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一章 冬至の招き
四〇九号室
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三十分の休憩を挟んだ後、再びロビーに集まって能見正二郎の案内で館内見学に繰り出す事になった。
梓葉とは一階のエレベータ・ホールで別れた。彼女も〈湯元もちづき〉に宿泊するが、旧館の方に部屋を取っているらしい。
温泉同好会の三人はエレベータで本館の四階へ移動した。
てっきり横並びで三部屋が押さえられているものと思っていたが、隣り合っているのは坂城清史と廣岡充の部屋だけで、利玖に割り当てられた四〇九号室はエレベータ・ホールを挟んで反対側だった。その為、四階に着いてからは利玖だけが逆方向に廊下を歩いて部屋に向かった。
梓葉は家族ぐるみで〈湯元もちづき〉を贔屓にしているようだが、利玖には家族旅行でこういう温泉宿を利用した記憶が少ない。
まだ小学校にも上がっていない頃、年の近い子どもがいる叔母一家と一緒に関東近郊の温泉街で冬休みを過ごした事がある。しかし、滅多に顔を合わせない叔母夫婦達を気遣って過ごすのはひどく疲れる事だったし、遊びたい盛りの従兄弟には「本ばかり読んでいてつまらない」と文句を言われる始末で、ともかく肩身が狭かった。
旅行先にまで来て本を読みたがる自分の方が変わっているのだろう、と幼心に思い詰めて、誰にも言わずに我慢していたのだが、両親にはたやすく心の内が読めたに違いない。それからは旅行といっても日帰りか、家族だけで静かな別荘地で過ごす事が多くなった。
その習慣も、兄妹が育つにつれて父の仕事が多忙を極め、母を置いて家を空ける日が増えるようになってからは、ほとんど絶えてしまっている。
四〇九号室は手前半分がフローリング、残りが畳敷きの和洋室である。フローリング部分にベッドが置かれているが、セミダブルの物が二つも並んでいるので、それで床面積の約七割が埋まってしまっている。その為、冷蔵庫やクローゼット、テレビ、金庫といった設備は和室の方に固まっていた。
和室は部屋の奥の一段高くなった所に造られていて、障子をしつらえた窓に接している。広縁がない代わりに、机の前に座ったまま外を眺められるようになっていた。
上等の茶葉が入っているであろう茶櫃からつとめて目をそらしながら、利玖は畳の端に置かれていたボストンバッグを持ち上げ、写真に映り込まないように部屋の隅に移動させた。
今回作成した滞在記は〈湯元もちづき〉のホームページ上で公開される。雑誌に載せるよりもレイアウトの融通が効くので、本文の内容に合った画像を挿し込めるように、なるべくたくさん館内の写真を撮っておこうと三人の間で決めてあった。梓葉を通して、支配人の鶴真から直々に撮影許可ももらっている。
それに、写真の使い道は他にもある。
廣岡充、ひいては作家・波來満の次回作の資料として採用される可能性があるのだ。
話は少し遡って、ロビーで四人が柚子茶を飲んでいた時の事。
坂城清史が『例えばだけど』と前置きをして、
『もしも、廣岡君がそうしたいと思ったら、単なる滞在記だけにとどまらず、この旅館を舞台にした小説を書いても問題はないのかな?』
と梓葉に訊ねた。
彼女は、腕組みをして少し考えてから、
『全面的に禁止される、という事はないと思うわ』
と答えた。
『むしろ、歓迎する従業員がほとんどだと思う。はっきりと旅館の名前を書くというのなら、権利にも関わるから色々と手続きが必要でしょうけれど、今の段階ではまだ具体的な構想をお持ちではないのでしょう?』
梓葉に問いかけられて、廣岡充は湯呑みを置いた。
『はい。それに、作中に登場させるとしても、せいぜい樺鉢温泉村という地名くらいだと思います。僕としては、そういった小説を書いて発表する事で、旅館の方が望まないイメージがついてしまうのではないか、という事の方が心配です』
『そうね……。何にせよ、最後は、能見さんや支配人がどう捉えるか、という問題に行き着くわね。彼らはここで働いていて、真っ先に影響を受ける立場にあるわけだから』
梓葉はすらりと伸びた顎のラインに指を添えて、とん、とんと動かしながら目をつむっていたが、やがて『うん』と言って目をひらいた。
『では、その点についてはわたしから支配人に確認します。夕方の館内見学が始まるまでには回答を用意しておくわ』
梓葉とは一階のエレベータ・ホールで別れた。彼女も〈湯元もちづき〉に宿泊するが、旧館の方に部屋を取っているらしい。
温泉同好会の三人はエレベータで本館の四階へ移動した。
てっきり横並びで三部屋が押さえられているものと思っていたが、隣り合っているのは坂城清史と廣岡充の部屋だけで、利玖に割り当てられた四〇九号室はエレベータ・ホールを挟んで反対側だった。その為、四階に着いてからは利玖だけが逆方向に廊下を歩いて部屋に向かった。
梓葉は家族ぐるみで〈湯元もちづき〉を贔屓にしているようだが、利玖には家族旅行でこういう温泉宿を利用した記憶が少ない。
まだ小学校にも上がっていない頃、年の近い子どもがいる叔母一家と一緒に関東近郊の温泉街で冬休みを過ごした事がある。しかし、滅多に顔を合わせない叔母夫婦達を気遣って過ごすのはひどく疲れる事だったし、遊びたい盛りの従兄弟には「本ばかり読んでいてつまらない」と文句を言われる始末で、ともかく肩身が狭かった。
旅行先にまで来て本を読みたがる自分の方が変わっているのだろう、と幼心に思い詰めて、誰にも言わずに我慢していたのだが、両親にはたやすく心の内が読めたに違いない。それからは旅行といっても日帰りか、家族だけで静かな別荘地で過ごす事が多くなった。
その習慣も、兄妹が育つにつれて父の仕事が多忙を極め、母を置いて家を空ける日が増えるようになってからは、ほとんど絶えてしまっている。
四〇九号室は手前半分がフローリング、残りが畳敷きの和洋室である。フローリング部分にベッドが置かれているが、セミダブルの物が二つも並んでいるので、それで床面積の約七割が埋まってしまっている。その為、冷蔵庫やクローゼット、テレビ、金庫といった設備は和室の方に固まっていた。
和室は部屋の奥の一段高くなった所に造られていて、障子をしつらえた窓に接している。広縁がない代わりに、机の前に座ったまま外を眺められるようになっていた。
上等の茶葉が入っているであろう茶櫃からつとめて目をそらしながら、利玖は畳の端に置かれていたボストンバッグを持ち上げ、写真に映り込まないように部屋の隅に移動させた。
今回作成した滞在記は〈湯元もちづき〉のホームページ上で公開される。雑誌に載せるよりもレイアウトの融通が効くので、本文の内容に合った画像を挿し込めるように、なるべくたくさん館内の写真を撮っておこうと三人の間で決めてあった。梓葉を通して、支配人の鶴真から直々に撮影許可ももらっている。
それに、写真の使い道は他にもある。
廣岡充、ひいては作家・波來満の次回作の資料として採用される可能性があるのだ。
話は少し遡って、ロビーで四人が柚子茶を飲んでいた時の事。
坂城清史が『例えばだけど』と前置きをして、
『もしも、廣岡君がそうしたいと思ったら、単なる滞在記だけにとどまらず、この旅館を舞台にした小説を書いても問題はないのかな?』
と梓葉に訊ねた。
彼女は、腕組みをして少し考えてから、
『全面的に禁止される、という事はないと思うわ』
と答えた。
『むしろ、歓迎する従業員がほとんどだと思う。はっきりと旅館の名前を書くというのなら、権利にも関わるから色々と手続きが必要でしょうけれど、今の段階ではまだ具体的な構想をお持ちではないのでしょう?』
梓葉に問いかけられて、廣岡充は湯呑みを置いた。
『はい。それに、作中に登場させるとしても、せいぜい樺鉢温泉村という地名くらいだと思います。僕としては、そういった小説を書いて発表する事で、旅館の方が望まないイメージがついてしまうのではないか、という事の方が心配です』
『そうね……。何にせよ、最後は、能見さんや支配人がどう捉えるか、という問題に行き着くわね。彼らはここで働いていて、真っ先に影響を受ける立場にあるわけだから』
梓葉はすらりと伸びた顎のラインに指を添えて、とん、とんと動かしながら目をつむっていたが、やがて『うん』と言って目をひらいた。
『では、その点についてはわたしから支配人に確認します。夕方の館内見学が始まるまでには回答を用意しておくわ』
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