宵月桜舞

雪原歌乃

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第三章 胎動と陰謀

第五節-01

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 しばらく車に揺られているうちに、民家が疎らにしか見えなくなっていた。辺りには田園が広がり、良く言えば長閑、悪く言えば殺風景だ。もちろん、〈殺風景〉なんて表現したらこの辺の住人に対して失礼だとは思うが、美咲にとっては何故か、あまり良い場所には思えない。
 そして、この光景は見覚えがある気がする。どうしてなんだろう、と考えていたが、ある場所に近付いた途端、それがはっきりした。
「あなたは十年前、この辺に住んでいたのですってね?」
 それまで黙って運転していた女性が、おもむろに口を開いた。むろん、運転中だから前を見たままだ。
「あの方の話によると、ご両親の元を離れて本家に預けられていたとか。あなたのお祖父様に当たる前当主様と奥様が、あなたを目に入れても痛くないほど可愛がっていらっしゃったそうね。でも、急な病でお二人とも相次いでお亡くなりになられた、と。――お可哀想に……。あなたを突き放してさえいれば、今もご健勝でいらっしゃったかもしれないのに……」
 どこまでも穏やかで抑揚のない口調だが、美咲に不快感を与えるには充分過ぎた。美咲は苦虫を噛み潰したように眉をひそめ、だが、感情的になるまいと唇を結び続ける。
 ふと、隣の青年を一瞥した。青年はあろうことか、大口開けて爆睡している。しかも、時々小さくいびきまでかいていて、美咲は心底呆れた。
「そういうヒトなのよ」
 バックミラー越しに、美咲の呆れ顔が飛び込んできたのか、女性は笑いを含みながら続けた。
「それでも一応、高い能力の持ち主なんだけど……。普段は、食べることと寝ることしか考えてないのよ。あの方が拾って下さらなければ、そのヒト、確実に路頭に迷って今頃はホームレスにでもなってたんじゃないかしら?」
 ケラケラと呑気に笑い声を上げていたが、美咲はやはり、全く笑えなかった。「そうなんですか」と短く答えたきり、あとは今までと同様に黙っていた。
 だが、美咲の亡くなった祖父母の話題が出たことで、何となくではあるが分かってきた。
(今の藍田本家の当主は確か……、史孝ふみたか伯父さん、だったような……)
 史孝とは、美咲の父親――貴雄の兄に当たる人物で、美咲が幼い頃に本家に預けられていた時にも一緒に住んでいた。伯父とも祖父母が亡くなって以後は全く逢っていないから、おぼろげにしか想い出せないが、子供心にも〈怖いヒト〉という印象が非常に根強く残った。
 人当たりが良く、誰からも好かれる貴雄とは対照的に、自分以外の人間を蔑むことしか出来ない伯父は、本家でも孤立した存在だった。両親――美咲にとっての祖父母――との折り合いも決して良くなかった、と貴雄も一度、美咲と理美の前で零していたことがあったほどだ。
(けど、このヒト達と史孝伯父さんはどんな繋がりで……)
 美咲は疑問に思ったが、女性に質問を投げかけなかった。いや、実際は口も利きたくなかった。
(質問には答えてくれるかもだけど、言い方がいちいちカンに障るもんね、このヒト……)
 内心で舌打ちをしながら、あとは女性に顔色を覗われないよう、目を伏せがちに俯く。女性は目敏いようだから、少しでも表情が変わればすぐに悟られるだろうが、顔を上げた状態でいるよりは幾分かはマシかもしれない。幸い、青年は相変わらず豪快に眠りこけている。
 長い時間をかけて田園地帯を走っていた車が、カチカチとウインカーを鳴らして左折した。わずかに顔を上げると、想像した通り、そこは藍田本家の敷地内だった。
(ああ、こんな感じだったんだ……)
 美咲は窓越しに外を見ながら、改めて、十年前のことを想い出す。だが、懐かさよりも、また来てしまったんだ、という愕然とした気持ちの方が勝っていた。
(お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが生きてた頃ならともかく、亡くなってからは近付きもしたくなかったもんね……)
 美咲が本家を避けたいと思う理由は、伯父のことももちろんだが、伯父の娘――つまり、従姉の存在もあった。〈親が親なら子も子〉とはよく言うが、美咲よりも二つ年上の従姉は、伯父に似て愛想の欠片もない。実際、伯父と同様、祖父母を始め、周囲からも疎まれているように見えた。
(やっぱりいるよね、彼女……)
 十年も逢っていないが、それでも、成長した姿は想像出来る。出来るだけに、よけいに不快感が増す。
(多分、向こうも向こうであんまりいい気分じゃないだろうけど……)
 再会した時のことを考え、美咲は思わず微苦笑を浮かべる。だが、実際に逢ったら、笑うどころか顔をしかめてしまいそうだ。
 そのうち、本家の母屋が見えてきた。それにしても、本家はどれだけ広い土地を所有しているのだろうかと、美咲は感心するよりも呆れた。
 車は母屋近くの駐車スペースに入る。慣れた感じで女性が車をバックさせ、エンジンを停止させた。
「さ、着いたわよ。ご苦労様」
 口先だけの労いの言葉を聞き流し、美咲は外に出る。
 女性も運転席から降りると、後部に回り込んでドアを開けた。
「起きなさい。いつまで寝てる気なの?」
 青年を揺する女性の姿は、まるで出来の悪い息子に手を焼く母親のようだ。美咲はそんなことを考えながら、少し離れた場所からその様子を傍観していた。
「起きなさいって、ば!」
 どんなに身体を揺すっても起きない青年に痺れを切らしたのか、女性は最後の「ば!」を強調しながら、げん骨を作った右手で青年の頭を強打した。
「……ってえなあ……」
 さすがに相当痛かったのか、青年は呻きながら頭を擦っている。
 女性は両手に腰を当てた仁王立ちスタイルで、青年を睨みながら見下ろす。
「さっさと起きないから痛い目に遭うのよ。ほら、着いたから降りて。いつまでもお待たせするわけにはいかないでしょ?」
「分かったよ……。分かったからそんな怒んな。ったくよお……」
 青年はブツブツぼやきながら、ようやく車から降りた。
「それじゃ行きましょう」
 女性は踵を返すと、美咲と青年の先に立って歩き出す。
 青年は美咲よりも一歩前で頭をかきながら、美咲は二人の背中を睨みながら後に続いた。
 母屋の玄関の戸は、記憶の中にも残っている引き戸だった。美咲が生まれるずっと昔からある家だけに年季は入っているが、こまめに綺麗にしているらしく、極端に汚れは目立たない。むしろ、古いながらの趣がこの家にはある。
(けど、ちょっと幽霊屋敷も入ってるよね、このウチ……)
 住人に言ったら確実に怒られそうなことを、美咲は心の中で思った。だが、子供の頃に住んでいた時も、夜は一人で眠れないほどこの家が怖くて堪らなかった。
 幼い頃のことに少しばかり想いを馳せている間に、女性が引き戸をゆっくりと開く。
「どうぞ」
 女性は身体を除け、美咲に先に入るように促してきた。
 美咲は躊躇いつつ、少しずつ中へと足を踏み入れると、線香特有の匂いが鼻に突く。そう言えば、この家は昔から線香の匂いがきつかったけ、などと、またしても余計なことを考えてしまった。
 ローファーを脱ぎ、揃えてから家に上がってから、母屋まで歩いて来た時と同様、女性の後に続いて長い廊下を進んで行く。何度か修復しているとはいえ、やはり、歩くたびにギシギシと床が軋んだ。
 少ししてから、女性が足を止めた。美咲と青年も、女性に合わせてピタリと歩くのをやめる。
「ここで少しだけ待っていてくれる?」
 障子張りの戸を開いてから言われ、美咲は黙って従うと、青年もまた、美咲に続いて中に入る。
「ただいまお連れするから」
 そう言い残し、女性は障子を閉めて去って行った。
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