宵月桜舞

雪原歌乃

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第三章 胎動と陰謀

第一節

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 南條に送り届けられてから、美咲は一度、自室に戻ってから浴室へと向かった。
 洗面器を使い、湯船から湯を掬って身体に浴びせると、浴槽へゆっくりと身を沈めてゆく。胸の辺りまで浸かれば、透明な湯の中に、疲労が全て融けて流れるような感じがした。
 美咲はふと、右の人差指で唇に触れる。二度目の南條とのキスは、初めての時とは比べものにならないほど激しかった。
 美咲が、『仙人みたい』だと例えた通り、南條は一見すると飄々としている。しかし、内面は情熱的で独占欲が人一倍強いのではと思えた。それを特に感じたのは、やはり、二度目のキスの瞬間だった。
(あの時の南條さんは……、ちょっと怖かった……)
 美咲は瞼を閉じ、湯の中で自らの身体を抱き締めた。
 美咲が涙を流した理由は、美咲自身も本当はよく分かっていた。
 〈男〉としての本能を剥き出しにした南條。南條からの深い口付けを受けながら、あのまま、自分が壊されてしまうのではないかという恐怖心を煽られた。
 だが、南條は美咲の涙を目の当たりにしたとたん、普段の穏やかさを取り戻した。『すまない』と口にしながら、罪悪感に苛まれたような南條の表情は、美咲の心も痛いほど締め付けた。
 そして、ほんの一瞬であったが、夢で逢った銀の髪と金の双眸を持つ男――鬼王の面影も脳裏を掠めた。
 鬼王は、美咲のもう一人の存在である桜姫が愛した男。どんな経緯があって、人外の鬼王とヒトの桜姫が巡り会い、惹かれ合ったかは知らない。しかし、鬼王が桜姫を深く愛し、桜姫もまた、ヒトとして生きる道を棄てるほど鬼王に添いたいと強く願った気持ちは、美咲にも伝わっている。

 ヒトの気持ちは、自分自身でもコントロールが難しいほど複雑なものなんだろう――

 南條が口にした言葉に、美咲も素直に納得した。南條のもう一人の存在もまた、実の妹だった桜姫を愛してしまったという経緯があったらしいから、本当に、ヒトの気持ちほど面倒なものはないと、美咲は改めて思った。
「――でも」
 美咲は口に出しながら、瞳を開いた。
「私は今、誰をほんとに求めてるの……?」
 事実、美咲の心は揺れていた。桜姫は鬼王を求めている。しかし、美咲自身は鬼王よりも南條に特別な感情を持ち始めている。唇を奪われたこともあるかもしれないが、何となく、南條とヒトとしての一生を全うしたいと切望してしまう。もちろん、ヒトとして生まれたのだから当然と言えば当然の感覚なのだが。
 鬼王は、美咲――正確には桜姫だろうが――に、『至上の幸福を与えられない』と言っていた。美咲は恋愛には無知にも等しいが、その意味は充分に理解していた。
「つまり、鬼王と桜姫は、精神的に結ばれてたってことなんだね……」
 美咲は両手で湯を掬い、腕を傾けてゆっくりと流してゆく。それを何度も繰り返しながら、自分の中の桜姫に語りかける。
「けど桜姫、桜姫は子供が欲しいとか思わなかったの……?」
 分かってはいたが、やはり返事は戻ってこない。それでも、美咲はなおも問い続ける。
「桜姫はどうして、鬼王を愛したの? 南條さん――お兄さんがあんたを愛してたことは知ってたの? そして――あんたは、お兄さんを……、どう思ってたの……?」
 最後に問いかけた瞬間、美咲の胸が酷く痛み出した。息も出来ないほど苦しくなり、どうしたのかと戸惑っているうちに、瞳から、幾筋もの透明な雫が零れ落ちた。
「ど……、して……?」
 止めようにも、涙は止まらない。もしかしたら、美咲自身ではなく、桜姫が泣いているのかもしれない。

『……にも……も……のだ……』

 不意に、途切れがちに声が聴こえてきた。いや、耳に直接聴こえたわけではないから、〈感じた〉という表現の方が正しい。
「桜……、姫……?」
 涙で顔を濡らしながら、美咲は問いかける。だが、声を感じたのはその一瞬だけで、あとは沈黙が周りを支配した。
「中途半端に……、声かけてこないでよ……」
 涙を拭い、鼻をすすりながら、不満を口にする。だが、口にしているほど美咲は不快な気持ちではなかった。
「素直になんなさいよ……」
 自分のことを棚に上げて言う美咲。そんな彼女に、桜姫はどんな想いを抱いているだろうか。
「私は……、まだよく分かんないし……」
 突っ込まれたわけでもないのに、美咲は言い訳する。
 南條は気になる存在だ。それはちゃんと自覚している。だが、南條にも言った通り、それが恋かどうかは分からない。
「南條さんだって、ヒトを愛したことがないって言ってたんだし……」
 誰にともなく言うと、美咲は身体と髪を洗うために、一度ゆっくりと上がった。

