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〈赤竜を駆る姫〉
旅をする巨竜
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翌朝、ユージンは朝餉を食べる前にルィヒに呼ばれ、見張り台へ向かった。
やっと人がすれ違えるくらいの幅しかない廊下の壁は、赤みがかった独特な色をしていて、昨夜の話を聞いた後ではどうしても獣の肉を連想してしまう。しかし、それを除けば、何の変哲もない石壁のように思えた。
これが竜の体内だなんて、やっぱり作り話なんじゃないか、と思いながら歩いて行くと、途中にカルヴァートが立っていた。
白い陶器の茶碗を二つ乗せた盆を持っている。ルィヒに気づくと、かすかに頭を下げた。
「お、気が利くな」
ルィヒは、嬉しそうに声をはずませて茶碗を手に取った。もう一つも、ひょいと器用に片手で取って、後ろにいるユージンに渡す。
器越しにでも指が温まるほど熱い液体に、鼻を近づけて少し香りを嗅いでから、ユージンは口をつけた。
よく煎った豆を挽いたような香ばしい風味のする、とろっとした舌ざわりの液体で、ユージンはすぐに、自分がよく知る飲み物だとわかった。こんなに質が良く、濃い物を飲んだのは久しぶりで、ユージンは無言でぐいぐいと中身をあおった。
「君、いくつだ?」自分よりも早く飲み終えたユージンを見て、ルィヒが苦笑する。「その味がわかるなら、子どもではなさそうだな」
「二十一」
ユージンは手の甲で口をぬぐいながら、素っ気なく答えた。
カルヴァートに茶碗を返して、さらに先へ進んでいくと、上向きに立てかけられた梯子が現れた。天井と接する部分には丸い蓋がついていて、内側から押し開けられるようになっている。
梯子の脇には馬鞍のような道具が掛かっていて、ルィヒは慣れた手つきでそれを肩に担いで梯子をのぼっていった。
ルィヒに続いて、ユージンも梯子をのぼった。
蓋から外に顔を出した途端、真っ白に灼けるような日射しに目がくらんだ。見張り台の隅に吹き溜まった砂が、かすかな風で散らされ、ぱらぱらと頬に打ちつける。しかし、その風は、思いがけない清々しさを含んだ、爽やかな朝の風だった。
高い所へのぼったためか、これまでよりもはっきりと揺れが感じ取れた。ズッ、ズン……、と、確かに図体の大きな動物が歩いているような間隔で、右に、左に揺れている。
ルィヒが、すっと手を上げて風上を示した。
「あちらが、頭だ」
次に、その手を反対側へ向ける。
「そして、こちらが尾。見張り台は、背中の最も高い所にあるが、どちらかというと尾に近いな」
そう言われても、ユージンの位置からは頭も尾も見て取る事が出来なかった。所々に瘤のある赤銅色の隆起が、前後に伸びているだけだ。
しかし、目を閉じて体のずっと下の方に意識を集中させてみると、確かにルィヒが頭だと示した方向に向かって移動している事がわかった。これが本当に一つの生き物なのだとしたら、途方もない大きさだ。
「我々が赤竜と呼ぶ存在は、ただこの一頭のみだが、彼の眷属ともいえる小竜は各地で群れを作って暮らしている。簡単に人前に姿を見せる種族ではないが、わたし達の旅路には、いつも付き添ってくれているんだよ」
ルィヒが天を指し示した。
「あそこにも一群れいる。見えるか?」
ユージンは顔の前に手をかざし、日射しを遮って空を仰いだ。確かに、空のはるか高みにいくつかの影が円を描いて舞っていた。だが、太陽の光を背負っているせいか、その姿は芥子粒のように小さな点にしか見えない。
「よくわからないな」ユージンは、呟いて首を振った。「ただの鳥にしか……」
何の気なしに、ルィヒに顔を戻したユージンは、彼女が近々と顔を寄せて自分の目を見つめている事に気づいて、思わず後ずさった。
「君は、綺麗な瞳の色をしているな。トッフラ(ウルシの一種)のようにつややかな黒の中に、時折、星を蒔いたような光の粒が現れる」
ルィヒは自分の瞳を指さした。
「クィヤラート王国民のほとんどは、鳶色の瞳だ。王族も例外ではない」
