25 / 36
四章 待ち焦がれた彗星
核心
しおりを挟む
三人はフロアの中央に近いテーブルに集まった。
一度は席に着こうとした千堂だったが、途中ではたと思い出したように腰を上げる。
「お飲み物があった方がよろしいですね」
「あ、それはご心配なく」
利玖は鞄の中から水筒を取り出してテーブルに置く。どん、と丸太みたいな鈍い音がした。中身が二リットル入る大容量のもので、真空断熱機構が採用されている。去年の夏に、必修のフィールドワークがあって、片道一時間ほどかけて自転車で現場まで通わなければならなかった時に、暑さに耐え切れなくて買った物だった。とても重いので、両手で支えなければ移動させられないのだが、今日わざわざ持ってきた理由は、千堂が用意した飲み物には何らかの細工がされるかもしれない、という危惧が半分と、素敵なロケイションの喫茶店でお気に入りの茶を飲んでみたい、という利玖の願望が半分である。
「営業中であれば失礼にあたるでしょうが、先日、介抱をして頂いたご恩もあります。暖房を効かせたフロアでお仕事をされていると、喉がいがらっぽくなる日もありませんか? 炎症を緩和する効果のあるカモミール・ティーですので、よろしければ」
「うわあ、嬉しいです」千堂はにっこりと笑って腰を下ろした。「では、お言葉に甘えて頂戴します」
テーブルの上に、利玖が準備をした紙コップが三つ並んだ。
「いい香りですね」千堂は紙コップに鼻先を近づけて目を細める。しかし、すぐにそれをテーブルに置いた。「では、何からお答えすればよろしいでしょうか?」
「千堂さんには今、とある怪異と取引を行っている疑いがかけられています」
史岐が話し始めた。
千堂はテーブルの上で両手を組み、かすかに笑みをたたえてそれを聞いている。
「この世界に存在する怪異、妖、或いは神として祀られているモノ。そういった存在と関わる事自体は一概に咎められるべきものではありません。ただ、それによって第三者が被害を受ける可能性があるとみなされた場合には、僕らのような人間にお呼びがかかるというわけです」
「穏やかじゃありませんね」千堂は紙コップを取って中身を一口飲み、満足げに嘆息して、二口目を飲もうとした所で「あ……」と呟いて利玖を見た。
「それじゃあ、この間、お連れの方が倒れてしまったのも、お化けがいたのでびっくりした、という理由ですか?」
「恐縮です」利玖は短く答えて微笑む。
「そうか、そうか……」千堂は紙コップを唇に当てたまま、首を縦に振った。
その口調と身振りに、利玖は一瞬、これまで彼に対して抱いた事のなかった野生的な印象と危ういバランスを感じ取った。
「いや、参りましたね。面と向かって『ここにはお化けがいる』と言われてしまうと、住んでいる側としては、どうしたものか」
「縁を断ち切る方法がないわけではありません」利玖も説得に加わった。「我々がお手伝い出来る事もあると思います。それを実行に移すかどうかは、ひとえに千堂さんがどうされたいか、というお心持ちにかかっています」
「どうされたいか」千堂は利玖の言葉をくり返して、指で顎をつまむ。「うん……、どうしたいんでしょうね。ちょっと、すぐには結論が出ないな」
「それでは、今、こちらで得ている情報を元に立てた仮説と、それに即した対策をご説明させて頂いてもよろしいでしょうか?」
史岐が訊ねると、千堂は、どうぞお好きに、という風に手のひらを彼に向けた。
「娘さんが柏名湖で行方不明になった後、貴方の前に『自分の力を使えば娘との再会が叶う』と持ちかける存在が現れた。彼は実際に、現代科学では説明不可能な奇蹟をいくつか起こしてみせ、貴方の信頼を得た。
貴方は、彼の言葉に従って柏名湖の近くに住まいを移し、娘さんの状況を知らせてもらう事と引き換えに彼への協力を続けた。しかし、最終かつ最大の望み──娘さんの肉体を蘇らせて、もう一度家族として共に暮らす事──に関しては、彼は大きな見返りを要求した」史岐は、隣に座っている後輩に目を移す。「ここにいる利玖を、生贄として捧げる事です」
「娘は死にました」千堂は柔らかな発音で言った。「運が良ければ、私が生きているうちに骨の一部が見つかるかどうか、といった所です。それをそっくりそのまま、いなくなった時と同じ姿に復元出来るというのは、荒唐無稽な話かと思いますが」
