宵月桜舞

雪原歌乃

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第五章 呪縛と執愛

第四節-01

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 ◆◇◆◇◆◇

 南條は前日の晩に美咲の家に泊まってから、翌日はそのまま会社へ直行した。それからは、いつものように与えられた業務を黙々とこなし、退勤後は馴染みの居酒屋で雅通と落ち合う約束をした。とは言え、飲んでしまってはさすがに運転は出来ないから、予め、アパートの駐車場に車を置きに戻り、そこから徒歩で居酒屋まで向かう。
 居酒屋は、アパートから歩いて五分足らずの場所にある。六十代の夫婦がたった二人で切り盛りしている小ぢんまりした店で、客層の年齢も高めだ。だが、若者向けな洒落た店が得意ではない南條は、古き良き時代を思わせる雰囲気が結構気に入っていて、その店を知ってからは、ふと立ち寄って一人で飲むことも珍しくなかった。
 店に着くと、南條は曇りガラスが嵌められた戸を引き、日に焼けて色褪せた暖簾をくぐって中に入る。
「いらっしゃい!」
 真っ先に挨拶をしてきたのは、この店の女将だった。
 南條は、女将と、黙々と魚を捌いている主人に軽く会釈してから店内を見回す。と、常連がちらほらいる店の奥まった小上がりに、雅通の姿を見付けた。
「遅いじゃないですか。待てなくて、勝手に頼んじゃいましたよ」
 南條が近付くなり、雅通はテーブルを指差す。そこには、半分ほど減った瓶ビール一本と飲みかけのコップ、お通しの小鉢と枝豆の殻が積み上げられていた。
「よく食ったな……」
 殻の山を眺めながら南條が呟くと、雅通は、「これでも相当我慢した方っすよ」と不満げに返してくる。
「ほんとはもっと腹の足しになるもんを頼もうと思ったんですよ。けど、南條さんも腹空かせてるだろうなって。だから、お通しと枝豆だけで妥協したんです」
 どこが妥協してるんだ、と言いそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。仕事の都合とはいえ、待たせてしまったのは確かだし、大飯食らいの雅通にお預けを食らわせたこと自体が酷なことだ。
「悪かった。今日は俺が奢ってやるから機嫌を直せ」
 肩を竦め、微苦笑を浮かべながら雅通に言うと、雅通の表情がパッと明るくなった。非常に分かりやすい男だ。
「じゃ、適当に頼んじゃいますよ。あ、おばちゃーん!」
 南條に奢ってもらえることで機嫌の良くなった雅通は、ただでさえ大きい地声に輪をかけ、狭い店内いっぱいに響き渡る大音声で女将を呼び付ける。そして、ゆったりとした足取りで南條達の席まで来た女将に、弾丸の如く次々と注文してゆく。だが、女将も負けじと応戦してサラサラとメモしていた。
 注文を一通り聴いた女将は一度下がったが、ほどなくして、新たな瓶ビール一本とコップを一個、さらにお通しをひとつ追加して持ってきた。栓抜きは先に雅通がビールを注文していた時に置いていたものを使い、王冠を抜いてから、南條と雅通のコップにそれぞれ上手に注ぎ、また、カウンターの方へと戻って行った。
「そんじゃま、お疲れさんでしたー!」
「お疲れ」
 女将がいなくなったタイミングで、南條と雅通はコップを軽くぶつけ、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
「さて、どうしたもんですかねえ」
 残っている枝豆に手を伸ばし、咀嚼してから雅通が口を開いた。
「美咲を連れ戻すにしたって、急に本家に乗り込むなんてかなり無理があるでしょ? だって、本家の血筋の貴雄さんだって難しいみたいですし……。まあ、あの人の場合、単純に臆病なだけのようにも見えますけど」
「おい、それは言い過ぎだぞ?」
「そうですか? これでもだいぶ気を遣ってるつもりですけどねえ。ほんとだったら、『自分の娘を他人の力を借りないと助けられないダメ親父』ぐらいは言ってやりたいですよ」
「――もう言ってるじゃないか……」
 南條は眉根を寄せ、こめかみの辺りを押さえながら、コップに残ったビールを飲み干した。とは言え、南條も雅通と同じことを思わないわけではない。もちろん、美咲を救いたい気持ちは、貴雄や理美から頼まれたからではなく、南條自身の強い意志だ。それでも、どことなく本家を避け、南條達に面倒事を押し付けているのではないかという思いが否めない。
「とにかく、いつまでもダラダラ考えていたって埒があかない。場合によっては強行手段を取るしかない。話し合いに応じてくれなければ――いや、応じないことを前提に考えた方がいいな。その時はその時で、本家にいる連中を殴り倒してでも……」
「――南條さん、結構過激なことを考えたんですね」
 雅通は片頬を引き攣らせながら、穴が空くほど南條を凝視した。
 そんな雅通の視線を受け、南條は苦笑いを浮かべる。
「別に殺すわけじゃない。ちょっと痛め付ける程度だ。もちろん、あんまりやり過ぎると警察沙汰になりかねないから、多少は手加減するつもりだ」
「――南條さんの〈多少〉は〈多少〉じゃないっすから……」
 そう言うと、雅通はわざとらしく身震いする。だが、内心では乱闘を楽しみにしているのが、南條にはありありと伝わってくる。
「ひと暴れして、日頃のストレス発散させるのも悪くないんじゃないか?」
 口の端を上げて南條が煽ると、「やめてくださいよ!」と本気でムキになり、手酌でビールを注ごうとした。
 そこに、注文した料理を持った女将が現れた。
「あんたら、何をしようとしてるんだい?」
 料理を並べる手を休めず、女将は眉をひそめながら、南條と雅通の顔を交互に見比べる。
「どうでもいいけど、人殺しだけは勘弁してちょうだいよ? あんたらはウチの常連なんだし、警察が聴き込みに来たら知らんふりなんて出来ないんだから」
「だーいじょーうぶだって!」
 あからさまに不安げにしている女将に、雅通はニカッと白い歯を見せた。
「そんなことしたら、俺達だって後味悪くなるから絶対しないよ。俺も南條さんもおばちゃん好きだから、迷惑かけるような真似もしない。てか、俺達のこと、信用出来ない?」
「別に信用してないわけじゃないけどねえ……」
 料理を一通り並べた女将は、今度はビール瓶を取り、空になっていた南條のコップにそれを傾けた。
 南條はコップを持ち、女将からの酌を受ける。瓶を開けてから時間が経っていたから、泡はほとんど浮かばず、琥珀の液だけが満たされてゆく。
「とにかく、やんちゃするのも程々にしときなさい。特にあんたはいい年だろ? いい加減、将来のこととか考えて。そっちのあんたは……、まあ、まだ幼いから元気なぐらいがちょうどいいかねえ」
「――俺、これでも成人してるんだけど……」
「あったりまえでしょ! この店ではどんなことがあっても未成年に酒は飲ませないよ! これでも年齢確認は徹底してるんだから! それこそこっちが警察のお世話になっちまうよ!」
「分かった。分かったから落ち着いて」
 興奮してきた女将を、南條は静かに宥める。最近、血圧が高くなってきたとぼやいていたから、急に倒れられたりしたら主人に申し訳が立たない。
「大丈夫。俺達は無茶なことはなるべくしないから。こいつの言う通り、女将にも主人にも迷惑をかけるようなことはしないと誓う」
 無茶に関しては〈絶対〉とは言い切れなかったが、迷惑をかけたくないという言葉は本心から出たものだった。
 女将は覗うように南條をまじまじと見つめていたが、信用出来ると思ってくれたのだろう。先ほどよりも表情を和らげた。
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