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第六章 追憶と誓言
第六節-01
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実家に戻った安心感もあったのか、本家にいた頃とは比較にならないほど美咲はよく喋り、たくさん食べた。和やかな食卓も久しぶりで、箸を動かしながら、楽しく食事が出来ることの喜びを改めて噛み締めていた。
「雅通君も来れば良かったのにねえ」
貴雄にご飯のおかわりを手渡しながら、理美が言う。
「雅通君だって忙しいのに、和海君と一緒に本家に行ってくれたんだもの。せっかくだから、ちゃんとお礼がしたかったわ」
「あいつは実家暮らしですから」
南條は箸を止め、理美に向けて柔らかな笑みを見せた。
「仕事はもちろんちゃんとしてますけど、あんまり家を空け過ぎるのも気になるみたいです。あれで家族団欒を大切にしてますしね」
「そっか……。そうよね、ご家族と一緒に暮らしているならばそちらを優先するのは当然ね」
理美は少し淋しげに微笑むと、「でも」と続けた。
「やっぱりお礼はちゃんとしたいわ。日中のご迷惑にならない時間だったら大丈夫かしら?」
「ええ。多分、大丈夫だと思いますよ。俺からも伝えておきます」
「ありがとう。そうしてもらえると嬉しいわ」
理美はそう言って、食事を再開する。
当たり前の幸せな夕食は、それからしばらく続いた。
◆◇◆◇
食事が終わり、片付けも全て終わったのは九時過ぎだった。それからしばらくは、全員でリビングで寛いでいたが、朝の早い貴雄が先に寝室に向かい、理美もまた、ほどなくして貴雄に続いて出て行った
残ったのは美咲と南條だった。結局、理美の強引な勧めで飲酒してしまった南條は運転出来なくなり、このまま泊まることになっている。
「明日が日曜日なのが幸いだったな」
南條は苦笑いして、美咲が淹れた熱い緑茶を啜る。
「ごめんなさい……。お母さんってばすっかり舞い上がっちゃってたから……」
肩身の狭い思いで南條に頭を下げると、南條は湯呑み茶碗から口を離し、「いや」と首を横に振った。
「こっちは夕飯をご馳走になった立場だしな。それに、今日は楽しかった」
「――ほんと、ですか?」
「ほんとだ」
おずおずと訊ねる美咲に、南條は口元を緩めて見せる。
「貴雄さんも理美さんも、お前が無事に帰って来て嬉しかったと思う。貴雄さんはもちろん、理美さんは貴雄さん以上に心配してたから……。ここだけの話だが、一緒にここで酒を飲んだ時、不安をポロッと漏らしていたからな。桜姫の魂を持っていても、お前はたった一人の娘だ。何かあったら、理美さんも壊れてしまうかもしれない……」
美咲は何も言わず、黙って耳を傾けていた。あのお母さんが? といつもならば笑い飛ばしているところだが、南條の言う通り、理美は美咲の知らない場所で胸を痛めていたことは何となく分かった。父親の貴雄が甘い分、厳しい母親だが、それもやはり美咲を案じるがゆえだ。
不意に、美咲の身体が温かなものに包まれた。
「俺も、心配で胸が潰れそうだった……」
美咲を抱き締めながら、南條が掠れた声で囁く。
「お前には笑われるかもしれない。でも、俺はお前と逢えなかった間、どうやってお前に償おうかとずっと考えてた。――『守ってやる』なんて口先だけで、結局何も出来なかったんだからな……」
「償う、なんて……」
「呆れたか?」
自身を嘲笑いながら南條に問われ、美咲は神妙な面持ちでゆっくりと首を横に動かした。
「呆れてなんていません。それどころか、私が迂闊だったからみんなによけいな心配をかけてしまったんですから……」
口にしながら、藍田に身体を弄られた時のことが脳裏を過ぎった。本家を出たら忘れられると思った。だが、あのおぞましい記憶はいつまでも美咲から着いて離れようとしない。これも一種の藍田の呪いだろうか。だとしたら、これ以上にたちの悪い呪いは他にない。
「――藍田……?」
南條が心配そうに美咲を覗ってくる。
「どうした? 顔色が悪い」
優しく声をかける南條に、美咲は本当のことを告白するかどうか悩んだ。一人で抱え込むには荷が重い。しかし、言ってしまったら、南條に軽蔑されてしまうのではないかと。
美咲は頭をもたげた。穏やかな眼差しに自然と瞼の奥が熱くなり、胸も微かな痛みを伴う。
「――私は……」
何度も深呼吸を繰り返してから、ゆっくりと続けた。
「伯父さんに、私を好きにさせました……。もちろん、好きにさせるつもりなんてなかった……。けど、抵抗出来なかったんです……。いえ、抵抗出来なかった、なんて言い訳ですね……。
でも、不幸中の幸いというやつでしょうか……。私がショックで意識を飛ばした間、入れ替わりに桜姫が目覚めて未遂に終わったみたいでした……」
美咲はそこまで言うと、嗚咽を漏らした。藍田への憎悪、桜姫がいないと何も出来ない惨めな自分、そして何より、南條を裏切ってしまった罪悪感が美咲の心を容赦なく切り刻んでゆく。
「私、最低です……。ほんとにちっぽけです……。全然強くなれなくて……」
「もういい」
南條は哀しげに笑みを浮かべながら首を横に振る。
「これ以上、自分を貶めるな。お前がそんなに辛そうにしていると、俺も苦しくなる……」
「――ごめんなさい……」
「謝る必要もない」
「でも……」
美咲がなおも言葉を紡ごうとしたら、その唇を南條の人差し指が押さえてきた。