「その通りです」史岐は頷く。「死者を蘇らせるという行為は、あらゆる時代と文明で希われ、そして、否定されてきました。強大な力を持つ神といえど、簡単に成し遂げられる事ではありません。むしろ、これまでの前例を踏まえれば、どこの誰ともわからない依り代に適当な魂を入れたものを『時間が経てば本来の人格に戻る』という言い訳付きで寄越されるのが関の山です」
「それでも、ある程度の時間を共に過ごす事が出来れば、幸福感は得られるでしょうね」
「では、一つ補足を」史岐は人差し指を立てた。「死者の蘇生を試みる事は、現代では、神々の間においても固く禁じられています。そのタブーを犯した事がばれないように、彼は、貴方を利用出来る所まで利用し尽くしたと感じたら、最初に示した報酬を与えるよりも先に、すべての証拠を消し去ろうとする可能性が高い。何かの拍子に自分の名を喋ってしまうかもしれない、貴方という存在も含めて……」
「なるほど、そういうお話でしたか」
千堂は目をつむって両手の指先を合わせ、一度天井を仰いでから、利玖に視線を移した。
「確かに、利玖さんと伝手をつけられないか、という依頼は来ています。ですが、それは『捧げる』だなんて物騒なものじゃありませんよ」
一度は席に着こうとした千堂だったが、途中ではたと思い出したように腰を上げる。
「お飲み物があった方がよろしいですね」
「あ、それはご心配なく」
利玖は鞄の中から水筒を取り出してテーブルに置く。どん、と丸太みたいな鈍い音がした。中身が二リットル入る大容量のもので、真空断熱機構が採用されている。去年の夏に、必修のフィールドワークがあって、片道一時間ほどかけて自転車で現場まで通わなければならなかった時に、暑さに耐え切れなくて買った物だった。とても重いので、両手で支えなければ移動させられないのだが、今日わざわざ持ってきた理由は、千堂が用意した飲み物には何らかの細工がされるかもしれない、という危惧が半分と、素敵なロケイションの喫茶店でお気に入りの茶を飲んでみたい、という利玖の願望が半分である。
「営業中であれば失礼にあたるでしょうが、先日、介抱をして頂いたご恩もあります。暖房を効かせたフロアでお仕事をされていると、喉がいがらっぽくなる日もありませんか? 炎症を緩和する効果のあるカモミール・ティーですので、よろしければ」
「うわあ、嬉しいです」千堂はにっこりと笑って腰を下ろした。「では、お言葉に甘えて頂戴します」
テーブルの上に、利玖が準備をした紙コップが三つ並んだ。
「いい香りですね」千堂は紙コップに鼻先を近づけて目を細める。しかし、すぐにそれをテーブルに置いた。「では、何からお答えすればよろしいでしょうか?」
「千堂さんには今、とある怪異と取引を行っている疑いがかけられています」
史岐が話し始めた。
千堂はテーブルの上で両手を組み、かすかに笑みをたたえてそれを聞いている。
「この世界に存在する怪異、妖、或いは神として祀られているモノ。そういった存在と関わる事自体は一概に咎められるべきものではありません。ただ、それによって第三者が被害を受ける可能性があるとみなされた場合には、僕らのような人間にお呼びがかかるというわけです」
「穏やかじゃありませんね」千堂は紙コップを取って中身を一口飲み、満足げに嘆息して、二口目を飲もうとした所で「あ……」と呟いて利玖を見た。
「それじゃあ、この間、お連れの方が倒れてしまったのも、お化けがいたのでびっくりした、という理由ですか?」
「恐縮です」利玖は短く答えて微笑む。
「そうか、そうか……」千堂は紙コップを唇に当てたまま、首を縦に振った。
その口調と身振りに、利玖は一瞬、これまで彼に対して抱いた事のなかった野生的な印象と危ういバランスを感じ取った。
「いや、参りましたね。面と向かって『ここにはお化けがいる』と言われてしまうと、住んでいる側としては、どうしたものか」
「縁を断ち切る方法がないわけではありません」利玖も説得に加わった。「我々がお手伝い出来る事もあると思います。それを実行に移すかどうかは、ひとえに千堂さんがどうされたいか、というお心持ちにかかっています」
「どうされたいか」千堂は利玖の言葉をくり返して、指で顎をつまむ。「うん……、どうしたいんでしょうね。ちょっと、すぐには結論が出ないな」
「それでは、今、こちらで得ている情報を元に立てた仮説と、それに即した対策をご説明させて頂いてもよろしいでしょうか?」
史岐が訊ねると、千堂は、どうぞお好きに、という風に手のひらを彼に向けた。