「この国の鳶は、羽が赤いのか?」
ユージンは、そう茶化したが、ルィヒは真面目な顔つきでゆっくりと首を振った。
「赤い瞳、赤い髪は〈赤竜を駆る姫〉である証だ。竜を駆る、つまり……」
ルィヒはおもむろに唇に指を当てると、ヒューイッ、と高い音を鳴らした。
その音が天に向かって吸い込まれ、しばらくすると、頭上に散らばっていた点の中からすうっと一つが離れ、見る間に大きさを増しながらユージン達に迫ってきた。
コウモリのような膜を持つ翼が羽音を轟かせて頭上で開き、見張り台は一瞬、すっぽりとその影の中に入って、日が落ちた後のように暗くなった。
小竜はゆるやかに旋回しながら見張り台に近づき、ルィヒの傍らで鉤爪を出して静かに着地した。
ユージンは、息をするのも忘れて、目の前に現れた生き物に見入っていた。
顔つきはトカゲと似ているが、トカゲとはまったく違う、一対の尖った牙が口の両端から覗いている。前脚は短く、いかにも頼りなさげだったが、鋭い鉤爪を使って獲物を捕らえる後脚にはがっちりと筋肉がついていた。
見張り台をすっぽりと包み込むほど大きな翼のせいで、とても巨躯な印象があるが、落ち着いて眺めてみれば、体の大きさは馬よりもひと回り小さいくらいだった。
剣の切っ先のように瞳孔がせばまった目玉が、くるくる、活発に動いてユージンを観察している。においを嗅ぎたいのか、興味津々といった様子でユージンに鼻面を押しつけようとする小竜を、ルィヒが苦笑しながらなだめていた。
「こら、そんなに動いたら鞍がつけられないだろう」
それを聞いたユージンは、さっと青ざめた。
「まさか、乗るのか?」
「生憎と馬は積んでいない」
話す間に、ルィヒは小竜に鞍を乗せ、手早く腹帯を締めて、あっという間に轡まで噛ませてしまった。
「なに、心配ない。すぐに慣れる」
朝食を取る前に呼び出された理由がわかった。
ユージンは、前に座っているルィヒの腰に両腕を回して、必死でしがみついている。ルィヒは空気の流れの変化に気を配りながら、落ち着いた様子で手綱を握っていた。
会ったばかりの、それも、王家の血を引くという少女に直にふれる事への躊躇いは、二人が跨がった小竜が二、三度、翼を羽ばたかせて、思い切りよく赤竜の背を蹴った瞬間、跡形もなく消え失せた。
急な姿勢の変化で振り落とされないように、腿でしっかりと鞍を挟んでいたが、大気の層を押しのけて飛んでいく抵抗といったらすさまじいもので、耳元でびゅうびゅうと風が鳴り、思いがけぬ所から空気の塊がぶつかってきて、何度も鞍から体が浮き上がりそうになる。
安定した気流をとらえ、水平飛行が出来るようになってからしばらくすると、ユージンはようやく人心地がついて、詰めていた息を吐いた。
「平気か?」
その問いかけにユージンが頷くと、ルィヒは目線で左手を示した。
「あれが、赤竜。──クィヤラート王国の宝だ」
青空をくっきりと縁取っている真っ白な地平線の上を、悠然と歩く巨大な生き物が、そこにいた。
ユージンがこれまでに目にしたどんな大木よりも太い四本の脚で、しっかりと大地を踏みしめて歩いてる。
翼を持ち、鉤爪と筋肉が発達した二本の後脚で跳ねるように移動する小竜がハヤブサのような猛禽類に近い動物だとすれば、赤竜は牛のようにずんぐりとした体型で、前方に長く首が伸びている。遠目には翼は持たないように見えた。首と同じくらい長い尾が地面と平行に伸び、全身の均衡を保っている。
「すごい」ユージンは思わず呟いた。「本当に、歩いてる……」
「早馬には適わないがな。急ぐ旅でもない」
ルィヒが、くん、と手綱を引くと、小竜がわずかに飛ぶ速度を上げた。赤竜の横を通り過ぎ、鼻先よりも前に出る。
ルィヒに、
「前を見てみろ」
と言われて、彼女の肩越しに目を凝らすと、前方の地平線にぱらぱらと花びらを落としたような淡い色彩の町並みが見えた。
「あれがサネゼル。我々が次に立ち寄る街だ」
「俺は、そこで降りるのか?」
ルィヒは首を振った。
