36 / 36
五章 最初の一手
最終話
しおりを挟む
外階段の下まで美蕗達を見送った後、利玖と史岐は部屋に戻り、ベッドで眠った。
体の冷えが取れなかった為か、利玖は寝つきが悪く、普段よりも二時間近く早い時刻に目が覚めたが、史岐の方が先に起きていたようだ。リビングのドアの磨り硝子越しにキッチンで煙草を吸っている姿が見えた。
利玖が上着を羽織り、そちらへ出て行くと、史岐は片手を上げてみせ、反対側の手で持っていた煙草をもみ消した。天井近くで換気扇が回っている。
「冷えるよ、ここは」それが、二人きりになってから初めて聞いた史岐の声だった。
「そうですね」利玖は手をこすり合わせて息を吐きかけながら彼の隣にしゃがむ。「でも、史岐さんだって寒いでしょうに」
「煙のせいで起こす方が気分が悪い」
「そうですか?」利玖は首を傾げた。「わたしは割と、幸せですけどね」
史岐は一瞬、虚を衝かれたように沈黙した後、ゆっくりと利玖を見下ろした。
「止められると思ったから、黙っていたわけではありません」利玖は、彼の瞳をひたと見つめて言った。「誤解を生じさせないように、と美蕗さんが配慮してくださいましたので、率直な言い方をします。わたしは、今回の件がどんな結末を迎えても、史岐さんに与える影響が大きすぎると判断しました」
「影響って、どんな?」史岐は煙草の箱を叩いて、一本取り出して口に咥える。工場で生まれたアンドロイドが元々持っているプリセットみたいな、混じり気のない微笑みを浮かべていた。
「これが、お子さんを亡くした方が、どのようにその事実と折り合いをつけ、そこに異形の存在がどう関わったか、という話だからです」
「ああ……、なるほど。境遇が似ているから、感情移入するんじゃないかって思ったんだね」史岐はライタを出して煙草に火を点けると、ふっと、唇の端から煙を漏らした。「そんなに、やわかね。僕は」
「少なくとも、店の二階に上がった時にはそう見えました」
史岐は笑みを作ったまま、顔の角度をわずかに下げて、右手で煙草を持った。
「まあね」低い声で呟き、再び口元に煙草を持っていく。「うちは、そこらじゅうにあったから。写真だけじゃない。名前の書いてある熨斗紙とか、ダイレクトメールとか、診療明細書も全部取ってある。あそこも、同じだと思っていたから……、うん、確かに、打ちのめされたのかもしれないな」
「千堂さんにとっては、彗星の方が大事でした」
「そうだね」史岐は頷いた。「でも、本望だったと思うよ。レモン・タルトが食べられなくなるのは残念だけど」
「そんなに美味しかったんですか?」
「僕が今まで食べた中では、たぶん、一番」史岐はドアの方に目を向ける。その向こうに千堂が立っていて、自分の言葉が届く事を期待しているような仕草だった。
「僕は、あのレモン・タルトを食べる為なら、何度でも柏名山に通っていいと思えた。あの人にとっては、それが彗星だった、というだけなんじゃないかな」
史岐はドアから顔を逸らし、目を伏せた。
「僕らと、怪異を隔てるものを、取り除こうと決意させる最後のファクタなんて、実の所はそれくらいありふれた、簡単な動機なのかもしれない」
体の冷えが取れなかった為か、利玖は寝つきが悪く、普段よりも二時間近く早い時刻に目が覚めたが、史岐の方が先に起きていたようだ。リビングのドアの磨り硝子越しにキッチンで煙草を吸っている姿が見えた。
利玖が上着を羽織り、そちらへ出て行くと、史岐は片手を上げてみせ、反対側の手で持っていた煙草をもみ消した。天井近くで換気扇が回っている。
「冷えるよ、ここは」それが、二人きりになってから初めて聞いた史岐の声だった。
「そうですね」利玖は手をこすり合わせて息を吐きかけながら彼の隣にしゃがむ。「でも、史岐さんだって寒いでしょうに」
「煙のせいで起こす方が気分が悪い」
「そうですか?」利玖は首を傾げた。「わたしは割と、幸せですけどね」
史岐は一瞬、虚を衝かれたように沈黙した後、ゆっくりと利玖を見下ろした。
「止められると思ったから、黙っていたわけではありません」利玖は、彼の瞳をひたと見つめて言った。「誤解を生じさせないように、と美蕗さんが配慮してくださいましたので、率直な言い方をします。わたしは、今回の件がどんな結末を迎えても、史岐さんに与える影響が大きすぎると判断しました」
「影響って、どんな?」史岐は煙草の箱を叩いて、一本取り出して口に咥える。工場で生まれたアンドロイドが元々持っているプリセットみたいな、混じり気のない微笑みを浮かべていた。
「これが、お子さんを亡くした方が、どのようにその事実と折り合いをつけ、そこに異形の存在がどう関わったか、という話だからです」
「ああ……、なるほど。境遇が似ているから、感情移入するんじゃないかって思ったんだね」史岐はライタを出して煙草に火を点けると、ふっと、唇の端から煙を漏らした。「そんなに、やわかね。僕は」
「少なくとも、店の二階に上がった時にはそう見えました」
史岐は笑みを作ったまま、顔の角度をわずかに下げて、右手で煙草を持った。
「まあね」低い声で呟き、再び口元に煙草を持っていく。「うちは、そこらじゅうにあったから。写真だけじゃない。名前の書いてある熨斗紙とか、ダイレクトメールとか、診療明細書も全部取ってある。あそこも、同じだと思っていたから……、うん、確かに、打ちのめされたのかもしれないな」
「千堂さんにとっては、彗星の方が大事でした」
「そうだね」史岐は頷いた。「でも、本望だったと思うよ。レモン・タルトが食べられなくなるのは残念だけど」
「そんなに美味しかったんですか?」
「僕が今まで食べた中では、たぶん、一番」史岐はドアの方に目を向ける。その向こうに千堂が立っていて、自分の言葉が届く事を期待しているような仕草だった。
「僕は、あのレモン・タルトを食べる為なら、何度でも柏名山に通っていいと思えた。あの人にとっては、それが彗星だった、というだけなんじゃないかな」
史岐はドアから顔を逸らし、目を伏せた。
「僕らと、怪異を隔てるものを、取り除こうと決意させる最後のファクタなんて、実の所はそれくらいありふれた、簡単な動機なのかもしれない」
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
九龍懐古
カロン
キャラ文芸
香港に巣食う東洋の魔窟、九龍城砦。
犯罪が蔓延る無法地帯でちょっとダークな日常をのんびり暮らす何でも屋の少年と、周りを取りまく住人たち。
今日の依頼は猫探し…のはずだった。
散乱するドラッグと転がる死体を見つけるまでは。
香港ほのぼの日常系グルメ犯罪バトルアクションです、お暇なときにごゆるりとどうぞ_(:3」∠)_
みんなで九龍城砦で暮らそう…!!
※キネノベ7二次通りましたとてつもなく狼狽えています
※HJ3一次も通りました圧倒的感謝
※ドリコムメディア一次もあざます
※字下げ・3点リーダーなどのルール全然守ってません!ごめんなさいいい!
表紙画像を十藍氏からいただいたものにかえたら、名前に‘様’がついていて少し恥ずかしいよテヘペロ
こっち向いてニャン!
鹿嶋 雲丹
キャラ文芸
林家で飼われている三匹のにゃんこ、キジトラのキジタロー、サバトラのサバオ、茶トラのチャーコ。
ひょんなことから、三匹の猫が人間に!
でも、その姿でいられるのは、ごく短い時間だけ。
それぞれ慕う飼い主さんへ、人の言葉で伝えたい事がある三匹は、どう行動するのか。
にゃんこと飼い主さんの、ほのぼのストーリー。
2人分生きる世界
晴屋想華
キャラ文芸
もしも、生まれた時から人生が2つ与えられていたとしたら、あなたはどう生きる?
この物語は、地球に住んでいる全員に現在から100年程前から人生が2つ与えられており、同時進行で2つの人生を生きていく物語。
主人公は、男性と女性の人生を歩んでいくのだが、こっちの人生の方が自分らしいと感じるなど好みというものが出てくる。人生が2つあるということは、悩みも2倍、幸せも2倍、そこがとても難しい。
人生が1つだったら、絶対に起きない事件も起きてしまう。そんな事件に巻き込まれながら、成長していく主人公達の姿を描いていく。
どう生きるのがあなたにとって、幸せなのだろうか。
17歳の青春あり、笑いあり、涙あり、複雑ありの2つの人生を中心に物語は進んでいく。
〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く
山河 枝
キャラ文芸
【簡単あらすじ】周りから忌み嫌われる下女が、不遇な王子に力を与え、彼を王にする。
★シリアス8:コミカル2
【詳細あらすじ】
50人もの侍女をクビにしてきた第三王子、雪晴。
次の侍女に任じられたのは、異能を隠して王城で働く洗濯女、水奈だった。
鱗があるために疎まれている水奈だが、盲目の雪晴のそばでは安心して過ごせるように。
みじめな生活を送る雪晴も、献身的な水奈に好意を抱く。
惹かれ合う日々の中、実は〈銀龍の愛し子〉である水奈が、雪晴の力を覚醒させていく。「王家の恥」と見下される雪晴を、王座へと導いていく。
みちのく銀山温泉
沖田弥子
キャラ文芸
高校生の花野優香は山形の銀山温泉へやってきた。親戚の営む温泉宿「花湯屋」でお手伝いをしながら地元の高校へ通うため。ところが駅に現れた圭史郎に花湯屋へ連れて行ってもらうと、子鬼たちを発見。花野家当主の直系である優香は、あやかし使いの末裔であると聞かされる。さらに若女将を任されて、神使の圭史郎と共に花湯屋であやかしのお客様を迎えることになった。高校生若女将があやかしたちと出会い、成長する物語。◆後半に優香が前の彼氏について語るエピソードがありますが、私の実体験を交えています。◆第2回キャラ文芸大賞にて、大賞を受賞いたしました。応援ありがとうございました!
2019年7月11日、書籍化されました。
空想宵闇あやかし奇譚 ♢道化の王♢
八花月
キャラ文芸
受験を控えた高校生、古谷 守(ふるや まもる)はある日突然、奇怪な事件に巻き込まれる。
父親が見知らぬ男と二人、自宅のガレージで死亡していたのだ!
守は事件の解明を望むが、警察はお手上げ状態。
そんな守の元に、三人の小人達を配下に従える不思議な探偵がやってきて……。
時ならず接触してきた怪しげな情報屋、神懸かりの少女などを巻き込み、
事件は思わぬ様相を呈しはじめる!
※毎日20時頃更新します。よろしく!
サバゲーマーズ!
青空鰹
キャラ文芸
何処にでもいる社会人。伊上 翔也 (いがみ しょうや)は、20歳の記念に友人の鈴木 勝平(すずき かっぺい)と共に居酒屋に行き、楽しく飲んでいた。
他の店に行こうとした際に気になるお店に目が止まり、そこへ入ることになった。
そのお店からサバイバルゲームと言う新たな趣味が始まる物語である!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる