宵月桜舞

雪原歌乃

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第二章 恋情と真実

第五節-02

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(そもそも、女と二人きりでいて己の煩悩と戦ってる仙人がどこにいる?)
 そう問い質したかったが、何となく、口に出すことを躊躇ってしまった。代わりに、小さな溜め息を漏らす。
「これでも俺は普通の男だと思うが?」
 南條は身じろぎすると、助手席に座っている美咲の顎に手をかけた。
「さっきも言ったはずだ。今度は、キスだけじゃすまなくなるかもしれない、と」
「――何を、する気ですか……?」
「本気で分からないのか?」
「――い、いえ……」
 美咲は必死で南條の視線から逃れようとする。しかし、南條は両手で美咲の顔を挟み込み、強引に目を合わせようとさせた。
 美咲の唇が小さく震えていた。これから起こるであろうことを予測し、不安を感じているのだろう。
 怯える美咲を見つめていたら、南條は罪悪感に苛まれた。だが、それ以上に、どんな手を使ってでも繋ぎ止めたいという支配欲に囚われ、自らの元へ美咲を引き寄せて口を塞いだ。
「ん……ふっ……」
 南條からどうにか逃れようとする美咲を、南條は力ずくで押さえ込む。舌を差し入れ、水音を立てながら執拗に絡ませると、しだいに美咲も力を緩め、南條のなすがままになっていた。
 ふと、南條の脳裏に鬼王の面影が過ぎった。

