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第七章 揺動と傷痕
第七節
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美咲を自宅まで送り届けてから、南條はそのまま自分のアパートへと帰宅した。本当は帰すのは惜しい気持ちだったが、やはり、二人きりになってしまったら美咲を傷付ける行為に至ってしまう。美咲がそれを望んでいたとしても、今はその時ではない。そう自分に強く言い聞かせた。
誰もいない部屋に鍵を開けて入ると、昨晩の藍田家での賑やかさが嘘のように静けさに包まれている。
南條は台所にある冷蔵庫の前で足を止める。扉を開けてみれば、常にストックしているビールと冷酒で中はほぼ占領されている。食べ物も入っていることは入っているものの、キムチやイカの塩辛といった、いかにも酒のつまみだと言わんばかりのものしかない。
もし、美咲を連れて来たとして、美咲が冷蔵庫の中を見たらどう思うか、などと考えた。多分、未成年の彼女には酒は未知なるものだろうから、目にした瞬間、その場で言葉を失って固まってしまうかもしれない。不意にそんな姿を想像し、フッと笑いが込み上げてきた。
「まさに酒浸りな生活だな」
南條はひとりごちながら、ビール缶を一本と、プラスチックケースに入ったキムチを取り出して冷蔵庫を閉めた。さらに流し台に無造作に置かれた箸を持ち、六畳間の和室へと足を踏み入れる。
部屋の中心に置かれたローテーブルにそれらを置くと、その場に胡座をかいて早速ビールを開けて喉に流し込む。一人で飲むのは日常茶飯事なのに、何故か虚しさを感じてしまう。そして、空虚感を埋めるためにさらに呷るも、それでも心の中の隙間は埋まるどころか広がる一方だった。
結局、南條は一本だけ空にし、キムチに手を付けることなく、座布団を枕代わりにして直に畳の上に仰向けになった。南條が生まれた年よりも五年ほど遅くに建てられたアパートの天井には、くすんだ蛍光灯の傘と、二十年以上の汚れが染み付いた天井が目に飛び込む。
ジッと天井を睨むと、木目の模様が人の顔のように見えてくる。もちろん、いつも見慣れているものだし、それに恐怖を感じることなど全くないが、それでもふとした瞬間、自分の情けない姿を父親の博和が見下ろしながら嘆いているのではないか、などと考えてしまう。しかも、今日は美咲を連れて墓参りに行ったからなおさらだった。
「親父にとっての、幸せ、か……」
博和の墓の前で美咲が問いかけてきた言葉を思い浮かべながら、南條はポツリと口にする。
博和が自分の行為を悔いたことは一度もなかったであろうという確信はある。しかし、まだ生きたかったことも事実だっただろう。誰だって死にたくなどないと思う。南條自身もまた、飄々と構えているように見られがちだが、内心では死ぬことに恐怖を感じている。だからこそ、長きに渡って存在し続ける鬼王に畏怖を抱く。
だが、一番恐ろしいのは藍田の存在だ。鬼王は当然だが、藍田もまた、何を考えているのか全く分からない。
美咲が南條にしがみ着いてきた時、藍田が美咲に向けて口元を歪めていたのを南條は見逃さなかった。すんなりと美咲を解放したかに思えたが、執念深そうなあの男が美咲を簡単に諦めるとはとても思えない。確実に次の機会を狙っている。
(美咲は、あの男に穢されそうになった……)
昨晩、藍田にされたことを告白した美咲がとても痛々しかった。男を知らない――いや、触れ合うことを知っていたとしても、心の傷は決して癒えることはないかもしれない。それを分かったからこそ、美咲を最後まで抱けなかった。場所的なものもあったが、南條のアパートのような二人きりの空間にいたとしても、美咲に触れることぐらいしか出来なかっただろう。
「鬼王こそ、愛する女が簡単に穢されるのはイヤだろう?」
心なしか鬼王の視線も感じ、問いかけてみる。現に決して出てくることのない鬼王から返答が戻ってこないと分かっていても。
興味のない女こそいくらでも抱ける。相手が望めば、出来る限りのことには応えてきた。ただ、本気で子を望まれた時はやんわりとでも拒絶したが。どんな時でも避妊は確実にしていた自信はあるから、まかり間違っても相手が身籠ったことはないはずだ。
「美咲も、こんな男でほんとにいいと思うか……?」
今度は美咲にも質問を投げかける。過去のことを隠し立てするつもりはないが、あえて言うつもりもない。それに、女にだらしなかった南條のことなど、美咲は知りたくもないだろう。いや、もしかしたら、薄々と勘付いている部分もあるか。美咲は意外と聡い面がある。
「俺も結局は、あの男と変わりない……」
自虐的なことを口にしたとたん、徐々に意識が遠のいていった。これは、鬼王からの誘いか。ぼんやりとしながらも南條は思った。
誰もいない部屋に鍵を開けて入ると、昨晩の藍田家での賑やかさが嘘のように静けさに包まれている。
南條は台所にある冷蔵庫の前で足を止める。扉を開けてみれば、常にストックしているビールと冷酒で中はほぼ占領されている。食べ物も入っていることは入っているものの、キムチやイカの塩辛といった、いかにも酒のつまみだと言わんばかりのものしかない。
もし、美咲を連れて来たとして、美咲が冷蔵庫の中を見たらどう思うか、などと考えた。多分、未成年の彼女には酒は未知なるものだろうから、目にした瞬間、その場で言葉を失って固まってしまうかもしれない。不意にそんな姿を想像し、フッと笑いが込み上げてきた。
「まさに酒浸りな生活だな」
南條はひとりごちながら、ビール缶を一本と、プラスチックケースに入ったキムチを取り出して冷蔵庫を閉めた。さらに流し台に無造作に置かれた箸を持ち、六畳間の和室へと足を踏み入れる。
部屋の中心に置かれたローテーブルにそれらを置くと、その場に胡座をかいて早速ビールを開けて喉に流し込む。一人で飲むのは日常茶飯事なのに、何故か虚しさを感じてしまう。そして、空虚感を埋めるためにさらに呷るも、それでも心の中の隙間は埋まるどころか広がる一方だった。
結局、南條は一本だけ空にし、キムチに手を付けることなく、座布団を枕代わりにして直に畳の上に仰向けになった。南條が生まれた年よりも五年ほど遅くに建てられたアパートの天井には、くすんだ蛍光灯の傘と、二十年以上の汚れが染み付いた天井が目に飛び込む。
ジッと天井を睨むと、木目の模様が人の顔のように見えてくる。もちろん、いつも見慣れているものだし、それに恐怖を感じることなど全くないが、それでもふとした瞬間、自分の情けない姿を父親の博和が見下ろしながら嘆いているのではないか、などと考えてしまう。しかも、今日は美咲を連れて墓参りに行ったからなおさらだった。
「親父にとっての、幸せ、か……」
博和の墓の前で美咲が問いかけてきた言葉を思い浮かべながら、南條はポツリと口にする。
博和が自分の行為を悔いたことは一度もなかったであろうという確信はある。しかし、まだ生きたかったことも事実だっただろう。誰だって死にたくなどないと思う。南條自身もまた、飄々と構えているように見られがちだが、内心では死ぬことに恐怖を感じている。だからこそ、長きに渡って存在し続ける鬼王に畏怖を抱く。
だが、一番恐ろしいのは藍田の存在だ。鬼王は当然だが、藍田もまた、何を考えているのか全く分からない。
美咲が南條にしがみ着いてきた時、藍田が美咲に向けて口元を歪めていたのを南條は見逃さなかった。すんなりと美咲を解放したかに思えたが、執念深そうなあの男が美咲を簡単に諦めるとはとても思えない。確実に次の機会を狙っている。
(美咲は、あの男に穢されそうになった……)
昨晩、藍田にされたことを告白した美咲がとても痛々しかった。男を知らない――いや、触れ合うことを知っていたとしても、心の傷は決して癒えることはないかもしれない。それを分かったからこそ、美咲を最後まで抱けなかった。場所的なものもあったが、南條のアパートのような二人きりの空間にいたとしても、美咲に触れることぐらいしか出来なかっただろう。
「鬼王こそ、愛する女が簡単に穢されるのはイヤだろう?」
心なしか鬼王の視線も感じ、問いかけてみる。現に決して出てくることのない鬼王から返答が戻ってこないと分かっていても。
興味のない女こそいくらでも抱ける。相手が望めば、出来る限りのことには応えてきた。ただ、本気で子を望まれた時はやんわりとでも拒絶したが。どんな時でも避妊は確実にしていた自信はあるから、まかり間違っても相手が身籠ったことはないはずだ。
「美咲も、こんな男でほんとにいいと思うか……?」
今度は美咲にも質問を投げかける。過去のことを隠し立てするつもりはないが、あえて言うつもりもない。それに、女にだらしなかった南條のことなど、美咲は知りたくもないだろう。いや、もしかしたら、薄々と勘付いている部分もあるか。美咲は意外と聡い面がある。
「俺も結局は、あの男と変わりない……」
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