宵月桜舞

雪原歌乃

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第五章 呪縛と執愛

第三節

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 それから一時間ほど経過した。
「美咲、ご飯だよ」
 押し入れの襖に寄りかかる姿勢でぼんやりしていたら、優奈が部屋に戻って来て美咲に声をかけてくる。
 美咲は膝を抱えた格好で座ったまま、首だけを動かして優奈に視線を向けた。
「――大丈夫?」
 どうやら、まだ沈んでいるように思われたらしい。優奈は美咲の側に近付くなり、真正面に正座し、心配そうに美咲の顔を覗き込んできた。
「食欲ないなら無理しなくていいよ。あ、それともこっちに持って来る?」
 美咲は少しばかり考えたが、このまま引き籠ったままでいるわけにもいかないと思い、首を横に振る。
「大丈夫、行くよ」
「そう……?」
 優奈はなおも気にしている様子だったが、美咲が笑顔を取り繕って、「平気だって!」と明るく振る舞うと、それ以上は何も言わなかった。
 本音を言えば、藍田を思い浮かべるだけでも寒気がする。しかし、どんなに避けようとしても、本家にいる以上、必ず藍田と顔を合わせなくてはならない。とにかく、これからは日中のようなことがないことを祈るばかりだ。
(いざとなれば桜姫が……。でも、桜姫に頼ることも出来ればしたくない……)
 優奈と並んで長い廊下を歩きながら、美咲は考える。
(この家で私の味方は優奈だけなんだ。ただ、優奈も立場があるから、表立って私を助けることは難しいかもしれない。何となく……)
 自分の世界に入っているうちに、美咲と優奈は食堂に着いた。
 優奈が先に立って引き戸を開けると、食事の並べられたテーブルを囲み、藍田と藤崎、綾乃と朝霞が座って待機していた。
「遅かったのね」
 真っ先に口にしたのは、綾乃だった。明らかに刺を含んでいる。
「すみません。美咲の体調が思わしくなかったみたいなので……」
 美咲に代わって優奈が謝罪するも、優奈の口調もどこか含みがある。美咲も綾乃は好きになれないが、優奈も決してあまり良い感情は持っていないらしい。朝霞のことは尊敬しているような口振りだったのに。
「まあ、ちゃんとここに来たのだからもう大丈夫なのだろう」
 ピリピリした空気の中、上座で両腕を組んでいる藍田がゆったりと口を開く。
 美咲の身体は、反射的にピクリと反応した。全身からは冷や汗が吹き出し、そのまま崩れ落ちてしまいそうになった。
 だが、すんでのところで優奈が両腕で支えてくれた。美咲の異変に真っ先に気付いたようだ。
「――大丈夫……?」
 そう訊ねてきたのは、優奈、ではなく、意外にも朝霞だった。相変わらずの無愛想ぶりだったが、綾乃のような刺々しさは全く感じない。いや、だからこそ、美咲の癇によけいに障る。
「平気。――ありがと」
 あからさまに朝霞に冷たい態度を取ると、優奈を哀しませるような気がして、上辺だけでも感謝を口にした。
 やはり、朝霞はニコリともしない。「どういたしまして」と返してきたきり、あとは美咲から視線を逸らしてしまった。
「では、いただきましょうか」
 美咲と優奈が椅子に腰を下ろしたタイミングで綾乃が言う。この家では、当主の藍田はともかく、朝霞が後継に当たるのに、綾乃の方が我が物顔で場を仕切る。優奈が綾乃にあからさまに冷たく、逆に朝霞に好意的なのは、こういった光景を何度も目にしていたからというのもあるのかもしれない。
(ま、私にはどうでもいいけどそんなこと……)
 心の中で呟きながら、箸を手に取る。食欲はあまりなかったが、日中に胃の中のものを全て吐き出してしまったから空の状態だ。少しでも食べないと体力が持たない。
 黙々と箸を動かしながら、ふと、美咲は藍田をチラリと一瞥した。
 日中のことなどまるで忘れたかのように、藍田は表情一つ変えず、ゆったりと食事を続ける。
(そういえば、伯父さんはいつ、意識を取り戻したの……?)
 恐らく、当の本人達と、美咲から事の次第を聴いた優奈を除き、他の三人は倉庫内で起こった一部始終を全く知らないであろう。そもそも、あの場所は、父親の貴雄ですら足を踏み入れたことがないと言っていた。
 藍田と同じ場所で食事をすることに抵抗が全くないわけではない。しかし、あれから後味の悪い結果にならなかったことに関してはホッとしていた。
(多少は手加減した、ってことかな?)
 だが、桜姫の〈手加減〉がどれほどのものなのかが全く想像が付かない。もしかしたら、平静を装っているだけで、実は相当なダメージを受けてしまったのではないか。
(だとしたら、かなり痛みに耐えてるってことだよね?)
 精神的に強いのか、それとも、単純に周りに弱みを見せたくないのか。藍田の性格上、後者のような気がするが。
「……さん……美咲さん」
 名前を呼ばれ、美咲はハッと我に返った。慌てて藍田から顔を背けると、声の主である綾乃に視線を送る。
「やっぱり大丈夫じゃなさそうね。箸もほとんど動いていないようだし」
 口先では美咲を気にかけているようだが、やはり上辺だけだ。余計なことは言わなかったものの、何かを薄々察しているのは確かだ。
「――優奈さん」
 静かな声音で、朝霞が優奈に声をかけた。
「みいちゃんを部屋に連れて行ってあげて。あとで、あなた達の食事は私が運ぶわ」
 思わぬ助け舟に、美咲は驚いて目を見開く。
「分かりました」
 呆然としている美咲の隣で、優奈は首を縦に動かした。そして、ゆっくりと立ち上がり、美咲の肩を優しく叩く。
 結局、強がりを言っても、藍田達との同席はあまりにも辛かった。
 食堂を出る間際、後ろを振り返ると、それまで表情が全く動かなかった藍田が、美咲を濁った目で凝視していた。
 美咲は咄嗟に視線を逸らした。これでまた、綾乃の中の疑念を増大させてしまったかもしれないが、仕方がない。
 考えるまでもなく、朝霞も異変に気付いている。だからこそ、美咲と優奈に退席することをさり気なく勧めてきたのだと思う。
「行こ、美咲」
 優奈がそっと美咲の腕に手を絡めてくる。
 美咲は優奈に引かれる格好で、食堂を後にした。
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