「それでも良いが、あそこでは働き口が少ない。かなり辺境の街だからな。もちろん、君が望むのなら止めはしないが、サネゼルから南に向かって数日進めば、王都に着く。この国で最も栄えた街だ。わたしが生まれた王宮もある。そこなら仕事も見つけやすいだろう」
「乗せて行ってくれるっていうなら、ありがたく、甘えさせてもらうよ」そう言った後、ユージンは真面目な声で付け加えた。「だけど、いつまでもただ飯食らいじゃ落ち着かない。何か仕事をくれ」
「何が出来る?」
そう訊いてすぐに、ルィヒは、あ、と言って軽く下唇を噛んだ。
「すまない。ここに来る前の事は覚えていないのだったな」
そう呟くと、ルィヒは再び手綱を引いて小竜に指示を与え、小竜は風に乗ってふわっと高度を上げた。
「……そうだな、わたしの印象では、身のこなしが軽く、それでいて体幹はしっかりとしている。そして、物事の裏を多く見てきた者に特有の、あらかじめ危険を予期し、それに対して備えが出来る能力がある。
武器を使った事はあるか? 荒事に関わるのが嫌でなければ、護衛や用心棒が向いているだろう。カルヴァートの負担が減るように、まずは掃除や洗濯の手伝いから始めて、慣れてきたら、彼から偵察や斥候の心得を教わる。──どうだ?」
「わかった」ユージンは頷き、ちらっと下に目をやった。「じゃあ、まずはこいつの乗り方から教えてもらおうかな」
「盗んで逃げようなどとは考えるなよ」
にわかにルィヒの口調がきつくなった。
「クィヤラート王国の中で小竜を従えられるのは、〈赤竜を駆る姫〉と、彼女に選ばれた者だけだ。仮にうまく盗み出したとしても、わたしの指笛一つですぐに戻ってくる」
「そんな事しない」ユージンは口元を歪めた。「あんたも、ひねくれてるな。そんな心配をするなら、最初から俺なんか拾わなきゃよかったのに」
ルィヒは、虚を衝かれたように体を硬くして黙り込んだ。
しばらく、無言で小竜を飛ばしていたが、やがてひとつ首を振ると、
「すまない」
とこぼしてため息をついた。
「色々な土地を巡っていると、見たくもない物を見るのでね。──特に、こんな世の中では」
「どういう意味だ?」
ルィヒはその問いには答えず、ただ、曖昧な笑みを浮かべて呟いた。
「いずれわかる」
やっと人がすれ違えるくらいの幅しかない廊下の壁は、赤みがかった独特な色をしていて、昨夜の話を聞いた後ではどうしても獣の肉を連想してしまう。しかし、それを除けば、何の変哲もない石壁のように思えた。
これが竜の体内だなんて、やっぱり作り話なんじゃないか、と思いながら歩いて行くと、途中にカルヴァートが立っていた。
白い陶器の茶碗を二つ乗せた盆を持っている。ルィヒに気づくと、かすかに頭を下げた。
「お、気が利くな」
ルィヒは、嬉しそうに声をはずませて茶碗を手に取った。もう一つも、ひょいと器用に片手で取って、後ろにいるユージンに渡す。
器越しにでも指が温まるほど熱い液体に、鼻を近づけて少し香りを嗅いでから、ユージンは口をつけた。
よく煎った豆を挽いたような香ばしい風味のする、とろっとした舌ざわりの液体で、ユージンはすぐに、自分がよく知る飲み物だとわかった。こんなに質が良く、濃い物を飲んだのは久しぶりで、ユージンは無言でぐいぐいと中身をあおった。
「君、いくつだ?」自分よりも早く飲み終えたユージンを見て、ルィヒが苦笑する。「その味がわかるなら、子どもではなさそうだな」
「二十一」
ユージンは手の甲で口をぬぐいながら、素っ気なく答えた。
カルヴァートに茶碗を返して、さらに先へ進んでいくと、上向きに立てかけられた梯子が現れた。天井と接する部分には丸い蓋がついていて、内側から押し開けられるようになっている。
梯子の脇には馬鞍のような道具が掛かっていて、ルィヒは慣れた手つきでそれを肩に担いで梯子をのぼっていった。
ルィヒに続いて、ユージンも梯子をのぼった。
蓋から外に顔を出した途端、真っ白に灼けるような日射しに目がくらんだ。見張り台の隅に吹き溜まった砂が、かすかな風で散らされ、ぱらぱらと頬に打ちつける。しかし、その風は、思いがけない清々しさを含んだ、爽やかな朝の風だった。
