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第九章 恣意と煩慮
第七節-01
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しばらくして、美咲は藍色の世界に入り込んだことに気付いた。今はもう、驚くことはない。ここは夢の中。鬼王が縛られている世界だ。
少し先には、桜の木が見える。そこはいつ来ても、薄紅の花を満開にさせている。
美咲は躊躇うことなく先に進んだ。緩やかに降りかかる桜の花びらは、泣きたいほどに美しい。
桜の木に近付くと、ヒトが立っていた。だが、そこにいたのは鬼王ではなかった。
ふわふわと長いウェーブのかかった髪、鋭さを帯びた双眸、スラリと伸びた手足。目を瞠るほどの綺麗な女だ。
「いらっしゃい」
女は口元に笑みを湛えながら、美咲に声をかけてくる。
美咲は驚きつつ、けれどもすぐに我に返った。
「あなたは……?」
美咲の問いに、女は「私はシュリ」と答えた。
「鬼王によって命を吹き込まれた者。そういえば、あなたに逢うのは初めてだったわね? あなたのナカダチには一度逢っているけれど」
「ナカダチ……?」
一瞬、何のことを言っているのか分からなかったが、少し考えて、朝霞のことだと理解した。
「アサちゃんも、こっちに来たことがあるの……?」
美咲が訊ねると、シュリと名乗った女は「ええ」と頷く。
「ほんとについ最近のことよ。アサカはずっと自分の存在について悩んで、ここに答えを求めに来たのよ」
「アサちゃんが、悩んで……?」
美咲は、朝霞が思いつめてここまで来たことを想像した。幼い頃から孤独との戦いだったと思う。だが、それでも逃げず、黙って実父に従い続けた。
(よっぽど、限界だったってことだったんだね……)
シュリを見つめると、相変わらず笑みを浮かべている。しかし、その微笑はどこか淋しげに映る。
そういえば、と美咲は気になった。シュリは、鬼王によって命を吹き込まれたと言っていたが、いったいどういうことなのか。
「私も元は普通の人間だったのよ。いえ、普通の人間だったと思い込んでいた、と言った方が正しいわね」
美咲の心を読めるのか、シュリは迷いもなく口にした。
「自分でもわけが分からないまま実の父親に手をかけられ、一度は命を落とした。でも、そんな私を鬼王が救ってくれた。そして、鬼王に真実を全て聴いたのよ。――私は、桜姫の双子の姉の生まれ変わりで、ナカダチのチカラを持っている、と……」
シュリは淡々と語っていたが、美咲の心臓は早鐘を打ち続けた。特に、〈ナカダチ〉という固有名詞に過敏に反応した。
それに気付いたのか、シュリは美咲に真っ直ぐな視線を注ぎながら微苦笑する。
「私もアサカ同様、桜姫復活の鍵を握っていた。けれど、それが成し遂げられるのは同じ時代、同じ時に生を成したもの同士。だから今の私にはナカダチのチカラはない。その代わり、鬼王から分け与えて頂いたチカラがあるのだけど」
そこまで言うと、シュリは白い手を美咲の頬に伸ばしてきた。そして、壊れ物を扱うようにそっと撫でる。
鬼王の時と同様、ひんやりとしている。シュリも肉体を持たないから、ヒトの温もりがないのだろう。
恐怖心は全くなかった。ただ、シュリが憐れに思えた。朝霞のように。
「憐れんでもらいたくないわ」
先ほどとは打って変わり、シュリの口調が刺々しくなった。
「私は生きていた時の方が地獄だった。父親に愛されず、自分が何者かも分からず、罪人も同然な暮らしは辛いことの方が多かった。だから、今に満足している。今の私は、鬼王に必要とされてる。――桜姫が……、復活を遂げるまでは……」
最後の言葉は、辺りの宵闇に溶け込んでしまいそうなほど小さかった。そして、シュリの想いが痛いほど美咲にも伝わった。シュリは、自分に最期の居場所を与えてくれた鬼王を心から愛している。鬼王が望むのであれば、自らの存在が完全に消え失せることも決して厭わないほどに――
シュリの儚く切ない想いは桜姫にも届いているのだろうか。もし、届いたとして、桜姫はどんな心地でシュリの言葉一つ一つに耳を傾けているのか。
(なんて哀しい宿命だろう……)
憐れんでほしくない、と言われたものの、辛いものは辛い。美咲自身の想いなのか、それとも、桜姫の想いも重なっているのか。
少し先には、桜の木が見える。そこはいつ来ても、薄紅の花を満開にさせている。
美咲は躊躇うことなく先に進んだ。緩やかに降りかかる桜の花びらは、泣きたいほどに美しい。
桜の木に近付くと、ヒトが立っていた。だが、そこにいたのは鬼王ではなかった。
ふわふわと長いウェーブのかかった髪、鋭さを帯びた双眸、スラリと伸びた手足。目を瞠るほどの綺麗な女だ。
「いらっしゃい」
女は口元に笑みを湛えながら、美咲に声をかけてくる。
美咲は驚きつつ、けれどもすぐに我に返った。
「あなたは……?」
美咲の問いに、女は「私はシュリ」と答えた。
「鬼王によって命を吹き込まれた者。そういえば、あなたに逢うのは初めてだったわね? あなたのナカダチには一度逢っているけれど」
「ナカダチ……?」
一瞬、何のことを言っているのか分からなかったが、少し考えて、朝霞のことだと理解した。
「アサちゃんも、こっちに来たことがあるの……?」
美咲が訊ねると、シュリと名乗った女は「ええ」と頷く。
「ほんとについ最近のことよ。アサカはずっと自分の存在について悩んで、ここに答えを求めに来たのよ」
「アサちゃんが、悩んで……?」
美咲は、朝霞が思いつめてここまで来たことを想像した。幼い頃から孤独との戦いだったと思う。だが、それでも逃げず、黙って実父に従い続けた。
(よっぽど、限界だったってことだったんだね……)
シュリを見つめると、相変わらず笑みを浮かべている。しかし、その微笑はどこか淋しげに映る。
そういえば、と美咲は気になった。シュリは、鬼王によって命を吹き込まれたと言っていたが、いったいどういうことなのか。
「私も元は普通の人間だったのよ。いえ、普通の人間だったと思い込んでいた、と言った方が正しいわね」
美咲の心を読めるのか、シュリは迷いもなく口にした。
「自分でもわけが分からないまま実の父親に手をかけられ、一度は命を落とした。でも、そんな私を鬼王が救ってくれた。そして、鬼王に真実を全て聴いたのよ。――私は、桜姫の双子の姉の生まれ変わりで、ナカダチのチカラを持っている、と……」
シュリは淡々と語っていたが、美咲の心臓は早鐘を打ち続けた。特に、〈ナカダチ〉という固有名詞に過敏に反応した。
それに気付いたのか、シュリは美咲に真っ直ぐな視線を注ぎながら微苦笑する。
「私もアサカ同様、桜姫復活の鍵を握っていた。けれど、それが成し遂げられるのは同じ時代、同じ時に生を成したもの同士。だから今の私にはナカダチのチカラはない。その代わり、鬼王から分け与えて頂いたチカラがあるのだけど」
そこまで言うと、シュリは白い手を美咲の頬に伸ばしてきた。そして、壊れ物を扱うようにそっと撫でる。
鬼王の時と同様、ひんやりとしている。シュリも肉体を持たないから、ヒトの温もりがないのだろう。
恐怖心は全くなかった。ただ、シュリが憐れに思えた。朝霞のように。
「憐れんでもらいたくないわ」
先ほどとは打って変わり、シュリの口調が刺々しくなった。
「私は生きていた時の方が地獄だった。父親に愛されず、自分が何者かも分からず、罪人も同然な暮らしは辛いことの方が多かった。だから、今に満足している。今の私は、鬼王に必要とされてる。――桜姫が……、復活を遂げるまでは……」
最後の言葉は、辺りの宵闇に溶け込んでしまいそうなほど小さかった。そして、シュリの想いが痛いほど美咲にも伝わった。シュリは、自分に最期の居場所を与えてくれた鬼王を心から愛している。鬼王が望むのであれば、自らの存在が完全に消え失せることも決して厭わないほどに――
シュリの儚く切ない想いは桜姫にも届いているのだろうか。もし、届いたとして、桜姫はどんな心地でシュリの言葉一つ一つに耳を傾けているのか。
(なんて哀しい宿命だろう……)
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