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祝祭の王都
国王ラァゴー
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ルィヒは王宮に入ると、まず、湯浴みを行って旅の汚れを落とした。
温度や湿度、それに、風通しの良さなど、人間が生きていくのに必要な環境が整っている赤竜の体内でも、さすがに自然と湯が湧く場所はない。せいぜい、寝る前に、たらいにぬるま湯を張って体を拭うくらいしか出来ないので、湯船の中に体を滑り込ませて、じんわりと染み込むような熱さの湯に包まれた時には、少々はしたない吐息が漏れた。
湯浴みを終えると、ルィヒは侍女が用意した新しい衣をまとい〈謁見ノ間〉へ向かった。
〈謁見ノ間〉は、国王が各地の領主を招いて政に関する意見を交わしたり、他国から訪れた使節をもてなす時などに使われる特別な部屋で、クィヤラート王室の顔ともいえる。
入り口の大扉に施されている、最初の王となった始祖がこの地を見つけ、先住民族との融和や汞狼族との戦いを経てクィヤラート王国を作り上げるまでの歴史を記した彫刻を見上げてから、ルィヒは取っ手を引いた。
扉につけられた鈴がチリン……、と鳴り、部屋の奥で椅子に腰掛けていた男がゆったりと立ち上がった。
さほど大柄ではないのに、向かい合った時、思わず息をのんでしまうような静かな凄みがある。幼い頃から乗馬と武芸を好み、戦で国土を切り拓いた祖先に倣って鍛錬を続けてきた、この男は、五十を過ぎて髪に白いものが混じり始めても、頭上に戴いた王冠がまったく見劣りしないほどの威厳を漂わせていた。
この男が、現在のクィヤラート王国の頂点に君臨する国王・ラァゴーだった。
「よくぞ参られた。──〈赤竜を駆る姫〉、お待ち申しておりました」
ルィヒはにこっと微笑み、その場にひざまずいた。
「再び、こうして殿下にまみえる栄誉をお許しいただいた
事、心よりお礼申し上げます。〈赤竜を駆る姫〉のルィヒ、ただ今、帰還いたしました」
ラァゴーは重々しく頷いた。
「ただ一人、赤竜に見初められた祝福の姫を王宮に迎えられた事、私も光栄に思う」
ラァゴーはそこで、いかにも気恥ずかしそうに咳払いをした。
「──堅苦しい挨拶は、この辺りで。どうぞこちらへ。美味い酒を用意させていますよ」
食卓には、新鮮な魚のつくりを酸味のあるタレであえたものや、砕いた木の実で風味をつけた乾酪などが並んでいる。
ルィヒが席に着くと、二人の侍女が酒杯を運んできた。
透きとおった硝子の酒杯には、みずみずしい果物がしきつめられ、侍女はその上から濃い色の葡萄酒を注いだ。
「ここ数年は葡萄が豊作でしてね。ちょうど貴女が戻られる時期に合わせて、いっとう出来の良い葡萄酒を献上するように、各農村に触れを出したのですよ。自分達の作った酒が、かの〈赤竜を駆る姫〉の口に入るかもしれないと思うと、皆、精が出たでしょうな」
「ありがたい事です」
ルィヒはそう答えたが、微笑んでいるのは口元だけで、顔には暗い影が兆していた。
器にも中身にも贅を凝らしたこの一杯は、確かにラァゴーの権力を示すにはうってつけだ。だが、各地にいまだクィヤル熱で苦しむ民がいる事を知っているルィヒにとっては、素直に喜べる品ではなかった。
ルィヒの表情に気づいたラァゴーは、興を削がれたように顔をしかめたが、すぐに、気持ちを切り替えるように頭を振った。
「此度の巡礼は、いかがでしたかな」
「あまり、変わりはありません。医者が少なく、薬も行き渡っていない辺境では、クィヤル熱に罹る民も、それが原因で命を落とす民も多くいます」
「病に罹る者に、何か、共通点のようなものは……?」
「王がご覧になって、すぐにそれとわかるような特徴は存在しないかと」
そう言った後で、ルィヒは片手で顎をつまみ、目を細めた。
