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二章 銀箭に侵された地
槻本家の黒い車
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数日後、槻本家から指定された時間、指定されたローカル線の駅に利玖と史岐が降り立つと、ホームからすぐ見えるロータリィに黒塗りの高級車が停まっていた。
構内踏切がまだ現存しているほど、時の流れに取り残されたノスタルジックな駅舎の外観にはまったく似つかわしくない。しかし、その食い違いがかえって、同系統の車種に対して抱きやすいイメージと馴染んで不思議な調和を生み出していた。
改札をくぐって車に近づくと、運転席のドアが開き、中から黒いスーツを着た男が現れた。土産物の木彫りのような厳めしい体格。さほど日射しは強くないのに、真っ黒なサングラスをかけている。
彼は、後部座席に回ってドアを開け、史岐達が乗り込んだのを見届けると運転席に戻った。後部座席の窓は、左右どちらにも白いカーテンが引かれ、外の様子が見えないようになっている。
運転手の男は、自分が槻本家に仕える人間であり、今日の送迎を担当する、という内容を簡素に述べてから、助手席に置かれていた鞄を開け、襷のような黒い布と耳栓を取り出して史岐達に渡した。
どういう理由からか、槻本家が所有する邸宅がどこにあるのか、といった情報は非常に巧妙に隠されている。今日、降りるように指示されたこの駅も、必ずしも屋敷の最寄りとは限らないのだ。
こういった拘束を受ける可能性がある事を、あらかじめ、利玖には説明しておいたが、彼女は両手で受け取った襷をすぐには着けずに、じっと膝の上で見つめていた。
かと思いきや、おもむろに顔を上げ、
「あの」
と運転手の男に声をかける。
「お屋敷までは何分くらいですか?」
「お答え出来ません」
「耳栓まであるんですね」
「この車は遮音性が高い構造になっておりますが、それでも外部から入ってくる音で、おおまかな現在地を推察する事は不可能ではありません」そういう文章がサングラスの内側にでも書かれているのか、と訊きたくなるような事務的な口調だった。「こちらの指示に従って頂けない場合、お二人をお屋敷までお連れする事は許可出来ない、と仰せつかっております」
「そうですか……」
利玖は再び襷に目を落とし、運転手の男は、元々強面の顔をさらに力ませて彼女を睨む。いくら食い下がられようとも、この少女を前にして、一片たりとも自分の使命を忘れてやる気はない、という強固な意志を全身で見せつけているようだった。
再び利玖が「あのう」と口を開いた。先ほどよりも、かなり、遠慮気味な声色になっている。
「初対面の運転手の方に対して、こんな事を申し上げるのは、大変、気が引けるのですが」
「なんでしょうか」
「お屋敷に着くまで、少し眠らせて頂いても良いですか?」
男の口がわずかに開き、そして、それよりももっと大きな振れ幅で両方の眉が跳ね上がった。それがまるで、サングラスの中から飛び出してきたように見えて、史岐は思わず笑いそうになり、すんでの所で踏み止まる。
「こちらから会ってお話がしたいとお願いしておきながら、本当に厚かましい事を言っているという自覚はあるのですが、ここ一週間ほど、期末試験の対策でまったく睡眠が足りていないのです。今朝は特別に濃いコーヒーを淹れてきたので、一時間くらいの距離であれば何とか、と思ったのですが、いつ着くかもわからない、しかも、目隠しと耳栓まで着けるとなると、たぶん……」
利玖は心の底から、それを不甲斐ないと感じているようで、最後まで言い終える前にうつむいて口を閉ざしてしまった。
一方、運転手の男は完全に虚を衝かれたらしく、もぞもぞと唇を動かしながら答えに窮している。
狙ってこんな芸当が出来るというのなら大したものだ。しかし、史岐は、利玖が演技をしているわけではなく、ただ本心に従って礼儀を尽くしているだけなのだとわかっている。
その事を考えていると、また笑いが込み上げてきそうになり、とっさに窓の方に視線を逸らして息を漏らした。
「その、着いた時に、きちんと、すぐに起きてくださるのなら、問題はないかと思いますが」
やがて、男は別人のように頼りない口調でそう答えた。彼は運転手だから、その辺りのタイムテーブルの進行で差し障りが出ると、後日、美蕗から制裁を受けるのかもしれない。
「たぶん起きられると思いますが……」利玖は自分が座っているシートの手ざわりを確かめ、車の内装を見回し、最後に、哀しげに肩をすぼめた。「ああ、でもちょっと自信がありません。こんなに乗り心地の良さそうな車で運んで頂く機会って、わたしは、そう多くないんです」
堪え切れずに史岐は声を立てて笑ってしまった。
運転手の男と利玖、二人から同時に睨まれる。
「いや……、すみません」史岐は、襷をぴんと横に張って、顔に近づけながら謝罪した。
「でも、大丈夫だと思いますよ。この車が見た目ほどには寝心地が良くない事も、彼女の起こし方もわかっています」
利玖から向けられる物言いたげな視線しを、彼は柔らかな黒い布でシャットアウトした。
構内踏切がまだ現存しているほど、時の流れに取り残されたノスタルジックな駅舎の外観にはまったく似つかわしくない。しかし、その食い違いがかえって、同系統の車種に対して抱きやすいイメージと馴染んで不思議な調和を生み出していた。
改札をくぐって車に近づくと、運転席のドアが開き、中から黒いスーツを着た男が現れた。土産物の木彫りのような厳めしい体格。さほど日射しは強くないのに、真っ黒なサングラスをかけている。
彼は、後部座席に回ってドアを開け、史岐達が乗り込んだのを見届けると運転席に戻った。後部座席の窓は、左右どちらにも白いカーテンが引かれ、外の様子が見えないようになっている。
運転手の男は、自分が槻本家に仕える人間であり、今日の送迎を担当する、という内容を簡素に述べてから、助手席に置かれていた鞄を開け、襷のような黒い布と耳栓を取り出して史岐達に渡した。
どういう理由からか、槻本家が所有する邸宅がどこにあるのか、といった情報は非常に巧妙に隠されている。今日、降りるように指示されたこの駅も、必ずしも屋敷の最寄りとは限らないのだ。
こういった拘束を受ける可能性がある事を、あらかじめ、利玖には説明しておいたが、彼女は両手で受け取った襷をすぐには着けずに、じっと膝の上で見つめていた。
かと思いきや、おもむろに顔を上げ、
「あの」
と運転手の男に声をかける。
「お屋敷までは何分くらいですか?」
「お答え出来ません」
「耳栓まであるんですね」
「この車は遮音性が高い構造になっておりますが、それでも外部から入ってくる音で、おおまかな現在地を推察する事は不可能ではありません」そういう文章がサングラスの内側にでも書かれているのか、と訊きたくなるような事務的な口調だった。「こちらの指示に従って頂けない場合、お二人をお屋敷までお連れする事は許可出来ない、と仰せつかっております」
「そうですか……」
利玖は再び襷に目を落とし、運転手の男は、元々強面の顔をさらに力ませて彼女を睨む。いくら食い下がられようとも、この少女を前にして、一片たりとも自分の使命を忘れてやる気はない、という強固な意志を全身で見せつけているようだった。
再び利玖が「あのう」と口を開いた。先ほどよりも、かなり、遠慮気味な声色になっている。
「初対面の運転手の方に対して、こんな事を申し上げるのは、大変、気が引けるのですが」
「なんでしょうか」
「お屋敷に着くまで、少し眠らせて頂いても良いですか?」
男の口がわずかに開き、そして、それよりももっと大きな振れ幅で両方の眉が跳ね上がった。それがまるで、サングラスの中から飛び出してきたように見えて、史岐は思わず笑いそうになり、すんでの所で踏み止まる。
「こちらから会ってお話がしたいとお願いしておきながら、本当に厚かましい事を言っているという自覚はあるのですが、ここ一週間ほど、期末試験の対策でまったく睡眠が足りていないのです。今朝は特別に濃いコーヒーを淹れてきたので、一時間くらいの距離であれば何とか、と思ったのですが、いつ着くかもわからない、しかも、目隠しと耳栓まで着けるとなると、たぶん……」
利玖は心の底から、それを不甲斐ないと感じているようで、最後まで言い終える前にうつむいて口を閉ざしてしまった。
一方、運転手の男は完全に虚を衝かれたらしく、もぞもぞと唇を動かしながら答えに窮している。
狙ってこんな芸当が出来るというのなら大したものだ。しかし、史岐は、利玖が演技をしているわけではなく、ただ本心に従って礼儀を尽くしているだけなのだとわかっている。
その事を考えていると、また笑いが込み上げてきそうになり、とっさに窓の方に視線を逸らして息を漏らした。
「その、着いた時に、きちんと、すぐに起きてくださるのなら、問題はないかと思いますが」
やがて、男は別人のように頼りない口調でそう答えた。彼は運転手だから、その辺りのタイムテーブルの進行で差し障りが出ると、後日、美蕗から制裁を受けるのかもしれない。
「たぶん起きられると思いますが……」利玖は自分が座っているシートの手ざわりを確かめ、車の内装を見回し、最後に、哀しげに肩をすぼめた。「ああ、でもちょっと自信がありません。こんなに乗り心地の良さそうな車で運んで頂く機会って、わたしは、そう多くないんです」
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「いや……、すみません」史岐は、襷をぴんと横に張って、顔に近づけながら謝罪した。
「でも、大丈夫だと思いますよ。この車が見た目ほどには寝心地が良くない事も、彼女の起こし方もわかっています」
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