高い所へのぼったためか、これまでよりもはっきりと揺れが感じ取れた。ズッ、ズン……、と、確かに図体の大きな動物が歩いているような間隔で、右に、左に揺れている。
ルィヒが、すっと手を上げて風上を示した。
「あちらが、頭だ」
次に、その手を反対側へ向ける。
「そして、こちらが尾。見張り台は、背中の最も高い所にあるが、どちらかというと尾に近いな」
そう言われても、ユージンの位置からは頭も尾も見て取る事が出来なかった。所々に瘤のある赤銅色の隆起が、前後に伸びているだけだ。
しかし、目を閉じて体のずっと下の方に意識を集中させてみると、確かにルィヒが頭だと示した方向に向かって移動している事がわかった。これが本当に一つの生き物なのだとしたら、途方もない大きさだ。
「我々が赤竜と呼ぶ存在は、ただこの一頭のみだが、彼の眷属ともいえる小竜は各地で群れを作って暮らしている。簡単に人前に姿を見せる種族ではないが、わたし達の旅路には、いつも付き添ってくれているんだよ」
ルィヒが天を指し示した。
「あそこにも一群れいる。見えるか?」
ユージンは顔の前に手をかざし、日射しを遮って空を仰いだ。確かに、空のはるか高みにいくつかの影が円を描いて舞っていた。だが、太陽の光を背負っているせいか、その姿は芥子粒のように小さな点にしか見えない。
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何の気なしに、ルィヒに顔を戻したユージンは、彼女が近々と顔を寄せて自分の目を見つめている事に気づいて、思わず後ずさった。
「君は、綺麗な瞳の色をしているな。トッフラ(ウルシの一種)のようにつややかな黒の中に、時折、星を蒔いたような光の粒が現れる」
ルィヒは自分の瞳を指さした。
「クィヤラート王国民のほとんどは、鳶色の瞳だ。王族も例外ではない」
「この国の鳶は、羽が赤いのか?」
ユージンは、そう茶化したが、ルィヒは真面目な顔つきでゆっくりと首を振った。
「赤い瞳、赤い髪は〈赤竜を駆る姫〉である証だ。竜を駆る、つまり……」
ルィヒはおもむろに唇に指を当てると、ヒューイッ、と高い音を鳴らした。
その音が天に向かって吸い込まれ、しばらくすると、頭上に散らばっていた点の中からすうっと一つが離れ、見る間に大きさを増しながらユージン達に迫ってきた。
コウモリのような膜を持つ翼が羽音を轟かせて頭上で開き、見張り台は一瞬、すっぽりとその影の中に入って、日が落ちた後のように暗くなった。
小竜はゆるやかに旋回しながら見張り台に近づき、ルィヒの傍らで鉤爪を出して静かに着地した。
ユージンは、息をするのも忘れて、目の前に現れた生き物に見入っていた。
顔つきはトカゲと似ているが、トカゲとはまったく違う、一対の尖った牙が口の両端から覗いている。前脚は短く、いかにも頼りなさげだったが、鋭い鉤爪を使って獲物を捕らえる後脚にはがっちりと筋肉がついていた。
見張り台をすっぽりと包み込むほど大きな翼のせいで、とても巨躯な印象があるが、落ち着いて眺めてみれば、体の大きさは馬よりもひと回り小さいくらいだった。
剣の切っ先のように瞳孔がせばまった目玉が、くるくる、活発に動いてユージンを観察している。においを嗅ぎたいのか、興味津々といった様子でユージンに鼻面を押しつけようとする小竜を、ルィヒが苦笑しながらなだめていた。
「こら、そんなに動いたら鞍がつけられないだろう」
それを聞いたユージンは、さっと青ざめた。
「まさか、乗るのか?」
「生憎と馬は積んでいない」
話す間に、ルィヒは小竜に鞍を乗せ、手早く腹帯を締めて、あっという間に轡まで噛ませてしまった。
「なに、心配ない。すぐに慣れる」
朝食を取る前に呼び出された理由がわかった。
ユージンは、前に座っているルィヒの腰に両腕を回して、必死でしがみついている。ルィヒは空気の流れの変化に気を配りながら、落ち着いた様子で手綱を握っていた。
会ったばかりの、それも、王家の血を引くという少女に直にふれる事への躊躇いは、二人が跨がった小竜が二、三度、翼を羽ばたかせて、思い切りよく赤竜の背を蹴った瞬間、跡形もなく消え失せた。
