宵月桜舞

雪原歌乃

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第七章 揺動と傷痕

第五節

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 墓参りの帰り道、南條と美咲は途中で見付けた小さな喫茶店へと入った。ログハウスを思わせる造りで、明らかに女性が好みそうな店構えだ。ただ、中に入ってみると、客層は明らかに三十代以上だった。当然、まだ二十歳にも満たない美咲は若過ぎて浮いている。
「可愛いお店ですね」
 店内をキョロキョロと見渡しながら、美咲は屈託なく口にする。
 南條は「そうだな」と美咲に同意し、あとは黙って美咲をジッと見つめた。
「――何ですか?」
 南條の視線を感じた美咲が、不思議そうに南條を見つめ返してくる。
 南條は相変わらず美咲に視線を注いだまま、口元に笑みを湛えた。
「いや、あんまり無邪気だからつい、な」
「それってつまり、『子供っぽい』って言いたいんですか?」
「さあな」
「言ってるじゃないですか」
 美咲は不満げに唇を尖らせ、プイとそっぽを向いてしまった。怒ってみたり、笑ってみたり、泣いてみたり、本当に素直だと改めて思う。
(やっぱり、美咲といると全然飽きないな)
 そんなことを考えているうちに、若い女性――と言っても、三十前半はいっているだろうが――の従業員が注文した料理を持ってきた。南條の前にカレーライスとコーヒーを、美咲の前にはチキンドリアとミルクティーをそっと置いてゆく。
「ドリアは熱くなっていますのでお気を付けてお召し上がり下さい。では、ごゆっくりどうぞ」
 ひと仕事終えた従業員は、料理を載せた盆を手に、颯爽とカウンターへ戻って行く。客の邪魔をしないようにとの配慮はもちろん、他にも頼まれごとをしていたようだから忙しいのだろう。
「食おうか?」
 料理を運んできたのと同時に機嫌を直したらしい美咲に、南條が促す。
 美咲は「はい」と頷き、スプーンを手に取って、まだプツプツと気泡を上げているドリアを小さく掬った。伸びるチーズをスプーンに絡め、何度も息を吹きかけて冷ましてからゆっくりと口に運んでゆく。
「あふっ!」
 見た目通り、どれほど注意しても熱かったらしい。美咲は眉根を寄せ、けれども口には合っているらしく、美味しそうに食べている。
 南條はそれを見届けてから、自らもカレーに手を伸ばした。極端な甘口ではないが、カレールーのパッケージに表示されている辛さの段階で言うと〈2〉ぐらいだろうか。辛党な南條には物足りない。だが、ちょっとスパイスの効いたハヤシライスだと思い込めば充分にいける。カレーとハヤシを一緒くたにしてしまうのは、どちらにも失礼な気はするが。
 ふと、手元に美咲の視線を感じた。
「食ってみるか?」
 視線の意図を察した南條は、少しばかり美咲の方へカレー皿を押しやる。
 美咲はわずかに目を見開いて南條を凝視した。
「そんなに辛くない。美咲でも充分に食える」
 笑いを含みながら言うと、美咲は案の定、「また子供扱いして」と恨めしげに返してくる。だが、南條の好意には素直に甘え、ルーの部分を少しだけ掬い上げた。
「もっと取っていいんだぞ?」
「でも、あんまり取ったら南條さんの食べる分がなくなっちゃうじゃないですか」
「そんなに食うつもりだったのか?」
「私、大食いじゃないですよ……」
 そう言いつつ、さらに角切りの肉も一つだけだが一緒に取る。そして、そのまま口に運ぶと、「あ、美味しい」と嬉しそうに破顔させた。
「カレーって当たり外れはあまりないですけど、凄く美味しいカレーに巡り会えることも滅多にないですよね。でも、ここのカレーは文句なしに美味しいです。辛さも私にはちょうどいいです」
 やはり、美咲は極端に辛いものは苦手らしい。これではっきりと分かったが、あえてその部分は突っ込まなかった。
 カレーを試食した美咲は、今度は逆に、自分のドリアを南條へ向けて押してくる。
「南條さんもどうぞ。なかなかいけますよ」
 ニッコリ笑って勧めてくる美咲。ドリアは食べられなくはないが、正直なところ、進んで食べたいとも思わない料理だ。だからと言って、美咲の好意を無下にするわけにもいかない。
「ありがとう」
 南條は礼を述べてから、溶けたチーズの塊をスプーンの先で割り、ライスも一緒に半分ほど載せて口に入れた。
 だいぶ冷めて食べやすくはなっている。だが、やはりホワイトソースの甘ったるさはどうにもならない。熱くもないのに、ついつい顔をしかめてしまう。
「あ、もしかして熱かったですか?」
 まさか、ホワイトソースで参っているとは思ってもいないのだろう。どちらにしても、あからさまに表情が変化した南條を、美咲はさも面白そうに眺めている。子供扱いされた分のささやかな仕返しのつもりかもしれない。
「いや、平気だ」
 強がりを言いながらも、すぐに水で中和してしまう。それが美咲には、またさらに愉快に映ったことだろう。
「男の人って猫舌が多いのかな? ウチのお父さんもグラタンとか出ると、冷めるまで絶対に食べませんもん。口の中を火傷するのが怖いから、って」
「そうか」
 南條は短く答えたきり、あとは多くは語らなかった。この際、猫舌だと思い込ませた方が良さそうだ。ホワイトソースが原因だ、などと言ったら、それはそれで美咲に気を遣わせてしまう。嫌いなものを無理矢理食べさせてしまった、と。
(とりあえず、ホワイトソース系はしばらく勘弁だ……)
 そう思いながら、コーヒーをブラックのまま啜る。それでもまだ、ホワイトソースの甘さが口の中に残っているような気がする。
 美咲もまた、俺に倣うようにスプーンを置き、琥珀色の紅茶に別途で用意されていたミルクを注いでゆく。さらに、その中に南條がギョッとするほどグラニュー糖を入れると――と言っても、ティースプーン二杯分だったが――、静かにかき混ぜ、口を付けた。
「ああ、紅茶美味しい」
 幸せそうに吐息を漏らした美咲に、南條は「何か追加するか?」と訊ねる。
「この際だ。ケーキでもパフェでも、好きなもんを食っていいぞ?」
「ちょ……、私を太らせる気ですかっ?」
「お前は育ち盛りなんだ。ちょっとぐらい食ったって問題ない。むしろ、もっと肉を付けた方が良さそうだが?」
 美咲はしばらく呆気に取られていたが、「それ、セクハラです」とポツリと口にした。
「『肉を付けろ』なんて女の子に言う台詞じゃないですよ……。南條さんに悪気がないのは分かりますけど……」
 そう言いつつ、美咲はテーブルの横に立てかけてあるメニューに手を伸ばす。結局、甘いものは別腹らしい。
 真剣にメニューと睨み合っている美咲を、南條は頬杖を突き、口元を綻ばせながら見つめる。不意に、美咲に「何見てるんですか」と恨めしそうに眉をひそめられたが、それでも目を逸らさなかった。
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