宵月桜舞

雪原歌乃

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第六章 追憶と誓言

第四節

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 母屋を出てから少しばかり歩くと、ようやく拓けた場所に着いた。そこは来客用の駐車スペースとして活用されていて、美咲が本家へ連れられた時に乗ってきた車と並んで、南條の黒いセダンも停まっている。もちろん、南條が運転するものだと思っていた。ところが、南條は車の前で雅通にキーを渡し、雅通もそれを当たり前のように受け取って運転席側に回ってロックを解除する。
「――まさか、あんたが運転するの……?」
 一抹の不安を感じた美咲は、恐る恐る雅通に訊ねる。
 雅通は眉間に皺を刻み、「何か不満でもあるのかよ?」と憮然として訊き返してきた。
「不満ってゆうか……、雅通が運転するなんてちょっと……」
 言葉を濁すと、雅通はさらに表情を険しくさせて美咲を睨む。
「あのなあ、これでも俺だってちゃんと車の免許は持ってんの。南條さんの車だって何度も借りて運転してるから何も心配することなんかねえよ。てか、俺ってそんなに信用出来ねえの?」
「さあ……」
「そこははっきり否定しろよ!」
 雅通は強く言い放ち、美咲に向けて人差し指を向ける。この失礼極まりない行為に、美咲もさすがに黙っていられなくなった。
「ちょっと、人に指差すなんて失礼でしょっ! せっかくこっちはあんたが不愉快にならないように気を遣ってやってるってのに!」
「おま……、そっちの言動の方がよっぽど失礼じゃねえか! てか、いつまで南條さんに抱っこされてるつもりだよ?」
「こ、これはなりゆきでこうなっただけじゃない! あんただって見てたでしょうがっ!」
「へえー、なりゆきで平気で男に媚を売るのかお前は」
「なっ……」
 美咲がさらに反撃に出ようとした時だった。
「いい加減にしろ」
 静かだが、強い声音で南條が制止してきた。
「全くお前らは、下らないことで口論――いや、口論なんてたいそうなもんじゃないな。
 とにかく、瀧村の運転は藍田が心配するほど危険じゃないから安心しろ。瀧村は俺より慎重だからな。
 それと瀧村、藍田は男に軽々しく媚びるような女じゃない。無闇に指を差したのも確かに失礼だ」
「――ごめんなさい……」
「――すいません……」
 美咲と雅通は同時に南條に謝罪した。
 南條は小さく溜め息を漏らし、微苦笑を浮かべる。
「まあ、下らないことでも自分の言いたいことををはっきり主張し合えるのは悪いことじゃない。ただ、ほどほどにしておけ」
 そこまで言うと、南條は美咲を下ろした。そして、後部のドアを開け、美咲に乗るように促す。
 美咲は黙って従った。奥まで移動してようやく落ち着いてから、南條も続いて乗り込む。
「南條さんの狙いがよーく分かりましたわ」
 キーを回してエンジンをかけてから、雅通がボソリと呟いた。
「狙いとは?」
 怪訝そうに訊ねる南條に、雅通はハンドルを切りながら言った。
「今、俺に運転させた理由。どうせ後ろで美咲といちゃいちゃしたかったんでしょ?」
「お前がいるのにそんなことするはずがないだろ……」
「ふうん……。さっき公衆の面前で堂々とキスした人がねえ」
「それはそれ、これはこれだ」
「あれ、珍しい。南條さん、結構動揺してませんか?」
「だから、あれはだな……」
 南條は、付き合い切れない、と言わんばかりに、こめかみを押さえながら首を左右に振った。
 美咲に至っては、言い返す気にもなれなくなっていた。雅通の突拍子もない妄想、そして何より、〈下らない主張合戦〉が再び勃発したら、南條を一番困らせてしまう。そう思ったら、美咲は黙っている方が無難だろう。
「とにかく、よけいなことはもう言うな、瀧村。俺と藍田のことなんかいちいち気にするな」
「はいはい、承知致しました」
 雅通もさすがにしつこく追求するのは良くないと考えたらしい。不貞腐れたような返答の仕方だったが、それでも南條の言葉に素直に従った。
「それにしても」
 もう喋らないかと思っていたら、間髪を入れずに雅通が口を開く。またなの? と思いながら美咲は眉をひそめたが、雅通から出てきたのは全く違う話題だった。
「なんつうか、ずいぶんとあっさりし過ぎじゃないですか? こっちは美咲奪還のために一戦交える覚悟でいたってのに。まあ、何事もなかったのは良かったって言えば良かったですけど、ただ……」
「『ただ』、何だ?」
 南條が問うと、雅通は一呼吸置いてから続けた。
「何か引っかかるんですよね。特にあのオッサ――美咲の伯父さん。俺もどう言ったらいいのかよく分かんないんですけど……」
「それは俺も同感だ」
 南條は表情を引き締め、手をこめかみから顎に移動させて考える仕草を見せた。
「貴雄さんとは血が繋がった兄弟のはずなのに、ああも違うとはな。貴雄さんは温和だが、あの当主は冷酷だ。実際、あの当主は自分の不利益になるような存在は簡単に消してしまう」
 そこまで言うと、南條は口を噤んだ。
 美咲は南條の横顔を見つめながら、そこから紡がれるであろう続きを待つ。だが、南條からそれ以上は何も語られることはなく、思いつめた表情で瞼を閉じた。眠ってしまったのかと改めて南條を覗ったが、どうやら違う。何か思考を巡らせているようだった。
「何にせよ、警戒するに越したことはないですね」
 沈黙を破ったのは雅通だった。
「四六時中はさすがに無理はありますけど、それでも、出来る範囲で美咲を守るるぐらいは出来るでしょ? 俺はもちろん、樋口さんと江梨子さんも喜んで協力してくれますよ」
「ああ、そうだな」
 南條はようやく思考から覚め、顔を上げる。そこには先ほどまでの憂いはなくなっていた。
「樋口さん達の協力も得られればだいぶ楽になる。今回の失敗は、俺だけでどうにかしようとした結果だ」
「そうですよ。まあ、俺も南條さんを責められる資格なんてないですけど。でも、南條さんは何でも一人で背負い込む悪い癖がありますから。時にはヒトの好意に甘えることも大切ですよ」
 美咲は南條と雅通の会話を傍らで聴きながら、何を偉そうに、とは突っ込めなかった。確かに雅通の指摘通り、南條は一人で重い荷物を負い、一人で行動しようとする。仲間を信用していない、というより、責任感が強過ぎる本質が邪魔をしているせいだろう。責任感は時に自身を追い詰め、自滅させてしまう結果にも繋がる。人生経験の浅い美咲でも、それは何となく分かる気がした。
 美咲は再び、南條をチラリと見た。
 南條は眉根を寄せ、「お前に説教されるとはな」と溜め息交じりに苦笑する。
「そうだな。俺はもっと周りを信用した方がいいかもしれない。瀧村のお陰で目が覚めた気がする」
「そりゃあ良かったです」
 雅通は満足そうに言いながら大きく首を縦に動かした。
「樋口さんだって、頼られて悪い気はしないはずですからね。江梨子さんは――美咲絡みならば尻尾振って喜びますよ……」
「――だろうな……」
 南條は笑いを含みながら頷き、美咲に視線を送ってくる。
 まともに目が合った美咲は、瞠目したまま固まった。
「大丈夫だ」
 南條は眩しそうに美咲を見つめながら、そっと髪を撫でてきた。
「お前のことは俺達がしっかり守ってやる。もう、本家の連中に好き勝手はさせないさ」
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