急な姿勢の変化で振り落とされないように、腿でしっかりと鞍を挟んでいたが、大気の層を押しのけて飛んでいく抵抗といったらすさまじいもので、耳元でびゅうびゅうと風が鳴り、思いがけぬ所から空気の塊がぶつかってきて、何度も鞍から体が浮き上がりそうになる。
安定した気流をとらえ、水平飛行が出来るようになってからしばらくすると、ユージンはようやく人心地がついて、詰めていた息を吐いた。
「平気か?」
その問いかけにユージンが頷くと、ルィヒは目線で左手を示した。
「あれが、赤竜。──クィヤラート王国の宝だ」
青空をくっきりと縁取っている真っ白な地平線の上を、悠然と歩く巨大な生き物が、そこにいた。
ユージンがこれまでに目にしたどんな大木よりも太い四本の脚で、しっかりと大地を踏みしめて歩いてる。
翼を持ち、鉤爪と筋肉が発達した二本の後脚で跳ねるように移動する小竜がハヤブサのような猛禽類に近い動物だとすれば、赤竜は牛のようにずんぐりとした体型で、前方に長く首が伸びている。遠目には翼は持たないように見えた。首と同じくらい長い尾が地面と平行に伸び、全身の均衡を保っている。
「すごい」ユージンは思わず呟いた。「本当に、歩いてる……」
「早馬には適わないがな。急ぐ旅でもない」
ルィヒが、くん、と手綱を引くと、小竜がわずかに飛ぶ速度を上げた。赤竜の横を通り過ぎ、鼻先よりも前に出る。
ルィヒに、
「前を見てみろ」
と言われて、彼女の肩越しに目を凝らすと、前方の地平線にぱらぱらと花びらを落としたような淡い色彩の町並みが見えた。
「あれがサネゼル。我々が次に立ち寄る街だ」
「俺は、そこで降りるのか?」
ルィヒは首を振った。
「それでも良いが、あそこでは働き口が少ない。かなり辺境の街だからな。もちろん、君が望むのなら止めはしないが、サネゼルから南に向かって数日進めば、王都に着く。この国で最も栄えた街だ。わたしが生まれた王宮もある。そこなら仕事も見つけやすいだろう」
「乗せて行ってくれるっていうなら、ありがたく、甘えさせてもらうよ」そう言った後、ユージンは真面目な声で付け加えた。「だけど、いつまでもただ飯食らいじゃ落ち着かない。何か仕事をくれ」
「何が出来る?」
そう訊いてすぐに、ルィヒは、あ、と言って軽く下唇を噛んだ。
「すまない。ここに来る前の事は覚えていないのだったな」
そう呟くと、ルィヒは再び手綱を引いて小竜に指示を与え、小竜は風に乗ってふわっと高度を上げた。
「……そうだな、わたしの印象では、身のこなしが軽く、それでいて体幹はしっかりとしている。そして、物事の裏を多く見てきた者に特有の、あらかじめ危険を予期し、それに対して備えが出来る能力がある。
武器を使った事はあるか? 荒事に関わるのが嫌でなければ、護衛や用心棒が向いているだろう。カルヴァートの負担が減るように、まずは掃除や洗濯の手伝いから始めて、慣れてきたら、彼から偵察や斥候の心得を教わる。──どうだ?」
「わかった」ユージンは頷き、ちらっと下に目をやった。「じゃあ、まずはこいつの乗り方から教えてもらおうかな」
「盗んで逃げようなどとは考えるなよ」
にわかにルィヒの口調がきつくなった。
「クィヤラート王国の中で小竜を従えられるのは、〈赤竜を駆る姫〉と、彼女に選ばれた者だけだ。仮にうまく盗み出したとしても、わたしの指笛一つですぐに戻ってくる」
「そんな事しない」ユージンは口元を歪めた。「あんたも、ひねくれてるな。そんな心配をするなら、最初から俺なんか拾わなきゃよかったのに」
ルィヒは、虚を衝かれたように体を硬くして黙り込んだ。
しばらく、無言で小竜を飛ばしていたが、やがてひとつ首を振ると、
「すまない」
とこぼしてため息をついた。
「色々な土地を巡っていると、見たくもない物を見るのでね。──特に、こんな世の中では」
「どういう意味だ?」
ルィヒはその問いには答えず、ただ、曖昧な笑みを浮かべて呟いた。
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