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二章 温泉郷の優しき神

オカバ様がもたらしたもの

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 梓葉達が訪ねてくる事はわかっていた。
 だから、旅館に戻って、夕食の時間まで各自、館内を散策するなり部屋でくつろぐなり、好きなように過ごしていいと言われた後も、利玖は外出着のまま、部屋を出ずに待っていた。
 とはいえ、具体的な訪問時間を知らされていない状況で漫然と時が過ぎるのを待つのも退屈なので、急須をゆすぎ、茶葉を取り替え、沸き立ての湯をたっぷりと注いで、それとは別に三つの湯呑みにそれぞれ白湯を注いで器を温めていると、ちょうど部屋の扉がノックされた。
 ドアスコープを覗くと、予想通り、梓葉と鶴真が立っている。梓葉の方はさっきと同じ服装だが、鶴真は旅館関係者である事がわからないようにする為か、黒のキャップと市販のジャケットを身に着けていた。
 利玖はロックとチェーンを外して扉を開ける。
「こんばんは」
「お疲れの所、ごめんなさい」梓葉は深く頭を下げた。「利玖さんに、折り入ってお話ししたい事があります」
「はい。お待ちしておりました」利玖は扉を引き、二人を和室の方へ招いた。「どうぞ奥へ。ちょうどお茶が入った所です」
 利玖は、くるりと踵を返すと和室に戻って、手際よく三つの湯呑みに茶を注いだ。茶櫃の蓋を開けると、つやのある木製の茶托が見つかったので、それに乗せて梓葉と鶴真の前に置く。ついでに干菓子の一つや二つ入っていないかと底の方を探ってみたが、見つからなかった。お茶請けに使えそうな物は、部屋に入った時、最初に机に置かれていた酒饅頭が一つだけ。
 利玖はビニルの包装をぺりぺりと剥いで、かぶりついた。超自然的な体験をして疲れ切った体に餡子の甘さがじんわりと染み渡る。
「……思うに」
 酒饅頭を食べ終えると、利玖は切り出した。
「あの樹は、オカバ様への信仰に深く関わっている。オカバ様が樺鉢温泉にもたらした命を養う果実というのは、あの樹に実る物ではないのですか?」
「……適わないわね」
 梓葉が苦い笑みを浮かべて、湯呑みを置いた。
「その通りです。あれは──」
「待った」話し始めようとした梓葉を、利玖は手で制する。「まずはお茶を飲んでください」
 その途端、梓葉は冷ややかな表情になって利玖を睨んだ。
「利玖さん。押しかけておいて、一方的にこんな事を申し上げるのはおこがましいにも程がある真似だと重々承知しています。けれど、これは二、三日かけてゆっくりと考えていただけるような話じゃないの」
「梓葉さん」
 穏やかな声で、鶴真が梓葉を止めた。
「佐倉川さんの言う通りです。まずは、私達が落ち着かなければ」
「でも、鶴真……」
 鶴真は目元を和らげて湯呑みを持った。
「このお茶、とても華やかに茶葉の香りが立っています。あらかじめお湯を用意して湯呑みを温めておいてくれたのでしょう。ここまで手間をかけてもてなして頂いたのに、こちらの気が急いているからという理由で突っぱねる方が無礼です」
 褒めてもらったので、とりあえず利玖はぺこんと頭を下げる。
「喉が冷え切っていると出てくる言葉にも棘が混じる……、とは母の談です。ですので、佐倉川家では何かと理由をつけて、会談の場に淹れ立ての茶を間に合わせようと苦心するわけです」
「なるほど、至言ですね」
 梓葉はまだ眉根を寄せていたが、鶴真に促されて、やっと湯呑みに口をつけた。
 一口、二口と飲むうちに徐々に頬に赤みがさし、やがて、彼女本来の自然な可憐さが戻ってきた。
「すごい……。わたしも自分の部屋で飲んでいるけれど、まったく違う銘柄みたい」
「それはよかった」利玖は小首をかしげて微笑む。「わたしなりのウェルカム・ドリンクです」
 それを聞き、梓葉はきょとんとした後、ふいに鶴真を見上げて「ふっ……!」と吹き出した。
「そう……、そうよね、鶴真」湯呑みを置き、観念したように首を振る。「小手先でどうこうしようとするのはやめましょう。利玖さんに寝業ねわざは通用しないわ」
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