臼歯を埋める Puffy fruit

梅室しば

文字の大きさ
上 下
20 / 20

最終話

しおりを挟む
 薊彌と芦月は、それから二日間、佐倉川邸に留まった。
 蛉籃石の加工は、芦月が出来るようだ。別の技術者が呼ばれる事はなかった。
 彼らには、客間の他に、作業場として古いガレージが与えられ、利玖と同じ蛉籃石の片割れを持つ史岐も、万が一の事態に備えて客殿に滞在する事になった。
 二日目の朝に利玖がやって来た。
 ふきのとうがいっぱい入った笊を持っていて、
「天麩羅にしましょう」
と言った。
 佐倉川家の客殿には厨房が備え付けられている。母屋がある山の麓から、さらに離れた所に建っていて、母屋で作った料理を温かいうちに運ぶのが困難な為だ。史岐は一日目の午前中に車を借りてスーパへ買い出しに行き、それ以降は自分で簡単な食事を作って食べていた。
「さすがに、泊めてもらっている家の油で揚げものをする勇気はないよ」
「お歳暮でたくさんもらって余っているんですよ」
 利玖と二人で厨房に立ち、分担して下ごしらえをする。
「潟杜に戻ったら揚げものなんて、気軽に出来ませんから」
「天麩羅くらい、いつでも作ってあげるけど」史岐は衣をつけたふきのとうを菜箸で持って、揚げ油に近づける。「危ないから、あっちで待ってたら?」
 利玖は「はい」と言って出て行ったが、ふきのとうを揚げ終えて部屋を見に行くと誰もいなかった。どうやら、客殿自体から出て行ったらしい。
 大皿に天麩羅を盛りつけながら待っていると、やがて、母屋の方角から足音が近づいてきた。
「お米を忘れていました」利玖は、黒い炊飯器を抱えていて、それを部屋の隅に置く。ケーブルを伸ばしてコンセントにプラグを挿し、保温モードをオンにした。
「いいのかなあ、何から何まで……」
「お母さん、もう一台の方でも炊いていましたよ。お客様が三人もいらしては、五合炊き一台じゃ足りませんから、わたしと史岐さんはこれでまかないましょう」
「じゃ、次は布団?」
「加工は、今日の夕方には終わるそうです」
「あ、そう……」
 白米を茶碗によそい、天麩羅に箸をつけた。
 さっくりした歯ごたえとともに、柔らかなほろ苦さが口の中に広がる。しばらく、二人とも無言で揚げ立てのふきのとうを味わった。
 三つほど食べた所で、史岐は湯呑みに手を伸ばす。
 熱い茶を一口飲み、
「サルを手放した事、迷っているのかと思った」
と呟いた。
 利玖は目をぱちくりとさせて史岐を見る。一旦、前を向き、箸で掴んでいた天麩羅をさくさくと最後まで食べ終えてから、史岐と同じように湯呑みを手に取った。
「ふきのとうの笊を持ってきた時は、少し……」湯呑みを手に持ったまま、利玖は首を振る。「だけど、やっぱりわたしには重すぎると思います」
 史岐は笑った。
「え、何ですか?」
「前にも、同じ事を言ったから。喉に憑いた『五十六番』の半身を剥がす為に、薬を飲んでもらった時」
「はあ」利玖はどこか、ぼんやりとした様子で頷く。「えっと、そうでしたっけ……」
「あれを飲むと、直前の記憶をなくす事がある」史岐は目を細めて、茶をもう一口飲んだ。「僕の家への貸しにしておくのもおすすめするよって言ったら、そんな重い物、持って歩けません、って返された。あの時は、本心から言ったけれど、今となってはそんな形で利玖ちゃんをうちと繋がらせなくて良かったと思う」
 利玖は、史岐の顔から目を逸らし、ゆっくりと湯呑みを机に置いた。
「史岐さんは、卒業したら、県外に出られるおつもりですか」
「選択肢としては、当然、あるよ」史岐も湯呑みを置き、座り方を変えて利玖と正対する。「そういえば、まだ、その辺りをちゃんと話した事がなかったね。利玖ちゃんはどうしてほしい? 東京とかには、行ってほしくない?」
「え?」利玖は目を丸くする。「そんなの、わたしが決めて良い事では……」
 しかし、彼女は途中で口をつぐむ。
 両手で包むように湯呑みに触れ、小さな声で「すみません」と言った。
「今の言い方は、ちょっとずるいですね」
 利玖は目線を上げ、欄間の辺りを見つめる。渦巻く雲海の間から、翼を広げた鳳凰が今しもその姿を現そうとする場面が、緻密な透かし彫りで表現されている。
「遠くに行ってほしくない気持ちもありますし、誰も史岐さんの事を知らない土地で、心機一転、新しい暮らしを始めてほしい気持ちもあります。正直……、今の親御さんとは、離れてほしい」利玖はうつむき、親指で湯呑みの表面をこする。「でも、わたしだっていつか、残りの人生を懸ける価値があると思えるものに出会ったら、まっしぐらにそれを追っていくかもしれません」
「君の学科は時々、とんでもない所に調査に行く人がいるよね」
「ええ……」利玖は頷く。「だから、史岐さんにも、その時々で大切にしたい事を優先して、自然に決めてほしいと思うのです」
「君の為に潟杜に残るよって言う心積もりも、あったんだけど」
「わたしが新種の昆虫を探して、東南アジアとか南米に行ってしまうかもしれません」
「それは、ないような気がするけど」史岐は苦笑して、再び箸を手に取る。「実習でワームみたいな虫が出て来た時、どうしてるの?」
「そんなにやたらめったら、色んな生き物に手を出さないんですよ」利玖は指を振る。「虫ばかり扱う訳でもありませんし、もっとミクロな分野、例えば生理学や遺伝子工学も、きっちり修めなければいけません」
「まだ、ワームの問題には直面していないんだ」
「過去数年分のシラバスから、ある程度、実習の内容は予想がつきます。研究室への配属が決まる三年生の後期まで、ワームがわたしの前に立ちふさがる確率は、ほぼゼロと言って良いでしょう」
 さも得意げな顔で言い終えた後、利玖は、ふっとくつろいだ表情になって縁側の外を見た。
「でも、四月になって、年度が変わって、他の大学からワーム専門の教授がやって来て、講座を持つ可能性だってあるかもしれません。わたし達の将来は、それくらい無秩序な可能性に満ちていて、あらかじめ一つに決めてしまうにはあまりに危うい。それを持て余しているうちは……」利玖は、史岐の方に目を戻した。「毎年、ここで採れるふきのとうで天麩羅を作って、一緒に食べる。わたしと史岐さんの二人で。そのくらいの約束が、ちょうど良いんじゃないでしょうか」
 そう言った後で、利玖は「あ」と口に手をやる。
「でも、母はまだ良いとして、父や兄がいたら、史岐さんは気になりますよね。場所は変えましょうか」
「いや」史岐は首を振った。「僕も、またここに来たい。ここに……、受け入れてもらえたら、嬉しい。だから、その為の努力は、自分でするよ」
 利玖は、史岐の顔を見つめて瞬きをした後、くすぐったさを堪えるように躰を揺らして「はい」と微笑んだ。
「お待ちしています」
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

お昼寝カフェ【BAKU】へようこそ!~夢喰いバクと社畜は美少女アイドルの悪夢を見る~

保月ミヒル
キャラ文芸
人生諦め気味のアラサー営業マン・遠原昭博は、ある日不思議なお昼寝カフェに迷い混む。 迎えてくれたのは、眼鏡をかけた独特の雰囲気の青年――カフェの店長・夢見獏だった。 ゆるふわおっとりなその青年の正体は、なんと悪夢を食べる妖怪のバクだった。 昭博はひょんなことから夢見とダッグを組むことになり、客として来店した人気アイドルの悪夢の中に入ることに……!? 夢という誰にも見せない空間の中で、人々は悩み、試練に立ち向かい、成長する。 ハートフルサイコダイブコメディです。

狐メイドは 絆されない

一花八華
キャラ文芸
たまもさん(9歳)は、狐メイドです。傾国の美女で悪女だった記憶があります。現在、魔術師のセイの元に身を寄せています。ただ…セイは、元安倍晴明という陰陽師で、たまもさんの宿敵で…。 美悪女を目指す、たまもさんとたまもさんを溺愛するセイのほのぼの日常ショートストーリーです。狐メイドは、宿敵なんかに絆されない☆ 完結に設定にしていますが、たまに更新します。 ※表紙は、mさんに塗っていただきました。柔らかな色彩!ありがとうございます!

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

帝都の守護鬼は離縁前提の花嫁を求める

緋村燐
キャラ文芸
家の取り決めにより、五つのころから帝都を守護する鬼の花嫁となっていた櫻井琴子。 十六の年、しきたり通り一度も会ったことのない鬼との離縁の儀に臨む。 鬼の妖力を受けた櫻井の娘は強い異能持ちを産むと重宝されていたため、琴子も異能持ちの華族の家に嫁ぐ予定だったのだが……。 「幾星霜の年月……ずっと待っていた」 離縁するために初めて会った鬼・朱縁は琴子を望み、離縁しないと告げた。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

ガールズバンド“ミッチェリアル”

西野歌夏
キャラ文芸
ガールズバンド“ミッチェリアル”の初のワールドツアーがこれから始まろうとしている。このバンドには秘密があった。ワールドツアー準備合宿で、事件は始まった。アイドルが世界を救う戦いが始まったのだ。 バンドメンバーの16歳のミカナは、ロシア皇帝の隠し財産の相続人となったことから嫌がらせを受ける。ミカナの母国ドイツ本国から試客”くノ一”が送り込まれる。しかし、事態は思わぬ展開へ・・・・・・ 「全世界の動物諸君に告ぐ。爆買いツアーの開催だ!」 武器商人、スパイ、オタクと動物たちが繰り広げるもう一つの戦線。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

処理中です...