宵月桜舞

雪原歌乃

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第四章 宿命と輪転

第二節

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 大人ばかりの酒盛りは、日付が変わる頃まで続いた。もちろん、ただ飲み食いして楽しんでいたわけじゃない。その間にも、藍田本家、何よりも美咲を救うための手立てを話し合っていた。とは言え、結局は何も解決策が得られずに終わってしまったのだが。
 そのうち、一番酒に弱い貴雄が先にリタイア、それに続くように、雅通までもが潰れてしまった。雅通の場合、普段よりも酒量が多いように見えたから、よけいにダウンしやすくなっていたのだろう。
 残ったのは、自他共に酒豪を認める南條と、意外に酒の強いことが発覚した理美だった。理美も、他の男達に負けず劣らず飲んでいたのに、全く酔っている様子がない。むしろ、飲む前よりも生き生きとしているように見えるのは気のせいだろうか。
「可愛いものねえ」
 理美は微笑ましそうに、リビングで倒れてしまった雅通に毛布をかける。雅通が寝入ってから、即座に別室から持ってきたのだった。
 クッションを枕にして爆睡する雅通の寝顔は、無邪気な子供そのものだ。南條と同性だし、理美のように『可愛い』などとは言わないが、まだまだ青いな、とは思う。
「それにしても」
 雅通に毛布をかけ終えた理美が、居住まいを正して南條に向き直った。
「和海君はほんとにお酒強いのねえ。主人や雅通君よりも確実に量を飲んでたのにケロッとしてるなんて……」
「いや、それを言ったら理美さんの方が……。あまり飲むイメージじゃなかったので、正直ビックリしました」
 素直に思ったことを南條が言うと、理美は、「あらあら」と頬に手を添えてケラケラ笑った。
「確かにね、私は滅多に飲まないから。でも、お酒はこれでも大好きなのよ。ただ、娘の前じゃ何となくハメを外しづらくて……。だから今日は、いないからってちょっと調子に乗っちゃったわね。って、これじゃ、美咲がいない方がいいって言ってるみたいね。美咲が聴いてたら絶対怒られちゃうわ」
 素面と思ったが、やはり、少しは酔っているのだろうか。いつも以上に理美はよく喋る。
「前当主だった義父の願いで美咲を本家に預けている間、私も主人も、言いようのない喪失感に見舞われたわ……。もちろん、義父も義母も美咲を愛してくれてることは分かっていたから、何も心配することはなかったのだけど……。
 美咲にもずいぶんと淋しい思いをさせたと思う。あの子は昔から芯の強い子だったから滅多に弱音は吐かなかったけど、それでも、義父と義母が亡くなり、再び私達の所に戻って来た時はわんわん泣きながら私に縋り付いてきたのよ。『おとうさん、おかあさん、あたしをすてないで』って……。どんな理由があれ、私達が娘の手を放したことには変わりないんですもの……。泣いてる我が子を見ていたら……、私も、主人も、酷く胸が痛んで……」
 そこまで言うと、理美は口元を押さえながら鼻を啜った。どんな時でも毅然としているイメージが強いだけに、弱音を見せた理美の姿に南條の胸が疼いた。
「私だってほんとは悔しい……。出来ることなら、あの子の身代わりとなりたいぐらい……。でも、それは決して出来ないから……。だからせめて、あの子を――美咲を自由にさせてやりたい……」
 理美は、南條の両手を自らのそれで強く握りながら、涙で濡れた瞳で真っ直ぐに見据えて来た。
「どうか、美咲をあなたの手で救って。親の身勝手だと思われるでしょうけど、私はあなたと美咲が結ばれて幸せになってくれることを望んでるの。もちろん、鬼王も救えればいいのだけど、さすがにそこまでは無理があるから……」
 言葉だけではない。両手を通しても、理美の切実な想いが伝わってくる。確かに、南條には特別な力がある。しかし、それも時よっては全く役に立たない。
 理美は自分が無力だと思っている。しかし、精神的な面では、南條とは比較にならないほどの力がある。これはきっと、子を産み、育ててきた母親の持つ強さだ。
「――理美さん」
 南條はゆったりと口を動かした。
「俺の使命は、あなた達の一人娘――美咲さんを守ることです。子供の頃から親父に言われたからそう思っているんじゃない。俺自身の意思です。
 確かに、もう一人の俺が彼女を強く欲していたことも否定出来ませんが、俺も――いや、俺が一番、彼女が側にいてくれることを望んでいるんです……」
 言いながら、俺も酔っているのだろうか、と南條は思った。まだ、本人にも告げていない自分の本心を、美咲の母親である理美に漏らしている。
 理美は驚いたように、少しばかり目を瞠った。だが、すぐに口元に笑みを湛え、先ほど以上に握る両手に力を籠めた。
「美咲が、桜姫の魂を持って生まれてきたことは最大の不幸だと思ったけど、それは勘違いだったかもしれないわね。美咲の中に桜姫が存在するからこそ、和海君と再び巡り会えたのだから……」
 理美は、ありがとう、と何度も繰り返す。
 南條は理美の手の温もりを感じながら、瞳を閉じる。今、側にはいない美咲が瞼の奥で、小首を傾げた仕草を見せながらニッコリと笑っている。

 私、南條さんを信じてますから――

 ただ笑っているだけのはずなのに、幻の美咲は、南條にそう言っているような気がした。

 ◆◇◆◇

 幾度となく目の当たりにした光景が眼前に広がっている。宵の闇に浮かぶ満月に、辺りにひらひらと舞う薄紅色の花びら。そして、その場所のシンボルとも呼べる桜の古木が一本佇んでいる。
 南條は桜の花が緩やかに踊る中で、一歩、また一歩と古木へと近付く。
 すると、南條の気配を察知したのか、木の幹からまるで湧き出るように、一人の男が姿を現した。癖のない長い銀の髪と黄金色の双眸を持つ鬼の長――鬼王である。
「俺に何の用だ?」
 夢を通し、鬼王にこの場に導かれた理由は南條も察していた。だが、あえて訊ねる。
 南條に問われた鬼王は表情一つ動かさない。代わりに、南條の首元に手を伸ばし、グッと絞め付ける。
「……っ……!」
 尋常ではない握力と刺すような冷たさに、南條は声にならない声で呻く。そうしている間にも、鬼王の手にさらなる力が入れられた。
「愚か者が……」
 静かだが、鋭い口調で鬼王が言い放つ。
「私はどうやら、そなたを買い被り過ぎていたようだ。この場に縛られている私には、身を挺してあれを守ってやることが出来ぬ。だからこそ、そなたを信じようと思った。――だが、所詮はそなたもあの者共と同じだ……」
 首を絞められているからだけではない。南條は言葉を詰まらせた。
 鬼王にとっては、南條の仕事の都合なんて言い訳にしか過ぎない。何を置いても、美咲から常に目を離してはいけなかったのだ。
 一瞬、南條は自分の美咲に対する想いに疑念を抱いた。しかし、それも理美から託された言葉ですぐに我に返る。

 どうか、美咲をあなたの手で救って――

 確かに気付くのが遅過ぎたかもしれない。だが、まだ美咲を助ける機会はあるはずだ。
「……んど……そ……」
 苦痛に表情を険しくさせながらも、南條は口を開いた。
「……み……さき……は……れが……まも……」
 そこまで言うと、鬼王の手の力が少しずつ緩んだ。
 南條はその場に膝を折った姿勢で崩れ落ち、自らの首元を右手で押さえながら何度も咳き込む。
 鬼王はそんな彼を、冷ややかに見下ろしていた。
「――私がこの世で嫌いなものは二つだ」
 肩で息をくり返す南條に、鬼王は言った。
「一つは〈アイダ〉、そしてもう一つは――自らの意思に背く弱い輩だ……」
 考えるまでもない。〈自らの意思に背く弱い輩〉とは、今の南條を指している。
 南條は奥歯を強く噛み締め、地に膝を着いたままの格好で鬼王を見上げた。
 金色の瞳が、いつにも増してギラリと強い光を放っている。南條は圧倒されかけたが、どうにか自分を奮い立たせ、言葉を紡いだ。
「確かに俺は弱い。美咲を守ると自らに強く誓ったのに、何も出来なかった……。
 だが、今度こそ、美咲は俺が全力で守ってやる。藍田からだけじゃない。――お前からもな」
 南條はゆらりと立ち上がり、真っ直ぐに鬼王に視線を注ぐ。
 しばしの間、南條と鬼王の間に沈黙が流れる。桜の古木以外に何もない空間に風が流れ、桜の花びらをサラサラと凪いでゆく。
「――あの時と」
 鬼王の瞳が、幾分か穏やかになった。
「同じ目の輝きをしている。偽りなどない、強く、真っ直ぐに澄んだ目だ」
 そう言うと、鬼王は唇に弧を描く。
 今まで、冷笑しか見たことのなかった南條は、鬼王の笑みに目を瞠った。もしかしたら、穏やかに映っているだけだろうか。そう思い、表情を窺ってしまう。
「さっきも言ったはずだ。私が嫌いなのは、自らの意思に背く弱い輩だ、と。私は長く生きてきた。だから、相手が真実を述べているか、それとも偽りを口にしているかなど、見ているだけですぐに分かる」
 それはつまり、鬼王は南條の言葉を心から信じてくれた、ということだろう。
 鬼王はやはり、ただの冷酷無慈悲な鬼の長などではない。ヒト以上にヒトらしい。いや、むしろヒトよりも純粋な存在だ。
 だが、鬼王の無垢さは南條に戸惑いも生じさせる。本来であれば、鬼王こそ封じねばならない存在。鬼王がいる限り、例え、藍田本家の陰謀を止めることが出来ても、美咲が命の危険に晒されることに変わりはないのだ。
 鬼王の望みは桜姫の復活。それはすなわち、美咲の魂の完全消滅を意味する。
「美咲は、何があっても俺が守る」
 鬼王に、何よりも自身に言い聞かせるつもりで口にする。
 鬼王は何も言わない。ただ、先ほどと変わらず口元に笑みを浮かべたまま、自分を見据える南條を見つめ返した。
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