 女を〈道具〉としか見ていない――
 〈愛〉を知らぬ者は、決して強くはなれぬ――

 南條の心に、鋭い刃となって突き刺さった鬼王の言葉。南條は美咲と唇を重ねることでかき消そうとしたが、消えるどころか、まるで呪いをかけられているかのように、頭にこびり付いて離れない。
(俺に対する警告か、鬼王……)
 南條は忌々しく思いながら、美咲を解放した。と、そのまま瞠目してしまった。
 美咲の瞳から、止めどなく涙が零れ落ちていた。泣いているのを見られたのが恥ずかしかったのか、南條から顔を背け、口元を押さえながら苦しそうに嗚咽を繰り返す。
(やり過ぎたか……)
 幼子のように泣きじゃくる美咲を目の当たりにして、南條は、自分がしたことの重大さを改めて思い知らされた。
「――すまない……」
 南條は躊躇いつつ、美咲の髪に触れる。
 ちょっとしたことで敏感になっている美咲は過剰な反応を示したが、南條を拒絶することなく、黙って頭を撫でられていた。
「俺を、軽蔑するか……?」
 南條の問いに、美咲は肯定も否定もしない。ただ、ひたすら泣き続けるのみだった。
 美咲を〈道具〉などと考えてはいないと思い込んでいた。だが、支配欲に囚われた時点で、すでに〈道具〉と見ていたのではないか。南條は、自身を嫌悪した。
(悔しいが、鬼王の言っていたことは正しい……)
 南條は奥歯をギリと強く噛み締め、眉をひそめる。鬼王に対して、というより、己の欲望だけで美咲を手に入れようという思いに至った自分に。
「すまない……」
 南條は再び、謝罪を口にした。決して許してはもらえない。今までにも増して軽蔑される。そう覚悟していた。
 ところが、美咲は涙で濡れた顔を上げるなり、南條に視線を注ぎながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「――ごめんなさい……」
 逆に、美咲からも謝罪された。これにはさすがに驚き、南條は美咲を凝視してしまった。
 美咲はバッグからハンカチを取り出すと、それで涙を拭い、鼻を啜りながら続ける。
「なんか……、勝手に涙が出てきました……。どうしてだろ……、よく分かんない……」
「――キスされたのが、嫌だったからじゃないのか……?」
「嫌だと思ったら……、前にキスされた時も必死で抵抗してました。といっても、抵抗する間もなかったですけど……」
 南條は、神妙な面持ちで美咲を見つめる。
 そんな南條を、美咲も負けじと真っ直ぐに見据えてきた。
「もう一人の〈私〉は、鬼王を愛してました。それはこの間、鬼王に夢で逢った時に自覚しました。私は恋なんてしたことがないから、そういった気持ちはよく分からないですけど、確かに、もう一人の〈私〉は鬼王を強く求めてました。――でも、南條さんも、何となく気になるような……。ただ、この気持ちが恋なのか、と訊かれたら……、はっきり、そうだ、って答えられる自信はないんです……」
 そこまで言うと、美咲は、フウと深く息を吐き出す。疲れたのか、それとも、緊張を紛らわすためなのか。
 南條は美咲から視線を外し、眉間に皺を寄せながら顎を擦る。美咲の、本心とも取れる言葉が不快だったのではない。むしろ、美咲ほどヒトを愛することについて真剣に考えることのなかった自らを恥じる思いだった。それは、鬼王に突き付けられた言葉よりも、重く南條にのしかかる。
「――俺も……」
 南條は、静かに口を開いた。俯き加減だったから美咲の様子までは覗えなかったが、こちらに視線を注いでいるのは何となく分かった。
「俺も、今までヒトを〈愛した〉ことがない。親は嫌いじゃないが、血の繋がりもない異性とはまた別だ。
 俺の中にも藍田同様、もう一人の〈俺〉がいる。お前を――正確には桜姫をずっと手に入れたがっていたが、桜姫は鬼王と共にいることを望んでいる。お前が無意識のうちに鬼王を求めたのもその影響だろう。そして、過去の俺とお前は……、結ばれることは決して叶わなかったのだからな……」
「――もう一人の〈私〉にとっては、敵だったから、ですか……?」
 南條は曖昧に笑みを浮かべた。敵と言われれば敵。しかし、それ以前に、どうあっても愛し合えない理由があった。
「もう一人の〈俺〉と桜姫は……、兄妹だったから……」
 南條の口から出た言葉に、美咲はわずかに目を見開く。予想通りの反応だっただけに、南條は驚きもしなかった。
「実の兄が妹に恋情を抱くなど、昔も今も言語道断だ。ましてや、桜姫は過去世で呪われた存在として幽閉されていた身だ。血が繋がっていようとなかろうと、桜姫に触れ合うことはタブーだった……」
「――それなのに、どうして愛しちゃいけない人を……?」
 まるで、好奇心旺盛な幼子のように、美咲は疑問を投げかけてる。
 その純真な瞳をまともに受けた南條は、内心で困惑しつつ、それでも平静を装った。
「ヒトの気持ちは、自分自身でもコントロールが難しいほど複雑なものなんだろう」
 美咲が望んでいたものとは違っていたかもしれないが、他に良い回答が見付からなかった。
 美咲はさらに問い質してくるかと思ったが、今以上の答えは得られないと悟ったのか、「そうですか」と言ったきり、あとは口を噤んだ。
 車内に沈黙が流れる。外も相変わらず、ヒトの気配が全く感じられない。一時的に締めていたウーロン茶のキャップを開け、喉に流し込むと、静まり返った中でゴクリと響いた。
 美咲もまた、南條に倣うようにウーロン茶に口を付け、ゆったりと静かに飲んでいた。
「行くか?」
 全て飲み終えてから、南條は美咲に向き直って訊ねる。
 美咲はペットボトルを握り締めたまま、チラリと南條を一瞥して、「はい」と頷く。
 南條は口元に笑みを湛え、フットブレーキを踏みつつ、キーを回してエンジンをかける。シートベルトを着け、ギアをドライブに入れてアクセルを踏むと、ゆっくりと車を動かした。
 まだ、美咲を引き留めたいのが本音だった。しかし、あまり遅くなり過ぎては、美咲の親である貴雄と理美を心配させてしまうだろうし、何より、今度こそ理性が保てなくなるのが恐ろしかった。
(これは、俺自身が、それとも、もう一人の〈俺〉が望んでいるのか……)
 心の中で葛藤を繰り返しながら、南條はひたすら車を走らせた。

【第二章 - End】
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