 ◆◇◆◇

 入浴を済ませて再び部屋に戻った美咲は、電気を点け、ベッドの縁に深く腰かけてから、ヘッドボードに置いていたドライヤーに手をかけようとした。
「あ、携帯……」
 美咲はひとりごちると、ドライヤーよりも先に、すぐ隣でチカチカと光っていた携帯電話を握った。開いてみると、メール通知が二件分入っている。
「誰ですかあ?」
 そう言いながらメールの送信元を確認した美咲は、思わず目を見開いてしまった。
 一件は、予想通り優奈からだったが、二件目は〈南條さん〉と表示されていた。
「え、何で……?」
 美咲は動揺しつつ、それでも何とか心を落ち着かせ、最初に優奈からのメールを見た。
 優奈からは、明日は遅刻しないこと、といった内容のメールだったが、女子高生らしくデコメで可愛く装飾されていて、見ている側も嬉しくなる。
 美咲も、優奈に対抗するようにデコメを送ってから、今度は南條のメールを開けてみた。

 今日は色々悪かった。
 本当は、もっとちゃんとお前に謝るべきなんだろうが……
 実はメールも慣れていないから、上手く言葉を伝えられないかもしれない。
 いや、普通の会話も決して達者とは言えないけどな。
 お前さえ良ければだが、今度また、ゆっくりと飯でも食いに行こう。
 前にも約束していたし、何より、お前と二人だけで過ごしたい気がする。
 都合はもちろんお前に合わせるようにする。
 本当に、良かったらいつでも連絡してくれ。
 それじゃあ、おやすみ。
 南條

 デコメはもちろん、絵文字も顔文字も記号すらないシンプル過ぎるメールだった。だが、南條はメールが慣れていないと綴っていたから、彼なりに気を遣ったのだろう。真面目な顔で、ディスプレイを睨みながら小さなキーを指で打ち続ける南條を想像したら、自然と笑みが零れた。
「ちょっと可愛いかも」
 こんな台詞は、本人を目の前にしたら決して言えないから、メール越しに口にしてみる。そして、返信画面に切り替えると、口元を綻ばせたままでメールを打ち始めた。

 私こそ、今日はありがとうございました。
 とっても楽しかったです。
 私も、南條さんとゆっくり逢いたいです。
 また改めてメールしますね。
 おやすみなさい。
 美咲

 美咲も南條の真似をして、装飾に頼らずにひたすら文字を打ち込んだ。ただ、やっぱり物足りなさを感じ、送信する寸前になって、煩くない程度に絵文字を追加した。さらに南條が相手だから、変に意識して、いつにも増して真剣に誤字のチェックをしてしまう。幸い、気になる点は特になかったから、そのまま〈送信〉を押した。
 文字と最低限の絵文字だけのメールは、優奈へのメールよりも早く南條の携帯へと届けられた。送信が完了したのを確認した美咲は、携帯を静かに閉じ、ヘッドボードに再び戻して、今度こそドライヤーを手にして電源を入れた。
 強力な熱風が髪に当たる。しだいに気持ち良くなってきて、ついつい船を漕いでしまったが、すぐにハッと目を覚まし、髪を乾かすのに集中した。
(南條さんは何をしてるんだろ?)
 不意に思う。ヘッドボードの目覚まし時計に目をやると、十一時を回っていた。一瞬、もう寝た頃だろうかと考えたが、大人の南條が日付が変わる前に布団に入るとは考えられない。もちろん、そんなのは偏見かもしれないが、美咲を送り届ける都合上、樋口の家ではアルコールを一滴も口にしていなかったから、帰ってから一人で飲んでいるという可能性も充分にあり得そうだ。
(南條さん、お酒大好きみたいだしね)
 貴雄に連れられて初めて美咲の家に来た日、涼しい顔でビールや日本酒を飲み続けていた南條を想い出す。そう言えば、初めてのキスも、ほんのりと大人の苦みがあったような気がした。
(三度目のキスは……?)
 考えようとして、美咲は慌てて頭を横に振った。しかし、どこかで南條との〈三度目〉を期待してしまう。同時に、キスだけでは物足りなさを感じてくるのでは、とも。
「馬鹿じゃないの……」
 美咲は自らを嘲った。
「期待したらした分だけ、傷付いた時のショックが大きくなるだけなのに……」
 この台詞は、美咲自身で、といよりも桜姫が言わせているように感じる。南條が美咲を傷付けるようなことはしないと思うが、桜姫は結果的に、実兄に〈裏切られる〉結果になったのだから。
「信じたい、南條さんを……」
 美咲は強く言い聞かせ、ドライヤーを止めた。
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