかけてこんな辺鄙へんぴな山奥まで来てくれた別海達に、旅の疲れも癒えぬうちから新たな心配事を与えて気を揉ませるのも躊躇ためらわれた。
「すみません。外出着のまま来てしまいましたので、また、後ほどご挨拶に伺います」利玖は小声で言いながら後ずさった。「失礼します」
 ぺこんと一礼して走り去っていく娘の後ろ姿を見送ると、真波は頬に手を当てて、ふっとため息をついた。
「本当に、いつも何やかやとせわしない子で。皆さんも振り回されっぱなしでしょう? ごめんなさいね」
「いえ、まったく、そんな事は」史岐が高速で首を振る。
「年上の僕ら相手でも、物怖じせずに牽引けんいんしてくれて心強いですよ」柊牙がよそ行きの一人称で答えた。
「どうも、ありがとう」真波は微笑み、うやうやしく頭を下げた。「あらためまして、この度はようこそおいでくださいました。匠と利玖の母の、真波と申します。生憎と主人は仕事で同席が叶いませんが、わたしが代わって皆様をおもてなしさせて頂きます。どうぞ、ゆっくりなさってくださいね」
 話し終えると、真波は史岐に向かって右手を差し出した。
 ぎこちない動きで史岐がそれを握り返す傍らで、匠も同じように柊牙に向かって手を伸ばす。
「よろしくね」
「はい」柊牙はにこやかに応じた。「よろしくお願いしま──」
 その時、匠の空いている片手が目にも留まらぬ速さで動き、柊牙の手首に革紐のような物を巻きつけた。
「お?」
 柊牙は驚いて手を引っ込め、すぐに革紐を外そうとした。
 だが、それはきつく締まっているわけでもないのに、奇妙な力で手首にくっついて、両端を繋いで輪を作っている金具も、どういう原理で噛み合っているのか、いくら力を加えてもびくともしない。
「何だこれ。全然外れん」
 状況の割に声は楽しそうな柊牙を見て、匠は呆れたように腰に手を当てた。
「君の霊視を封じるまじないだよ。この家の者の許可がないと、外せない」
「ごめんなさいねえ」相変わらずおっとりとした声で真波が言った。「わたしは気が進まなかったんだけど、うちを訪ねて来られるお客様の中には、他人に知られては困る事情をお抱えの方も大勢いらっしゃるから、どうしても保険は必要でね」
 懲りずにがちゃがちゃとやっている柊牙を横目で見ながら、史岐はおずおずと、真波に「あの」と声をかけた。
「僕はいいんでしょうか。その、霊視は出来ませんけれど」
「熊野君の分もあるよ」焼き立てのカップケーキでもすすめるような気軽さで、真波は自分の懐からもう一本の革紐を取り出した。「つける?」
「あ、いえ、遠慮しておきます」
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