「一番辛い思いをしたのは他でもない、お前自身だ。俺は男だし、お前の辛さの全てを分かってあげられるわけじゃない。でも、これだけははっきり言える。――俺の気持ちは、それぐらいで揺らがない。俺の方が、お前以上にお前を大切に想ってるから……」
「雅通君も来れば良かったのにねえ」
貴雄にご飯のおかわりを手渡しながら、理美が言う。
「雅通君だって忙しいのに、和海君と一緒に本家に行ってくれたんだもの。せっかくだから、ちゃんとお礼がしたかったわ」
「あいつは実家暮らしですから」
南條は箸を止め、理美に向けて柔らかな笑みを見せた。
「仕事はもちろんちゃんとしてますけど、あんまり家を空け過ぎるのも気になるみたいです。あれで家族団欒を大切にしてますしね」
「そっか……。そうよね、ご家族と一緒に暮らしているならばそちらを優先するのは当然ね」
理美は少し淋しげに微笑むと、「でも」と続けた。
「やっぱりお礼はちゃんとしたいわ。日中のご迷惑にならない時間だったら大丈夫かしら?」
「ええ。多分、大丈夫だと思いますよ。俺からも伝えておきます」
「ありがとう。そうしてもらえると嬉しいわ」
理美はそう言って、食事を再開する。
当たり前の幸せな夕食は、それからしばらく続いた。
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食事が終わり、片付けも全て終わったのは九時過ぎだった。それからしばらくは、全員でリビングで寛いでいたが、朝の早い貴雄が先に寝室に向かい、理美もまた、ほどなくして貴雄に続いて出て行った
残ったのは美咲と南條だった。結局、理美の強引な勧めで飲酒してしまった南條は運転出来なくなり、このまま泊まることになっている。
「明日が日曜日なのが幸いだったな」
南條は苦笑いして、美咲が淹れた熱い緑茶を啜る。
「ごめんなさい……。お母さんってばすっかり舞い上がっちゃってたから……」
肩身の狭い思いで南條に頭を下げると、南條は湯呑み茶碗から口を離し、「いや」と首を横に振った。
「こっちは夕飯をご馳走になった立場だしな。それに、今日は楽しかった」
「――ほんと、ですか?」
「ほんとだ」
おずおずと訊ねる美咲に、南條は口元を緩めて見せる。
「貴雄さんも理美さんも、お前が無事に帰って来て嬉しかったと思う。貴雄さんはもちろん、理美さんは貴雄さん以上に心配してたから……。ここだけの話だが、一緒にここで酒を飲んだ時、不安をポロッと漏らしていたからな。桜姫の魂を持っていても、お前はたった一人の娘だ。何かあったら、理美さんも壊れてしまうかもしれない……」
美咲は何も言わず、黙って耳を傾けていた。あのお母さんが? といつもならば笑い飛ばしているところだが、南條の言う通り、理美は美咲の知らない場所で胸を痛めていたことは何となく分かった。父親の貴雄が甘い分、厳しい母親だが、それもやはり美咲を案じるがゆえだ。
不意に、美咲の身体が温かなものに包まれた。
「俺も、心配で胸が潰れそうだった……」
美咲を抱き締めながら、南條が掠れた声で囁く。
「お前には笑われるかもしれない。でも、俺はお前と逢えなかった間、どうやってお前に償おうかとずっと考えてた。――『守ってやる』なんて口先だけで、結局何も出来なかったんだからな……」
「償う、なんて……」
「呆れたか?」
自身を嘲笑いながら南條に問われ、美咲は神妙な面持ちでゆっくりと首を横に動かした。
「呆れてなんていません。それどころか、私が迂闊だったからみんなによけいな心配をかけてしまったんですから……」
口にしながら、藍田に身体を弄られた時のことが脳裏を過ぎった。本家を出たら忘れられると思った。だが、あのおぞましい記憶はいつまでも美咲から着いて離れようとしない。これも一種の藍田の呪いだろうか。だとしたら、これ以上にたちの悪い呪いは他にない。
「――藍田……?」
南條が心配そうに美咲を覗ってくる。
「どうした? 顔色が悪い」
優しく声をかける南條に、美咲は本当のことを告白するかどうか悩んだ。一人で抱え込むには荷が重い。しかし、言ってしまったら、南條に軽蔑されてしまうのではないかと。
美咲は頭をもたげた。穏やかな眼差しに自然と瞼の奥が熱くなり、胸も微かな痛みを伴う。
「――私は……」
何度も深呼吸を繰り返してから、ゆっくりと続けた。
「伯父さんに、私を好きにさせました……。もちろん、好きにさせるつもりなんてなかった……。けど、抵抗出来なかったんです……。いえ、抵抗出来なかった、なんて言い訳ですね……。
でも、不幸中の幸いというやつでしょうか……。私がショックで意識を飛ばした間、入れ替わりに桜姫が目覚めて未遂に終わったみたいでした……」
美咲はそこまで言うと、嗚咽を漏らした。藍田への憎悪、桜姫がいないと何も出来ない惨めな自分、そして何より、南條を裏切ってしまった罪悪感が美咲の心を容赦なく切り刻んでゆく。
「私、最低です……。ほんとにちっぽけです……。全然強くなれなくて……」
「もういい」
南條は哀しげに笑みを浮かべながら首を横に振る。
「これ以上、自分を貶めるな。お前がそんなに辛そうにしていると、俺も苦しくなる……」
「――ごめんなさい……」
「謝る必要もない」
「でも……」
美咲がなおも言葉を紡ごうとしたら、その唇を南條の人差し指が押さえてきた。
「一番辛い思いをしたのは他でもない、お前自身だ。俺は男だし、お前の辛さの全てを分かってあげられるわけじゃない。でも、これだけははっきり言える。――俺の気持ちは、それぐらいで揺らがない。俺の方が、お前以上にお前を大切に想ってるから……」
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