「娘さんが柏名湖で行方不明になった後、貴方の前に『自分の力を使えば娘との再会が叶う』と持ちかける存在が現れた。彼は実際に、現代科学では説明不可能な奇蹟をいくつか起こしてみせ、貴方の信頼を得た。
貴方は、彼の言葉に従って柏名湖の近くに住まいを移し、娘さんの状況を知らせてもらう事と引き換えに彼への協力を続けた。しかし、最終かつ最大の望み──娘さんの肉体を蘇らせて、もう一度家族として共に暮らす事──に関しては、彼は大きな見返りを要求した」史岐は、隣に座っている後輩に目を移す。「ここにいる利玖を、生贄として捧げる事です」
「娘は死にました」千堂は柔らかな発音で言った。「運が良ければ、私が生きているうちに骨の一部が見つかるかどうか、といった所です。それをそっくりそのまま、いなくなった時と同じ姿に復元出来るというのは、荒唐無稽な話かと思いますが」
「その通りです」史岐は頷く。「死者を蘇らせるという行為は、あらゆる時代と文明で希われ、そして、否定されてきました。強大な力を持つ神といえど、簡単に成し遂げられる事ではありません。むしろ、これまでの前例を踏まえれば、どこの誰ともわからない依り代に適当な魂を入れたものを『時間が経てば本来の人格に戻る』という言い訳付きで寄越されるのが関の山です」
「それでも、ある程度の時間を共に過ごす事が出来れば、幸福感は得られるでしょうね」
「では、一つ補足を」史岐は人差し指を立てた。「死者の蘇生を試みる事は、現代では、神々の間においても固く禁じられています。そのタブーを犯した事がばれないように、彼は、貴方を利用出来る所まで利用し尽くしたと感じたら、最初に示した報酬を与えるよりも先に、すべての証拠を消し去ろうとする可能性が高い。何かの拍子に自分の名を喋ってしまうかもしれない、貴方という存在も含めて……」
「なるほど、そういうお話でしたか」
千堂は目をつむって両手の指先を合わせ、一度天井を仰いでから、利玖に視線を移した。
「確かに、利玖さんと伝手をつけられないか、という依頼は来ています。ですが、それは『捧げる』だなんて物騒なものじゃありませんよ」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
さよなら私の愛しい人
ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。
※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます!
※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
(完結)私の夫は死にました(全3話)
青空一夏
恋愛
夫が新しく始める事業の資金を借りに出かけた直後に行方不明となり、市井の治安が悪い裏通りで夫が乗っていた馬車が発見される。おびただしい血痕があり、盗賊に襲われたのだろうと判断された。1年後に失踪宣告がなされ死んだものと見なされたが、多数の債権者が押し寄せる。
私は莫大な借金を背負い、給料が高いガラス工房の仕事についた。それでも返し切れず夜中は定食屋で調理補助の仕事まで始める。半年後過労で倒れた私に従兄弟が手を差し伸べてくれた。
ところがある日、夫とそっくりな男を見かけてしまい・・・・・・
R15ざまぁ。因果応報。ゆるふわ設定ご都合主義です。全3話。お話しの長さに偏りがあるかもしれません。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
(完結)私は家政婦だったのですか?(全5話)
青空一夏
恋愛
夫の母親を5年介護していた私に子供はいない。お義母様が亡くなってすぐに夫に告げられた言葉は「わたしには6歳になる子供がいるんだよ。だから離婚してくれ」だった。
ありがちなテーマをさくっと書きたくて、短いお話しにしてみました。
さくっと因果応報物語です。ショートショートの全5話。1話ごとの字数には偏りがあります。3話目が多分1番長いかも。
青空異世界のゆるふわ設定ご都合主義です。現代的表現や現代的感覚、現代的機器など出てくる場合あります。貴族がいるヨーロッパ風の社会ですが、作者独自の世界です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる