天蚕糸の月 Good luck.

梅室しば

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一章 潮蕊湖を囲む四つの神社

試作

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 親友の阿智あち茉莉花まりかの部屋に入るたびに、ここで焼き菓子屋を開いたらさぞ賑わうだろうな、と利玖は思う。小物や敷物の柄などにさりげなく花柄が効いていて、昔よく出入りした母の部屋のように、つい長居してしまいたくなるような、居心地の良い暖かさがある。
 昼前に大学近くのスーパーマーケットに集合した利玖と茉莉花は、漉し餡と粒餡のパックを一つずつ、そして白玉粉を買って、茉莉花のアパートに移動した。
 二週間後に学園祭が迫っている。そろそろ試作をいくつか作ってみて、当日はどんな風に屋台を回すのが良いか考え始めなければならない。
 温泉同好会では例年、学部二年生の部員が主体となって屋台を運営する習わしになっている。思い出作り及び終了後に打ち上げという名目の飲み会を開催する口実の側面が強いので、売り上げを伸ばす事には固執しないが、黒字が出れば出た分だけ合宿の予算が増えるので、部員はそれなりに精を出す。
 今年の試作係は、共に一人暮らしで、人並みに料理の出来る利玖と茉莉花に白羽の矢が立った。
「えっ、これ全部入れるの?」
 茉莉花が手元のレシピと粒餡のパックを見比べて、目を丸くした。
「すごいわ。単純明快な分量ね」
「二人前に減らして作ったらいいんじゃないですか?」
「当日は大鍋いっぱいに作るんだから、それだと試作として少な過ぎるんじゃないかしら」
「確かに、大量に作った時の注意点や、調理にかかる時間のデータも取りたい所ですが、食べきれずに傷んでしまったらもったいないですよ」
 利玖は隣で腕まくりをして、水を加えた白玉粉をっている。
「わたし達の売り方に適しているのは、粒餡と漉し餡のどちらなのか。あとは、陥りやすいミス、作る量を増やす事で手間になるとしたらどの部分か。今日はその辺りを重点的に調べる事にして、ほどほどの量を作るにとどめておきましょう。三日くらいなら冷蔵庫で保存が利くようですよ」
「そっか……、うん、それがよさそうね」
 練った白玉粉を利玖が小さくちぎって丸め、茉莉花がそれを茹だった鍋にくぐらせてから氷水を張ったボウルにすくい落として、黙々と白玉を量産した。
「茉莉花の周りではどちらの派閥が優勢でしたか?」
「漉し餡派ね」茉莉花は少し首をかしげる。「でも、あんまり参考にならないかも。皆、和菓子みたいな練り菓子を想像していると思う。汁粉よりそっちの方が食べる機会が多いでしょう? だけど、固体と液体とじゃまた話が違うじゃない」
「あ、確かに……」
 その観点はなかった、と利玖は反省した。


 溶岩のように煮えた汁粉が、飲める熱さになるまで待つ間、部屋の中をうろうろとしていた茉莉花が、やがて意を決したように、きらびやかに箔押しされたビニルの袋をごっそりと戸棚から取り出してきた。
「何ですか、それ?」
「おまけが主役のウエハース」
「え……」利玖はキッチンから身を乗り出す。「全部、同じ物ですよね? どうしてそんなにたくさん買ったんです?」
「厳密には違うわ。まあ、ちょっと見ていて」
 茉莉花は袋を一つ選んで、緊張した面持ちで封を切ると、ウエハースではなく同封されていたカードを取り出して裏表を確かめた。そして、ふっと肩の力を抜く。
「一枚目だからね……、まあ、こんなものよ」
「何をしているんですか、さっきから」
「利玖もいらっしゃい」茉莉花が机の前で手招きをする。「もう火も止めたんだから、鍋の前に張り付いてなくていいのよ」
 利玖がやって来ると、茉莉花はサインペンでパッケージの一部に丸をつけた。
 いずれも、かなり若い──あるいは幼いと形容してもよさそうな年頃のアニメ・キャラクタの少女が描かれている。
 ざっと見て十人ほど。それぞれが、個性を強調するようなポーズで魅力的な表情を作っていた。
 茉莉花がつけた丸は、その中の一人、目尻がぴっと持ち上がった凜々しい面立ちの少女を囲っている。コスチュームは武人風で、髪の色は白銀だった。
「このウエハースの山の中から、彼女を探してもらいます」
「全部開ければ、どこかにいるのですか?」
「いいえ」心底忌々しく思っている口調で、茉莉花はぶつぶつと呟いた。「良くないわ……。こういうのは、本当に良くない」
 とりあえず、利玖も一つ手に取って開けてみる事にする。
「ウエハースの方はどうすれば?」
「食べていいわよ。余ったら……」茉莉花はキッチンに戻って、タッパを一つ取って来た。「ここに入れておきましょう。後でアイスクリームにでも添えて食べたらいいわ」
「わかりました」
 ウエハースをかじってみると、薄く塗ったクリームが挟んであって予想外に美味しい。食べ終えてからカードを手に取って、描かれているキャラクタをじっくりと見た。
 赤髪の少女が白い歯を見せて笑っている。髪は短く、つんつんと尖っているが顔立ちは愛らしい。球技大会に飛び入り参加出来そうなスポーティな服装がよく似合っていたが、茉莉花が探しているキャラクタとは明らかに別人だった。
「違う方ですね……」
「次よ、次」茉莉花が手を振る。
「これ、お汁粉に何か関係があるのですか?」
「ないわよ」
 茉莉花は即答した。もう三つ目の袋に手をつけている。ウエハースは、はなから胃に収める気がないのか、全部タッパに移していた。
「話し相手がいないと、一人でやるには虚しすぎるじゃない」
「まあ、そうですね」
「そういうわけだから、適当に話題を振ってくれると助かるわ」
 利玖は頷いたが、人定の片手間ではなかなかこれといった題目が見つからず、漫然とウエハースを二枚食べ終えた所で、このままでは汁粉が入らなくなると気づき、いったん話題探しに専念する事にした。
 学園祭の主体は学生だが、彼らの本分は勉学である。準備期間中も講義や実習はしゅくしゅくと行われていて、目下、利玖の関心は、数週にわたって成果の出ていない生理学の実験に向いていた。
 しかし、利玖と違って、茉莉花は、試験期間以外に理学部棟の外で生物学の話をするのは御免被ると公言している。利玖にしても、ほわっと餡子の匂いが漂う小花柄の部屋で、輪切りにした臓器の断面を観察する手法について話し合うのは気が引ける。
「男女が付き合うって、どういう事でしょう」
 それが、甘味を待ちながら話すのに相応しい、と利玖が判断した話題だった。
「そうね……」茉莉花は斜めに首をかしげる。「くぬぎゆづるは、その辺りを『秘密にしたい事を秘密にしておける関係』と歌っているわ」
「クヌギ?」利玖は顔を上げた。「どんぐりですか?」
「どんぐりではありません」
 神妙な面持ちで答えて、茉莉花はまた新しい袋の封を切る。
「というか、それでは浮気し放題じゃないですか」
「その場合は議論が成立しなくなるわね。今は『双方に浮気するつもりがない状態で恋人としての関係を保っていく二人』を前提にしているわけだから」
「そういうものですか……」利玖はウエハースを唇に当てて天井を見つめた。「ところで、椚ゆづるってどなたです?」
 茉莉花はウエハースをタッパに収めると、最初に印をつけた銀髪の武人風の少女を指さした。
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