「ただ……、そう、強いて言えば、クィヤル熱に限らず、あらゆる病と戦うのに十分な力を持っていない事、でしょうか。老人や、子どもや、すでに別の病に罹っている者。それに、壮健な若者でも、普段から大酒飲みであったり、働き詰めで休養が足りていなかったりすると、軽い風邪をこじらせて、そこからクィヤル熱に罹ってしまう事があります」
「なるほど……」
ラァゴーは頷き、酒を口に含んだ。
「王都だけに目を向ければ、クィヤル熱は、ほとんど終息したように見える。しかし、実際には、支援の足りていない地域がまだまだある、という事ですね」
「この国の流通の要や、政の判断を担っているのは王都です。王都を第一に考えるという王のご判断は、間違っていないと思います」
ルィヒは酒杯を口に運ぼうとして、途中でそれを止めた。
「そう……。頭では、そうわかっていても、実際に家族を失った民の姿を目の当たりにすると、わたしは、冷静さを欠いてしまいそうになります。特に、身ごもっている間にクィヤル熱に罹ったせいで、子が流れてしまった母親を見た時など、本当に……」
ルィヒは最後まで言い終える前に目をつぶり、椅子の背もたれに体をあずけた。
そのまましばらく、何も言わずにうつむいていたが、やがてひとつ深呼吸をすると、静かなまなざしをラァゴーに向けた。
「〈ロウミの冠〉と呼ばれる者達をご存知ですか?」
ラァゴーは眉を曇らせ、きっぱりと首を振った。
「いや、きいた事がありません。ロウミというのが、〈魂滌ぎの賜餐〉で使われる薬草だという事は、もちろん知っていますが」
「〈赤竜を駆る姫〉の体の一部を口にする事で、クィヤル熱への耐性を得る事が出来ると騙っている集団です。わたしが〈赤竜を駆る姫〉になった時には、すでに、似たような噂がありましたが、ここ数年は特に、彼らの動きが活発になっているように思えます」
ルィヒは、暗い窓の外に目を向けた。
「……〈赤竜を駆る姫〉の風習を、考え直す時が来たのかもしれません。奇跡の竜や、〈赤竜を駆る姫〉という存在で、柔らかい目隠しをするのではなく、国を挙げて徹底的にクィヤル熱を取り除こうとしなければ、彼らのような存在は、きっと、今後も増え続ける事でしょう」
ルィヒが話し終えると、ラァゴーは黙って立ち上がった。
そして、ゆっくりと窓際まで歩いて行き、外を眺めながら、訊ねた。
「王都で、新たな感染者がほとんど出なくなった理由を、考えた事がおありですか?」
ラァゴーは月を仰いで、ルィヒに背を向けたまま話し始めた。
「まさに、貴女のおっしゃったとおりです。王都の民は、栄養のある食事を口にし、質の良い薬も買う事が出来る。──単純な事です。何か、特別な対策を講じたわけではない。そんな事すら、辺境の街では難しいというのなら……」
ラァゴーは振り返り、鋭いまなざしでルィヒを見た。
「より多くの食糧と薬を、すみやかに、すべての領地に届ける。我らが為すべきは、ただそれだけです」
ラァゴーが何を言わんとしているのかを悟って、ルィヒは思わず目をそらしたが、彼は構わずにルィヒに近づいてきて食卓に手をついた。
「赤竜を軍事転用するという話、どうしても、首を縦に振ってはくださらぬか。貴女の同意なしには進められない話なのだ」
「…………」
ラク砂漠から、北の海峡を越えた先にあるダムシヴー帝国と、ラァゴーがひそかに同盟を結ぶ事を考えているという話は、前回、王都に帰還した時に聞かされていた。
まだ四十半ばの血気盛んな皇帝が治めるダムシヴー帝国は、ここの所、他国へ攻め入る事をくり返して領土を拡大している。海とラク砂漠、そして、クィヤル熱という三つの障壁に守られているクィヤラート王国は、今は蚊帳の外だが、標的になるのは時間の問題だ。
ラァゴーは、その状況を逆手にとって、攻め込まれる前に同盟を持ちかける事を思いついたのだ。
餌代の心配がなく、灼熱の日射しが照りつける砂漠でも、激しい風雨の中でも「中身」の安全が確保された状態で進む事が出来る赤竜は、たった一頭いるだけで、兵站を劇的に改善し得る切り札だ。そういう触れ込みで同盟を持ちかけて、実際にダムシヴー帝国にとって、赤竜が有用な存在だとわかれば、クィヤラート王国には莫大な額の報奨金が授けられるだろう。──今、この瞬間に病で苦しんでいる民をすべて救っても、なお有り余るほどの、巨額の富が。
(王の言う事は、尤もだ)
ルィヒは、膝の上できつく手を握りしめた。
もはや、〈赤竜を駆る姫〉だけではこの国に真の安らぎをもたらす事は出来ない。赤竜は、丈夫な「船」だが、馬よりも早い速度では進めない。たった一頭ですべての領地に薬と食糧を届ける事は不可能だ。
病を根本から断ち切るために、今までとは違う形で赤竜を役立てたいと望むのなら、ラァゴーの求めに応じるべきだとわかっていても、心から敬愛し、慈しんでいる赤竜が、他国で戦の道具として使われる所を想像すると、吐き気がするほどの嫌悪感が体を包んだ。
「申し訳ございません。今少し、考える猶予を……」
震える声で答えようとした時、ふいに、稲妻のようにある考えが頭にひらめき、ルィヒは思わず勢い込んで腰を浮かせた。
「──殿下。実は近々、カルヴァートに休みを取らせようと思っています。彼はもう、八年も故郷に帰っていません。そろそろ親兄弟とも、会って話がしたいと願っている頃でしょう」
唐突な話に面食らったようにラァゴーは眉をひそめたが、ルィヒが続けて、
「護衛の事なら、ご心配なく。ほんの数日間であれば、代わりを務められそうな若者をラク砂漠で拾いました」
と話すと、ぎょっと目を見開いた。
「拾った? 貴女以外の人間が乗る事を、赤竜が拒まなかったというのですか?」
「はい。理由は、わかりませんが。赤竜にも、変化が訪れているのかもしれません」
ルィヒは立ち上がり、ラァゴーと向き合うと、右手を左胸に当てて深く頭を下げる正式な敬礼をした。
「彼と二人で赤竜に乗る事で、何かの災いを招いた時には、すべて、わたし一人の咎として頂いて構いません。どうか、彼を連れて行く事を認めて頂けないでしょうか」
ラァゴーは顎髭をさすりながら、何事か思案していたが、やがて、柔和な笑みを浮かべた。
「〈赤竜を駆る姫〉たっての望みとあれば、断る理由もありますまい。出立の日には是非、私にも、その者の顔を見せて頂けますか」
温度や湿度、それに、風通しの良さなど、人間が生きていくのに必要な環境が整っている赤竜の体内でも、さすがに自然と湯が湧く場所はない。せいぜい、寝る前に、たらいにぬるま湯を張って体を拭うくらいしか出来ないので、湯船の中に体を滑り込ませて、じんわりと染み込むような熱さの湯に包まれた時には、少々はしたない吐息が漏れた。
湯浴みを終えると、ルィヒは侍女が用意した新しい衣をまとい〈謁見ノ間〉へ向かった。
〈謁見ノ間〉は、国王が各地の領主を招いて政に関する意見を交わしたり、他国から訪れた使節をもてなす時などに使われる特別な部屋で、クィヤラート王室の顔ともいえる。
入り口の大扉に施されている、最初の王となった始祖がこの地を見つけ、先住民族との融和や汞狼族との戦いを経てクィヤラート王国を作り上げるまでの歴史を記した彫刻を見上げてから、ルィヒは取っ手を引いた。
扉につけられた鈴がチリン……、と鳴り、部屋の奥で椅子に腰掛けていた男がゆったりと立ち上がった。
さほど大柄ではないのに、向かい合った時、思わず息をのんでしまうような静かな凄みがある。幼い頃から乗馬と武芸を好み、戦で国土を切り拓いた祖先に倣って鍛錬を続けてきた、この男は、五十を過ぎて髪に白いものが混じり始めても、頭上に戴いた王冠がまったく見劣りしないほどの威厳を漂わせていた。
この男が、現在のクィヤラート王国の頂点に君臨する国王・ラァゴーだった。
「よくぞ参られた。──〈赤竜を駆る姫〉、お待ち申しておりました」
ルィヒはにこっと微笑み、その場にひざまずいた。
「再び、こうして殿下にまみえる栄誉をお許しいただいた
事、心よりお礼申し上げます。〈赤竜を駆る姫〉のルィヒ、ただ今、帰還いたしました」
ラァゴーは重々しく頷いた。
「ただ一人、赤竜に見初められた祝福の姫を王宮に迎えられた事、私も光栄に思う」
ラァゴーはそこで、いかにも気恥ずかしそうに咳払いをした。
「──堅苦しい挨拶は、この辺りで。どうぞこちらへ。美味い酒を用意させていますよ」
食卓には、新鮮な魚のつくりを酸味のあるタレであえたものや、砕いた木の実で風味をつけた乾酪などが並んでいる。
ルィヒが席に着くと、二人の侍女が酒杯を運んできた。
透きとおった硝子の酒杯には、みずみずしい果物がしきつめられ、侍女はその上から濃い色の葡萄酒を注いだ。
「ここ数年は葡萄が豊作でしてね。ちょうど貴女が戻られる時期に合わせて、いっとう出来の良い葡萄酒を献上するように、各農村に触れを出したのですよ。自分達の作った酒が、かの〈赤竜を駆る姫〉の口に入るかもしれないと思うと、皆、精が出たでしょうな」
「ありがたい事です」
ルィヒはそう答えたが、微笑んでいるのは口元だけで、顔には暗い影が兆していた。
器にも中身にも贅を凝らしたこの一杯は、確かにラァゴーの権力を示すにはうってつけだ。だが、各地にいまだクィヤル熱で苦しむ民がいる事を知っているルィヒにとっては、素直に喜べる品ではなかった。
ルィヒの表情に気づいたラァゴーは、興を削がれたように顔をしかめたが、すぐに、気持ちを切り替えるように頭を振った。
「此度の巡礼は、いかがでしたかな」
「あまり、変わりはありません。医者が少なく、薬も行き渡っていない辺境では、クィヤル熱に罹る民も、それが原因で命を落とす民も多くいます」
「病に罹る者に、何か、共通点のようなものは……?」
「王がご覧になって、すぐにそれとわかるような特徴は存在しないかと」
そう言った後で、ルィヒは片手で顎をつまみ、目を細めた。
「ただ……、そう、強いて言えば、クィヤル熱に限らず、あらゆる病と戦うのに十分な力を持っていない事、でしょうか。老人や、子どもや、すでに別の病に罹っている者。それに、壮健な若者でも、普段から大酒飲みであったり、働き詰めで休養が足りていなかったりすると、軽い風邪をこじらせて、そこからクィヤル熱に罹ってしまう事があります」
「なるほど……」
ラァゴーは頷き、酒を口に含んだ。
「王都だけに目を向ければ、クィヤル熱は、ほとんど終息したように見える。しかし、実際には、支援の足りていない地域がまだまだある、という事ですね」
「この国の流通の要や、政の判断を担っているのは王都です。王都を第一に考えるという王のご判断は、間違っていないと思います」
ルィヒは酒杯を口に運ぼうとして、途中でそれを止めた。
「そう……。頭では、そうわかっていても、実際に家族を失った民の姿を目の当たりにすると、わたしは、冷静さを欠いてしまいそうになります。特に、身ごもっている間にクィヤル熱に罹ったせいで、子が流れてしまった母親を見た時など、本当に……」
ルィヒは最後まで言い終える前に目をつぶり、椅子の背もたれに体をあずけた。
そのまましばらく、何も言わずにうつむいていたが、やがてひとつ深呼吸をすると、静かなまなざしをラァゴーに向けた。
「〈ロウミの冠〉と呼ばれる者達をご存知ですか?」
ラァゴーは眉を曇らせ、きっぱりと首を振った。
「いや、きいた事がありません。ロウミというのが、〈魂滌ぎの賜餐〉で使われる薬草だという事は、もちろん知っていますが」
「〈赤竜を駆る姫〉の体の一部を口にする事で、クィヤル熱への耐性を得る事が出来ると騙っている集団です。わたしが〈赤竜を駆る姫〉になった時には、すでに、似たような噂がありましたが、ここ数年は特に、彼らの動きが活発になっているように思えます」
ルィヒは、暗い窓の外に目を向けた。
「……〈赤竜を駆る姫〉の風習を、考え直す時が来たのかもしれません。奇跡の竜や、〈赤竜を駆る姫〉という存在で、柔らかい目隠しをするのではなく、国を挙げて徹底的にクィヤル熱を取り除こうとしなければ、彼らのような存在は、きっと、今後も増え続ける事でしょう」
ルィヒが話し終えると、ラァゴーは黙って立ち上がった。
そして、ゆっくりと窓際まで歩いて行き、外を眺めながら、訊ねた。
