5 / 21
クィヤル熱
病んだ街
しおりを挟む
赤竜はゆっくりと砂漠を進み、夕刻にはサネゼルの西門前に着いた。
ぽつらぽつらと灯る街の明かりが間近に見え始めた所で、ユージンは赤竜を下りた。
〈赤竜を駆る姫〉が旅の供とするのは、護衛に選ばれた汞狼族の戦士ただ一人であると、クィヤラート王国の民であれば誰もが知っている。瞳の色も、髪の色も違う流れ者のユージンが乗っている事が知られたら、あらぬ誤解を招きかねない。
『サネゼルは大きな街ではないが、砂漠超えをする商人との交易が盛んで、賑わいがある。珍しい食材や香辛料を使った料理が食べられるぞ。散策がてら、この国について気になる事があれば、自分で調べてみるといい』
そう言って、ルィヒはユージンが赤竜を下りる時に硬貨が詰まった袋を渡してくれた。
別れた後に一枚取り出して、じっくりと眺めてみたが、形も意匠もユージンには見覚えのないもので、どのくらいの価値があるのか、さっぱりわからなかった。
砂地を歩いて街に近づいていくと、チャプチャプと水の流れる音が聞こえてきた。白い石組みの西門の前に、小川が流れ、橋が架かっている。
(なるほど。水が湧く所に街を作ったのか)
橋を渡って街に入ると、せせらぎに代わって、喧噪が一気に周囲に満ちた。ちょうど夕餉時に差しかかったのか、あちこちの店に明かりが点き、食欲をそそるタレのにおいや、脂のはじける音、賑やかな人々の話し声が流れてくる。
街の中心に向かって歩いて行く途中で、何度か、浮き足立った様子で反対方向へ駆けていく住民達とすれ違った。街の外縁に向かっていく彼らは皆、示し合わせたように質素な黒の服をまとっている。
(どこかで、葬式でもあったのかな)
喪服の人混みを避けるように、ユージンは路地を曲がり、くすんだ緑色の看板を出した料理店を見つけ、少し考えた末に、そこに入ってみる事にした。軒先に出されている品書きを読んで、自分の好みに合いそうだと思ったからだ。
いかにも路地裏の店らしい、いがらっぽい煙が立ちこめた狭い店で、給仕を雇う余裕もないのか、ユージンが席に着くと、店主らしい髭面の男が直接注文を取りに来た。
「クィヤラート語はわかるか?」
店主に訊ねられて、ユージンは、にやっと笑った。
「大丈夫だよ。サネゼルに来るのは初めてだけど。えっと、じゃあ、この『今日のおすすめ』をもらおうかな」
「あいよ。──酒は?」
「いや、いらない」ユージンはちらっと外に目をやった。「なんだか、間の悪い時に来ちゃったみたいだね」
店主は注文を書き取った紙を二つに折って腰巻きの間に挟みながら、ため息をついた。
「クィヤル熱で、また死者が出たんだよ。可哀想に、やっとこの間、立てるようになったばかりの子どもでなあ」
「クィヤル熱?」
店主は、ああ、と頷いた。
「他所の国から来なすった方には馴染みのない言葉かもしれんが、建国以来、クィヤラートを苦しめ続けている流行り病だよ。ひどい熱が出て、何日も苦しんだ末に、息がつまって死んじまう」
ユージンは顔をしかめた。「流行り病」という言葉が、彼にとって、決して忘れる事の出来ない凄惨な記憶と結びついていたからだ。
しかし店主は、ユージンが単に、痛ましい幼子の死に心を痛めただけだと思ったらしく、神妙な面持ちで頷いた。
「ひでえ話だよな。だけど俺達ゃ、まだ、恵まれている方さ。〈赤竜を駆る姫〉に……、ルィヒ様に穢れをそそいでもらえるんだからな」
「なんだい? その、リーリ・チノっていうのは」
ユージンが知らないふりをして訊ねると、店主は、待っていましたとばかりに身振り手振りを交えて話し始めた。
「この世のものとは思えないでっかい竜で旅をする姫様さ。クィヤル熱で死者が出た街に立ち寄っては、ロウミっていう神聖な薬草が入った粥を振る舞ってくださるんだ。そうして、〈赤竜を駆る姫〉が何百年もの間、献身的に民を癒やし続けてくださったおかげで、王国は滅びの危機から救われたってわけさ。
クィヤル熱が蔓延し始めた頃は、病に罹る者も、それで命を落とす者も今よりずっと多かったらしい。王家も無事じゃ済まなかったって聞くが、〈赤竜を駆る姫〉はこうして、下々の民にまで等しく手を差し伸べてくださる。ありがたい生き神様だよ」
「へえ……」
「粥が振る舞われる〈魂滌ぎの賜餐〉には、親族しか加わる事を許されないが、遠巻きに眺める事は出来る。おまえさんも、せっかく立ち寄ったなら見ていくといい」
死ぬ可能性のある病なのにのんきなもんだな、とユージンは冷めた心で思ったが、店主には黙って微笑みを返した。
今でも人々にとって、クィヤル熱が恐ろしい死病であるのなら、彼らは自分のように素性の知れない流れ者など、真っ先に街から締め出そうとするだろう。料理を出す店の主人が、こんな風に近々と向かい合って話をする事などないはずだ。ユージンには、自らの体験を元にした、そういう確信があった。
おそらく、〈赤竜を駆る姫〉が民を癒やし続けていたという数百年の間に、多くの国民がクィヤル熱に対する免疫を得たのだろう。そして、病から生きのびた者によって、少しずつではあっただろうが、経済と流通が回復し、辺境の街でも十分な量の食事が口に入るようになった。
今でもクィヤル熱で命を落とすのは、些細な事でも命にかかわる赤子や、体力の衰えた老人、あるいは、生まれつき体に何か問題を抱えていて病と闘う力のない者などが大半を占めるのだろう。
(生き神、か……)
どこか古風な言葉遣いをするが、いつでも溌剌として、決して弱音を口にしないルィヒと、喪服に身を包んでいながら高揚を隠せない表情で駆けていくサネゼルの住民の顔が交互に頭をよぎり、ユージンは料理を待つ間、ぼんやりと頬杖をついて、曇った窓硝子の向こうに浮かび上がる暗い路地裏を見つめていた。
ぽつらぽつらと灯る街の明かりが間近に見え始めた所で、ユージンは赤竜を下りた。
〈赤竜を駆る姫〉が旅の供とするのは、護衛に選ばれた汞狼族の戦士ただ一人であると、クィヤラート王国の民であれば誰もが知っている。瞳の色も、髪の色も違う流れ者のユージンが乗っている事が知られたら、あらぬ誤解を招きかねない。
『サネゼルは大きな街ではないが、砂漠超えをする商人との交易が盛んで、賑わいがある。珍しい食材や香辛料を使った料理が食べられるぞ。散策がてら、この国について気になる事があれば、自分で調べてみるといい』
そう言って、ルィヒはユージンが赤竜を下りる時に硬貨が詰まった袋を渡してくれた。
別れた後に一枚取り出して、じっくりと眺めてみたが、形も意匠もユージンには見覚えのないもので、どのくらいの価値があるのか、さっぱりわからなかった。
砂地を歩いて街に近づいていくと、チャプチャプと水の流れる音が聞こえてきた。白い石組みの西門の前に、小川が流れ、橋が架かっている。
(なるほど。水が湧く所に街を作ったのか)
橋を渡って街に入ると、せせらぎに代わって、喧噪が一気に周囲に満ちた。ちょうど夕餉時に差しかかったのか、あちこちの店に明かりが点き、食欲をそそるタレのにおいや、脂のはじける音、賑やかな人々の話し声が流れてくる。
街の中心に向かって歩いて行く途中で、何度か、浮き足立った様子で反対方向へ駆けていく住民達とすれ違った。街の外縁に向かっていく彼らは皆、示し合わせたように質素な黒の服をまとっている。
(どこかで、葬式でもあったのかな)
喪服の人混みを避けるように、ユージンは路地を曲がり、くすんだ緑色の看板を出した料理店を見つけ、少し考えた末に、そこに入ってみる事にした。軒先に出されている品書きを読んで、自分の好みに合いそうだと思ったからだ。
いかにも路地裏の店らしい、いがらっぽい煙が立ちこめた狭い店で、給仕を雇う余裕もないのか、ユージンが席に着くと、店主らしい髭面の男が直接注文を取りに来た。
「クィヤラート語はわかるか?」
店主に訊ねられて、ユージンは、にやっと笑った。
「大丈夫だよ。サネゼルに来るのは初めてだけど。えっと、じゃあ、この『今日のおすすめ』をもらおうかな」
「あいよ。──酒は?」
「いや、いらない」ユージンはちらっと外に目をやった。「なんだか、間の悪い時に来ちゃったみたいだね」
店主は注文を書き取った紙を二つに折って腰巻きの間に挟みながら、ため息をついた。
「クィヤル熱で、また死者が出たんだよ。可哀想に、やっとこの間、立てるようになったばかりの子どもでなあ」
「クィヤル熱?」
店主は、ああ、と頷いた。
「他所の国から来なすった方には馴染みのない言葉かもしれんが、建国以来、クィヤラートを苦しめ続けている流行り病だよ。ひどい熱が出て、何日も苦しんだ末に、息がつまって死んじまう」
ユージンは顔をしかめた。「流行り病」という言葉が、彼にとって、決して忘れる事の出来ない凄惨な記憶と結びついていたからだ。
しかし店主は、ユージンが単に、痛ましい幼子の死に心を痛めただけだと思ったらしく、神妙な面持ちで頷いた。
「ひでえ話だよな。だけど俺達ゃ、まだ、恵まれている方さ。〈赤竜を駆る姫〉に……、ルィヒ様に穢れをそそいでもらえるんだからな」
「なんだい? その、リーリ・チノっていうのは」
ユージンが知らないふりをして訊ねると、店主は、待っていましたとばかりに身振り手振りを交えて話し始めた。
「この世のものとは思えないでっかい竜で旅をする姫様さ。クィヤル熱で死者が出た街に立ち寄っては、ロウミっていう神聖な薬草が入った粥を振る舞ってくださるんだ。そうして、〈赤竜を駆る姫〉が何百年もの間、献身的に民を癒やし続けてくださったおかげで、王国は滅びの危機から救われたってわけさ。
クィヤル熱が蔓延し始めた頃は、病に罹る者も、それで命を落とす者も今よりずっと多かったらしい。王家も無事じゃ済まなかったって聞くが、〈赤竜を駆る姫〉はこうして、下々の民にまで等しく手を差し伸べてくださる。ありがたい生き神様だよ」
「へえ……」
「粥が振る舞われる〈魂滌ぎの賜餐〉には、親族しか加わる事を許されないが、遠巻きに眺める事は出来る。おまえさんも、せっかく立ち寄ったなら見ていくといい」
死ぬ可能性のある病なのにのんきなもんだな、とユージンは冷めた心で思ったが、店主には黙って微笑みを返した。
今でも人々にとって、クィヤル熱が恐ろしい死病であるのなら、彼らは自分のように素性の知れない流れ者など、真っ先に街から締め出そうとするだろう。料理を出す店の主人が、こんな風に近々と向かい合って話をする事などないはずだ。ユージンには、自らの体験を元にした、そういう確信があった。
おそらく、〈赤竜を駆る姫〉が民を癒やし続けていたという数百年の間に、多くの国民がクィヤル熱に対する免疫を得たのだろう。そして、病から生きのびた者によって、少しずつではあっただろうが、経済と流通が回復し、辺境の街でも十分な量の食事が口に入るようになった。
今でもクィヤル熱で命を落とすのは、些細な事でも命にかかわる赤子や、体力の衰えた老人、あるいは、生まれつき体に何か問題を抱えていて病と闘う力のない者などが大半を占めるのだろう。
(生き神、か……)
どこか古風な言葉遣いをするが、いつでも溌剌として、決して弱音を口にしないルィヒと、喪服に身を包んでいながら高揚を隠せない表情で駆けていくサネゼルの住民の顔が交互に頭をよぎり、ユージンは料理を待つ間、ぼんやりと頬杖をついて、曇った窓硝子の向こうに浮かび上がる暗い路地裏を見つめていた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
スキルは見るだけ簡単入手! ~ローグの冒険譚~
夜夢
ファンタジー
剣と魔法の世界に生まれた主人公は、子供の頃から何の取り柄もない平凡な村人だった。
盗賊が村を襲うまでは…。
成長したある日、狩りに出掛けた森で不思議な子供と出会った。助けてあげると、不思議な子供からこれまた不思議な力を貰った。
不思議な力を貰った主人公は、両親と親友を救う旅に出ることにした。
王道ファンタジー物語。
スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?
山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。
2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。
異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。
唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

異世界でネットショッピングをして商いをしました。
ss
ファンタジー
異世界に飛ばされた主人公、アキラが使えたスキルは「ネットショッピング」だった。
それは、地球の物を買えるというスキルだった。アキラはこれを駆使して異世界で荒稼ぎする。
これはそんなアキラの爽快で時には苦難ありの異世界生活の一端である。(ハーレムはないよ)
よければお気に入り、感想よろしくお願いしますm(_ _)m
hotランキング23位(18日11時時点)
本当にありがとうございます
誤字指摘などありがとうございます!スキルの「作者の権限」で直していこうと思いますが、発動条件がたくさんあるので直すのに時間がかかりますので気長にお待ちください。

婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています
【BIO DEFENSE】 ~終わった世界に作られる都市~
こばん
SF
世界は唐突に終わりを告げる。それはある日突然現れて、平和な日常を過ごす人々に襲い掛かった。それは醜悪な様相に異臭を放ちながら、かつての日常に我が物顔で居座った。
人から人に感染し、感染した人はまだ感染していない人に襲い掛かり、恐るべき加速度で被害は広がって行く。
それに対抗する術は、今は無い。
平和な日常があっという間に非日常の世界に変わり、残った人々は集い、四国でいくつかの都市を形成して反攻の糸口と感染のルーツを探る。
しかしそれに対してか感染者も進化して困難な状況に拍車をかけてくる。
さらにそんな状態のなかでも、権益を求め人の足元をすくうため画策する者、理性をなくし欲望のままに動く者、この状況を利用すらして己の利益のみを求めて動く者らが牙をむき出しにしていきパニックは混迷を極める。
普通の高校生であったカナタもパニックに巻き込まれ、都市の一つに避難した。その都市の守備隊に仲間達と共に入り、第十一番隊として活動していく。様々な人と出会い、別れを繰り返しながら、感染者や都市外の略奪者などと戦い、都市同士の思惑に巻き込まれたりしながら日々を過ごしていた。
そして、やがて一つの真実に辿り着く。
それは大きな選択を迫られるものだった。
bio defence
※物語に出て来るすべての人名及び地名などの固有名詞はすべてフィクションです。作者の頭の中だけに存在するものであり、特定の人物や場所に対して何らかの意味合いを持たせたものではありません。
とあるおっさんのVRMMO活動記
椎名ほわほわ
ファンタジー
VRMMORPGが普及した世界。
念のため申し上げますが戦闘も生産もあります。
戦闘は生々しい表現も含みます。
のんびりする時もあるし、えぐい戦闘もあります。
また一話一話が3000文字ぐらいの日記帳ぐらいの分量であり
一人の冒険者の一日の活動記録を覗く、ぐらいの感覚が
お好みではない場合は読まれないほうがよろしいと思われます。
また、このお話の舞台となっているVRMMOはクリアする事や
無双する事が目的ではなく、冒険し生きていくもう1つの人生が
テーマとなっているVRMMOですので、極端に戦闘続きという
事もございません。
また、転生物やデスゲームなどに変化することもございませんので、そのようなお話がお好みの方は読まれないほうが良いと思われます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる