上 下
6 / 36
一章 謎を纏った喫茶店

曇り空

しおりを挟む
 翌日、土曜日は、完全に日が落ちるのを待ってから二人で再び柏名山に上った。
 昼間は良く晴れていたのだが、日没間際から雲が出始め、今では完全に空全体を覆っている。これは、潟杜市ではよく見られる天候の推移パターンだ。市の中心部でも六百メートルほどの標高があるので、天気が変わりやすく、特に昼間が理想的に晴れていれば晴れているほど、夜になってから雲が出やすいという傾向がある。
 それでも、いくらかは雲が流れる事を期待して山頂近くの駐車帯までやって来たのだが、やはり、星も月もほとんど視認出来なかった。
 これも、市街地が高地にある関係で、潟杜市内には夜間でも出入りが可能な展望台が幾つかある。その中でも観測場所に柏名山を選んだ理由は二つあった。
 一つは、もちろん、千堂が指定した場所である事。彗星の出現に伴う何らかの危険があるだとしても、彼の近くにいればそれを免れる可能性が高い。
 もう一つは、単に人気の少ない場所だから、という事で、なまじ大学が近くにあるばかりに、場所選びを誤ると暗闇でカップルに遭遇して双方大変に気まずい思いをする事になる。
 そういう理由なら、自分達だって堂々と胸を張って乗り込んでいけば良いのではないか、と史岐は思ったが、今回はそういった趣旨とは若干異なるだろうと思って黙っていた。
 展望がきく駐車帯は喫茶ウェスタよりも高い所にあり、一度、車で店の前を通り過ぎる。ここを訪れるのは、史岐にとっては二度目だった。
 初めて訪れた、あの時には星が見えただろうか。
 よくわからない。そんなに上の方を見る気力など、たぶん、なかったのではないだろうか。
 だが、今は近くに利玖がいる。
 すぐにそんな連想をした自分が、底抜けに単純で、馬鹿らしく思えて、そしてまた、ヒトの感受性なんてものは、たとえ同じからだの中で生み出される物であっても、こんなにも環境によって左右されるものなのか、と思って、史岐は暗闇でひっそりと唇をゆがませた。
 ガードレールの両端の間を行ったり来たりして彗星を探していた利玖が、史岐の隣に戻ってきて、残念そうに「見えませんね」と言った。
「そもそも、どの方角に現れるのかが不明ですし、こんな状態では『実在しない』と断言する事も出来ません」
「何時くらいに見えるのかも訊かなかったね」
 史岐は自分の腕時計を見て言った。長針と短針に蓄光塗装が施されているので、暗闇でも時間がわかる代物だ。
 そろそろ二十時になる。夕食を取らずにやって来たので、正直、かなりの空腹感を覚えていた。
「本当に地球がなくなる夜も、こんなに静かなのかな」
 その史岐の呟きは、もし自分が生きている間にそんな瞬間が訪れるのだとしたら、今のように利玖がそばにいてくれる時が良い、という思いからこぼれた言葉だったが、彼女から返ってきたのは、
「我々の意識がなくなるのが先だったら、それは、静かだと認識出来るんじゃないですか?」
というきわめてシンプルな定義だった。
「でも、どうなんでしょう。それも怖いですよね。周りにいる人間が一斉に意識を失い始めたら、それは、明らかに異常でしょう?
 それなのに自分も、為す術なく五感が失われていく。たぶん、もうじき死ぬ、という事くらいはわかるでしょう。
 ちょっとぞっとしますね。それならいっそ、隕石の一つや二つ、どかんと降ってくるのを見ながら迎える死の方が、興奮で気が紛れて良いかもしれません」
「よく、そんな具体的な発想が出来るよね」
「実習で生きものを扱っていると、色々と考えさせられるのですよ。カエルの時には参りましたねえ」しみじみと言いながら、利玖は顎に人差し指を当ててくるっと瞳をめぐらした。「あれは……、確か、初夏でしたか。田んぼにいる時期じゃないと出来ませんから」
「え?」史岐は思わず彼女の顔を見る。「待って、じゃあ、解剖するやつ、自分でその辺から捕ってくるの?」
 そう訊いた時、突然、彼らの右側、坂道の下の方から、強い人工の光が二人に向かって照射された。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

かの子でなくば Nobody's report

梅室しば
キャラ文芸
現役大学生作家を輩出した潟杜大学温泉同好会。同大学に通う旧家の令嬢・平梓葉がそれを知って「ある旅館の滞在記を書いてほしい」と依頼する。梓葉の招待で県北部の温泉郷・樺鉢温泉村を訪れた佐倉川利玖は、村の歴史を知る中で、自分達を招いた旅館側の真の意図に気づく。旅館の屋上に聳えるこの世ならざる大木の根元で行われる儀式に招かれられた利玖は「オカバ様」と呼ばれる老神と出会うが、樺鉢の地にもたらされる恵みを奪取しようと狙う者もまた儀式の場に侵入していた──。 ※本作は「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」「エブリスタ」にも掲載しています。

臼歯を埋める Puffy fruit

梅室しば
キャラ文芸
【キッチンに残された十六個の歯。これを育てる、だって?】 佐倉川利玖の前に現れた十六個の歯。不思議な材質で出来た歯の近くには『そだててください』という書置きも残されていた。熊野史岐と佐倉川匠も合流して歯の正体を探るが、その最中、歯の一つが割れて芽が伸びているのが見つかる。刻一刻と変化する謎の歯に対処する為に、三人は岩河弥村へ向かい、佐倉川真波の協力を得て栽培に取り掛かる。──これは、奇妙な花の生態に翻弄された数日間のレポート。 ※本作は「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」「エブリスタ」にも掲載しています。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夏の嵐

萩尾雅縁
キャラ文芸
 垣間見た大人の世界は、かくも美しく、残酷だった。  全寮制寄宿学校から夏季休暇でマナーハウスに戻った「僕」は、祖母の開いた夜会で美しい年上の女性に出会う。英国の美しい田園風景の中、「僕」とその兄、異国の彼女との間に繰り広げられる少年のひと夏の恋の物話。 「胡桃の中の蜃気楼」番外編。

ニンジャマスター・ダイヤ

竹井ゴールド
キャラ文芸
 沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。  大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。  沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。

SERTS season 1

道等棟エヴリカ
キャラ文芸
「自分以外全員雌」……そんな生態の上位存在である『王』と、その従者である『僕』が、長期バカンスで婚活しつつメシを食う! 食文化を通して人の営みを学び、その心の機微を知り、「人外でないもの」への理解を深めてふたりが辿り着く先とは。そして『かわいくてつよいおよめさん』は見つかるのか? 近未来を舞台としたのんびりグルメ旅ジャーナルがここに発刊。中国編。 ⚠このシリーズはフィクションです。作中における地理や歴史観は、実在の国や地域、団体と一切関係はありません。 ⚠一部グロテスクな表現や性的な表現があります。(R/RG15程度) ⚠環境依存文字の入った料理名はカタカナ表記にしています。ご了承ください。

処理中です...