「王都で、新たな感染者がほとんど出なくなった理由を、考えた事がおありですか?」
ラァゴーは月を仰いで、ルィヒに背を向けたまま話し始めた。
「まさに、貴女のおっしゃったとおりです。王都の民は、栄養のある食事を口にし、質の良い薬も買う事が出来る。──単純な事です。何か、特別な対策を講じたわけではない。そんな事すら、辺境の街では難しいというのなら……」
ラァゴーは振り返り、鋭いまなざしでルィヒを見た。
「より多くの食糧と薬を、すみやかに、すべての領地に届ける。我らが為すべきは、ただそれだけです」
ラァゴーが何を言わんとしているのかを悟って、ルィヒは思わず目をそらしたが、彼は構わずにルィヒに近づいてきて食卓に手をついた。
「赤竜を軍事転用するという話、どうしても、首を縦に振ってはくださらぬか。貴女の同意なしには進められない話なのだ」
「…………」
ラク砂漠から、北の海峡を越えた先にあるダムシヴー帝国と、ラァゴーがひそかに同盟を結ぶ事を考えているという話は、前回、王都に帰還した時に聞かされていた。
まだ四十半ばの血気盛んな皇帝が治めるダムシヴー帝国は、ここの所、他国へ攻め入る事をくり返して領土を拡大している。海とラク砂漠、そして、クィヤル熱という三つの障壁に守られているクィヤラート王国は、今は蚊帳の外だが、標的になるのは時間の問題だ。
ラァゴーは、その状況を逆手にとって、攻め込まれる前に同盟を持ちかける事を思いついたのだ。
餌代の心配がなく、灼熱の日射しが照りつける砂漠でも、激しい風雨の中でも「中身」の安全が確保された状態で進む事が出来る赤竜は、たった一頭いるだけで、兵站を劇的に改善し得る切り札だ。そういう触れ込みで同盟を持ちかけて、実際にダムシヴー帝国にとって、赤竜が有用な存在だとわかれば、クィヤラート王国には莫大な額の報奨金が授けられるだろう。──今、この瞬間に病で苦しんでいる民をすべて救っても、なお有り余るほどの、巨額の富が。
(王の言う事は、尤もだ)
ルィヒは、膝の上できつく手を握りしめた。
もはや、〈赤竜を駆る姫〉だけではこの国に真の安らぎをもたらす事は出来ない。赤竜は、丈夫な「船」だが、馬よりも早い速度では進めない。たった一頭ですべての領地に薬と食糧を届ける事は不可能だ。
病を根本から断ち切るために、今までとは違う形で赤竜を役立てたいと望むのなら、ラァゴーの求めに応じるべきだとわかっていても、心から敬愛し、慈しんでいる赤竜が、他国で戦の道具として使われる所を想像すると、吐き気がするほどの嫌悪感が体を包んだ。
「申し訳ございません。今少し、考える猶予を……」
震える声で答えようとした時、ふいに、稲妻のようにある考えが頭にひらめき、ルィヒは思わず勢い込んで腰を浮かせた。
「──殿下。実は近々、カルヴァートに休みを取らせようと思っています。彼はもう、八年も故郷に帰っていません。そろそろ親兄弟とも、会って話がしたいと願っている頃でしょう」
唐突な話に面食らったようにラァゴーは眉をひそめたが、ルィヒが続けて、
「護衛の事なら、ご心配なく。ほんの数日間であれば、代わりを務められそうな若者をラク砂漠で拾いました」
と話すと、ぎょっと目を見開いた。
「拾った? 貴女以外の人間が乗る事を、赤竜が拒まなかったというのですか?」
「はい。理由は、わかりませんが。赤竜にも、変化が訪れているのかもしれません」
ルィヒは立ち上がり、ラァゴーと向き合うと、右手を左胸に当てて深く頭を下げる正式な敬礼をした。
「彼と二人で赤竜に乗る事で、何かの災いを招いた時には、すべて、わたし一人の咎として頂いて構いません。どうか、彼を連れて行く事を認めて頂けないでしょうか」
ラァゴーは顎髭をさすりながら、何事か思案していたが、やがて、柔和な笑みを浮かべた。
「〈赤竜を駆る姫〉たっての望みとあれば、断る理由もありますまい。出立の日には是非、私にも、その者の顔を見せて頂けますか」
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