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第六章 追憶と誓言
第二節-02
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「私ね」
鈴蘭の前で足を止めた朝霞が、不意に口を開いた。
美咲は相変わらず縁側に座ったまま、けれども、朝霞の背をジッと見据えながら朝霞から紡がれる言葉に耳を傾ける。
「昔からみいちゃんが大嫌いだった。みいちゃんだけじゃない。お父さんもお祖父さんもお祖母さんもみんな……。こんなだから、誰も構ってくれないもの……。
だからね、たまにフッと考えてた。――もし、お母さんが生きてたら、こんな私にも愛情を注いでくれたのかな、って……」
美咲はハッとした。今まで、自分が幸せな環境にいたから失念していたが、朝霞は自分が生まれてすぐ、母親を亡くしている。元々身体が弱かったらしく、朝霞がお腹にいた頃から、流産してしまうのでは、と周りは懸念していたらしい。
だが、朝霞の母親は大仕事を成し遂げた。自分の命と引き換えに。
朝霞の母親のことは、朝霞より後に生まれた美咲は当然知らないが、仏間の遺影を見た限りでは、儚げで優しそうな印象があった。確かに、あの母親だったらきっと、冷ややかな空間の中にあっても朝霞を大切にしてくれただろう。母親がいなかったから、感情を持たずに育ってしまったのではないだろうか。
それにしても、何故、急に朝霞が美咲にこんな話をしてきたのかが謎だった。美咲が口を噤んだままで眉根を寄せていると、背中を見せていた朝霞がこちらを振り返り、美咲に真っ直ぐな視線を注いできた。
「こんな話されても困るだけよね?」
そう問われても、肯定出来るわけがない。美咲は変わらず複雑な表情を浮かべながら、朝霞を見つめ返す。
朝霞は肩を竦めた。表情はやはり変わらない。
「どうしてかな? 何故か急にみいちゃんに話を聴いてもらいたくなってしまって……。こんなこと、今まで誰にも話したことないのに。と言っても、話す相手自体がいないけど……」
「――同情してほしかったんじゃないの?」
美咲は口にしてから、しまった、と後悔した。朝霞が相手だと、つい、つっけんどんな態度を取ってしまう。
朝霞は小首を傾げ、しばらく美咲を見つめていたが、やがて、小さな溜め息を漏らした。
「そうかもしれない」
自虐とも思える朝霞の返答に、美咲はさらに眉間に皺を刻んだ。
「あっさり認めないでよ。『違う』って否定したら?」
また、朝霞を追い詰めるような言動に走ってしまった。今度は、朝霞に対して優しく出来ない自分自身に嫌気が差してくる。
「けど、みいちゃんの言ってることは間違ってないから」
自己嫌悪に陥った美咲を気遣ってなのかは分からないが、朝霞はゆったりとした口調で続けた。
「私は愛されたかった。だから、誰からも愛されたみいちゃんが憎くて仕方なかった。みいちゃんが桜姫の魂を受け継いでるって分かったとたん、お父さんの関心は完全にみいちゃんに向けられてしまうんだもの。――あんな人でも、ほんの少しでいい。私を気にかけてほしいって、ずっと思ってた……」
そこまで言うと、朝霞は再び、美咲の元へ近付いてきた。そのまま、また隣に座るのかと思ったら、サンダルを脱いで家に上がり、美咲を見下ろす格好になった。
美咲は朝霞を見上げる。無表情は変わらないのに、心なしか、今にも泣き崩れてしまいそうな気がした。
「アサちゃんは」
美咲は躊躇いつつ、けれども、思いきって訊いた。
「桜姫の魂を持っていたら、自分が愛されていたと本気で思ってる?」
わずかだが、朝霞が目を見開いた。それから、忙しなく視線を泳がせ、ゆっくりと首を横に振った。
「関心は持ってもらえたと思う。でも、愛されることはない。あの人は……、誰も愛せない人だから……」
朝霞はそう答えてから、美咲に背を向け、床を軋ませながらその場を後にした。
残された美咲は、朝霞の背中を見つめながら複雑な気持ちを抱える。
朝霞の心は全く読めない。藍田に関心を持ってもらいたいと言っていたのに、愛されることはないとも言い切った。
(けど、桜姫の魂を、私ではなくアサちゃんが持っていたとしたら……)
美咲は自分が襲われかけたことを想い出し、自らを両腕で抱き締める。考えたくはない。しかし、藍田ならば、実の娘であろうと暴挙に出ることは充分にあり得る。
(やっぱり、この家は異常だ……)
美咲は首を横に振り、そのまま瞼を閉じる。
ここにいる間、ずっと想い描いていた南條の面影。今すぐにでも逢いたい。逢うのが叶わないならば、せめて声だけでも聴きたい。しかし、綾乃に携帯電話を取り上げられてしまっている今は、ただ、静かに南條を想い続けることしか出来ない。
「南條さん……」
名前を口にすると、瞳の奥から透明な雫が幾筋も零れ落ちる。ここに来てから、どれほど南條を想って涙を流し続けてきただろう。
(もう、私を解放してよ……)
美咲は心の中で強く思う。桜姫がいなければ無力な自分。むしろ、美咲が桜姫を抑えなければならないのに、知らぬ間に暴走させてしまう。
「どうなってもいい……」
投げやりな気持ちで口に出し、美咲は膝を抱えた姿勢で蹲った。
鈴蘭の前で足を止めた朝霞が、不意に口を開いた。
美咲は相変わらず縁側に座ったまま、けれども、朝霞の背をジッと見据えながら朝霞から紡がれる言葉に耳を傾ける。
「昔からみいちゃんが大嫌いだった。みいちゃんだけじゃない。お父さんもお祖父さんもお祖母さんもみんな……。こんなだから、誰も構ってくれないもの……。
だからね、たまにフッと考えてた。――もし、お母さんが生きてたら、こんな私にも愛情を注いでくれたのかな、って……」
美咲はハッとした。今まで、自分が幸せな環境にいたから失念していたが、朝霞は自分が生まれてすぐ、母親を亡くしている。元々身体が弱かったらしく、朝霞がお腹にいた頃から、流産してしまうのでは、と周りは懸念していたらしい。
だが、朝霞の母親は大仕事を成し遂げた。自分の命と引き換えに。
朝霞の母親のことは、朝霞より後に生まれた美咲は当然知らないが、仏間の遺影を見た限りでは、儚げで優しそうな印象があった。確かに、あの母親だったらきっと、冷ややかな空間の中にあっても朝霞を大切にしてくれただろう。母親がいなかったから、感情を持たずに育ってしまったのではないだろうか。
それにしても、何故、急に朝霞が美咲にこんな話をしてきたのかが謎だった。美咲が口を噤んだままで眉根を寄せていると、背中を見せていた朝霞がこちらを振り返り、美咲に真っ直ぐな視線を注いできた。
「こんな話されても困るだけよね?」
そう問われても、肯定出来るわけがない。美咲は変わらず複雑な表情を浮かべながら、朝霞を見つめ返す。
朝霞は肩を竦めた。表情はやはり変わらない。
「どうしてかな? 何故か急にみいちゃんに話を聴いてもらいたくなってしまって……。こんなこと、今まで誰にも話したことないのに。と言っても、話す相手自体がいないけど……」
「――同情してほしかったんじゃないの?」
美咲は口にしてから、しまった、と後悔した。朝霞が相手だと、つい、つっけんどんな態度を取ってしまう。
朝霞は小首を傾げ、しばらく美咲を見つめていたが、やがて、小さな溜め息を漏らした。
「そうかもしれない」
自虐とも思える朝霞の返答に、美咲はさらに眉間に皺を刻んだ。
「あっさり認めないでよ。『違う』って否定したら?」
また、朝霞を追い詰めるような言動に走ってしまった。今度は、朝霞に対して優しく出来ない自分自身に嫌気が差してくる。
「けど、みいちゃんの言ってることは間違ってないから」
自己嫌悪に陥った美咲を気遣ってなのかは分からないが、朝霞はゆったりとした口調で続けた。
「私は愛されたかった。だから、誰からも愛されたみいちゃんが憎くて仕方なかった。みいちゃんが桜姫の魂を受け継いでるって分かったとたん、お父さんの関心は完全にみいちゃんに向けられてしまうんだもの。――あんな人でも、ほんの少しでいい。私を気にかけてほしいって、ずっと思ってた……」
そこまで言うと、朝霞は再び、美咲の元へ近付いてきた。そのまま、また隣に座るのかと思ったら、サンダルを脱いで家に上がり、美咲を見下ろす格好になった。
美咲は朝霞を見上げる。無表情は変わらないのに、心なしか、今にも泣き崩れてしまいそうな気がした。
「アサちゃんは」
美咲は躊躇いつつ、けれども、思いきって訊いた。
「桜姫の魂を持っていたら、自分が愛されていたと本気で思ってる?」
わずかだが、朝霞が目を見開いた。それから、忙しなく視線を泳がせ、ゆっくりと首を横に振った。
「関心は持ってもらえたと思う。でも、愛されることはない。あの人は……、誰も愛せない人だから……」
朝霞はそう答えてから、美咲に背を向け、床を軋ませながらその場を後にした。
残された美咲は、朝霞の背中を見つめながら複雑な気持ちを抱える。
朝霞の心は全く読めない。藍田に関心を持ってもらいたいと言っていたのに、愛されることはないとも言い切った。
(けど、桜姫の魂を、私ではなくアサちゃんが持っていたとしたら……)
美咲は自分が襲われかけたことを想い出し、自らを両腕で抱き締める。考えたくはない。しかし、藍田ならば、実の娘であろうと暴挙に出ることは充分にあり得る。
(やっぱり、この家は異常だ……)
美咲は首を横に振り、そのまま瞼を閉じる。
ここにいる間、ずっと想い描いていた南條の面影。今すぐにでも逢いたい。逢うのが叶わないならば、せめて声だけでも聴きたい。しかし、綾乃に携帯電話を取り上げられてしまっている今は、ただ、静かに南條を想い続けることしか出来ない。
「南條さん……」
名前を口にすると、瞳の奥から透明な雫が幾筋も零れ落ちる。ここに来てから、どれほど南條を想って涙を流し続けてきただろう。
(もう、私を解放してよ……)
美咲は心の中で強く思う。桜姫がいなければ無力な自分。むしろ、美咲が桜姫を抑えなければならないのに、知らぬ間に暴走させてしまう。
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